堺市

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<tr> <td style="border-color: #aaa; border-style: none none solid; background-color: #f0f0f0; text-align: center;">市の木</td> <td colspan="2" style="border-color: #aaa; border-style: none none solid solid"> </td></tr> <tr> <td style="border-color: #aaa; border-style: none none solid; background-color: #f0f0f0; text-align: center;">市の花</td> <td colspan="2" style="border-color: #aaa; border-style: none none solid solid">ハナショウブ </td></tr> <tr> <td style="border-color: #aaa; border-style: none none solid; background-color: #f0f0f0; text-align: center;">他のシンボル</td> <td colspan="2" style="border-color: #aaa; border-style: none none solid solid">市の花木 : ツツジ
市の鳥 : モズ </td></tr>

</td><td colspan="2" style="border-style: solid none none solid; border-color: #aaa; text-align: right;">

<tr> <td colspan="3" style="border-color: #aaa; border-style: solid none none; border-width:2px 0px 0px 0px">特記事項 :

大仙陵古墳(仁徳陵)国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省)を元に作成。
大仙公園
</td></tr>
堺市のデータ
日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府 
団体コード 27140-3 
面積 149.99km².
総人口 833,811
(2007年6月1日)
隣接自治体 大阪市松原市羽曳野市
富田林市大阪狭山市
河内長野市和泉市高石市 
堺市役所
所在地 〒590-0078  大阪府
 堺市堺区南瓦町3番1号
電話番号 072-233-1101 
外部リンク 堺市 
位置

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Template (■ノート ■解説) 日本の市町村pj

堺市(さかいし)は、近畿地方の中部、大阪府の中南部に位置するである。

大阪府では人口・面積が第2の都市である。2006年4月1日に、日本で15番目、近畿地方では4番目、大阪府でも大阪市に次いで2番目の政令指定都市に移行した。

昼間人口より夜間人口のほうが多いために、大阪市のベッドタウンと位置づけられている。

目次

[編集] 地理

大阪府中央部を流れる大和川を挟んで大阪市の南側に位置し、北東は松原市、東は羽曳野市富田林市、南東は大阪狭山市河内長野市、南西は和泉市、西は高石市に接している。

[編集] 地域の概要

市の西部は平坦で、古くからの工業地や商業地が多く市街化が進んでいる。大阪湾に面する北西部は新日本製鐵堺製鐵所を始めとする「堺泉北臨海工業地帯」と呼ばれる工業地域である。

浜寺昭和と諏訪ノ森は屋敷や別荘が建ち並ぶ高級住宅地であり海浜リゾート地であった。今は浜寺沖の埋め立てと重工業コンビナートの形成により、この地域の高級感は少し衰えをみせる。

中央部は大阪市の上町台地から続く高台(三国ヶ丘台地)で、上野芝にはその地形を生かして戦前、阪和電鉄により「向ヶ丘」「霞ヶ丘」の住宅地が開発された。また、戦後は新金岡や中百舌鳥などに大規模団地が建設され、1970年代には北東部の市街化も進んだ。

南東部の初芝と大美野は戦前に住宅地として開発されたが、周辺は緩やかな台地と田園地帯で農地も多く残る。南部は丘陵地となっており、泉北ニュータウンが広がっている。

[編集] 市名の由来

宿院交差点の石灯籠。「左海」の表記が認められる。右側面に天保5年(1834年)銘がある。

「堺」の地名は旧摂津国と旧和泉国と旧河内国の3国の「境(さかい)」に発展した町であることから付いたといわれる。江戸時代には「左海」とも表記された(宿院交差点にある石灯籠には「左海たばこ庖丁鍛治」と書かれてある)。堺市の大半は旧和泉国だが、現市域に旧摂津国(大和川付け替え後は和泉国に編入)や旧河内国も含んでいるため、泉州地域と区別され、「堺・泉州」や「堺・泉北」のように分けて表記されることが多い。本来の「堺」を除く泉州地域の堺市民は、このことに一度は葛藤する。

[編集] 歴史

[編集] 概要

[編集] 石器時代

現在の堺市域に人が定住したのは古く旧石器時代とされる。市内各地の遺跡からは旧石器時代の打製石器縄文時代土器石器弥生時代銅鐸・土器などが発掘されている。また、浜寺の四ツ池遺跡は池上・曽根遺跡(和泉市泉大津市)と並ぶ弥生時代の集落遺跡で、堺市域では最大規模を誇る(浜寺中学校造成と第二阪和国道敷設工事のため遺跡としての形はとどめていない)。1989年には国の史跡に指定された。このほか、石津川流域の下田町や鶴田町でも、竪穴住居跡を中心とする集落や土器・金属器などが出土している。

