慶應義塾大学
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慶應義塾大学
| 大学設置 | 1920年 |
|---|---|
| 創立 | 1858年 |
| 学校種別 | 私立 |
| 設置者 | 学校法人慶應義塾 |
| 本部所在地 | 東京都港区三田二丁目15番45号 |
| キャンパス | 三田(東京都港区) 日吉(神奈川県横浜市港北区) 信濃町(東京都新宿区) 矢上(横浜市港北区) 湘南藤沢(神奈川県藤沢市) |
| 学部 | 文学部 経済学部 法学部 商学部 医学部 理工学部 総合政策学部 環境情報学部 看護医療学部 |
| 研究科 | 文学研究科 経済学研究科 法学研究科 社会学研究科 商学研究科 医学研究科 理工学研究科 政策・メディア研究科 健康マネジメント研究科 経営管理研究科 法務研究科 |
| ウェブサイト | 慶應義塾大学公式サイト |
慶應義塾大学(けいおうぎじゅくだいがく、英称:Keio University)は、東京都港区三田二丁目15番45号に本部を置く日本の私立大学である。1920年に設置された。大学の略称は慶大(けいだい)または慶應。
目次 |
[編集] 概観
[編集] 大学全体
慶應義塾は、福澤諭吉が江戸築地鉄砲洲(現在の東京都中央区明石町)に開いた蘭学塾に始まる。1868年、前年の1867年に購入しておいた芝新銭座(現在の港区浜松町)の有馬家控屋敷跡に移転、この年が慶應4年であったことから慶應義塾と改称する。なお「義塾」は英国の「public school」の訳語と言われている。
第二次世界大戦前には「三田の理財」とも称され、さらに「早稲田の政治、駿河台の法学、白山の哲学」などをも加えて総称されることもあり、伝統的に経済学部が有名である。三田会の存在やその権勢を背景にした実業家が卒業生に多い。
慶應義塾大学の関係者の間では、公式なものではないが、「慶」と「應」に独自の略字が用いられることがある。慶および應は他の漢字に比べて画数が多いため、「けい」「おう」という読みが英語のアルファベットのKとOの発音に近いことに着目して、「广」の部分以外をKとOに置き換えた「广+K」「广+O」からなる造字で表記するもの。
2006年11月、学校法人慶應義塾は学校法人共立薬科大学と合併についての協議に入った。<ref name="tougou">Keio Top News 学校法人慶應義塾と学校法人共立薬科大学は、合併を前提として協議に入ることで合意 2006/11/20</ref>その後両学校法人の間で協議が重ねられた結果、2007年3月に両学校法人の合併を決定し、合併契約書を締結した。<ref name="keiyaku">Keio Top News 2008年4月1日の合併に向け、学校法人慶應義塾と学校法人共立薬科大学が合併契約を締結 2007/3/26</ref>これに伴い、両学校法人では2007年9月までに文部科学省から合併認可を得、その後に共立薬科大学の廃止認可申請及び慶應義塾大学薬学部、同大学院薬学研究科の設置認可申請を実施する。これらの手続きを経て2008年4月に両学校法人は合併し、慶應義塾大学に薬学部と大学院薬学研究科が設置される予定。両学校法人は「この合併には双方にメリットがある」としている。慶應義塾大学にとっては、既存の医学部、看護医療学部に薬学部、薬学研究科が加わることにより、同大学の医療分野の教育、研究の一層の充実をはかることができる。一方共立薬科大学にとっては、慶應義塾大学病院を使って実習を行えるようになるなど、より充実した環境のもとで薬学に携わる人材を育成できるというメリットがあるとしている。 <ref>[1]</ref>
[編集] 塾訓・目的
[編集] 塾訓
慶應義塾の塾訓は「独立自尊」となっており、大学もそのままこれを使用している。
