多文化主義

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多文化主義(マルチカルチュラリズム、英:multiculturalism)は、社会は異なる文化を持つグループが「対等な立場で」構成する(または許容・包容される)べきだという考え方または政策。カナダオーストラリアヨーロッパなどで民族文化の多様性を積極的に奨励し保とうとする政策に反映される。対概念としては、歴史的にヨーロッパなどで根強い単一文化主義(英:monoculturalism)、国民帰属意識を一つに統合しようとするナショナリズムがある。 1971年にカナダで、初めて公的な政策として採用され始め、その後すぐにヨーロッパ各地でも採用された。ヨーロッパではエリート層の社会的コンセンサスとして長らく認識されていたが、昨今では、オランダベルギーを代表格とするヨーロッパ各国が、多文化主義的な政策から、単一文化主義的な政策に回帰し、ドイツイギリスでも同様の議論が起きている。カナダでは、1986年に雇用均等法、1988年に多文化主義法を制定し、その後も伝統的に国策の根幹として扱い続け、カナダ社会の基本的な特徴としている。「ユネスコ(国連教育科学文化機関)の文化・開発世界委員会が最近の報告書の中で、カナダを他国の見習うべき手本として挙げている。」(カナダ公共事業・政府業務省(PWGSC))<ref>カナダ大使館Webサイトより</ref>

政治思想としては、主に共同体主義者らが奨励し、価値中立的で手続き主義的なリベラリズムでは少数民族の文化問題はうまく扱えないとして批判した。

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カナダのケベック州アメリカにおける英語・スペイン語の二言語教育などが多文化主義政策の好例である。

目次

[編集] 政策としての多文化主義適用事例

多文化主義は、1970年代から、数カ国で政策に適用されてきた。国によって、その理由はさまざまである。

[編集] カナダの多文化主義の起源

カナダでは1971年に多文化主義が政策に適用された。1963年の二言語二文化に関する王立調査委員会において、カナダ政府が、カナダを二言語二文化の社会と認識し、その性格の維持のために政策を適用するべきであるとされた。二文化主義は、その後さまざまな方向から批判されることになった。

進歩保守党党首のジョン・ディーフェンベーカーは、多文化主義が適用されると、ケベック・ナショナリズムに惹かれていくフランコフォン(フランス語話者)の若者の増加を充足できない感じていたため、多文化主義が、自論の純血カナダ主義を攻撃するものと見ていた。 英語圏のカナダ人も、フランス語圏のカナダ人も、二文化主義と二言語の新政策を嫌っていたが、最大の反対派は、イギリス系からでも、フランス系からでもなく、「第三勢力のカナダ人」と呼ばれたそれ以外の文化を持つマイノリティたちだった。 カナダ西部の地域社会では、英語以外を話す人で、フランス語を話す人は少数派で、すでに、北京語広東語ヒンドゥー語パンジャブ語韓国語日本語などが多くなっていた。それらのマイノリティたちに適応するため、政策の考え方は「二言語二文化主義」から「二言語多文化主義」に移った。

自由党政府のピエール・トルドーは、1971年10月8日に、下院で「二言語の骨格に収まる多文化主義政策実施の声明」を発表。1998年の多文化主義アクトの先駆けとなる。具体的な政策として、連邦政府の基金が、各文化グループが自文化を保護、継承するために分配され始めた。基金の典型的な支援先は、民族舞踊大会や、民族起源のコミュニティセンター建設がある。これらは、トルドーが掲げた「正義社会」のビジョンよりも、選挙の得票目当てであると言う批判を呼んでいる。その後1984年の選挙で、進歩保守党が勝利するが、ブライアン・マルルーニは、政権発足前に進歩保守党員から、純血カナダ主義との乖離を批判されていたものの、多文化主義政策を覆すことはなかった。トリニダードトバゴ出身の知識人ニール・ビスーンダスは、特に公的な政策としての多文化主義の考え方を批判し続けている。<ref>Neil Bissondath, Selling Illusions: The Myth of Multiculturalism. Toronto: Penguin, 2002. ISBN 9780141006765.</ref>

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Far from pleading multiculturalism's neutrality in matters of national unity, out of belief or political correctness, successive Canadian governments have argued that the policy promotes the national interest by breaking down social and cultural barriers. Many believe that rather than weakening the national character, or presenting a slippery slope whereby all groups may appeal for separate (read special) treatment based on every imaginable difference, the policy is viewed as strengthening national identity by binding citizens to a single moral community. However, there are critics of the policy, and according to a 2007 University of Toronto study, many recent non-white immigrants do not identify themselves as being "Canadian".<ref>Globe and Mail: How Canadian are you?, January 12, 2007 [1]</ref>

The policy was added to Canada's 1982 constitution, in section 27 of the Canadian Charter of Rights and Freedoms.

