交響曲第9番 (ベートーヴェン)
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</div> ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調作品125(ドイツ語:Sinfonie Nr. 9 d-Moll op. 125)は、ベートーヴェンの9番目にして最後の交響曲である。第九(だいく)とも呼ばれる。第4楽章に合唱および独唱が導入され、特に『歓喜の歌』として親しまれている。古典派の以前のあらゆる音楽の集大成ともいえるような総合性を備えたと同時に、来るべきロマン派音楽の時代の道しるべとなった記念碑的な大作である。
目次 |
[編集] 概要
本来交響曲とは器楽のための大規模な楽曲のことを言うが、この交響曲では第4楽章に4人の独唱と混声合唱が導入された。ゆえに「合唱付き」(Choral)<ref>なお、"Choral"は「合唱」という意味ではなく「賛歌」「賛美歌」という意味である。「コラール」も参照。</ref>と呼ばれる。この第4楽章の旋律は有名な「歓喜の歌(喜びの歌)」で、フリードリヒ・フォン・シラーの詩「歓喜に寄せて」から3分の1程度を抜粋し、一部ベートーヴェンが編集した上で曲をつけたものである。交響曲に声楽が使用されたのはこの曲が必ずしも初めてではなく、ペーター・フォン・ヴィンターによる『戦争交響曲』などの前例があるものの、真に効果的に使用されたのは初めてである。
ちなみに、ベートーヴェン以降もなお、声楽付き交響曲は珍しい存在であり続けた。ベルリオーズやメンデルスゾーン、リストなどが交響曲で声楽を使用しているが、声楽付き交響曲が一般的になるのは第九から70年後、マーラーの『復活交響曲』が作曲された頃からであった。
まぎれもなくこの交響曲は、ベートーヴェンの最高傑作の1つである。大規模な編成や1時間を超える長大な演奏時間、それまでの交響曲でほとんど使用されなかった打楽器(シンバルやトライアングルなど)の使用、ドイツ・ロマン派の萌芽を思わせる瞑想的で長大な緩徐楽章(第3楽章)の存在、そして独唱や混声合唱の導入など、彼自身のものも含むそれ以前の交響曲の常識を打ち破った大胆な要素をたくさん持ち、シューベルトやブラームス、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチなど、後の交響曲作曲家たちに多大な影響を与えた。また、ベートーヴェンの型破りな精神を受け継いだワーグナーやリストは、交響曲という殻そのものを破り捨て全く新しいジャンルを開拓した。このように、交響曲作曲家以外へ与えた影響も大きい。
日本では単に第九(だいく)と呼ばれることが多く、年末になると各地で第九のコンサートが開かれる。近年では、単に演奏を聴くだけではなく、実際に合唱を行う方に回る、参加型のコンサートも増えつつある。日本での圧倒的な人気の一方で、ヨーロッパにおいては、オーケストラに加え独唱者と合唱団を必要とするこの曲の演奏回数は決して多くない。
この作品は作品成立~出版の過程で何度も書き写され20点もの原典資料が知られている(「版の問題」を参照)。初演にも使われた初版用筆写スコア(総譜)は2003年にロンドン・サザビーズのオークションで190万ポンド(当時約310万米ドル=約3億6500万円)で匿名氏によって落札され、同社による音楽資料の落札価格最高値を更新した。
[編集] 作曲の経緯・初演
ベートーヴェンがシラーの詞『歓喜に寄す』にいたく感動し、曲をつけようと思い立ったのは、1792年のことである。ベートーヴェンは当時22歳であり、まだ交響曲第1番も作曲されていない時期であるが、ベートーヴェンは永きに亘って構想を暖めていたことがわかる。ただし、この時点ではこの詞を交響曲に使用する予定はなかったとされる。
交響曲第7番から3年程度を経て、1815年頃から作曲が開始された。さらに、1817年、ロンドンのフィルハーモニー協会より交響曲の作曲の委嘱を受け、これをきっかけに本格的に作曲を開始したものと見られる。直接交響曲第9番の作曲が始まったのはこの頃だが、ベートーヴェンは異なる作品であっても何度も旋律を使いまわしているため、間接的にはさらに以前まで遡ることができる。
