伊勢崎市同居女性餓死事件
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伊勢崎市同居女性餓死事件とは同居女性を餓死させた殺人事件である。その家庭の劣悪な環境も話題とされた。
[編集] 事件の経緯
主犯男性は1964年生まれで、年子の姉と2歳年下の妹がいた。母親の長男に対する態度は一貫したものではなく、ひどく甘やかす側面がある一方で、近所に長男の泣き声が響き渡るほどの身体的虐待も加えていた。このような不安定な環境の中、主犯の男性は周囲に対して内気な態度を見せながら、自分より弱い者に対しては徹底的に痛めつけるという嗜好を育てていった。
主犯男性は普通学級では勉強についていく事は困難と判断され、特殊学級に入れられ、そこでクラスメイトとして出会ったのが、事件の被害者であった。両者とも単に勉強についていけない程度で外見は普通学級の生徒と変わらなかった。しかし主犯男性は真面目に学校に通っていたわけではなく、不登校気味であった。
やがて、彼は家庭内暴力を振るうようになり、姉や母の悲鳴が近所に響き渡った。さらに、主犯男性が思春期に差し掛かる頃になると、姉の悲鳴は何かを拒否するようなものに変わる。その悲鳴の質から、恐らく近親姦が行われていたと推測されている。
さらに、主犯男性は自分が借りた金を払えないため、姉の身体を身代わりにし、少年達に姉を輪姦させた。下半身を露出させた少年たちの様子が近所の人に目撃されている。両親はその間、庭に佇んでいたという。姉は精神を患い、精神病院へ入院する。この後、姉の障害者手帳が父親のバイトと共に一家の収入源の一つとなった。
主犯男性は定職に就かないまま2回結婚し、被害者を含め4人の女性と同居していた。主犯男性は他の3人の女性に対しても日常的に暴行を行い、食事を与えないなどの虐待を行っていた。主犯男性は、最初の妻との間に儲けた長女もほとんど学校には通わせていなかった。
被害者は1993年に加害者に呼び出され家出。この時は両親と夫の手で呼び戻された。だが、1998年には2度目の家出をする。主犯男性と姉を中心にして、この後激しく被害者に対し暴力を振るい、食事をほとんど与えなくなっていく。母と姉にとっては彼女に主犯男性が暴力を振るってくれることで、自分達に暴力が振るわれないことに安堵していた側面もあり、鬱憤晴らしで暴力を振るっていた。
2001年8月頃から被害女性は一人で歩けない状態が始まり、一家は死亡してもやむをえないと判断する。11月に入り、彼女はひどく衰弱し父は仕事を休んで被害者の様子を観察していた。いつか力尽きて死ぬのをただ父は眺めていた。この頃、主犯男性は気まぐれで食べ残しの飯を彼女に与えようとした事があった。だが、受け取ろうとした彼女の手を姉が叩き、米粒は床に落ちた。拾って食べようとしても、彼女はそれすら喉に通らないほど衰弱しきっていた。彼女は2001年11月10日に餓死した。
2001年11月12日夕方、群馬県伊勢崎市消防署に主犯男性が119番通報する。この時の主犯男性の声は落ち着いたものであったという。救急隊員が現場に駆けつけてみたところ、女性の遺体は仰向けに寝かされ、毛布がかけられていた。司法解剖では、彼女は身長158センチに対し26キロの体重しかなかった。
2002年2月13日午前に「未必の故意」として殺人容疑で主犯の加害者の男性、父、姉を逮捕。後に母親も逮捕された。2002年3月6日、4人を殺人罪で前橋地裁に起訴する。2002年10月15日、内縁の夫に懲役13年、姉と母に懲役10年を求刑。この時点で、父親の公判は分離された。2002年11月25日午後3時に前橋地裁で判決。主犯男性は懲役12年、姉と母は懲役8年の実刑判決を受けた。