[編集] 古墳時代(大和王権の重要地)

古墳時代には、泉北丘陵を中心に須恵器の生産が行われた。生産は奈良時代を経て平安時代まで続いた。泉北ニュータウン周辺や信太山丘陵にかけて須恵器の釜跡などの遺跡が点在しており、「陶器」「釜室」などの地名が現在も残る。ヤマト王権成立後は大仙陵古墳など大小100数基の百舌鳥古墳群が造られた。
神功皇后三韓征伐からの帰途、七道の浜に寄り、地元の豪族の田蓑宿禰に津守氏の姓を与え、住吉三神を祀るように告げたという(住吉大社の起源)。

[編集] 飛鳥時代(難波大道と交通網)

飛鳥時代になると、難波宮難波京難波津から四天王寺を経て上町台地を南北に貫く難波大道と、飛鳥の都と方違神社を東西に結ぶ丹比道(竹内街道の前身)、大津道(長尾街道の前身)が整備される。奈良時代から室町時代にかけて、これらの街道沿いの大保(丹南)や金岡・日置荘周辺には河内鋳物師と呼ばれる人たちが多く住んでおり、東大寺再興や鎌倉大仏の鋳造などで活躍した。

[編集] 平安時代・鎌倉時代(堺北荘と堺南荘)

平安時代には熊野詣の宿として境王子大鳥居王子が設置された。鎌倉時代には京都奈良など後背都市の産業を背景に南北の堺荘が成立。堺北荘は摂津国に、堺南荘は和泉国に属した。

[編集] 南北朝・室町時代(南朝と勘合貿易、堺公方)

南北朝時代には、南朝(吉野朝廷)方の住吉大社宮司の津守氏に関係して南朝の外港的役割を担うようになり、廻船が発着する港へと発展した。地下請の特権を得て、室町時代には足利将軍家三管領細川氏などが行った日明貿易(勘合貿易)の拠点となる。戦国時代にはルソンカンボジアなど東南アジア方面での貿易で栄えた。こうした経済的繁栄は内外から注目を集めるようになり、戦国時代初期の室町幕府の内紛の際には「堺公方」と呼ばれる一種の臨時政権が立てられた事がある。

[編集] 戦国時代(東洋のベニス)

布教のため来日していたイエズス会宣教師ガスパル・ヴィレラは、その著書『耶蘇会士日本通信』のなかで、「堺の町は甚だ広大にして大なる商人多数あり。この町はベニス市の如く執政官によりて治めらる」と書いた。この文章によって、堺の様子は『東洋のベニス』として、当時の世界地図に掲載されるほどヨーロッパ世界に認識されることとなる。ヴィレラの後継宣教師であるルイス・フロイスもまた、その著書『日本史』のなかで堺を「東洋のベニス」と記している。

[編集] 安土桃山時代(自治都市)

安土桃山時代には貿易港としての地位を揺るぎないものとし、戦乱から町を守るため周囲に堀を巡らせた環濠都市を形成する。会合衆(えごうしゅう)と呼ばれる商人たちが自治的な都市運営を行い、摂津国住吉郡平野と共に中世の自治都市となるが、織田信長豊臣秀吉らの前に屈服。都市機能が解体され、彼らの支配下(直轄地)に置かれる。その後、秀吉が大坂城を築き、城下町が開発されるに伴い堺商人の多くが大坂へ強制移住させられた。このため、堺の都市機能は著しく低下した。同様に全国各地の城下町にも堺商人が移り住むようになる。また、この頃から鉄砲生産も盛んに行われるようになった。

[編集] 江戸時代(近世都市の源)

江戸時代には堺奉行が置かれ、糸割符など保護を受けるが、鎖国の成立とともに経済の中心は大坂へ移り、管轄も大坂町奉行が兼任する。1704年には大和川の付け替え工事が行われ、陸続きであった堺と住吉が分断された。しかも、この開削により河口付近に多量の土砂がたまったため、堺港に大きな船が停泊できなくなった。これにより、港湾機能も縮小せざるを得なくなった。