第4楽章は当初合唱ではなく器楽とされる予定で、交響曲第9番は純器楽の作品になる予定だった。声楽は別に作曲を予定していた『ドイツ交響曲』という作品に使用される予定だった。(交響曲第10番)しかし後にさまざまな事情によって、交響曲を2つ作ることを諦めて2つの交響曲のアイデアを統合し、現在のような形となった。歓喜の歌の旋律が作られたのは1822年頃のことである。なお、当初作曲されていた器楽の第4楽章の旋律は、のちに弦楽四重奏曲第15番の第5楽章に流用された。
1824年に初稿が完成。そこから初演までに何度か改訂され、1824年5月7日に初演(後述)。初演以後も改訂が続けられている。
楽譜は1826年にショット社より出版された。
この作品は、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世に献呈された。
[編集] 演奏史
[編集] 初演
1824年5月7日、ウィーンのケルントネル門劇場にて。指揮はウムラウフとベートーヴェン自身
ミサ・ソレムニスの「キリエ」「クレド」「アニュス・ディ」、「献堂式」序曲とともに初演された。ベートーヴェンはこの曲を当初、ウィーンの聴衆には自分の音楽がそぐわないと判断し、ベルリンでの初演を希望していた。だが、聴衆の署名活動等によりベートーヴェンはベルリン初演を思い留めた。
ベートーヴェンは耳の病を患っていたため、ウムラウフが助手として共に指揮台に上がった。ベートーヴェン自身は初演は失敗だったと思って演奏後も聴衆の方を向くことができず、また、耳の病により拍手が聞こえなかったため、聴衆の喝采に気がつかなかった。見かねたアルトの歌手がベートーヴェンの手を取って聴衆の方を向かせ、はじめて拍手を見ることができた、という逸話がある。観衆が熱狂し、アンコールでは二度も第2楽章が演奏され、三度目のアンコールを行おうとして兵に止められたという話まで残っている。
この曲は作曲者自身による初演の際は好評であったが、その後は、ベートーヴェンが急遽付け足した第4楽章が理解不能という理由で、演奏機会に恵まれないでいた。実際にベートーヴェンも初演の後、第4楽章を器楽だけによる形に書き改める事を計画していた。作曲者の死後しばらくの間は、未完の交響曲のような扱いとして、第4楽章を除いて第1~3楽章までしか演奏されない事もあった。現在のような大衆的な人気が出たのは、ワーグナーによるこの曲のロマン派的な解釈の後である。
[編集] 日本初演
- バルトの楽園
1918年6月1日に、徳島県鳴門市にあった板東俘虜収容所で、ドイツ兵捕虜による全曲演奏がなされたのが、日本における初演とされている。この事実は1941年に、この初演の2ヶ月後に板東収容所で第九(第一楽章のみ)を聴いた徳川頼貞が書いた『薈庭楽話』で明らかにされていたが、長く無視され、1990年代になって脚光を浴びた。このエピソードに基づく映画『バルトの楽園』(出演:ブルーノ・ガンツ、松平健ほか)も作られた。
- 日本人による初演
日本人による演奏は、第4楽章のみ1924年1月26日に福岡で九州帝国大学のオーケストラが最初のもの。その後、全曲を1924年11月29日に東京音楽学校のメンバー、クローンの指揮にて初演。プロによる日本初演は新交響楽団(現在のNHK交響楽団の前身)により1927年5月3日。
東京音楽学校での初演については、この演奏を聴いた最後の生き残りであった作家の埴谷雄高によれば、「演奏中にコンサートミストレスの安藤幸子(幸田露伴の妹。姉の幸田延子ともども「上野の西太后」と呼ばれた)が早く弾きだした部分があり、演奏はガタガタとなってしまった」と証言している。
- 全員外来演奏家による初演
全員が外来演奏家による日本初演はカール・ベーム指揮のベルリン・ドイツ・オペラにより1963年11月7日、日生劇場にて。
- ソプラノ:エリザベート・グリュンマー
- メゾソプラノ:クリスタ・ルードヴィヒ
- テノール:ジェームズ・キング
- バリトン:ヴァルター・ベリー
