台場
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台場(だいば)とは、幕末に異国船の襲来に備えて設置された砲台で、要塞の一種である。日本各地の海岸に築かれた。
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[編集] 著名な台場
- 弁天台場(北海道函館市) - 新選組と明治新政府軍と最後の戦いの場
- 明石藩舞子台場跡(兵庫県神戸市) - 国指定史跡、勝海舟の設計、明石海峡の防衛
- 徳島藩松帆台場跡(兵庫県淡路市) - 国指定史跡、明石海峡の防衛
- 鳥取藩台場跡(鳥取県内8個所) - 国指定史跡
[編集] 東京湾の台場
第三台場 砲台跡 台場公園 |
江戸幕府は、観音崎(神奈川県横須賀市)と富津(千葉県富津市)を結ぶ線を防衛線と考えてきた。しかし、ペリー艦隊が簡単にこれを突破し江戸の街から見えるところまで侵入してきた。これに危機感を抱いた幕府は1853年江戸湾防衛の任を負っていた伊豆韮山代官の江川太郎左衛門英龍に品川沖に台場を築かせた。今日、地名から「品川台場」とも呼ばれる。
約75万両が投入され、伊豆などから石を運び、品川御殿山を切り崩した土砂をつかって、未完成の第4、第7台場を除くと5基の台場を建造した(当初11箇所建設予定であった)。この際に人夫頭として活躍したのが甲斐の天野海蔵と伊豆の大場久八である。
昭和30年代に東京湾の整備計画が策定され、第1、第5台場は品川埠頭建設のため撤去、第2台場は主航路の障害となるため撤去となり、現在では第3、第6台場のみが残され、どちらも国の史跡に指定されている。なお、旧第4台場跡は、現在の天王洲周辺である。その後、第3台場はお台場海浜公園に隣接する台場公園となり、第6台場は保存のため通常、一般人は立ち入り禁止となっており、野鳥や植物の楽園と化している。
[編集] お台場
第3台場と近辺の13号埋立地に台場という地名が付けられた(港区台場一丁目・二丁目)。1997年にフジテレビの本社ビルが東京都新宿区河田町から移転後は、都内の観光名所にもなっている。現在のこの地区についてはお台場の項を参照のこと。
[編集] 関連項目
↑観音崎から富津までを東京湾の防衛線と考える戦略は艦砲射撃が有効な攻撃手段だった明治期まで受け継がれ、上の二つが建設された。