しかし、中世の自由都市堺と、江戸初期の堺の財力は莫大なものがあり、それが後世の日本に与えた影響もまた然りである。中世の日本において一貫して大都市といえるのは京都だけであり、当時陸運の便利がよい京都に商人が集中していた。一方で堺は積極的に海運のため、全国の主に海岸の中小都市に莫大な投資を行った。その当時既に繁栄していた博多鹿児島大分などはともかく、それ以外の全国の多くの都市について、その発展の基礎部分に中世の堺商人の投資が大きな影響を与えているともいえ、それは大阪名古屋東京なども例外ではない。

[編集] 江戸時代後期からそれ以降(工業都市)

江戸時代でも後期に入ると、醸造業などが栄えた影響で再度活気を取り戻すようになる。堺商人は次第に建物に贅を凝らすようになり、「京の着倒れ・大坂の杭(食い)倒れ」とともに「堺の建て倒れ」と呼ばれるほど、町には立派な屋敷が建ち並んだ。

幕末になり、欧米列強が大坂の開港を要求すると、大坂が京都に近いことを理由に堺がその代港候補に挙がる。だが幕府内の勤皇派は、堺周辺には古墳が多いため、堺を開港地にすると外国人が無断で古墳に出入りする可能性があると指摘。そのため、第二候補であった兵庫(神戸)が開港地に選ばれた。この結果、堺は中世以来の国際貿易港への復帰の道を閉ざされ、その座を神戸に明け渡すことになった。更に明治になってから堺県が設置されたものの、隣県・堺の繁栄を恐れる大阪府の要求により強引に同府に合併されたと言われている。大阪府合併以降は、紡績煉瓦産業を中心に次第に工業都市へと変貌を遂げていき、阪神工業地帯の一角を占める経済的地盤を作り上げていく。

なお、堺市の町名には「○丁目」の「目」がつかない。1872年の町名改正で、改正前までは独立していた小さな町を「○○東一丁」や「○○西一丁」などに変更し、「丁」に「町」と同格の意味合いを持たせたことに由来する。以後、周辺の町村を合併し市域に編入したが、町を細分する場合も前例に倣い「丁目」を使わず、美原区を除く市内全域が「丁」で統一されている。

[編集] 年表

[編集] 「堺町」のある都市

堺商人が全国で活躍した証しとして、旧城下町から発展した都市には「堺町」もしくは「栄町」という地名が今も残っている。

  • 備考
    • 東京市にも日本橋堺町、京橋栄町、神田栄町があったが、町名変更により消滅した。
    • 京都市にある堺町通は、「町の境」を意味するという説が有力である。
    • 酒田市は江戸時代、「東の堺」と呼ばれ、堺を模して町が作られた。町は三十六人衆という自治組織により運営されていたが、これも堺の会合衆の影響といわれる。
    • 橿原市の今井町は江戸時代、「陸の堺」と呼ばれ、商業都市として栄えた。堺同様、町を囲うように環濠が掘られている。

[編集] 堺空襲

1945(昭和20)年当時、日本には180の都市があり、うち58都市がアメリカ軍による空襲を受けた。アメリカ軍は180都市を人口の多い順に空襲する作戦をとり、堺市は人口18万人で空襲順位は24位であった。広義の「大阪大空襲」で着弾目標地点が置かれたのは大阪市(空襲順位2位)と堺市、尼崎市(同25位)のみである。アメリカ軍は堺市を空襲都市に選んだ理由を「堺の主要価値は大阪市に近接していて、その工業が大阪市と統合されていることである。また、この都市は大阪の軍需工場の労働者に住宅を提供している。大阪の工場に打撃を与えるために、堺の軍需工場は疎開可能箇所として重要である」(アメリカ軍の作戦任務報告より)としているが、実際は非戦闘員を目標にした無差別爆撃であった。被害は工場より民家に集中した。

  • 堺空襲(1945年)
    • 3月13日・14日 - 第1次堺空襲(第1次大阪大空襲):B29焼夷弾
    • 6月15日 - 第2次堺空襲(第4次大阪大空襲):B29焼夷弾
    • 6月26日 - 第3次堺空襲(第5次大阪大空襲):B29焼夷弾
    • 7月10日 - 第4次堺大空襲(第6次大阪大空襲):B29焼夷弾、着弾点を初めて堺に置く
    • 8月10日 - 第5次堺空襲:艦載機・機銃掃射