この演奏の終了後、行動的なファンがベームの足に抱きつき、ベームの身動きを取れなくしたハプニングもあった。
[編集] 日本での年末の演奏の歴史
1937年にヨーゼフ・ローゼンシュトックが新交響楽団(現在のNHK交響楽団)の音楽総監督に就任した際、「ドイツでは習慣として大晦日に第九を演奏している」と紹介し、年末の演奏が始まった。実際に当時から現在まで年末に第九を演奏しているドイツのオーケストラとして、著名なところではライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が挙げられる。日本で年末に第九が頻繁に演奏されるようになった背景には、戦後まもない1940年代後半、オーケストラの収入が少なくて、楽団員の年末年始の生活に困る現状を改善したいと、合唱団も含めて演奏に参加するメンバーが多く、しかも当時(クラシックの演奏の中では)「必ず(客が)入る曲目」であった第九を日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)が年末に演奏するようになり、それを定例としたことが発端とされる。1960年代から、国内の年末の第九の演奏は急激に増え、現在に至っている。
[編集] バイロイト音楽祭と第九
1872年、バイロイトに祝祭劇場を建設する際、その定礎の記念として選帝侯劇場にてリヒャルト・ワーグナーの指揮で第九が演奏された。その所縁もあり、第九はバイロイト音楽祭でワーグナーの歌劇・楽劇以外で演奏される唯一の曲となっている。以後、何度か演奏されている。1933年リヒャルト・シュトラウス、1951年と1954年ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、1953年パウル・ヒンデミット、1963年カール・ベーム、2001年クリスティアン・ティーレマン。後述のように、1951年の演奏は「不朽の名演」として有名。
[編集] 戦後復興と第九
第二次世界大戦後の1951年、はじめてバイロイト音楽祭が再開された際、前述のようにヴィルヘルム・フルトヴェングラーが第9を指揮し、再開を祝した。この演奏がフルトヴェングラーの死後にレコードとして発売されると、日本の評論家達は大絶賛し、今でも「第9のベスト演奏」に挙げられることが多い。
1955年に、戦争で破壊されたウィーン国立歌劇場が再建された際にも、ブルーノ・ワルター指揮・ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で第9が演奏された。なお、再建のこけら落しはカール・ベーム指揮の歌劇『フィデリオ』だった。当初音楽監督のベームはワルターに『ドン・ジョヴァンニ』の指揮を依頼したが、ワルターが高齢を理由に辞退し、代わりに第9を指揮することになったものである。
[編集] ドイツ分断と第九
- 1964年の東京オリンピックに東西ドイツが統一選手団を送ったときに、国歌の代わりに歌われた。
- 1989年のベルリンの壁崩壊の直後の年末にレナード・バーンスタインが、東西ドイツとベルリンを分割した連合国(アメリカ・イギリス・フランス・ソ連)のオーケストラメンバーによる混成オケを指揮してベルリンで演奏した。この際には、第4楽章の詩の"Freude"をあえて"Freiheit(自由)"に替えて歌われた。また、翌年のドイツ再統一の時の統一前夜の祝典曲としてクルト・マズア指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団がライプツィヒで演奏した。なおゲバントハウスでは毎年大晦日の16時半から、ベルリンフィルのジルベスターコンサートに対抗して演奏され随時TV中継されている。
- 演奏のみのバージョンがEUの国歌として使用されている。2007年にはルーマニアとブルガリアがEUに加盟したが、2007年の一月元旦の0時を切った時演奏されたのがこの第九であった。
[編集] 編成