[編集] 慶應義塾の目的
慶應義塾には「慶應義塾の目的」という文章が伝わっている。これは1896年(明治29年)11月1日に、芝・紅葉館で開催された懐旧会(慶應義塾出身者との懇親会)で行われた福沢諭吉の演説を元に、福沢自身が書き直したものである。内容は以下の通り。
- 慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず
- 其目的は我日本国中に於ける気品の泉源智徳の模範たらんことを期し
- 之を実際にしては居家処世立国の本旨を明にして
- 之を口に言ふのみにあらず躬行実践
- 以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり
- 以上は曾て人に語りし所の一節なり 福澤諭吉書
[編集] 教育および研究
かつては体育大学ではないのにもかかわらず全学部学科において体育が必修科目であり、「塾生皆泳」なるスローガンのもと、水泳で50メートル泳法ができないと単位を取得できなかった。複数の卒業生が、自著や対談の中で単位を取るのに水泳の特訓をしたと回想している。
[編集] 沿革
[編集] 年表
- 1858年 福澤諭吉が江戸築地鉄砲洲に蘭学塾を開く。
- 1863年 英学塾へ改組。
- 1868年 芝新銭座に移転、慶應義塾と改称。
- 1871年 芝新銭座の校地を近藤真琴の攻玉塾へ譲り、三田の島原藩中屋敷跡地へ移転。
- 1889年 慶應義塾規約制定。
- 1890年 大学部が発足し、文学・理財・法律の三科を設置。また大学部と区別するために従来の課程を普通部と称した。
- 1920年 大学令による大学となり、文学部・経済学部・法学部・医学部を設置。
- 1934年 日吉キャンパスを開設。
- 1944年 藤原工業大学(1939年設立)が慶應義塾に寄付され、工学部を設置。
- 1948年 通信教育部を設置。
- 1949年 学制改革により新制大学となり、海外大学(アメリカ合衆国、ロードアイランド州のブラウン大学)と提携を結ぶ。
- 1957年 塾創立100周年にあたり商学部を開設。
- 1981年 工学部を理工学部に改組。
- 1988年 女子厚生学院を改組して慶應義塾看護短期大学看護学科が開学(募集は平成12年度まで)。
- 1990年 湘南藤沢キャンパスに総合政策学部と環境情報学部を新設。
- 1991年 総合政策研究所・環境情報研究所・言語コミュニケーション研究所開設。
- 1992年 慶應義塾湘南藤沢中・高等部 開校。
- 1994年 大学院政策・メディア研究科修士課程開設。
- 1996年 大学院政策・メディア研究科後期博士課程開設、総合政策研究所・環境情報研究所・言語コミュニケーション研究所をSFC研究所に改組。
- 2001年 看護短期大学を看護医療学部に改組。看護短期大学の募集を停止。
- 2002年 湘南藤沢キャンパスに教職課程設置。
- 2005年 大学院健康マネジメント研究科修士課程開設。
[編集] 基礎データ
[編集] 所在地
[編集] 象徴
[編集] 校歌
校歌は慶應義塾塾歌。作詞:富田正文、作曲:信時潔。1940年に完成、翌年発表。慶應義塾関係者は「塾歌」と呼び、親しんでいる。大学本体のみならず、一貫教育校(高等学校、普通部、幼稚舎など)を含め、慶應義塾社中で広く歌われている。 塾内進学により大学に入学した塾生(慶應用語で言うところのいわゆる内部生)は殆ど全員が歌えるが、現在の慶應義塾大学では歌う機会が少ないため、入学試験によって慶應義塾大学へ入学した塾生(いわゆる外部生)は歌えないことも多い。
[編集] 若き血
若き血(わかきち)は応援歌。作詞・作曲とも堀内敬三。1927年に発表。