[編集] 堺が発祥とされるもの

「ものの始まりなんでも堺」といわれるほど、堺を「発祥の地」とするものが伝承も含めて多数ある。

[編集] 市町村合併・政令指定都市への移行

2005年2月1日に東隣の美原町を編入合併した。この編入合併によって政令指定都市の実質上の要件である80万人を超えたため、2006年4月1日に政令指定都市へ移行した。周辺地域も含めた堺都市圏の人口は132万人に及ぶ。

なお、隣接する高石市や大阪狭山市とも合併を予定していたが、2003年に高石市で合併の是非を問う住民投票が行われ、反対多数により堺市との合併問題研究協議会は解散。大阪狭山市では合併協議会設置が議会で否決された。合併はならなかったが、旧和泉国大鳥郡のうち唯一堺市域でない高石市とは市外局番が同じ(072局・堺MA)であり、現在も消防事業は共同で行っている(堺市高石市消防組合)。また、大阪狭山市内には堺市の飛び地が存在する。

複数の政令指定都市が存在する都道府県は、これまでにも神奈川県横浜市川崎市)、福岡県福岡市北九州市)の2つだけしかなく、堺市の政令指定都市移行により、全国3府県目の事例となる。2007年4月に浜松市が政令指定都市に移行したため、現在は静岡県を含めて4府県となった。