ピッコロ、コントラファゴット、トロンボーンはベートーヴェンの交響曲では使用例が少なく、他に交響曲第5番、交響曲第6番で使用されているのみである。また、ホルンが4本、打楽器は他の交響曲では使われていないトライアングル、シンバル、バスドラムを使用しており、この時期の交響曲の編成としても最大級のものである。また、前述の通り声楽を交響曲に用いるのはきわめて奇抜なアイディアである。
[編集] 管弦楽
- 木管楽器
- 金管楽器
- 打楽器
- 弦五部
指揮者ワインガルトナーの助言に従い3楽章終了後すぐに4楽章を開始する指揮者が今なお多い。初演された当時ティンパニはチューニングが必要で、ホルン、トランペットも楽器は管の交換に時間を要したので、少なくともこの方法は作曲当時にはあり得なかった。
ジョナサン・デルマー校訂のベーレンライター版(後述)の校訂報告でもこの記述が有り、新しい楽譜を使う際、演奏楽器の新旧に関わらず3楽章と4楽章の間隔を空ける指揮者も増えつつある。
[編集] 声楽
声楽は第4楽章のみ使用される。
全体で約70分に及ぶ演奏時間に関わらず、声楽パートが用いられるのは第4楽章(終わりの約25分)だけである。そのため、ホールでの演奏時では、合唱および独唱は第2楽章と第3楽章の間に入場する場合が多い。また、合唱のみ冒頭から待機する場合もあるが、この際は休憩用の椅子が用意される。
もっともこれは合唱に限ったことではなく、ピッコロ、コントラファゴット、およびティンパニ以外の打楽器も第4楽章だけしか用いられない。にもかかわらずこれらの奏者は第1楽章から舞台上で待機していることが多く、このことを「不公平」とする意見もないわけではない。この意見のもとでは、合唱・独唱も第1楽章から舞台上で待機することが要求されるか、あるいは打楽器奏者のみ合唱と同時に遅れて入場することが認められるような場合もある。管楽器の場合はこのようなことが認められることは滅多にない。
[編集] 曲の構成
一般的な交響曲の「アレグロソナタ - 緩徐楽章 - 舞曲 - 終楽章」という構成と比べ、第二楽章と第三楽章が入れ替わり、第二楽章に舞曲由来のスケルツォ、第三楽章に緩徐楽章が来ている。このような曲順は初期のハイドンなどには見られたが、次第に第二楽章が緩徐楽章、第三楽章がメヌエット(舞曲)という構成が固定化して行き、ベートーヴェンによって再び取り上げられた形となった。以後この形式は定着し、後の作曲家はこの形式でも交響曲を作るようになった。全体の演奏時間は約70分であり、ベートーヴェンの交響曲中で最長である。
[編集] 第1楽章
Allegro ma non troppo, un poco maestoso ソナタ形式 ニ短調 2/4拍子
ソナタ形式の形式によるが、以下の点で型破りである。
- 習慣的な反復記号を欠いている。
- 通常平行調または属調で現れる提示部第二主題が下属調の平行調になっている。(通常のソナタ形式であれば第2主題はヘ長調で現れるべきだが、ここでは変ロ長調が使用されている。この調性は、第3楽章や第4楽章で重要な働きをする。)
- 再現部の冒頭が、提示部のそれとかなり異なる雰囲気である。
冒頭の弦楽器のトレモロにのせて第一主題の断片的な動機が提示され、それが発展して第一主題になるという動機の展開手法は非常に斬新なものである。第一主題は、ニ音とイ音による完全五度を骨格とした力強い主題であり、この完全五度の関係は、この作品全体にわたって音楽に大きな律動感を与えている。
第二主題部の導入部は、第四楽章で現れる「歓喜」の主題を予め暗示させるような効果を持つ。
[編集] 第2楽章
Molto vivace
複合三部形式をとるスケルツォ楽章である。主部はニ短調、3/4拍子、ソナタ形式。中間部(トリオ)はニ長調、2/2拍子。
曲調は第1楽章を受け継ぐような形で、第1楽章同様DとAの音が骨格になっている。弦楽器のユニゾンとティンパニで構成される序奏を経て、提示部ではフーガのようにテーマが絡み合い、確保される。
経過句ののち第2主題に移るが、主調が短調の場合、第2主題は通常平行調(ニ短調に対してはヘ長調)をとるところ、ここではハ長調で現れる。また、提示部では4小節一組で12/8拍子のように進行するが、展開部では3小節を一括りにして3拍子(9/8拍子)のようにテーマが扱われる。
