増田寛也
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増田 寛也(ますだ ひろや、1951年12月20日 - )は前岩手県知事。学歴は1977年、東京大学法学部卒業。学位は法学士(東京大学)。新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)副代表。改革派知事の代表格として知られる。建設官僚から、小沢一郎の要請で政治家に転じた。
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[編集] 知事としての政策
[編集] 県庁株式会社
政治とは効率や利益とは相容れない、それゆえ企業が参入しない公共サービスの供給を旨とするものと見られていたが、増田は県政を企業経営と見立て、県庁を「県庁株式会社」呼ぶなど、政策に効率を持ち込んだ。相互依存=相互友愛としての公共空間「地方」というこれまでの理念を排し、サービス会社=県庁と、顧客=県民という二項対立図式に基づく地方自治理念の改革論者として知られる。地方政治の「新自由主義」者としてつとに注目されて評価されている。
[編集] がんばらない宣言
流行に敏な増田は、ベストセラーになった鎌田實の「がんばらない」をいち早く取り入れて宣言を出した。「がんばる」という言葉は、日本の経済成長一辺倒の象徴であるとし、「岩手はがんばりません」という言葉を「自然体に生きて行こうという意識の象徴」として、「岩手県は、経済成長一辺倒を反省し、より自然に、素顔のまま生きていけるような取り組みを推進します」(県の出した広告より)としている。ただし、内向けには「がんばります」がスローガンとなっている。具体的には、大規模な発電所を作るのではなく、岩手ならではの特質をいかした地熱発電を推進したり、岩手の南部鉄器生産技術を生かした木質ペレットストーブの開発、地産地消を基本とするスローフード的な食の安全の推進などを目指すとしている。
[編集] 財政再建
1兆円以上にのぼる債務を抱える岩手県財政を再建するため、平成14年度予算以降、歳出削減政策を次々に打ち出している。同県の予算規模が5年以上も連続して減少するのは初めてで、その徹底した削減振りがうかがえる。具体的には、平成13年度に予算総額が9028億円だったのが、平成18年度当初予算では7300億円にまで激減。建設事業費(公共事業費)に至っては、平成14年度に2300億円だったものが、平成18年度には1300億円まで減額され、その他の予算も、警察費や雇用対策費などを除いて軒並み大幅に減額された。しかし、これは県内市町村への補助金激減を招き、一部には「小泉構造改革と同じ匂いがする」との不評もある。
[編集] 財政悪化の原因
県財政悪化の原因については、増田は平成17年3月2日の県議会本会議で、「岩手県の財政が悪化した原因は3つある」と述べ、その原因を列挙した。
- 県立大・新幹線の「重荷」
- 岩手県立大学の設立と、東北新幹線の八戸までの延長のために多額の県債を発行したことは、財政の悪化につながったとした。なお、岩手県立大学の維持のために岩手県は毎年60億円を支出しており、真っ先に県の大規模支出に入る。
- 公共事業の連発
- 立ち遅れている岩手県の社会資本を整備しようと、度重なる国の経済対策に呼応して公共事業を行ったことは、財政の悪化につながったとした。なお、増田は同時に「県財政が国から独立できていなかったことも要因」(要旨)とも述べている。
バブル崩壊後の経済対策に際して、国は「経済対策のために地方債を発行した場合は、後年度に地方交付税を国から与える」方針を取ったため、岩手県は、「全国に対して立ち遅れている社会資本整備を進める好機と捉えて取り組んだが、結果として、景気の目立った回復が見られず、財政の悪化を招く要因となった」(要旨)としている。
- 臨時財政対策債の発行
[編集] 人件費の削減
増田県政は職員の削減も進めており、早期退職制度の創設や、職員新規採用の抑制・県職員の給与カットなどを行っている。これまでに、約5000人いた県職員を4700人規模にまで純減させたほか、今後さらに700人を削減する方針を示している。
なお、この削減は知事部局のみが対象ではなく、警察本部・教育委員会も、人員の削減を求められている。ただし、単に職員数を減らすのではなく、県庁の業務に「トヨタ方式」と称してコンサルタント業者の提案を受け入れて、各業務の必要性を再検討させたり、必要性の薄いものは民間委託をさせたり、指定管理者制度を活用したりと、業務の効率化も推進しようとした。
増田は会見で「仕事量を減らさずに人数を減らしても、それは職員一人当たりの負担が増すだけだ」と述べているが、県職員の労働の加重とストレスは昂進しており、「新自由主義」ではないかと言う批判もある。