東京六大学野球連盟の応援では1得点挙げるごとに観客が肩を組み若き血を合唱するなど、スポーツの応援では定番の曲となっている。「慶應義塾塾歌は歌えないが若き血は歌える」という学生も少なくない。
歌詞の最後にある「陸の王者」は藤山一郎が「りくのおうしゃ(清音)」と歌っていたことから濁らないのが正式であると慶應義塾大学の関係者の一部ではいわれている。しかし、ほとんどの学生・教職員は「おうじゃ」と濁音で歌っている。携帯電話の着信メロディーとしてダウンロードできる。
[編集] ダッシュケイオウ
ダッシュケイオウは応援歌。高校野球など慶應義塾大学とは関係ない場面でも使用される機会が多いため、メロディライン自体は一般にもよく知られている。
[編集] スクールカラー
スクールカラーは塾旗から紺赤紺の並びの組み合わせとされている。塾旗は二種三色の色使いであることから、三色旗とも呼ばれている。
[編集] シンボルマーク
シンボルマークは、「ペンマーク」と呼ばれ、二つのペンを右を上にして交差させた「CALAMVS GLADIO FORTIOR (ペンは剣よりも強し)」をモチーフとしたマークである。
[編集] マスコット
マスコットはユニコーン。三色旗の上に描かれたものが応援の際などに使われる。慶應義塾のアメリカンフットボールチームの名称はユニコーンズである。
[編集] 教育および研究
[編集] 組織
[編集] 学部
- 文学部
- 人文社会学科
- 哲学系
- 哲学専攻
- 倫理学専攻
- 美学美術史学専攻
- 史学系
- 日本史学専攻
- 東洋史学専攻
- 西洋史学専攻
- 民族学考古学専攻
- 文学系
- 国文学専攻
- 中国文学専攻
- 英米文学専攻
- 独文学専攻
- 仏文学専攻
- 図書館・情報学系
- 図書館・情報学専攻
- 人間関係学系
- 社会学専攻
- 心理学専攻
- 教育学専攻
- 人間科学専攻
- 哲学系
- 人文社会学科
- 経済学部
- 旧制大学時代に設置されていた理財科を新制大学時に改組して設置した学部。環境経済学などの他の大学では余り開講されていない学問分野もそろえている。PCP(Professional Career Program)という、全て英語で経済学を学ぶ少人数形式の講義が2005年から導入された。
- 経済学科
- 法学部
- 法律学科
- 政治学科
- 商学部
- 商学科
- 医学部
- 慶應義塾大学では看護学系が看護医療学部として分かれているため、医学科という分類は存在しない。6年教育であり、日吉キャンパスで主に一般教養を、信濃町キャンパスで医学を学ぶ。以前は信濃町キャンパスが2年の秋学期からだったため、旧制大学時代に倣って1,2年を予科1,2と呼び、3,4,5,6年を学1,2,3,4と呼ぶ。
- 理工学部
- 慶應義塾大学理工学部では、学科ではなくまず学門別に入学する。学門は5つあり、それぞれの特色により進学できる学科が異なる。もちろん講義の必修科目にも多少違いがある。一年次に進路を考え、二年次にそれぞれの特色に沿った学科に進学することで、進路の幅にやや余裕が持てるメリットがある。
- 学門1,2,3,4,5(一年次)
- 機械工学科
- 電子工学科
- 応用化学科
- 物理情報工学科
- 管理工学科
- 数理科学科
- 物理学科
- 化学科
- システムデザイン工学科
- 情報工学科
- 生命情報学科
- 総合政策学部
- 総合政策学科
- 環境情報学部
- 環境情報学科
- 看護医療学部
- 看護学科
- 通信教育部
- (2008年度より共立薬科大学との合併により薬学部を設置予定)
[編集] 医学部
[編集] 概要
医学部は、1917年、福沢諭吉の遺志をくみ、北里柴三郎を初代学長として設立された。東京大学医学部が、臨床医学よりも人体の研究を重んじた当時のドイツの医学に強い影響を受けたのに対して、東京慈恵会医科大学や日本医科大学と同様、慶應義塾大学医学部は、患者側の視点に立った臨床のための医学の発展を目的として設立された。(東京慈恵会医科大学の沿革、略歴も参照)医学部六年生の夏休みに、ハーバード大学など、アメリカのメディカルスクールに短期留学できる。また、低学年の間には、韓国の延世大学校やラテンアメリカなどの医学部での交流会などが用意されている。
