安倍晋三

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この項目では安倍晋三の人物について記述しています。安倍晋三内閣総理大臣を首班とする内閣については安倍内閣をご覧ください。
衆議院議員 安倍 晋三
生年月日 1954年9月21日(53歳)
出生地 出生地:東京都
本籍地:山口県大津郡油谷町(現・長門市)
出身校 成蹊大学法学部政治学科卒業
学位・資格 政治学士(成蹊大学)
前職・院外役職(現在) 神戸製鋼所社員
外務大臣秘書官(安倍晋太郎秘書)
所属委員会
・内閣役職(現在)
内閣総理大臣
世襲の有無 三世
祖父・安倍寛岸信介
父・安倍晋太郎
選出選挙区
(立候補選挙区)
山口4区
当選回数 5回
所属党派(現在) 自由民主党(無派閥)
党役職(現在) 総裁
会館部屋番号 衆・第一議員会館602号室
ウェブサイト 公式サイト

安倍 晋三(あべ しんぞう、1954年9月21日 - )は、日本政治家自由民主党に所属する衆議院議員(山口4区選出)。第90代内閣総理大臣(2006年9月26日 - 現職)。第21代自由民主党総裁(現職)。

親族の政治家として、父方の祖父の安倍寛(元衆議院議員)、母方の祖父岸信介(第56・57代内閣総理大臣)、大叔父の佐藤栄作(第61~63代内閣総理大臣)、父の安倍晋太郎(元外務大臣)、弟の岸信夫参議院議員)などがいる。

大学卒業後、神戸製鋼所社員、外務大臣秘書官を経て衆議院議員となる。官房副長官自由民主党幹事長、同幹事長代理、官房長官等を歴任。

目次

[編集] 生涯

[編集] 出生

1954年9月21日、当時毎日新聞の記者であった安倍晋太郎とその妻、洋子の次男として東京で生まれる。父方の祖父は衆議院議員の安倍寛(この時既に故人)、母方の祖父は後の首相・岸信介で、大叔父にはやはり後の首相・佐藤栄作がいる、政治家一族であった。「幼い頃から私には身近に政治がありました」と安倍は振り返っている<ref name=tkso2>[1]</ref>

幼い頃は、野球選手刑事になることに憧れていた<ref>第10回「40年ぶりの給食」(政府広報オンライン 2007年1月26日)</ref>

[編集] 学業

岸信介が入学を推奨したという<ref name=aksk>『安倍晋三の敬愛する祖父 岸信介』(宮崎学著 同時代社 2006年9月 ISBN 4886835864 )</ref> 、成蹊学園(小学校・中学校・高等学校大学法学部政治学科)を卒業。安倍は小中高と良い教師に恵まれていたと振り返る<ref>第10回「ホット対談・教育再生」(政府広報オンライン 2006年12月14日)</ref>

小学生4年から5年にかけての1964年から2年間平沢勝栄(後の衆議院議員、日本人拉致問題で助言したと言われる)が家庭教師についていた<ref>[政治・安倍政権は国民の支持がカギ―平沢勝栄氏インタビュー」(JANJAN、2006年9月8日)</ref><ref name=tkso2/>。平沢はテレビ朝日系の番組『ビートたけしのTVタックル』で、「安倍晋三さんは、私が教えてから頭悪くなったと言うんですけどね、違うんですよ。安倍晋三さんがしっかりしてるのは私が教えたからで、私が教えてなかったら今頃網走の刑務所に入ってたかも知れないよ。」と語っている<ref>『TVタックル』(2002年11月18日の放送) </ref>。低学年の時、父晋太郎が選挙に落選したとき、「仕事がなくなっちゃったんだ。でも、知り合いの会社の顧問になれるから大丈夫なんだ」 と語っていたという<ref name=jp06921>「安倍総裁の素顔は? まめな兄貴、妻は元DJ」(人民網日文版、2006年9月21日)</ref>。晋太郎の落選当時、両親と離れて暮らしており、平沢勝栄を遊び相手にしたりしていた<ref name=tkso2/>。当時の友人によれば、小学校の頃はあまり目立たなかったという<ref name=jp06921/>。なお、これも平沢の話であるが、「はやっていた『おそ松くん』の『シェー』のポーズを良くまねする普通の子ども」だったという<ref name=tkso2/>

高校でクラブは地理研究部に所属<ref name=naz1>「人間・安倍晋三の実像」(1)(『ライブドア・ニュース』 満富俊吉郎、徳永裕介 2006年9月19日付)</ref>。同級生によれば存在感の薄さが逆に印象に残っていたという<ref name=aksk/>。ちなみに池田大作の次男と同期生だった<ref name=faki>『FORAUM21』特集/安倍・小泉新旧首相の池田大作詣で 2006年11月1日</ref>

