大日本印刷

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大日本印刷株式会社
Dai Nippon Printing Co., Ltd
種類 株式会社
市場情報 <tr><td> 東証1部 </td><td> 7912 </td> </tr>
略称 DNP
本社所在地 東京都新宿区市谷加賀町1-1-1
設立 1894年1月19日
業種 印刷
事業内容 エレクトロニクス建材ICデータベースパッケージコンサルティングほか
代表者 北島義俊(代表取締役社長)
資本金 1,144億64百万円
売上高 単体:1兆1,837億円(2006年3月期)
連結:1兆5,075億円(2006年3月期)
関係する人物 丸毛利恒、北島義俊
外部リンク www.dnp.co.jp/

大日本印刷だいにっぽんいんさつ、英語表記Dai Nippon Printing Co., Ltd. 、 通称DNP)とは日本の印刷会社で、過去には活字供給も手がけていた。

本社は東京都。日本の印刷業界を凸版印刷とわけあう。1950年代より印刷技術を元手にして他分野進出を図り、建材分野へ進出したのに始って、情報産業や生活産業、エレクトロニクス分野へ進出している。拠点は日本を中心にニューヨークやロンドン、上海、シドニーなど全世界に広がる。

目次

[編集] 概略

前身は秀英舎日清印刷である。秀英舎が1876年10月9日に、日清印刷が1907年4月4日に創立したのがもとで、1935年2月26日合併し、大日本印刷となった。

秀英舎は佐久間貞一を中心に宏仏海、大内青巒、保田久成が共同出資して、活版での印刷会社として東京京橋の弥左衛門町に創立した。秀英とは、イギリスを越えて秀でるとの意である。佐久間が大教院の教会新聞発行を引継ぎ、その印刷のために活版所を買い取ったのが由来である。秀英舎は主に新聞印刷や、中村正直の「西国立志編」の活版による再版などに代表する書物の印刷会社として発展した。

その頃活字の供給は印刷局と築地活版のみが行っており、創立当初は活字を購入していたが、1881年、保田の創案のもと、字母(父型)を購入し活字の自家鋳造を開始、更に1882年、山下町に整文堂を設置、それを本格化させた。築地活版や印刷局の書体を受け継ぐ五号系統と、筆跡新しい初号系統のニ書体はここで形成された。明治30年代は中葉のことである。後に秀英体(秀英型とも。特に初号系統をいう)と呼ばれた書体群で、活版印刷減衰の後も、写植書体やディジタル・タイプとして覆刻され、また、大日本印刷の書体としてポイント制活字、ベントン母型を経ながらも使用され続けている。

もう一つの源流である日清印刷は東京専門学校(後の早稲田大学)の印刷所として創立した。しかし、一般の印刷も引き受けるようになり、1907年に会社組織をつくり、工場も設置したのである。創立に関わったのは高田早苗らであった。1913年のオフセット印刷など、積極的な技術開発も試みた。

そして1935年、両社は合併し、大日本印刷と名前を変えた。その後も日本精版(現・大阪工場)、弘益印刷(現・DNP中部)、北日本印刷(現・DNP北海道)などと合併して全国規模に拡大した。

2003年を以って、活版印刷からは撤退した。

[編集] 秀英体

秀英体という呼称には整文堂が整備した号数活字の書体に加えてポイント活字として新規開発された数種の書体、戦後ベントン向けに開発された書体の二種が該当する。前者は、更に初から四、六号の系と五号の系とに分類でき、前者は整文堂で開発された書体、後者は築地活版の明治10-20年代の五号活字を享け、印刷局のかなを混合するなどして調整した書体であった。

最初活字を購入していたのが、母型を買い自家鋳造するようになり、そして父型の開発を始めたのが1890年代中葉であった。まず四号の開発から始まり、明治30年中葉に大体の完成を見せるが、開発は大正にまで及んだ。五号以外の初号から六号は、築地活版の活字を享けつつも、自社独自の風の書体であった。五号の系は1902年ごろ、新活字に改まった。

号数活字はサイズ毎に書体が全て異なっていた。また、二号から六号までには太かながあった。秀英舎の活字書体は、明朝体のラインナップがよく知られるが、そのほかにも、電気版などの図版、罫、ゴシックや隷行草などから髭文字などの雑書体の開発もなされていた。電気版は日露戦争の号外などで用いられたし、雑書体は明治後期から第二次世界大戦前まで盛んに開発されていた。

明治終期に築地活版がポイント活字を提唱したのを享け、ポイント活字の開発を行った同社は、外注などで号数を相当するサイズにほぼそのまま鋳込んだほかに、新設のサイズに書体を新しく作ったが、1948年から60年後半に、A1書体と呼ばれるベントンやパンチなどの機械式活字母型彫刻機向けの書体が新作され、その後の写植書体や電子書体の開発に使われた。

写植書体として、写研より初号活字を覆刻した「秀英明朝 (SHM)」が発売されたほか(1981年)、モリサワより「秀英三号」、「秀英五号」のファミリーが発売された(モリサワの書体はコンピュータ・フォントとしても発売されている)。戦後のベントン書体は大日本印刷の印刷物に幅広く用いられ、大日本で印刷を続けていた印刷物を電子化する際に書体も大日本のものを合わせた。慣れた書体を使いたいという要望から電子書籍のソフトウェアに搭載したりするなどの展開が見られる。また、ディスプレイむけに低解像度用の書体も開発されている。

[編集] 主な工場

[編集] 関連会社

[編集] 参考文献

  • 片塩二朗『秀英体研究』大日本印刷、2004。
  • 大日本印刷『P&I Solutions for your life』2004。
  • 内田明「秀英舎(製文堂)の五号平仮名は明治30年代半ばに急激なモデルチェンジを遂げる」『引き続き日本語練習中』2005。
  • 府川充男撰輯『聚珍録–圖説=近世・近代日本〈文字-文化〉文化史』第三篇、三省堂、2005。

[編集] 外部リンク

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