[編集] 沿革
- 1870年(明治3年)、慶應義塾の塾生前田政四郎の希望により、福澤諭吉が英国式の医学所の開設を決定する。
- 1873年(明治6年)、慶應義塾内に医学所を開設する。所長は慶應義塾出身の医師松山棟庵。また、杉田玄端を呼んで尊王舎を訓練の場所とした。
- 1880年(明治13年)6月、医学所が閉鎖される。
- 1916年(大正5年)12月27日、慶應義塾に医学部の創設が許可される。
- 1917年(大正6年)3月、医学部予科1年生の募集開始。初代の医学部長として北里柴三郎が就任する。
- 1920年(大正9年)、医学部が大学医学部に昇格。医学部校舎と附属病院が信濃町に新築される。
- 1937年(昭和12年)、北里記念医学図書館が創立される。
[編集] 使用キャンパス
医学部一年生はここにて、法学部、経済学部などの学生と共に、教養科目を受ける。
二年生より六年生までは、ここで臨床医学を身につける。
[編集] 総合政策学部・環境情報学部
総合政策学部と環境情報学部は湘南藤沢キャンパスにおいて他の学部とは大きく違った独自の教育が実施されている。この節では両者に共通する特徴などをまとめた。
[編集] 基本理念
「創造性の重視」「問題発見・解決型」。今の世の中に存在する雑多な諸問題を発見・解決していく人材を創出することを目的としている。その為、従来のリベラルアーツと専門知識の詰め込みだけではなく、研究プロジェクトを中心に置き、その中で見えてくる学生自身が足りない必要な知識 (カリキュラム) を見つけ、取得し、補いながら研究を進めていくという、従来とは全く違う独創的なスタイルが構築されていると関係者は考えている。
[編集] 特徴
大学では「学問の再編成」をキーワードとして自由度の高い履修システムを使用している。基本的に各授業には学年による履修制限を課さず、学部1年生から専門的な授業を履修できる。また、学部と大学院で共有する授業を多く設置している。
また、「半学半教」の理念から学生、特に学部生の雇用に積極的である。具体的には図書館スタッフ、コンピュータやマルチメディアの相談員、キャンパス内の設備利用ガイドの編集員、教育補助員 (学部生はSA、院生はTAと称する) などである。
湘南藤沢キャンパス内にある湘南藤沢中・高等部と大学の連携として、湘南藤沢中・高等部の「ゆとりの時間」という選択授業の中で一部大学授業を履修できる。
[編集] 通信教育部
財団法人私立大学通信教育協会に加盟している。慶應義塾大学本部のある三田キャンパスに事務局がある。
- 学部構成
- 入学の種類及び入学資格
- 入学選考は基本的には書類選考だが、学問領域関連書籍の論評などを含む志望理由書を提出する必要がある。
- 普通課程
- 高等学校卒業または見込み者
- 高等学校卒業程度認定試験(大検含む)合格者。
- 大学入学資格が付与されている専修学校高等課程の卒業者または見込み者。
- 特別課程
- 学士入学
- 入学式
- 慶大本部のみならず、大阪では関西大学で入学式が行われることがある。
- スクーリング
- 夏期スクーリング
- 夜間スクーリング(毎年概ね9月下旬から12月中旬まで毎週月曜日から金曜日までの18時~20時まで東京の三田校舎で実施されている。)
- 実験スクーリング(夏期において日吉キャンパスで行われる。希望者のみ受講できる。学士入学者は受講不可)
- 体育実技スクーリング(選択制で4単位まで卒業所要単位として加算される。日吉キャンパスにて夏期に行われる。冬期にはスキースクーリングもある)
