仏印進駐

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仏印進駐ふついんしんちゅう)とは、仏領インドシナへの日本軍の進駐のことを指す。昭和15年の北部仏印進駐と、昭和16年の南部仏印進駐に分けられる。

[編集] 北部仏印進駐

1940年昭和15年)9月、日中戦争(支那事変)によって日本と敵対していた蒋介石中国国民党政権に対するイギリスアメリカ合衆国などによる援助ルート、いわゆる「援蒋ルート」を遮断する目的で行われた。これは、フランスの親独的中立政府であるヴィシー政権との外交交渉の結果得られた成果であったが、同政権を承認していなかったはこれを認めず、対抗手段として英領ビルマにルートを建設することで、蒋介石援助を続けた。また、進駐直後に日独伊三国軍事同盟が締結されたことによって、日本は英米と完全な敵対関係となる。アメリカは翌1941年(昭和16年)に入ると、蒋介石へ資金・物資両面から多大な援助を行った。

[編集] 南部仏印進駐

昭和16年(1941年)7月28日、日本軍はヴィシー政権の許可を得て仏印南部への進駐を開始(南部仏印進駐)。英蘭への圧力と、開戦に備えて南方作戦への橋頭堡を確保する狙いがあった。これに対し、英米は在日本資産の凍結、日英通商条約廃棄などの日本側の予想を上回る強硬手段に訴え、アメリカの対日石油禁輸の口実を与えてしまう結果となった。この決定的な対決によって、12月に日本は英米宣戦布告大東亜戦争が勃発した。

1945年(昭和20年)まで、日本はフランスの統治を認めていたが、フランス本国が解放され、ヴィシー政府が解体されるに伴い、3月9日『明号作戦』を発動してフランス植民地政府を武力によって打倒し、バオ・ダイ(保大)帝にベトナム帝国の独立を宣言させた。

[編集] 関連項目

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