伊勢亀山藩
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伊勢亀山藩(いせかめやまはん)は、伊勢国に存在した藩の一つ。藩庁は伊勢亀山城。
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[編集] 概要
伊勢亀山は戦国時代、織田信長、豊臣秀吉に仕えた関盛信が領していた。盛信の子・関一政は美濃国多良に移封されたが、関ヶ原の戦いにおける功績で、旧領に復帰したのである。しかし慶長16年(1611年)、伯耆国黒坂へ移封。代わって三河国作手より松平忠明が入るが、やがて大坂城主として移封された。
その後、しばらくは天領となっていたが、元和6年(1620年)、三河挙母より三宅康信が1万石で入る。だが、子の康盛のときに旧領へ戻された。
代わって三河国西尾より本多俊次が5万石で入るが、近江国膳所へ移封となる。
それと入れ替わりで石川憲之が5万石で入るが、山城国淀へ移封となる。
寛文9年(1669年)2月、下総国関宿より板倉重常が5万石で入るが、板倉重治のとき、志摩国鳥羽へ移封。
入れ替わりで松平乗邑が6万石で入るが、山城淀へ移封となる。
再び板倉重治が戻ってきて、子の板倉勝澄が後を継ぐが、板倉氏は石川総慶と交代する形で延享元年(1744年)、備中国松山へ移封と、藩主家の交替が激しい土地であり、藩主の長期間における支配が定着しなかった。延享元年(1744年)3月、備中松山より、石川総慶が6万石で入ってようやく藩主家の支配が定着し、以後、石川氏11代の支配で明治時代を迎えた。
ちなみに、この石川氏は徳川家康に仕えたことで有名な石川数正系統の石川氏ではなく、数正の叔父・石川家成系統の石川氏である。
[編集] 歴代藩主
[編集] 関家
3万石(外様)
[編集] 松平(奥平)家
5万石(譜代)
[編集] 天領
[編集] 三宅家
1万石→2万石(譜代)
[編集] 本多(酒井)家
5万石(譜代)
- 本多俊次(としつぐ)従五位下。下総守。
[編集] 石川家
5万石(譜代)
- 石川憲之(のりゆき)従五位下。主殿頭。
[編集] 板倉家
5万石(譜代)
[編集] 松平(大給)家
6万石(譜代)
[編集] 板倉家
5万石(譜代)
- 板倉重治(しげはる)
- 板倉勝澄(かつずみ)従五位下。周防守。
[編集] 石川家
6万石(譜代)
- 石川総慶(ふさよし)従五位下。主殿頭。
- 石川総尭(ふさたか)従五位下。主殿頭。
- 石川総純(ふさずみ)従五位下。日向守。
- 石川総博(ふさひろ)従五位下。日向守。
- 石川総師(ふさのり)従五位下。主殿頭。
- 石川総佐(ふさすけ)従五位下。主殿頭。
- 石川総安(ふさやす)従五位下。主殿頭。
- 石川総紀(ふさのり)従五位下。日向守。
- 石川総禄(ふさよし)従五位下。主殿頭。
- 石川総脩(ふさのぶ)なし。
- 石川成之(なりゆき)従五位下。日向守。