Diane Ravitch describes both the melting pot and Canada's cultural mosaic as being multicultural and distinguishes them as pluralistic and particularist multiculturalism. Pluralistic multiculturalism views each culture or subculture in a society as contributing unique and valuable cultural aspects to the whole culture. Particularist multiculturalism is more concerned with preserving the distinctions between cultures.


[編集] Australia

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The other country to have most fully adopted Canadian-style multiculturalism is Australia, with many similar policies, for example the formation of the SBS. In the 1970s, the White Australia Policy was removed from the political landscape by the government led by Gough Whitlam. This eventually led to the policy of multiculturalism. It may be argued that this was merely part of the process of Australia establishing a national identity separate from England.

The definition of multiculturalism has changed enormously since that time in Australia. Originally meaning the acceptance by the mainstream population that some members of the community came from different cultures and still had ties to it, it came to mean the acceptance of the presence of other "cultures" within mainstream Australia. It is now often used to refer to the fact that very many people in Australia have, and recognise, multiple cultural or ethnic backgrounds. The Department of Immigration and Multicultural Affairs in Australia estimated that, in 2005, 25% of the Australian workforce was born outside of Australia and 40% had at least one parent born outside of Australia.

The first official national multicultural policies were implemented by Malcom Fraser's Liberal Government in 1978. The Labor Government of Bob Hawke continued with these policies. While Paul Keating's Labor Government was an advocate of multiculturalism in the early 1990s, the current Prime Minister of Australia, John Howard himself is a critic of multiculturalism, preferring instead a "shared national identity". Nevertheless, the policy of multiculturalism has remained largely intact. Newspaper columists such as the right wing Andrew Bolt have called for a National policy of Assimilation.

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[編集] Sweden

スウェーデンにおいては、公式には1975年に多文化主義的な政策に取り組み始めた。この政策は、現政権による多くの批判に晒されており、再検討の段階に入っている。

[編集] United States

アメリカ合衆国 では政府の正式な政策として多文化主義を採用しておらず、一部の州政府が英語とスペイン語の二言語常用を採用しているのみである。しかし近年では、アメリカ政府は多文化主義を支持する傾向にある。例えばカリフォルニア州では、カナダの多くの州と同じように、運転免許を取る際に試験の言語を選択することが出来る。

[編集] United Kingdom

保守党の政権下(1979年から1997年の間)では、多文化主義的な発言は左派陣営の中でのみ主張されるに留まっていた。しかし、1997年以降の労働党政権の発足以来、多文化主義は政府の政策や発言に影響を及ぼし続けている。現政策の先駆けとなったものとしては、1965年の制定以降修正案が加え続けられている「人種関係法」や同様に1948年に制定された「イギリス国籍法」などが挙げられる。多文化主義政策を酷評している最近の批評家としては、ウガンダ生まれのヨーク大主教ジョン・センタムやパキスタン生まれのロチェスター教区主教マイケル・ナジラリなどが挙げられる。

[編集] カルチュラル・プルーラリズム、文化多元主義との違い

政治思想では、文化多元主義、又はカルチュラル・プルーラリズム(Cultural Pluralism)の訳語として使う場合もある。この場合はマルチカルチュラリズムを単に「多文化主義」と明確に区別する。カルチュラル・プルーラリズムは近代主義とセットで使われ、同じ文化の多様性を標榜する思想ながら次のような違いがある。マルチカルチュラリズムが近代を数多ある文化のひとつとして位置づけるのに対し、カルチュラル・プルーラリズムは近代の中の枠内での多様性を認めるとする。リージョナリズムのように近代と両立可能な範囲でローカルなものを再帰的に維持しようとする立場もある一方、ネオコンのように近代の枠内と両立不可能のものをすぐさま排除しようとする立場もある。

[編集] 関連項目

[編集] 対立項目

[編集] 参考資料

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