大学では行政学を学ぶ。アーチェリー部に所属し、準レギュラーだった<ref>滋賀市民新聞』平成19年2月12日 第4784号</ref>。成蹊大時代は外車アルファ・ロメオに乗ってキャンパスに通う。[要出典]大学生の頃は人付き合いがいいが、大人しく真面目だったという<ref name=naz1/>1977年春に渡米し、ヘイワードの英語学校に通うが、日本人だらけで勉強に障害があると判断して通学を止め、その後イタリア系アメリカ人の家に下宿しながらロングビーチの語学学校に通った<ref>月刊現代2003年12月号「安倍晋三 気骨と血脈」、野上忠興</ref>。秋に南カリフォルニア大学への入学許可が出され<ref>報知新聞社2月16日</ref>1978年に入学、政治学を専攻し春・夏・秋学期を履修し、未卒業のまま1979年にドロップアウトした<ref>日経新聞2004年2月6日付、共同通信2004年2月5日付</ref>

[編集] 政界へ

1979年4月に帰国し、神戸製鋼に入社した。ニューヨーク事務所、加古川製鉄所、東京本社で勤務した<ref name=tkso2/>。加古川製鉄所での工程課厚板係の経験は、「私の社会人としての原点<ref>「安倍内閣メールマガジン 第21号 ~更生する少年たちの心(2007年3月15日)</ref>」、あるいは「私の原点<ref>第10回「26年ぶりの職場/少年院」(政府広報オンライン 2007年3月15日)</ref>」だったという。

神戸製鋼での3年間勤務の後、1982年、父で時の外務大臣・晋太郎の秘書官等に就任し、数々の各国首脳との会談に同席するなど父の後継者としての政治家修行を行う。1987年に松崎昭雄・森永製菓社長の娘で電通社員の昭恵と結婚する。1991年に首相候補の最有力と目されていた父が急死。

1993年に亡き父の地盤を引き継ぎ、第40回衆議院議員総選挙に山口1区(当時)より出馬、初当選を果たす。父が派閥会長を務めていた清和会三塚派、後の森派→小泉派→町村派)に属す。

[編集] 衆議院議員

派閥領袖の森喜朗首相が組閣した2000年第2次森改造内閣で、後に次期首相となる小泉純一郎に推薦され<ref name=naz2>「人間・安倍晋三の実像」(2)(『ライブドア・ニュース』 満富俊吉郎、徳永裕介 2006年9月19日付)</ref>内閣官房副長官に就任。森政権の後を受け、2001年に成立した小泉純一郎首相の第一次小泉内閣でも引き続き内閣官房副長官を務める。

2002年の小泉首相の北朝鮮訪問に随行し、小泉首相と金正日総書記との首脳会談では安易な妥協をするべきではないと強硬論を主張した。拉致被害者5人の帰国は実現したものの、この日本人拉致問題は日本側の納得する形では決着せずに難航した。安倍は事件の解決に積極的に取り組み、中山恭子内閣参与とともに拉致被害者と政府の信頼関係を築き、北朝鮮に対する経済制裁を含めた強硬路線を主張した。拉致被害者の北朝鮮帰国方針にも中山恭子内閣府参与と共に頑強に反対した<ref name=naz2/>。対話路線などの慎重論を唱える議員が多かった中で、毅然とした態度を取った安倍は拉致問題解決を望む国民にとっては頼もしい存在と映り、一躍人気が高まった。

2003年9月、小泉首相によって自民党幹事長に抜擢された。当選3回で、大臣経験もない若手議員が党幹事長に就任するのは前代未聞のことであるが、苦戦が予想される同年11月の総選挙のために安倍の人気が必要とされたためと見られた。11月の総選挙で自民党は絶対安定多数の確保に成功し、安倍は幹事長としての役目を果たした。

幹事長時代には自民党内で恒常化していた「餅代」、「氷代」(派閥の長が配下の者に配る活動資金)の廃止、自民党候補者の公募制の導入など党改革に着手。2004年参議院選挙では目標の51議席を下回れば「一番重い責任の取り方をする」と引責辞職を示唆。結果は49議席で、しばらく現職に留まった後で辞任した。同年9月から後任の幹事長・武部勤の強い要請を受け党幹事長代理に就任。幹事長経験者が幹事長代理に格下げになるということも大変異例なことだった。その幹事長代理として迎えた05年衆院選では保守派弁護士稲田朋美刺客にスカウトしている。