今後は、政令指定都市・自由都市である堺をもっとアピールしていくために、仁徳天皇陵世界遺産への登録を実現する動きが課題となっている。

[編集] 政令指定都市への道のり

  • 1956年 政令指定都市制度が施行。
  • 1961年 河盛安之介市長が、臨海工業地帯の造成と泉北丘陵の開発を柱とする「100万都市構想」を発表(事実上の政令指定都市昇格目標宣言)。
  • 1963年 人口が40万人を超える。
  • 1966年 和泉市の横田礒治市長が、5市合併で政令指定都市になった北九州市を手本にした「泉北合併都市構想」を発表。堺市・泉大津市・和泉市と高石町(当時)・忠岡町の3市2町の大合併で政令指定都市移行を目指す。大阪府も合併を勧告。
  • 1966年 河盛市長が合併構想を受け、泉北3市2町に加え松原市羽曳野市富田林市河内長野市美陵町(当時)・狭山町(同)・美原町(同)を含めた「広域都市構想」を発表。
  • 1966年 堺市・泉大津市・和泉市の3市議会が合併案を議決。3市による合併協議会が設立(高石町は単独市制施行の道を選び、忠岡町は合併の利点がないとして加わらず)され、3市長も合併協定書に調印。
  • 1966年 泉大津市の久保泰雅市長(社会党)と市議6人が合併汚職で摘発。
  • 1967年 泉大津市の久保市長が辞任。その後行われた市長選で、合併反対派の茶谷徳松が当選。
  • 1967年 泉大津市・和泉市で合併反対運動が激化。大阪府が合併不認可を表明し、3市合併は白紙に。
  • 1967年 人口が50万人を超える。
  • 1971年 河盛市長が引退。民社党などが推した土師半六が市長に当選。
  • 1972年 人口が60万人を超える。
  • 1972年 土師市長、浪速医科大学(仮称、不認可)誘致にからんだ汚職事件で辞職。出直し選挙で我堂武夫が市長に当選。
  • 1974年 人口が70万人を超える。
  • 1976年 堺市が庁舎問題等審議会を設置。
  • 1976年 我堂市長が政令指定都市昇格を正式に表明。
  • 1983年 人口が80万人を超える。
  • 1983年 堺市が指定都市準備室を設置。
  • 1983年 堺市議会が指定都市問題対策特別委員会を設置。
  • 1983年 仙台市千葉市・堺市の3市で「事務連絡協議会」設立。3市揃っての政令指定都市移行を目指す。
  • 1984年 田中和夫が市長に当選。
  • 1986年 人口が81万9千人となり過去最高を記録。以後減少に転じる。
  • 1989年 田中市長が急死。幡谷豪男が市長に当選。
  • 1991年 行政区設置を見据え、市内を6地区に分割した支所制度を導入。支所区域名称選定委員会が「東・西・南・北・堺・中」を選定。
  • 1991年 堺市役所高層館が完成。
  • 1992年 中支所が開所(東百舌鳥・深井・八田荘・泉ヶ丘出張所廃止)。
  • 1993年商工会議所が堺市指定都市問題懇話会設立。
  • 1993年 堺市が東京事務所を開設。
  • 1994年 堺市が指定都市対策室を設置。
  • 1995年 南支所が開所(泉北ニュータウン東・同中・同西出張所廃止)。
  • 1995年 堺市・美原町広域行政課題連絡協議会設置。
  • 1996年 中核市制度施行。中核市へ移行した12市(宇都宮市新潟市富山市金沢市岐阜市静岡市浜松市、堺市、姫路市岡山市熊本市鹿児島市)のうち、堺市は最大の人口を擁する都市として、「第1回中核市サミット」の開催地に選ばれる。
  • 1996年 堺市指定都市問題懇話会が改組され、堺市指定都市推進協議会を設立。
  • 1996年 西支所が開所(津久野・鳳・浜寺・福泉出張所廃止)。
  • 1997年 人口が80万人を割る。
  • 1997年 東支所が開所(日置荘・南八下・登美丘出張所廃止)。
  • 2000年 北支所が開所(五箇荘・金岡・新金岡・百舌鳥・北八下出張所廃止)。
  • 2000年 堺市役所旧本館に堺支所が開設され(神石出張所廃止)、6支所体制が完成する。
  • 2001年 国の「合併支援プラン」で「2005年3月までに大規模な合併が行われた場合には、政令指定都市の弾力的な指定を検討する」と緩和の方向が打ち出される。
  • 2001年 木原敬介が市長に当選。
  • 2002年 堺市・高石市合併問題研究協議会を設置。
  • 2003年 高石市、大阪狭山市、美原町に合併を申し入れ。
  • 2003年 堺市・美原町合併協議会を設置。
  • 2003年 高石市長選で合併反対派の阪口伸六が当選。堺市・高石市合併問題研究協議会が解散。
  • 2003年 大阪府と堺市が「政令指定都市移行連絡準備会議」を設置。
  • 2004年 堺市役所新庁舎(本館)が完成。堺支所が移転する。
  • 2004年 大阪府と堺市が「政令指定都市移行連絡会議」を設置。
  • 2005年2月 美原町を編入合併(美原支所設置)。人口が80万人を超える。
  • 2005年3月 堺市議会が「堺市の政令指定都市の実現に関する意見書」を可決。
  • 2005年5月 大阪府と「事務移譲等に関する確認書」を締結。
  • 2005年5月 大阪府議会が「堺市の政令指定都市の指定に関する意見書」を可決。
  • 2005年10月 政令指定都市移行が閣議決定。
  • 2005年12月 区名が正式決定。
  • 2006年4月 政令指定都市移行・区制(堺区中区東区西区南区北区美原区)施行。(合併に伴う政令指定都市移行には通常、合併から2年前後かかるが、堺市の場合は、合併以前から支所制度など、ある程度の準備ができていたこともあり、合併から1年2か月で政令指定都市移行となった。)

[編集] 行政

堺市役所

[編集] 市長

  • 木原敬介(きはら・けいすけ)----任期:2005年10月8日~2009年10月7日

[編集] 歴代市長

  • 任命市長
    • 一樋作兵衛(1889年4月~1893年8月)
    • 北田豊三郎(1893年10月~1896年2月)
    • 大西五一郎(1896年2月~1905年10月)
    • 宮本通義(1906年3月~1910年2月)
    • 斉藤研一(1910年11月~1912年12月)
    • 熊野秀之輔(1913年1月~1917年1月)
    • 斉藤研一(1917年6月~1926年11月)
    • 森本仁平(1926年12月~1933年1月)
  • 名誉職市長 - 無給奉仕の市長
    • 河盛安之介(1933年4月~1946年5月)
  • 公選市長
    • 南治好(1946年8月~1947年1月)
    • 山口勝(1947年4月~1951年4月)
    • 大塚正(1951年4月~1955年4月)
    • 河盛安之介(1955年5月~1971年4月)
    • 土師半六(1971年5月~1972年10月)
    • 我堂武夫(1972年11月~1984年1月)
    • 田中和夫(1984年2月~1989年8月)
    • 幡谷豪男(1989年10月~2001年9月)
    • 木原敬介(2001年10月~)

[編集] 名誉市民

  • 河盛安之介(市長)
  • 我堂武夫(市長)

