人種差別
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人種差別(じんしゅさべつ、Racial discrimination、discrimination)とは、人種による差別のこと。レイシズム(racism)とも言い、差別主義者の事をレイシスト(Racist)と呼ぶ。
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[編集] 概要
人が自らとは異なる人種、民族に対して形質的差異をもって差別すること。
国連の定める人種差別撤廃条約では、人種差別の定義を「人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するもの」と定めている。
これらの差別では、一方の人種を貶める事で、大々的にそれらの人種から搾取を行うケースが多く、不当搾取の前駆として、今日では人道上、忌み嫌われる行為となっているが、根強く差別が続いた地域で育った人や、悪意を持って差別をする事で何等かの利益を得ている人も少なからずあり、それら差別を行う側の存在が問題視されている。
ユネスコは1951年に「人種の優劣には根拠がない。」 「人種混交が生物学的に不利な結果をもたらすという証拠もない。」という「人種と人種差別の本質に関する声明」を出している。
日本でも人種に絡む差別問題や民族差別、外国人恐怖症などの問題が存在しているが(日本の民族問題)、他の先進国と比較すると国内に居住する白人や黒人の割合が少ないこともあり、「人種差別は外国間の話」とする考え方をする者や、人種差別を忌み嫌うものとする意識に乏しい者が少なくない(日本ではしばしば身体的に顕著な違い(膚・眼・髪の色、容貌の違い)がある場合のみ「人種差別」とし、民族差別と区別する事が多い)。
[編集] 歴史事例
[編集] 概略
白人が有色人種を差別したことが歴史上では顕著である。アフリカ系黒人、ネイティブアメリカ人(いわゆるアメリカインディアン)やアジア人などが差別された。又、同じ白人間でも英米におけるアイルランド人(アイル人)など差別を受けた歴史をもつ民族も多い。風説などにより、一方の人種が生物学的に原始的であるとしたり、知能が劣る・野蛮であるとして、野生動物のように考えていた時代もある。
[編集] 白人のなした人種差別
白人の文明はその発生過程に於いて、他に類を見ない程の侵略と略奪を繰り返してきた。たとえば大英博物館は世界中から貴重な歴史遺産が集められた有意義な博物館だが、これを称して強盗博物館と自嘲する声もある。白人の文明は大航海時代から帝国主義時代が終わるまでの時期、その迷いのない思想と、発達した科学技術・武力によって、他人種の文明圏に到達するとほぼ一方的にこれを虐殺・征服してきた。この優位性は、「白人こそが最も進化した人類である」という価値観さえ生む結果となった(ラドヤード・キップリング「白人の責務」、セシル・ローズの“神に愛でられし国・イギリス”思想など)。この考え方は次第に肥大し、学術分野に於いても各人種間に特徴的な差異を「一方の人種が劣っている証拠」とする説が発表され、優生学の名で正当化された。この中にあって進化論は大いに捻じ曲げられ、後の文化人類学発達を大きく妨げたと考えられる。ヨーロッパ人は、奴隷貿易や植民地化を「優等人種である白人が、劣等人種である有色人種に文明を与えるのは義務である」という主張で正当化していた。
[編集] アフリカ黒人に対する差別
大航海時代以降、ヨーロッパ人はアフリカ南部地域に住む黒人を暴力によって捕らえ、奴隷として使役してきた。アフリカには多数の部族があり、中には他の黒人部族の者を捕らえ、白人の奴隷商人に引き渡して利益を得ている部族もあった。捕らえられた黒人は奴隷船の船倉に積み込まれ、貨物として市場へ運ばれた。奴隷市では商品として台の上に陳列され、売買された。彼ら黒人奴隷は人格を否定され、死ぬまで家畜のように働かされた。こうしたヨーロッパ人による黒人奴隷の制度は、1862年にアメリカ第16代大統領エイブラハム・リンカーンによって奴隷解放宣言が発せられ、1864年に南北戦争が終結するまで続いた。
[編集] アメリカ大陸原住民に対する差別
ヨーロッパ人は、アメリカ・インディアンやマヤ、アステカなどの征服地、植民地支配における先住民を差別し、虐待・大量虐殺などを行った。
[編集] 黄色人種のポジション
異人種に対する差別・偏見は一度強固な社会基盤を得ると払拭し難く、強い影響力を発する。このため、黄色人種が白人に習って黒人を偏見で見る傾向も生まれた。その一例として在米韓国人に広まった黒人蔑視が挙げられ、黒人新聞「マネー・トークス・ニューズ」は「記者は生まれてこのかた、韓国人ほど冷酷で愚劣で無分別で、しかも侮辱的で傲慢な人間に会ったことはない」とまで書き、同じく黒人新聞の「ザ・ロサンゼルス・センチネル」は韓国人の貪欲さ、働き過ぎ、社会的貢献ゼロ、黒人蔑視を手厳しく批判した。(但しこれらについてもやはり黒人側からの偏見混じりの意見であることには注意しなければいけない。)また黒人学生を対象に行ったある世論調査では、「韓国人は最も距離を置いた人種」との結果が出ている。 (『THIS IS 読売』(1992年8月号)「コリアンはなぜ嫌われたのかロス暴動と核疑惑の狭間」高浜 賛)日本でも戦後の進駐軍との間に生まれた混血児達の中で、特に黒人との間に生まれた子供は黒ん坊などと呼ばれて差別の対象になったことがある。現在の日本でも微妙な黒人蔑視は存続していると見る声がある。