2006年自由民主党総裁選挙での記念撮影。左から麻生太郎小泉純一郎、安倍晋三、谷垣禎一

小泉政権末期の早い段階から自民党内の「ポスト小泉」(いわゆる麻垣康三)の最有力候補の一人と言われ、2005年10月31日付で発足した第3次小泉改造内閣では内閣官房長官を務める。

2006年 9月1日に自民党総裁戦への出馬をようやく表明。憲法改正教育改革財政健全化に取り組む方針を示す。また、総裁選に当選し次第、所属する派閥の森派を離脱する考えを示した。

小泉純一郎の総裁任期が満了となり、圧倒的な国民的支持の中で、2006年9月20日自由民主党総裁選挙麻生太郎谷垣禎一を大差で破って自由民主党総裁に選出、9月26日臨時国会に於いて内閣総理大臣に指名される。戦後最年少で、戦後生まれとしては初めての総理大臣となる。

かつて、同じく官房長官を務め、ポスト中曽根康弘(いわゆる安竹宮)、ポスト竹下登として最有力候補と言われながらも病に倒れ、総理・総裁の座に就くことのなかった父・晋太郎の悲願を代わりに果たすこととなった。

[編集] 総理大臣

首相に就任すると安倍は小泉前首相の靖国参拝問題のために途絶えていた中国韓国への訪問を表明。10月8日に中国・北京胡錦濤国家主席と会談。翌9日に盧武鉉大統領と会談すべく韓国・ソウルに入るが、その日、北朝鮮が核実験を実施して世界を驚かせた。この北朝鮮の核実験に対して、安倍首相は「日本の安全保障に対する重大な挑戦である」として非難声明を発するとともに、国連制裁決議とは別に、より厳しい経済制裁措置を実施した。

同年12月に懸案だった教育基本法改正と防衛庁の省昇格を実現する。就任当初は71%と高支持率だったが、はっきりと主張する総理就任以前の姿勢とは違い、「あいまい戦術」などと形容される受け答えや、郵政造反組復党問題で造反議員の復党を許したことへの批判、相次ぐ閣僚らの不祥事などから支持率は低迷している。「闘う政治家」を自認し、「主張する外交」を表明する保守的な政治姿勢を支持する者が多い一方で、その新保守主義的姿勢を「タカ派」と評す者も居る。

[編集] 略歴

[編集] 経歴

[編集] 政歴

[編集] 政見・政策

この節には、現在進行中のことを扱っている文章が含まれています。
この節は、書きかけです。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

[編集] 国家像

総裁戦直前の2006年7月19日に自らの政治信条を綴った自書『美しい国へ』を出版し、10刷・51万部以上を発行する<ref>出版業界紙『新文化』 過去のニュースフラッシュ</ref>ベストセラーになった。政権スローガン美しい国日本を作る」とし、自身の政権を「美しい国づくり内閣」と命名した。自身の政権の立場を“「戦後レジーム(体制)」からの新たな船出“と位置づけている。現行憲法を頂点とした行政システムや教育、経済、安全保障などの枠組みが時代の変化についていけなくなったとし、それらを大胆に見直すとしている。

現行憲法をアメリカからの”押し付け憲法“とし、これまでの日本の歴史認識を自虐的な東京裁判史観とする保守層からは好意的に迎えられる一方、左派からは内閣発足当初から集団的自衛権を容認しアメリカに追従する軍国主義的な体制を作ろうとするものではないかという懸念が示されている。<ref>『安倍晋三の本性』俵義文 , 魚住昭 ,横田一 , 佐高信 『週刊金曜日』取材班 、(「金曜日」 2006年11月) </ref>また「美しい国」という理念について、何が・また何を以って“美しい”とするのかはっきりせず、抽象的であるとする批評もある。

[編集] 憲法

  • 総裁選では施行60周年を迎えた日本国憲法を改正すると宣言し、総理就任後の国会で、「現行の憲法は、日本が占領されている時代に制定され、六十年近くを経て現実にそぐわないものとなっているので、二十一世紀にふさわしい日本の未来の姿あるいは理想を憲法として書き上げていくことが必要と考えている」と述べ、<ref name=k20061003>衆議院 本会議 平成18年(2006年)10月3日)「在任中に憲法を改正をしたい」との考えを述べた。(平成18年12月19日)</ref>
  • 日本国憲法の改正手続に関する法律案を2007年の通常国会での成立を目指すとしており、 2007年夏の参院選では憲法改正を最大の公約に掲げている。
  • 改憲のための国民投票法案の整備をおこなうが、選挙に向けて野党の反対を押し切り成立させたためメディアでは法案の不備について批判が出た。

