仁木悦子
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仁木 悦子(にき えつこ 1928年3月7日 - 1986年11月23日)は東京府豊多摩郡渋谷村(現・東京都渋谷区)出身の推理作家、小説家。4歳のときに脊椎カリエスを発病し、それ以来寝たきりの生活に。学校へは行かず、独力で学んだ。
[編集] 概要
1957年に『猫は知っていた』で第三回江戸川乱歩賞を受賞してデビュー。 初めこの作品は、河出書房が『探偵小説名作全集』の別巻として公募した推理小説コンクールの応募作品だったが、入選発表を前に河出書房の経営が行き詰まり刊行中止になった。そこで編集部が作者の了解を得て江戸川乱歩賞の応募原稿扱いにしてもらったところ、選考委員会は満場一致でこの作品を選出したという経緯がある。
このとき選考委員であった江戸川乱歩の評論から、「日本のクリスティー」と呼ばれるようになった。 乱歩賞受賞時のマスコミ報道は、作者が脊椎カリエスで寝たきりの生活を送りながら、原稿を書いていたという点に集中し、人々の驚きと同情を誘ったという。
1981年には、短編『赤い猫』で第三十四回日本推理作家協会賞を受賞。
「日本のクリスティー」の名にふさわしく、作風は明るく爽やかでかつ理知的である。
大井三重子の名で童話も多数創作していた。その童話の中の一作に『めもあある美術館』があり、多年、小学校の国語教科書に教材として掲載されていた。単行本『水曜日のクルト』所収。
1971年8月16日に仁木の投稿が朝日新聞投稿欄「ひととき」に掲載されたことから、戦争で兄を失った妹の会「かがり火の会」が1971年11月結成され、会誌が47号まで刊行され、文集『妹たちのかがり火』が第4集まで刊行された。「かがり火の会」は2007年3月末に閉じた。
[編集] 主な作品
- 猫は知っていた
- 殺人配線図
- 二つの陰画
- 枯葉色の街で
- 灯らない窓
- 林の中の家
- みずほ荘殺人事件
- 刺のある樹
- 黒いリボン