その一方で、黄色人種は白人社会との関係を築く上で武力で負けたり、実利のために「損して得取れ」と卑屈になる事すら辞さなかった民族もあった事から、白人社会からは卑屈で劣った人種だと思われながらも、確実に白人社会に食い込んでいった事もあり、一方的な搾取を受ける事態には至っていないケースが多い。しかしそれでも20世紀前半のアメリカやカナダでの日系移民の境遇をみると、黄禍論を背景とした排斥の動きがあったし、それが太平洋戦争の原因になったという主張もある。また戦中は枢軸国の中で日系人のみが強制収容所に入れられている。(日系人の強制収容 参照)
[編集] 日本における人種差別
日本人は古くから白人や黒人を見慣れておらず、これらを奇異の目で見る傾向があった。特に白人のことは「紅毛」「毛唐」「南蛮」などの蔑称で呼んでいた。その一方で、安土桃山時代には、日本人もポルトガル商人によって奴隷として輸出されることがあった。豊臣秀吉によるバテレン追放・キリスト教禁教は、純粋な宗教の禁止・宗教への迫害ではなく、そうした情勢・趨勢への対応であった(サン・フェリペ号事件)とする見方もある。
鎖国をやめて文明開化をなしたあとでは、白人は差別する対象というよりは崇拝するべき対象へと転じた時期を経た。しかし黒人はなおも人種差別の対象となった。こういう差別感情は、二十世紀後半になってもまだ続いていた。黒人への差別感情が薄らいだのは、プロ野球選手のウォーレン・クロマティがテレビに登場して、親しみやすいキャラクターで愛されるようになってからであると言われている。
日本における黒人差別の特徴は、攻撃的な言動よりむしろ具体的な存在を無視することにあると言える。メディアや一般の人の会話でも、白色人種や黄色人種がアメリカ人やイギリス人、中国人や韓国人など「国籍+人」という形で呼ばれることが多いのに対し、黒色人種はあくまで「黒人」と呼ばれることが多く、具体的な国籍まで言及されることは少ない。また、黒色人種の文化が国や地域、歴史によって多様であるにもかかわらず、しばしば「黒人文化」という一つの文化が存在しているかのように言われる。これは欧米文化やアジア文化といった用法とは異なっている。
日本では黄色人種や白色人種に比べ黒色人種は性的な存在として描かれやすいというのも特徴である。
現在でも、日本は他の国と比べて国内に居住する異人種の割合が少なく、人種差別問題はあまり大きく扱われない。だがその裏で差別そのものは増えたとする指摘もある。日本は外国人雇用者を不当に扱う主要な国として挙げられ、労働者を募る際の人身売買や、労働環境における人権侵害も問題視される(→外国人労働者)。また、最近では、日本において水商売や性風俗業に従事する外国人女性の存在を指して、日本では人身売買などが横行しているとの批判を海外からなされることが多くなっている。その背後には、“反日”活動や、日本のフェミニストによる自国への誹謗などがあるとの指摘が右派・保守派を中心としてあるが、事実だと仮定してもそれは日本における黄色・白色・黒色問わず日本人ではない外国人の地位の著しい低さについて反証するものではない。
なお、日本には近代以降、中国人や朝鮮人に対する差別意識が根強く存在するが、これは民族差別の問題であり、人種差別の範疇ではないとされる。しかし、国際法上や英語圏などでは日本で民族差別と呼んでいるものは「racism(人種差別)」と同義として扱われており、民族差別と人種差別の区分は未だ明確化されていない。
[編集] 撤廃への試み
人種差別撤廃の試みは繰り返し行われてきた。アメリカの南北戦争は奴隷解放戦争としての性格を帯びていた。多くの黒人奴隷に経済基盤を支えられ、奴隷解放に反対していた南部の各州が敗れると、事実上アメリカの奴隷制度は撤廃された。第二次世界大戦後の世界では、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師による公民権運動が多くのアメリカ市民に影響を残した。
遡って、第一次世界大戦の講和会議であるパリ講和会議では、日本が人種差別撤廃条項を提案している。イギリスとオーストラリアが強く反対する中、採決が行われ、結果11対5で賛成多数となった。しかし、議長のアメリカ大統領・ウィルソンが例外的に全会一致を求めた為、否決された。ただし、よく誤解されているが、この提案は拘束力の無い連盟憲章に加えることが目的であった。だが、現地の日本側代表団はあいまいな態度をとった。また、何について、もしくは何をもって「平等」とするのかの内容があいまいだった。これをもって植民地の独立を考えていたと言われるが、自国の植民地については言及していない。外務省はイギリスは賛成してくれると考えていたが、根回しはしていなかった。南アフリカとオーストラリアという人種差別国家を抱えたイギリスには、反対する以外の道は無かった。ウイルソン大統領も、移民政策が拘束されると言う国内の反対論を無視できなかった。また、提案の内容が訓示的で無意味であると考えていたようである。そして、ウィルソン大統領が山東半島の利権問題に関して日本を支持する意志を示すと日本側は提案を引っ込めたし、その後も同種の提案を行わなかった。提案そのものは画期的であるが、単にゴネただけか判断が難しいところがある。
[編集] 人種差別撤廃条約
[編集] 関連項目
- 人種
- 人権
- 人種差別撤廃条約
- 民族差別
- アフリカ系アメリカ人
- ジム・クロウ法
- 公民権運動
- ローザ・パークス
- マーティン・ルーサー・キング
- マルコムX
- アンクル・トムの小屋
- エイブラハム・リンカーン
- マハトマ・ガンジー
- アパルトヘイト
- 反ユダヤ主義
- アドルフ・ヒトラー
- ドイツ - ナチス - ナチズム - ネオナチ
- クー・クラックス・クラン
- アメリカ合衆国
- 被差別民
- 白豪主義
- 黄禍論
- 日系人の強制収容
- 人類館事件
- 種差別
- ヒューストン・アストロズ
[編集] 外部リンク