- 通年スクーリング(通学課程の授業を受けられる特別なスクーリングで、受講には一定の条件が必要。)
- 地方スクーリングはないので、東京の三田キャンパスと横浜の日吉キャンパスまで通学する必要がある。
- 単位修得試験
- 年に4回行われる。三田キャンパス以外でも行われている。
- 卒論が必修で8単位ある。
[編集] 大学院
- 文学研究科
- 経済学研究科
- 法学研究科
- 社会学研究科
- 商学研究科
- 医学研究科
- 理工学研究科
- 政策・メディア研究科
- 健康マネジメント研究科
- 経営管理研究科(ビジネススクール、経営大学院に改組予定)
- 経営管理研究科は、1978年に大学院経営管理研究科経営管理専攻として設立認可を受け、日本初の2年制MBAコース(大学院修士課程)として設立された。米国のハーバード・ビジネス・スクールに倣ったケースメソッドを主として採用した教育を行っている。米国のビジネス・スクールと同様、大学の学部を卒業したばかりの者の入学は前提としておらず、数年以上の実務経験を有する社会人の教育を対象としたカリキュラムが組まれている。MBA取得のためには、社会人が2年間休職して(あるいは企業派遣で)フルタイムでカリキュラムに参加する必要がある。修士課程修了者にはMBA(経営学の修士号)が授与される。通称は慶應ビジネス・スクール。略称はKBS。
- 法務研究科(法科大学院)
なお、2008年4月に2つの研究科を開設する予定(メディアデザイン研究科、システムデザインマネジメント研究科)。
[編集] 附属機関
- 総合医科学研究センター
- 先端科学技術研究センター(KLL)
- グローバルセキュリティ・リサーチセンター(G-SEC)
- 総合研究推進機構
- 国際連携推進機構(OGI)
- デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構(DMC)
- 日本語・日本文化教育センター
- 言語文化研究所
- メディア・コミュニケーション研究所(旧新聞研究所)
- SFC研究所
- 産業研究所
- 東アジア研究所
- 先端生命科学研究所
- 体育研究所
- 附属研究所斯道文庫
- 福澤研究センター
- 国際センター
- アート・センター
- 教職課程センター
- 外国語教育研究センター
- 教養研究センター
- スポーツ医学研究センター
- 保健管理センター
- 新川崎タウンキャンパス(K2TC)
- 鶴岡タウンキャンパス・オブ・ケイオウ(TTCK)
- 研究推進センター
- 知的資産センター
- インキュベーションセンター
- 研究支援センター本部
- 三田研究支援センター
- 日吉研究支援センター
- 矢上研究支援センター
- 信濃町研究支援センター
- 湘南藤沢研究支援センター
- 先端研究教育連携スクエア事務室
- 慶應義塾大学病院
[編集] 出版会
慶應義塾大学の出版部門として慶應義塾大学出版会がある。慶應義塾大学出版会は組織的に独立した株式会社であり、大学の附属機関ではないが、慶應義塾大学関係の書籍を出版するなど、大学本体との関わりが深いので、本節においてまとめた。詳細は該当記事を参照。
[編集] 研究
[編集] 21世紀COEプログラム
- 採択12件
- 2002年
- 生命科学
- システム生物学による生命機能の理解と制御
- 化学材料科学
- 機能創造ライフコンジュゲートケミストリー
- 情報電気電子
- アクセス網高度化光・電子デバイス技術
- 人文科学
- 心の解明に向けての統合的方法論構築
- 学際複合新領域
- 次世代メディア・知的社会基盤
- 2003年
- 医学系
- 低侵襲・新治療開発による個別化癌医療確立
- 幹細胞医学と免疫学の基礎・臨床一体型拠点 -ヒト細胞とin vivo 実験医学を基盤とした新しい展開-