展開部ではティンパニが活躍する。このことから、この楽章はしばしば「ティンパニ協奏曲」と呼ばれることがある。ティンパニは通常、主調のニ短調に対してDとAに調律するところを、ここではFのオクターヴに調律されているのが独特。(ベートーヴェンは、既に第8番の終楽章(ヘ長調)で、Fのオクターブに調律したティンパニを使っている。)
中間部の旋律は、歓喜の主題に似ている。速度は更に速められてプレスト。オーボエによる主題提示の後、弦楽器群のフーガ風旋律を経てホルンが同じ主題を提示する。フルートを除く木管楽器群の主題提示の後、今度は全合奏で主題を演奏する。
[編集] 第3楽章
Adagio molto e cantabile 変ロ長調 4/4拍子
2つの主題が交互に現れる変奏曲の形式と見るのが一般的であるが、一種のロンド形式、また一種の展開部を欠くソナタ形式と見ることもできる。
| A | B(ニ長調) | A第I変奏 | B(ト長調) | A第II変奏(変ホ長調) | A第III変奏 | コーダ |
| 第一主題 | 第二主題 | 第一主題 | 第二主題 | コーダ | ||
| 提示部 | 再現部 | |||||
瞑想的な緩徐楽章である。4番ホルンの独奏は、当時のナチュラルホルンでは微妙なゲシュトプフト奏法を駆使しなければ演奏することができなかった(ちょうど作曲当時はバルブ付きの楽器が出回り始めた頃だったので、この独奏はバルブ付きホルンで演奏することを前提にしていたという説もある)。これは当時ホルン奏者のみならず、指揮者なども大変気を遣った難しいパッセージであったことで有名。
[編集] 第4楽章
管弦楽が前の3つの楽章を回想するのをレチタティーボが否定して歓喜の歌が提示し、ついで声楽が導入されて大合唱に至るという構成。 変奏曲の一種と見るのが一般的であるが、有節歌曲形式でもあり、展開部を欠くソナタ形式という見方も可能である("Freude, schöner Götterfunken"が第一主題、"Ihr, stürzt nieder"が第二主題、Allegro energico, sempre ben marcatoが再現部)
- Presto/recitative
- ニ短調 3/4拍子
- 第1楽章の葛藤、第2楽章の諧謔、そして第3楽章の瞑想に続いて、管楽器が強烈な不協和音を奏でて、今まさに悲劇の終楽章が始まろうとする。しかし、すぐさま低弦(チェロとコントラバス)のレチタティーヴォによってかき消される。再び、管楽器が悲劇的な音楽を奏でるが、再度否定される。
- Allegro ma non troppo
- ニ短調 2/4拍子
- それならばと、管弦楽が第1楽章を回想する。しかし、低弦はこれを否定する。
- Vivace
- ニ短調 3/4拍子
- 今度は第2楽章が回想される。しかし、低弦はまたこれを否定する。
- Adagio cantabile
- 変ロ長調 4/4拍子
- 第3楽章を管楽器が回想するが、これも低弦は否定する。
- Allegro assai
- ニ長調 4/4拍子
- 管楽器が、この交響曲でそれまでに断片的に姿を現した動機を演奏すると、低弦はこれを肯定する。この動機を基に、低弦が静かに第一主題(「歓喜」の主題)を演奏しはじめる。すると、ヴィオラがそれに続き、ファゴットとコントラバスの対旋律がそれを支える。さらに、歓喜の主題はヴァイオリンに渡され、四声の対位法によって豊かなハーモニーを織り成す。最後に管楽器に旋律が渡され、全管弦楽で輝かしく歌い上げられる。
- Presto/recitative
- "O Freunde"ニ短調 3/4拍子
- 再び冒頭部のような悲劇的な音楽が、今度は管弦楽の全奏で演奏される。オーケストラにこれを否定する術は無く、バリトン独唱のレチタティーヴォが、"O Freunde, nicht diese Töne!"(「おお友よ、このような音ではない!」)と、これを否定する。ここで初めて声楽が導入される。(譜面には、このバリトン独唱部分には複数のメロディーラインが併記されており、あまり歌われないメロディーを選んだために音程が悪いと酷評されている大歌手もいる)歓喜の主題に続き、合唱が入る。