[編集] 安全保障

[編集] 教育

[編集] 外交

2006年APECにて、韓国盧武鉉大統領とブッシュ大統領と、安倍晋三。

下記の歴史認識も参照

日中・日韓関係を改善し、東アジア共同体の構想に強い意欲を示す。新自由主義政策・グローバル資本主義を推進した。

[編集] 韓国

韓国親米保守勢力(現在はハンナラ党)とは韓国朴正煕軍事独裁政権だった頃から国際勝共連合などを通じ代々親しく、安倍も首相になってから「韓国はまさに日本と同じ価値観を持っております。」と親韓的な発言している。<ref>安倍内閣総理大臣記者会見、2006年9月29日</ref>

[編集] 中国

2006年の自民党総裁選では、ありのままの日本を知ってもらう為に多くの中国人留学生を受け入れるべきと主張し、小泉政権時に悪化した日中関係の改善に意欲を見せた。

首相就任後、真っ先に訪中して胡錦濤国家主席と会談する。この訪中は中国側から「氷を砕く旅(破氷之旅)」と呼ばれて評価された。

[編集] 北朝鮮

来日中のディック・チェイニーと安倍晋三の会談(2007年2月29日)。

2007年2月12日に来日したチェイニー米副大統領に、拉致問題が解決するまで北朝鮮に対するテロ支援国家指定の解除をしないように要請した。<ref>「安倍首相、北に対するテロ支援国家指定の解除に反対」(『朝鮮日報』 2007年2月23日付)。</ref>3月1日、6者協議の日朝国交正常化に関する作業部会への対応について「拉致問題の完全解決、前進を目指して全力を尽くすように」と指示し、エネルギー支援の参加についても「我々が判断をして決めていきたい。北朝鮮が決めることではない。我々が(拉致問題で)納得できなければ前進とは認めない」と強調し、拉致問題を安倍政権の最重要課題とする従来の姿勢を確認した。

[編集] アメリカ合衆国

小泉政権により強化された日米安全保障条約をさらに充実させるため在日米軍自衛隊の一体化を目指しており、集団的自衛権行使のための憲法改正も視野に入れている。

ジョージ・W・ブッシュ大統領と会談する安倍首相

[編集] オーストラリア

詳細は日豪関係安全保障協力に関する日豪共同宣言を参照

オーストラリアとは「基本的価値観を共有する<ref>「第166回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説」</ref>国家として連帯強化を目指している。日豪FTAの交渉を開始し、2006年12月に合意した。2007年3月13日には安全保障協力に関する日豪共同宣言ジョン・ハワード首相と共に署名した。この宣言にはPKOなどの海外活動や対テロ対策、北朝鮮問題などで日豪が協力する、安全保障協議委員会の設置などが明記されていた<ref>「日豪首脳、安保共同宣言に署名・EPAは4月交渉入り」(『日本経済新聞』 2007年3月14付)</ref>。この背景には中国の軍事拡大<ref>「安倍首相 『豪との共同宣言、中国狙ったものでない』(『朝鮮日報』2007年3月14日付)</ref>、対米追随との国内批判があるとされる<ref>「日豪 安保で共同宣言 対北朝鮮、PKO連携強化 首脳会談」(『西日本新聞』朝刊 2007年3月14日付)</ref>。一方でハワード首相は、安倍の慰安婦強制動員が無いとの主張を認めず、安倍の歴史認識を批判している<ref>「豪首相、日慰安婦発言に『弁解するな』警告」(『中央日報』 2007年3月13日付)</ref>。

[編集] 歴史認識

[編集] 戦争責任・村山談話

  • 総裁選を目前に控えた2006年9月7日、戦前・戦中の「植民地支配と侵略」に対しての国家としての反省と謝罪を示した1995年の「村山首相談話」について、「基本的にその精神を引き継いでいく」と踏襲する意向を明らかにした。
  • 2006年10月6日、衆議院予算委員会で、A級戦犯について、「戦争犯罪人である」と明言した小泉前総理の答弁を修正し、「国内法的には犯罪者ではない」との見解を示し、戦争責任については「当時の指導者であった人たちについてはより重たい責任があるが、その責任の主体がどこにあるかということについては、政府としてそれを判断する立場にはない」旨を述べた。<ref>第165回国会 衆議院 予算委員会 第3号 平成18年(2006年)10月6日</ref>
  • 2006年10月5日、衆院予算委員会で、東条内閣商工大臣だった岸信介が太平洋戦争開戦の詔書に署名したことへの認識を問われ「指導者には祖父を含め大きな責任があった。政治は結果責任だから当然、判断は間違っていた」と述べた<ref>第165回国会 衆議院 予算委員会 2号平成18年10月5日</ref>。

