大仏様

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大仏様(だいぶつよう)は、日本の伝統的な寺院建築の様式の一つ。和様・禅宗様に対する言葉。

  • 仏像を指す「大仏様(だいぶつさま)」は大仏を参照。

目次

[編集] 概要

東大寺 南大門
6世紀から8世紀にかけて日本の飛鳥天平時代には遣隋使遣唐使により中国から伝えられた建築様式は、平安時代を経て日本化し、柱を細く、天井を低めにした穏やかな空間が好まれるようになった。平安時代以降には日本独自の形態として発展し、この建築様式を和様と呼ぶ。

平安時代後期になると、平清盛大輪田泊対外開港など中国(宋)との交易が活発になったことで、再び中国の建築様式が伝えられた。まず入ってきたのは東大寺再興の際に用いられた様式で、もとは天竺様と呼ばれたが、第二次世界大戦後になって大仏様という用語が、太田博太郎らによって提唱された。

天平時代に建設された東大寺大仏殿は平安時代末期の源平の争乱の中、焼失した。俊乗坊重源は幾多の困難を克服して大仏を鋳造し、1185年、開眼供養。1195年、大仏殿を再建。1203年に総供養を行った(東大寺盧舎那仏像を参照)。

重源が再建した大仏殿などの建築様式は非常に独特なもので、当時の中国(宋)の福建省周辺の建築様式に通じるといわれている。

その建築様式は合理的な構造、豪放な意匠で大仏殿にはふさわしいものであったが、日本人の好む穏やかな空間とは相容れない面もあり、重源が死去すると大仏様も衰えた。大仏殿再建に関わった職人は各地へ移り、大仏様の影響を受けた和様も生まれ、これを折衷様と呼ぶ。

その後、禅僧が活発に往来し、中国の寺院建築様式が伝えられた。これは禅宗寺院の仏堂に多く用いられ、江戸時代から唐様と呼ばれたが、第二次世界大戦後になって禅宗様という用語が提唱された。

[編集] 大仏様の特徴

一部は禅宗様(唐様)の特徴にも通じる。

  • 構造的には、貫(ぬき)といわれる水平方向の材を使い、柱と強固に組み合わせて構造を強化している
  • 貫の先端には繰り型(くりがた)といわれる装飾を付けている
  • 挿肘木(さしひじき)と呼ばれる独特の組物を用いる。和様・禅宗様では柱の上に組物を置くが、柱の途中に差し込むように組物を付ける

など

[編集] 呼称

大工の伝承では、和様・天竺様・唐様の区別がなされ、明治時代以降の建築史で使用されてきており大仏様の呼称は存在しなかった。

第二次世界大戦後、日本建築史家の太田博太郎(元、東京大学教授)が天竺様という名称を批判し「天竺インドを意味し、天竺様ではインドの建築様式と誤解されてしまう。元来が大仏殿の復興に使われた時に用いられたので大仏様と呼ぶべきである。また、唐様は禅宗寺院に使われたので、禅宗様と呼ぶべき」という趣旨の提案を行った。次第に天竺様は大仏様に代わり、現在の建築史では一般的に和様・大仏様・禅宗様と使われている。(歴史教科書などでは、天竺様・唐様という呼び方も使われている)

しかし、大仏様という呼び方もまた聖武天皇が創建した奈良時代の大仏殿の様式と誤解されたり、禅宗様の様式は(特に近世以降)禅宗以外の真言宗日蓮宗の寺院でも用られることが少なくなく、かえって誤解を生じる面がある。

[編集] 代表的な建造物

[編集] 関連項目

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