- Allegro assai
- "Freude, schöner Götterfunken"ニ長調 4/4拍子
- Freude!の掛け声をバリトン独唱と合唱のバスが掛け合い、バリトン独唱が"Freude, schöner Götterfunken"「歓喜」の歌を歌い、それに合唱が続く。独唱4人、合唱が交互に「歓喜」の主題を変奏する。
- Alla marcia Allegro assai vivace
- "Froh, wie seine Sonnen"変ロ長調 6/8拍子
- 行進曲である。それまで沈黙を守っていた打楽器群が、トルコ音楽風にリズムを刻み始め、その上を吹奏楽が「歓喜」の主題を変奏する。つづいて、テノール独唱が「歓喜」の主題の変奏の旋律で"Froh, wie seine Sonnen"「神の計画」を歌い、それに合唱が続く。
- その次は久しぶりに純粋な管弦楽のみによる演奏が続き、一度静かになったあと、合唱が「歓喜」の主題を歌う。ここがいわゆる「第九の合唱」として有名な箇所である。
- Andante maestoso
- "Seid umschlungen, Millionen!" ト長調 3/2拍子
- "Seid umschlungen, Millionen!"「抱擁」の主題が提示される。
- Adagio ma non troppo, ma divoto
- "Ihr, stürzt nieder" 変ロ長調 3/2拍子
- Allegro energico, sempre ben marcato
- "Freude, schöner Götterfunken" / "Seid umschlungen, Millionen!" ニ長調 6/4拍子
- 「歓喜」と「抱擁」の主題による二重フーガである。
- Allegro ma non tanto
- "Freude, Tochter aus Elysium!" ニ長調 2/2拍子
- Prestissimo
- "Seid umschlungen, Millionen!" ニ長調 2/2拍子
| 叙唱 | 第一、第二、第三楽章の回想と新しい主題の着想 | 第一主題 | 第一主題の変奏I II III | 叙唱 | 第一主題の変奏IV V VI VII VIII | 第二主題a | 第二主題b | 第一主題と第二主題aの対位(変奏IX) | 第二主題b | 第一主題の変奏X | 第一主題と第二主題aによる変奏(XI) | コーダ |
| (歌詞) | 1番、2番、3番、4番、1番 | 5番 | 6番 | 1番と5番 | 6番 | 1番 | 1番と5番 | |||||
| (ソナタ形式としてとらえた場合) | 提示部第一主題 | 第二主題 | 再現部第一主題 | 第二主題 | コーダ | |||||||
[編集] 歓喜の歌
フリードリヒ・フォン・シラーの詩作品「自由賛歌」(Hymmne a la liberte 1785年)がフランス革命の直後ラ・マルセイエーズのメロディーでドイツの学生に歌われていた。そこで詩を書き直した「歓喜に寄せて」(An die Freude 1803年)にしたところ、これをベートーベンが歌詞として1822年から1824年に書き直したものである。一説にはフリーメイソンリーの理念を詩にしたものだともいう。
余談であるが、「歓喜のメロディ」は、交響曲第9番オリジナルなものではない。1808年の合唱幻想曲と、1810年のゲーテの詩による歌曲「Kleine Blumen, kleine Blaetter」において既に用いられている。
[編集] 歌詞(ドイツ語原詞、日本語訳)
O Freunde, nicht diese Töne! |