[編集] 慰安婦問題・河野談話

  • 日本のこれまでの歴史教育に異議を唱え、「新しい歴史教科書をつくる会」を支援して来た自民党内部の議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(1997年2月27日結成)の元事務局長。現在中川昭一と共に顧問を務める。同会は特に侵略戦争や「慰安婦」問題の教科書記述に批判的であり、証拠もないまま旧日本軍による慰安婦の強制連行を認めた「河野談話」を発表した河野洋平を会に呼んで、談話の撤回を要求したこともある。1997年の国会でも、慰安婦の強制連行の根拠とされて来た吉田清治の証言のウソが明らかになっているのに、「河野談話」が生きていることや教科書に慰安婦の記述を載せることは問題であると指摘している<ref>第140回国会 衆議院 決算委員会第二分科会 第2号 平成9年(1997年)5月27日</ref>。
  • 自民党幹事長代理時代の2005年3月27日の講演会でも、「従軍慰安婦は作られた話」と語っている。<ref>『中央日報』 2005年4月2日付2面。</ref>
  • 総理就任後の2006年10月5日には、これまでの主張を封印し、「河野談話」を「私の内閣で変更するものではない」とし、政府としては引き継いでいくことを明言した。しかし、2007年3月1日、河野談話に関する記者の質問に「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と語ったことが国内外から波紋を呼んだ。米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案について、同年3月5日の参院予算委員会において「決議案は客観的事実に基づいていない。」「決議があっても謝罪することはない」との見解を述べた。
  • 社民党の辻元清美の慰安婦問題に関する質問主意書<ref>安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書</ref>に対して、政府は2007年3月16日の閣議で、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書<ref>衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問に対する答弁書</ref>を出した。
  • その後、日本軍・憲兵等による元従軍慰安婦に対する強制性を示す数々の証言証拠を内外の研究者から示され、 2007年4月27日、海外メディアのインタビューに答えて、「極めて痛ましい状況に慰安婦の方々が強制的に置かれたことについて大変申し訳なく思う」(I feel deeply sorry that they were forced to be placed in such extremely painful situations.)  「私たちは、戦時下の環境において、従軍慰安婦として苦難や苦痛を受けることを強制された方々に責任を感じている」(We feel responsible for having forced these women to go through that hardship and pain as comfort women under the circumstances at the time.)と、前言を翻して、お詫びを表明した<ref>[2]</ref>

[編集] 靖国神社参拝

  • 歴史認識を巡って反日騒動が起こった中国韓国の態度を批判し、外国が靖国神社参拝について抗議するのは内政干渉だという見解を持っている<ref>『東京新聞』 2005年1月9日付</ref>。官房長官時代の2006年8月4日の記者会見で、同年4月15日朝に、密かに靖国神社を参拝していた(「内閣官房長官 安倍晋三」と記帳し、ポケットマネーで玉ぐし料を収めた)ことについて質問された際には「参拝したかしないかについては申し上げるつもりはない」と述べた。<ref>「安倍官房長官は今年4月に靖国参拝…総裁選の争点にも」(『読売新聞』 2006年8月4日付)</ref>。
  • 首相就任後も参拝を続ける意向を示しており、2007年1月17日の自民党大会で決定された運動方針でも「靖国参拝を受け継ぐ」ことが明記されたが、外交問題や政治問題になるのを避けるため自身の参拝については明言しない考えを改めて示した(靖国神社問題を参照)。