- 数学物理学地球科学
- 統合数理科学、現象解明を通した数学の発展
- 機械土木建築その他工学
- 知能化から生命化へのシステムデザイン
- 社会科学
- 市場の質に関する理論形成とパネル実証分析
- 多文化多世代交差世界の政治社会秩序形成 ?多文化世界における市民意識の動態
- 日本・アジアにおける総合政策学先導拠点
[編集] 学生生活
[編集] 部活動・クラブ活動・サークル活動
- 慶應義塾大学硬式庭球同好会連盟(けいおうぎじゅくだいがく こうしきにわきゅうどうこうかいれんめい)というテニスサークル連盟がある。現在、31サークルから成り立ち、交渉会員数4000人、「日本最大規模のテニスサークル連盟」を自称している。
[編集] 学園祭
各キャンパスごとに、「三田祭」(三田キャンパス)、「四谷祭」(信濃町キャンパス)、「矢上祭」(矢上キャンパス)、「七夕祭」、「秋祭」(湘南藤沢キャンパス)が開催されている。
このうち、三田祭が最大規模であり、他キャンパスの学生も多く参加する。慶應義塾大学が公式に「学園祭」としているのは三田祭のみである。その他のキャンパスごとのイベントは有志によるものに過ぎないとされているが、実質的には「学園祭」として認知されており、慶應義塾大学の受験生向けパンフレットなどにも紹介されている。
なお、日吉キャンパスで行われる日吉祭は慶應義塾高等学校の文化祭である。
[編集] 三田祭
三田祭は、毎年11月23日前後に例年4日間行われる。運営しているのは三田祭実行委員会。学校法人慶應義塾では三田祭の規模は日本国内最大であると考えており、大学案内などの広報資料でもそのように謳っている。三田祭のイベントとして行われるミスコンテストの優勝者『ミス慶應』は、その後女子アナやタレントになることが多く、芸能関係者の間では注目されている。
このように華やかさばかりに目が向けられる三田祭であるが、三田祭発表として経済学部・商学部・法学部・文学部・メディア・コミュニケーション研究所のゼミナール論文発表なども行われており、3年生の活動の中心に置くゼミも多い。
三田祭開催の1~2週間前には、前夜祭がほぼ毎年行われており(前夜祭のみ日吉キャンパスで行われる)、有名人のコンサートが開催される。
卒業OBの多くが母校の文化祭を訪れるのが慶應の特徴であり、三田祭の開催時には日吉の駅前や三田通りに、慶應の校章が描かれている紙バックを持ったOBで賑わう。
[編集] スポーツ
体育会の正式名称は「慶應義塾體育會」(けいおうぎじゅくたいいくかい)である。「慶應義塾大学体育会」としている文献が存在するが、正式名称では「大学」の語は使用しない。2006年現在、39部52部門が所属している。体育会各部間の意見交換や、体育会全体に関わる会議・行事の企画・進行や広報活動を行う組織として、體育會本部を置く。体育会部員から選出された常任委員がこうした業務に携わっている。また、体育会事務室という慶應義塾大学の部署が設置され、専任の大学職員が常駐している。体育会事務室は学生主体の體育會本部と連絡を取りながら体育会の運営をサポートしている。
- 野球部は東京六大学野球連盟に加盟しており、東京六大学野球が発祥する大元となった慶早戦(早慶戦)は大学野球ファンの間では著名である。なお、大学野球における慶早戦の盛り上がりがきっかけとなり、ラグビー部や端艇部(ボート競技)でも慶早戦が行われるようになった。詳細は早慶戦を参照。
- 箱根駅伝では、1932年に優勝している。
- ラグビー部は慶應義塾體育會蹴球部が正式名称である。1899年創立であり、ラグビー関係者の間では「日本ラグビーのルーツ校」と呼ばれることがある。関東大学ラグビー対抗戦グループに所属している。
- サッカー部はソッカー部が正式名称。サッカー関係者には伝統校として著名である。
[編集] 園遊会