おお友よ、このような音ではない! [編集] 版の問題この作品は、その斬新な作風から解釈やオーケストレーションについて多くの問題を含んでおり、19世紀後半のワーグナー、マーラー、ワインガルトナーといった名指揮者・作曲家によるアレンジが慣例化している。それらは演奏実践に有益な示唆を含んでいるが、同時に作曲当時には存在していなかった楽器法を取り入れた結果、曲本来の姿を伝える上では障害ともなっている。 また自筆スコアの他にスコア・パート譜から修正チェック用のメモ、テンポは会話帳の1ページに甥のカールによって記され、出版社への修正依頼が記された書簡まで数多くの筆写史料が残っており、微妙な違いが無数にあるため食い違いが作曲者の意図なのかそれとも写し間違いなのか決定し難い点が問題となってきた。<ref>改訂が数多く成される場合、版を重ねる毎に誤りが受け継がれていく事があるので最終段階の資料を優先すべきとは限らない。そのため可能な限り多くの資料が揃えられ、成立した順を明らかにする研究が必要で、楽譜作成にあたっては修正の入った資料が重要視される。</ref> 1826年に出版された初版スコアは、その版下と比べて食い違いがおびただしい。これは校正が殆ど行われなかったためとみられる。1864年に出たブライトコプフ・ウント・ヘルテル社(ドイツ)の旧全集版は自筆スコア、筆写史料、初版に基づいて作成されているが、テンポの問題は解決されず、歌詞の誤り、写譜師の誤写やベートーヴェンの改訂前の形を採用するなど問題が多かった。 問題を解決しようという試みは有ったが、第2次世界大戦の際ドイツにあった資料には戦後行方不明になった物があり、誤りの少ない楽譜を作成するには拠るべき資料が不足していた。 20世紀の末になると東西ドイツの統合とソ連の崩壊に伴い行方不明になっていた資料が発見されそれらの素性も明らかにされて来た。イギリスの音楽学者・指揮者のジョナサン・デルマーが新旧様々な資料に照らし合わせて問題点を究明し<ref>その研究を参考に音楽学者・指揮者の金子建志も演奏史を含めて自らの著作で言及している。この研究は実際に原典資料を演奏に用いるなどの実践に裏付けられたものである。</ref>、この研究は楽譜化され1996年にベーレンライター社から出版された。自筆スコアから誤まって伝えられてきた音が元通りに直されたため、ショッキングに聴こえる箇所が幾つもあり大いに話題を呼んだが、ベートーヴェンの書きたかった音形を追求した結果、どの資料にも無い音形が数多く表れている点もこの版の特徴である。 21世紀に入って旧ベートーヴェン全集の出版社であるブライトコプフ社もペーター・ハウシルトの校訂で原典版を出版した。こちらはベートーヴェンが関わった最終形態の筆写スコアを主資料として、先行するデルマーの版と同じ資料に基づきながら異なる見解も幾つも現れている。 いずれも国際協力と新しいベートーヴェン研究の成果、現場の指揮者や演奏家達の助言も入れて編集された批判校訂版である。また将来、ボン・ベートーヴェン研究所のベアテ・アンゲリカ=クラウス校訂による新ベートーヴェン全集の版がヘンレ社から刊行される予定である。 [編集] 余談初期のCDの記録時間が約74分であることは、実はこの曲が1枚のCDに収まるようにとの配慮の下で決められたのである。1979年からCD の開発に当たったフィリップスとソニーはディスクの直径を11.5cm とするか12cm とするかで何度も議論を重ねており、大きさを基準に考えるフィリップスに対し記録時間を優先したいソニーで話し合いは難航していた。11.5cm であることの様々な利便性は明らかであったが、最終的に『第九が入らなくては』との意見が出され12cm に決定した。このCDのサイズ云々にはかのカラヤンが一枚かんでおり[要出典]、カラヤンが自分の第九交響曲の録音がちょうど収まる大きさにするよう圧力をかけたようである。[要出典]また、このサイズにしたのはカラヤンのライバルであったベームの第九が時間オーバーで収まらなくなるようにするためでもあったという。[要出典] [編集] 関連項目
[編集] 前後の作品
[編集] 使われた作品など
[編集] 註[ヘルプ]
<references/> [編集] 外部リンク
[編集] 参考文献
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カテゴリ: 出典を必要とする記事 | ベートーヴェンの交響曲 | ニ短調 | 合唱曲