[編集] 労働政策

  • 再チャレンジ政策
    • 小泉政権下によって生じた都市と地方の歪や不安定雇用の増加やいわゆる格差社会の是正を掲げ、再チャレンジ政策の一環としてフリーター正社員として採用するよう企業に要請しているが、2006年8月の 経団連が会員企業に行なったアンケートによると、フリーターの正規社員採用に約9割が消極的であるとの結果が出ており、現状での成果は出ていない。
    • ワーキングプアと言われる人たちを前提に言わばコストあるいは生産の現状が確立されているのであれば、それはもう大変な問題であろう」と述べ、「企業も非正規雇用者が正規社員へ常にチャレンジができるように積極的に取り組むことが、中、長期的には企業への信頼感、活力も高まる」という旨の考えを示しており、偽装請負等に関しても、「法令労働基準法に反していれば厳格に対応していく」旨を述べている。<ref>第165回国会 参議院 予算委員会 第3号 平成18年(2006年)10月13日</ref>
  • ホワイトカラーエグゼンプション(事務職残業手当適用除外制度)
    • 「日米投資イニシアチブ報告書」に基づき、この制度を導入する予定であったが、 メディアで“残業代ゼロ法案”と批判的に報じられ、国民の多くが反対したことから、2007年1月17日、「現段階では国民の理解を得られない」として、国会提出を断念する意向を示した。
  • 最低賃金
    • 2007年1月26日の初の施政方針演説では見直しを行うとしていたが、4日後の衆議院での日本共産党の質問に対する答弁では最低賃金の抜本的引き上げは、「中小企業を中心に労働コスト増で、かえって雇用が失われ非現実的だ。」としている。<ref name=k20070130>第166回 衆議院 本会議 4号 平成19年(2007年)1月30日 </ref>
    • 2007年3月の参議院の予算委員会では、「最低賃金制度を生活保護以上にしていくという改正を行ない、成長力底上げ戦略を進めていく中で、中小企業と労働者の生産性を上げることによって、最低賃金も上げるという二段構えの仕組みを検討している」考えを示した。<ref name=k20070319>第166回国会 参議院 予算委員会 第12号 平成19年(2007年)3月19日</ref>
  • 格差問題
    • 格差はいつの時代もあるわけであって、格差を全くなくすことはこれは不可能であろう」、「努力した人が報われる社会をつくっていく、汗を流した人、頑張った人が、知恵を出した人が報われる社会をつくっていかなければいけない」、「結果平等の社会をつくろうとは全く思っていない」、「格差においては、これは不公平、不公正な競争の結果であってはならないし、また、社会的にこれはやはり容認できないという格差であってはならない」、「格差が固定化されてはならない」と述べている。<ref name=k20070301>第166回国会 衆議院 予算委員会 17号 平成19年(2007年)3月1日</ref>

[編集] 行政

[編集] 治安政策

  • 組織犯罪処罰法(いわゆる「共謀罪法案」)について、「国際社会で組織犯罪に対応していく役割を果たす上で早期に「国際組織犯罪防止法条約」を」批准をする必要がある」として2007年1月25日召集の通常国会で成立を図るよう指示したが、反対する世論や自民党内からの反発も強いため、継続審議となった。

[編集] 党運営

[編集] 社会保障

[編集] 関係が指摘される団体や人物

[編集] 統一協会国際勝共連合

母方の祖父岸信介、父安倍晋太郎が統一教会及びその関連団体である国際勝共連合と関わりが深いと言われていた(詳細は岸信介の当該記事安倍晋太郎の当該記事を参照)こともあり、晋三が次期総理候補として取り沙汰されるようになって以降、統一教会との関係を指摘をする雑誌等の記事が散見される。
官房長官当時の2006年、統一教会系列の団体である天宙平和連合 (UPF) の集会(合同結婚式も行われたとも言われたが統一教会は否定<ref>統一教会系列の韓国の『世界日報(セゲイルボ)』はこの大会は、「韓日男女二千五百組の合同結婚が併せて行われた」と報じ、日本の統一教会の機関誌『中和新聞』(2006年6月1日付)も(合同結婚式の主要儀式である)「聖水式と聖婚問答が行われました」と報じたが、『セゲイルボ』は同月28日付で、合同結婚が行なわれたとしたのは誤報だったとして訂正文を掲載した。「『週刊現代』9月30日号記事に対する抗議及び謝罪・訂正要求」</ref>のイベントに祝電を寄せた(保岡興治やその他の自民党議員も)ことが新聞、雑誌等で伝えられ<ref>この祝電の件について、『週刊現代』、『週刊ポスト』、『週刊文春』、『週刊新潮』などは取り上げなかった。</ref>、社会的に問題の多い団体と関係することへの批判を呼んだ。映像はインターネット上の動画サイトyoutubeにアップロードされ、ネット上で広く話題になった外部リンク。このイベントで司会者が晋三を「岸信介元総理大臣のお孫さんでらっしゃり」と、岸信介時代からの親密振りをアピールして紹介していた。この件に関して安倍の事務所は「秘書に確認している」との理由でしばしコメントしなかったが、「私人としての立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送付したと報告を受けた。誤解を招きかねない対応で、担当者に注意した」とのコメントを出した。有田芳生によれば、安倍は「統一教会が盛んに接触し、面会を求めてくるが、会わない」と語ったという<ref>有田芳生公式サイト『酔醒漫録』2006年6月18日の記事</ref> 。
霊感商法被害対策に取り組んで来た「全国霊感商法被害者対策弁護士連絡会」が安倍と保岡に対し、真意や今後の姿勢を問う「公開質問状」を送ったが、二人とも回答をしていない。<ref>公開質問状、 全国霊感商法対策弁護士連絡会</ref>上記の事から彼のことを「安倍壺三」「アパ壺」と呼ぶ声も増えている[要出典]。月刊誌『紙の爆弾』2007年1月号及び2月号においても、祖父である岸信介以来の統一教会との関係をもって「安倍壺三」と呼ばれているとの記事が掲載された。