園遊会は、学位授与式(卒業式)の後に開催される卒業パーティーである。慶應義塾大学卒業準備委員会が主催している。パーティーで行われる抽選大会の1等賞品は毎年通例として高級外車である。このような豪華な賞品を出すことについて、卒業生や大学教職員の間からは「学生に対してそのような豪華な賞品はいかがなものだろうか」という批判的な声が上がっているが、2006年現在も続いている。2006年現在、会費は2万円強で参加は任意である。賞品はOBが役員を務める企業からの寄付が多い。[要出典]
[編集] 大学関係者と組織
[編集] 大学関係者組織
在学生を「塾生」、卒業生を「塾員」、学生・卒業生・教員などの関係者を総称して「社中 (または義塾社中)」と呼ぶ習慣がある。なお、慶應義塾において先生は福澤諭吉ただ一人であるため、教員に対して「先生」ではなく「~君」<ref>教員を君付けで呼ぶ警備員も見かけられるほどである。[要出典]</ref>の呼称を用いるという慣習もある(現在も構内掲示などの教員名は「~君」表示)。職員<ref>一般に事務員を含め塾出身者の比率は高い。[要出典]</ref>は教員を「君」で呼ぶが、面と向かって教員を「君」付けで呼ぶ学生はない。
慶應義塾における「塾長」とは、慶應義塾大学の学長と学校法人慶應義塾の理事長を兼ねており、慶應義塾内で学長や理事長と言った呼称が使われることはほとんどない。
[編集] 三田会
三田会(みたかい)は慶應義塾大学の卒業生による同窓組織。現在各種三田会総数は865団体あり、約28万人の塾員の多くがこうした三田会に所属している。数多くある三田会のうち、代表的なものは次のとおりである。
- 年度三田会 (73団体)
- いわゆる「同期会」に相当するもので、同年卒業生の塾員で構成され、大学卒業と同時に入会する。この三田会最大のイベントは、卒業25年目にその年の卒業式に、50年目に入学式に招待されること。つまり慶應を卒業すると、一生のうちに2度入学式・卒業式を経験することができる。
- 地域三田会 (国内231団体・海外57団体)
- 各地域ごとの塾員で結成される三田会。
- 職域三田会 (308団体)
- 三田法曹会、公認会計士三田会、ホテル三田会、歯科三田会や会社ごとの三田会など、同じ職種や職場の塾員によって組織される三田会。
これらを統括するのは、連合三田会と呼ばれる団体である。また、毎年10月ごろには塾員の交流を目的とした連合三田会大会が開催されている。
同窓会組織「三田会」を語源とする三田閥(みたばつ)という学閥が存在しているという内容の記事が雑誌などによって報道されることがある。
[編集] 大学関係者一覧
[編集] 施設
[編集] キャンパス
[編集] 三田キャンパス
- 使用学部:文学部2-4年、経済学部・法学部・商学部3・4年
- 使用研究科:文学研究科・経済学研究科・法学研究科・社会学研究科・商学研究科・法務研究科(法科大学院)
- 使用附属施設:Stub
- 交通アクセス:JR山手線・京浜東北線田町駅、都営三田線・都営浅草線三田駅、都営大江戸線赤羽橋駅
慶應義塾中等部が隣接している。また、付近に慶應義塾女子高等学校がある。
[編集] 日吉キャンパス
慶應義塾高等学校がキャンパス内に併設されている。また、駅を挟んだ向かい側に慶應義塾普通部がある。
慶應義塾大学の学生の間には、他のキャンパスへの進級後に日吉キャンパスの授業を再履修する意味を表す「来日」、留年して日吉キャンパスに留まる意味を表す「在日」という俗語がある。
[編集] 矢上キャンパス
[編集] 信濃町キャンパス
- 使用学部:医学部2-6年および看護医療学部3年
- 使用研究科:医学研究科
- 使用附属施設:慶應義塾大学病院、総合医科学研究センター、北里記念医学図書館、信濃町メディアセンター(北里記念医学図書館内部)
- 交通アクセス:JR中央・総武緩行線信濃町駅