また、増田が取り入れた「トヨタ方式」も、自動車会社のトヨタとは何の関係もないことが明らかになっており、達増拓也が知事に就任すると、これらの改革は凍結が表明された。
[編集] PB黒字の達成
上記のような徹底した削減に務めた結果、岩手県は、プライマリーバランスの黒字化(その年度に新たに発行する県債の額が、その年度に返済する額を下回る結果、借金の残高が減ること)を達成した。政府は「2010年初頭までに黒字化する」と公約していることから、単純比較で政府よりも10年前後早い黒字達成となった。
[編集] 市町村との関係
岩手県の人口は、年を追うごとに減少傾向が続いており、現在は140万人を割る事態に至っている。そのため、人口が1万人に満たず、かつ地理的条件により合併ができない小規模町村が県内に散見され、都道府県と市町村の役割分担の態様の見直しが求められている。
[編集] 大合併に対して
平成の大合併に対しては、概して積極的ではなく、「合併は市町村間の合意によるべき」とのスタンスを取っている。ただ、いわゆる市町村合併のモデルプランは示している。なお、平成18年4月に施行された新合併特例法には、都道府県知事が小規模市町村に直接合併を勧告する制度が設けられたが、これに関しては「合併に関して勧告するかどうかは地域事情によると思う。自主合併をベースに自分なりの判断をしていきたい」(2003年11月19日定例記者会見)と述べている。
[編集] 小町村に対する支援
同県は四国全域に匹敵する面積を持ち、地理的条件によって合併ができない町村(岩泉町・川井村など)があるため、そうした町村には県が支援を行うとしているが、具体的にどのような支援を行うのかはいまだ不透明である。また、一部市町村からは「県からの補助金は逆に減額されているではないか」等々の声もあり、各市町村からは「(合併や補助金政策に対する)県の本音が見えない」と戸惑いの声が上がることもある。
[編集] 盛岡市との関係
盛岡市の運営は、知事である増田の職権とは直接的には関係ないが、同市の目指す中核市移行などは県の権限に関わる事案であるため、便宜上ここにまとめる。
県庁所在地の市長と知事の関係は、一般的に微妙になりがちであるが、同県に限って言えばそのような事はない。現在の盛岡市長を務める谷藤裕明は、公明党の全面協力をバックに前岩手県議会議長であった人物であり、増田とも面識があり親しい関係を結んでいる。なお、盛岡地域の人口について増田は「(全県的に人口減少が続いているが)、せめて盛岡地域の人口は現状を維持してもらいたい」と述べている。県が示した合併プランによれば、盛岡市は岩手郡雫石町、滝沢村、紫波郡紫波町、矢巾町と合併し、人口50万人程度を目指すのが適当としている。もし実現すれば、広大な面積の人口密度の希薄な自然豊かな県都の出現となろう。
盛岡市は平成18年1月に岩手郡玉山村を編入合併し、政令指定都市に準ずる権限委譲を受ける中核市の要件(人口30万人)を満たしたが、増田はこれを好意的に受け止めており、中核市移行に協力する考えを示している。
[編集] 地方分権に対する姿勢
官僚出身としては珍しく、地方分権に極めて積極的で、「国→都道府県→市町村」への権限委譲を主張している。全国知事会会長選挙に立候補して「闘う知事会」を主張。また、全国紙等に論説を寄稿したり、県の権限を積極的に市町村に委譲する政策を実行に移したりしている。三位一体改革の理念には賛同しているが、小泉構造改革における地方分権・税源移譲では不十分と主張しており、「霞ヶ関によって改革が骨抜きにされた」と述べている。なお、「道州制」の実現を提唱し働きかけてもいる。
[編集] 選挙と四選不出馬表明
増田の任期は、統一地方選挙にあわせ2007年で満了するところ、2006年10月30日、四選目不出馬を表明。国政選挙への転進も100%無いとも答えた。増田は、三期目立候補の際「今回が最後の立候補」と述べていた経緯がある。不出馬の直接の理由として、増田は「行き過ぎた多選は、県庁内で自由に意見を表明しにくい雰囲気を醸成する」としている。
地元紙「岩手日報」によると、この背景には、衆議院議員小沢一郎が「絶対的な権力の座に、一人が16年以上留まることは認められない」として、次期知事選に独自候補(民主党前衆議院議員・達増拓也)を擁立する考えを示したことが影響しているといわれる。
2007年4月27日に知事の公務を終え退任した。(任期満了は4月29日であるが、この日は昭和の日のため)今後は地方分権改革推進委員会委員長代理として活動するため、出身地である東京都へ住居を移した。
[編集] 略歴
[編集] 経歴
[編集] 政歴
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 増田寛也(公式サイト)
| 岩手県知事 | ||
| 第12代 工藤巌 | 第13~15代 1995 ‐ 2007 | 第16代 達増拓也 |