[編集] 行政区

堺市の行政区

(1)堺区 (2)北区 (3)西区</br>(4)中区  (5)東区 (6)美原区 </br>(7)南区

次の7区が設置されている。詳細は各区の項を参照のこと。

[編集] 市提供の広報番組

  • 堺日和(さかいびより) - 関西テレビ放送で毎週金曜日の22時52分から22時57分までの5分間に放送される広報番組。堺市内の名所などを巡リ、紹介する番組。不定期だが、俳優やタレントが出演することもある。

ナレーションはアニメ声優古谷徹が担当する。手話放送付。

[編集] 立法

[編集] 市議会議長

  • 西村昭三(自由民主党・市民クラブ)平成19年5月18日より

[編集] 市議会副議長

  • 松本光治 (公明党堺市議会議員団) 平成19年5月18日より

[編集] 市議会会派

  • 市議会定数 - 52人(法令定数より4人少ない)
    • 各区の定数は、堺区9・中区8・東区5・西区8・南区10・北区9・美原区3。
  • 公明党堺市議会議員団(13名)
  • 自由民主党・市民クラブ(11名)
  • 民主党・市民連合(10名)
  • 日本共産党堺市議会議員団(8名)
  • クリエイティブ フェニックス(6名)
  • プロジェクト堺(2名)
  • 会派に属さない議員(2名)

(平成19年5月14日現在)

[編集] 府議会議員

行政区施行に伴い、大阪府議会の旧堺市選挙区(定数10)は、以下のように分割された。

選挙区 氏名 党派名
堺区(2) 樋口昌和 公明党
芹生幸一 日本共産党
中区(1) 西恵司 自由民主党
東区・美原区(1) 小西貢 自由民主党
西区(2) 釜中与四一 自由民主党
土師幸平 民主党
南区(2) 西村晴天 公明党
長野聖 民主党
北区(2) 関守 民主党
奴井和幸 自由民主党

[編集] 衆議院議員

堺市は3選挙区に分かれる。

  • 大阪15区(美原区)
  • 大阪16区(堺区・北区・東区)
  • 大阪17区(中区・西区・南区)
    • 岡下信子(自由民主党、選挙区)
    • 西村眞悟 (無所属、比例区)

[編集] 産業

[編集] 主な商業地

堺東駅前
  • 堺東駅
    • 高島屋 - 1964年、大阪市外で最初の百貨店として開店。堺東駅ビルの改築工事の一環として入居した。1984年に開業20周年を迎え店内を改装。店舗を拡張して「アップル専門店街」を併設した。以後、高島屋とアップル専門店街で「堺タカシマヤショッピングセンター(SC)」を構成する。2002年にアップル専門店街を高島屋が統合する形で新たな「高島屋堺店」となり、ソフマップをテナントに入れるも2年で撤退。現在はユニクロABCマートなどをテナントに入れている。なお地下レストラン街は、現在もアップルの名称やロゴ(upル)をそのまま使用している。
    • ジョルノ - 戦後の闇市を起源とする「堺中央マーケット」の老朽化が進んだため、1981年に行政と組合が開発主体となり再開発ビル「ジョルノ」として生まれ変わった。開業以来、核店鋪にはダイエーが入居していたが2001年に閉店。現在は核テナントとして生鮮館PASTO、キャップ書店、ダイソーハローワークなどが入居している。堺東駅とはペデストリアンデッキで結ばれている。
    • 堺銀座商店街 - 明治時代に高野鉄道が開通した時からある古い商店街。戦後、旧市内の商店が空襲に遭い打撃を受けたことや、堺東に市役所など官庁が移転してきたことで、堺の中心商店街としての地位が高まった。1953年アーケード(ビニール式)が完成。1988年にはモスク型のアーケードに生まれ変わった。ここ数年は、堺市の支所制度導入に伴う堺東の地位低下もあり、かつてのようなにぎわいはない。人気フォークデュオ、コブクロがインディーズ時代に路上ライブを行っていた地でもある。一時、空きビルに場外馬券場を誘致しようという動きがあったが、住民の反対運動により計画は潰れた。
  • 宿院駅
    江戸時代から住吉大社頓宮と開口神社門前町として栄えた。明治時代には劇場街となり、なかでも「卯の日座」は堺最大の劇場として有名だった。1891年には新派川上音二郎一座が書生芝居の旗揚げ興行を行ったほか、