[編集] 湘南藤沢キャンパス
- 使用学部:総合政策学部・環境情報学部の全学年、看護医療学部の1・2・4年
- 使用研究科:政策・メディア研究科、健康マネジメント研究科
- 使用附属施設:SFC研究所、湘南藤沢研究支援センター
- 交通アクセス:小田急江ノ島線・相模鉄道いずみ野線・横浜市営地下鉄ブルーライン「湘南台駅」下車、神奈川中央交通バス「慶応大学行」約10分、JR東海道線「辻堂駅」下車、神奈川中央交通バス「慶応大学行」約25分
- 他にキャンパス構内に、「慶応大学本館前」「中高降車場」「慶応中高等部前」の各バス停が存在し、時間帯によっては構内発着となる系統も存在する。
神奈川県藤沢市遠藤5322に所在している。キャンパス内の建物の多くは建築家槇文彦が設計した。Shonan Fujisawa Campusの頭文字だけを取ってSFCとも呼ぶ。1990年完成。
総合政策学部および環境情報学部の存在する通称「総環エリア」と、看護医療学部校舎のエリアに大別される。これらのエリアは藤沢市道遠藤宮原線を挟んで位置している。また、主に両エリアを行き来することの多い看護医療学部生の利便性のため、両エリアを行き来する循環バスが運行されている。キャンパス内の建築物にはギリシア文字の名前が付けられている。学部長室や事務室のある本館はΑ (アルファ) 館、生協や学生食堂のある厚生棟はΣ (シグマ) 館である。また研究棟は「KEIO」にちなんだκ(カッパ) 棟、ε(イプシロン) 棟、ι(イオタ) 棟、ο(オミクロン) 棟と、語学 (「language」) 系の研究室を中心としたλ (ラムダ) 棟からなる。λ棟以外にも建物の特徴から命名された建物がある(「Theater」にちなんだΘ (シータ) 館、「Digital Science Laboratory」にちなんだΔ (デルタ) 館など )。クラブハウス棟 (φ棟、ψ棟) の命名は少々強引で、東側が「ひがし」→「ひんがし」→「ふぃんがし」→「ふぁい(φ)」、西側が「西」→「さい(ψ)」。
慶應義塾湘南藤沢中・高等部がキャンパス内に併設されている。
[編集] サテライトキャンパス
サテライトキャンパスとして以下が設置されている。
[編集] 対外関係
[編集] 系列校
慶應義塾は、大学を頂点とする附属校ではなく、あくまで同一学校法人が運営する独立した学校の集合体という形態を取っているため、こちらにまとめた。
[編集] 一貫教育校
慶應義塾では自らの設置する以下の学校へ入学した場合、大学まで全員が進学することを前提に統一したカリキュラムを組んで教育を行っている。そこで、以下の学校についてはまとめて「一貫教育校」と呼んでいる。
- 高等学校
- 中高一貫校
- 中学校
- 小学校
[編集] その他
以下の教育機関は「一貫教育校」ではないため、別のものとして掲載する。
[編集] 社会との関わり
[編集] 李登輝講演会事件
慶應義塾大学文化団体連盟に所属する経済新人会というサークルが、2002年11月、中華民国(台湾)前総統李登輝を迎える講演会を企画した。日本政府が来日に必要なビザ発給を拒否する構えを示したため、李登輝は訪日を断念して、実現しなかった。背景には中国との学術交流への悪影響を懸念した一部教授の妨害や大学当局の思惑があったと指摘されている。
[編集] 附属学校
慶應義塾は、大学を頂点とする附属校ではなく、あくまで同一学校法人が運営する独立した学校の集合体という形態を取っているため、系列校の項目にまとめている。
[編集] Wiki関係他プロジェクトリンク
- ウィキブックス(Wikibooks)
- 慶應大対策
[編集] 公式サイト
[編集] 脚注
<references/>
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