[編集] 公明党創価学会

父、晋太郎と祖父の岸信介は創価学会・公明党と関係が深かったと言われ、晋太郎は1985年、大石寺正本堂完成記念の祝典に岸信介の代理で出席して以来、池田大作と何度も面会したという。<ref>創価学会機関紙『聖教新聞』(20011年3月)で池田大作自身が語っている</ref>
晋三は、創価学会から支援をもらっていたが、1994年に創価学会と公明党に批判的な宗教団体や有識者で結成された「四月会」(代表幹事:俵孝太郎)<ref>「四月会」は自民党が野党に転落した1994年に、自民党を支持する宗教団体(「立正佼成会」、「霊友会」、「仏所護念会」などを中心に結成され、創価学会と公明党の関係を「政教一致だ」と批判してきたが、一部の教団が公明党と連立を組んだ自民党との関係修復に乗り出したことで2001年3月に解散した。</ref>の集会などに参加したこともあった。創価学会に関する自民党の勉強会『憲法20条を考える会』に参加した次の日、自身の選挙区の公明党の大幹部から電話で釘を刺されたことで、政治的野望を持った創価学会が政界での影響力を拡大して行くことを危険視していたという。1989年に死去した池田大作の次男は成蹊高校時代の同期生である<ref name=faki/>。
首相就任直前の2006年9月22日に安倍晋三は、極秘裏に東京都内の創価学会の施設で、池田大作創価学会名誉会長と会談を持ったと主要新聞<ref>『日経新聞』・『毎日新聞』・『朝日新聞』・『読売新聞』や『週刊文春』などが報じた。毎日は20日と報道。</ref>「『産経新聞』を除く」を初め各種メディアが伝えた。面会は安倍自身の要望だとも伝えられている。祖父、岸信介と創価学会第2代会長の戸田城聖が、父、安倍晋太郎と池田が親しかったことが話題となり、安倍は池田に父がお世話になったお礼を述べ、参院選での公明党、創価学会の協力を要請し、池田は協力を約束したという。また、日中関係の早期改善ということで意見の一致を見たという。同月30日には公明党大会に来賓として出席し、祖父も父も公明党とは交友関係が深かったとして「何か特別な運命を感じる」と語った。<ref>『毎日新聞』 2006年10月8日付</ref>
その後、国会で池田と面会した事実があったかという野党の質問に対して安倍は「そういうことはございません。」という答弁を繰り返した。<ref>第165回国会 参議院 予算委員会 1号  平成18年(2006年)10月11日</ref>2007年2月13日の衆議院予算委員会でも同様に否定した。<ref name=k20070213>第166回国会 衆議院 予算委員書会 7号 平成19年(2007年)2月13日</ref><ref name=kmovie20070213>「インターネット審議中継」での亀井静香の安倍晋三への質疑の動画(第166回国会 衆議院 予算委員会 7号 平成19年2月13日)</ref>

[編集] 安晋会

安晋会も参照。

国会で、 小嶋進 ヒューザー社長(当時)が自分は「安晋会」の会員で、「安晋会」会長の紹介で安倍の政策秘書を紹介してもらい、「耐震偽装問題」に関して国土交通省への対応を働きかけてもらったことを証人喚問で認めた<ref>第163回国会 国土交通委員会 第14号平成18年(2006年)1月17日</ref>ことでその存在が知られることになった。この私設後援会の代表はかつてはバブル景気の際に自己破産したデベロッパー会社会長であり、建設・不動産業者を中心とした「UDI経営者連合会」という政治団体の理事長の杉山敏隆(ヒューザーウェブサイトを運営していた<ref> ゴールネット株式会社の公式サイトウェブアーカイブに保存されたもの)</ref>ゴールネット株式会社会長)で、副会長は APAホテル会長の元谷外志雄(イーホームズ藤田東吾社長がAPAホテルの耐震偽装の告発した直訴状を安倍晋三に直接手渡そうとしたが追い返された後にその偽装が発覚した)である。また、 耐震偽装事件とも関連があるとの説もあり、ライブドア事件の最中に不審死を遂げたエイチ・エス証券副社長であった野口英昭が理事(経理)になっていた<ref>『週刊ポスト』(2006年2月10日号)</ref>ことが判明したことなどから、「安晋会」は安倍の秘密後援会であり、安倍は耐震偽装問題に関して、業者の利益のために国土交通省に働きかけたのではないかなどの疑惑が出た。安倍は記者会見や国会で小嶋社長またヒューザー社とは一切関係がなく、国交省に対する働きかけは一切していないと明言し、国会では小嶋社長の証言の多くに嘘があると述べた。そして「『安晋会』は後援会とか政治団体ではなく、自分や自分の事務所が管理をしている団体ではない」、「慶応大学の同窓生たちの親睦会で、自分が招待された際に自分の名前をとって『安晋会』と命名した」と説明した。<ref>第165回国会 衆議院 予算委員会 2号 平成18年(2006年)1月26日 </ref><ref>第165回国会 参議院 本会議 5号 平成18年(2006年)10月4日</ref>

[編集] コムスン

グッドウィル・グループのグループ会社で福祉介護ビジネスを行う株式会社コムスン(数々の不正を起こし、厚労省により全業務停止の処分をされている)と親密であったことが知られている。安倍晋三内閣官房副長官時代には折口雅博会長と対談しており<ref>折口雅博と安倍晋三との対談 - The Comsn Times(今現在、コムスン側に該当ページを削除されたためウェブ魚拓のリンク)</ref>、安倍晋三は「コムスンは一生懸命やっておられる。」とコムスンを賛美している。対談では2人が笑顔で固い握手を交わす写真も掲載されている。

[編集] 第一政策秘書・飯塚洋

第一政策秘書であった飯塚洋が数々の問題に関して週刊誌で報じられている。安倍自身がそれらの報道に関して怒りを露にして記者会見したことがある。

[編集] 慧光塾

故・光永仁義(1947年11月3日-2005年7月13日)が1993年に設立した経営コンサルタント会社。社長の光永は安倍の祖父の岸信介、父の晋太郎とも関係していたと言われ、安倍は父、晋太郎の秘書官時代に光永の設立した「光カメラ販売」(1991年倒産)では取締役に、「光国際通信」では「安晋会」代表の杉山敏隆と共に役員に就任していた<ref>「『慧光塾』“教祖”と安倍晋三代議士との只ならぬ関係を物語る決定的証拠」(情報紙『ストレイ・ドッグ』山岡俊介取材メモ、2005年7月8日)。</ref>。

[編集] アサリ輸入業者

現在輸入が禁止されている北朝鮮産のアサリを不正に輸出していた業者が、安倍との関係で摘発を逃れていたとする怪文書が2007年にマスコミで騒がれていた。実際、過去に父の安倍晋太郎と件のアサリ業者との癒着はあったが、安倍晋三との関係は無かったとされる。<ref>「「北」産? アサリ輸入業者と安倍一族の関係 」(『Yahoo!みんなの政治』 2007年3月20日)、(『読売ウイークリー』 2007年4月1日号)</ref>。

[編集] 語録

  • 総裁選前の挨拶で尊敬する吉田松陰の言葉を引用、「は志を持たないといけない」<ref>http://topics.kyodo.co.jp/feature29/archives/2006/08/index.html</ref>
  • 「父(安倍晋太郎)の遺志を継ぎ、父が成し得なかったことを何としてもやり遂げたい」(1991年7月の衆院選出馬時)
  • 「私は小泉総理とはスタイルが大分違うわけでありまして、小泉総理はやや副作用も伴うかもしれない劇薬も含むお薬ではないかと、私は、漢方薬のようにじわじわと効いていって、気が付いたらやはりかなり成果が出ているというラインでいきたいと、こう考えているところでございます。」(2006年9月の参院予算委員会で。小泉首相を劇薬に例えた内容に委員会室は爆笑となったという<ref>[3][4]</ref>。)
  • 「それは『責任』、『変化』ですかね」(2006年12月12日,「2006年を漢字一文字で表すと?」との記者の質問に対して)
  • 「日本人は働きすぎじゃないか。少子化対策にとってもホワイトカラー・エグゼンプションは必要」(2007年1月5日,首相公邸での記者会見で,要約)
  • 「私は、コップの水が減ったとは考えず、まだこんなにあると考える」(2007年1月16日,日本記者クラブでの記者会見で,支持率の低下について)
  • そのまんま東氏は再チャレンジに成功した。自分の再チャレンジ政策はそういうものなんだ」(2007年1月22日,首相公邸での懇談で)
  • 侵略戦争の定義は定かはでない。政府が歴史の裁判官になって単純に白黒つけるのは適切でない。」(国会で)
  • 占領