五十瓊敷入彦命
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五十瓊敷入彦命(いにしきいりびこのみこと) 垂仁天皇の第2皇子。(第1皇子は垂仁天皇と狭穂姫の子、誉津別命(ほむつわけのみこと))
『日本書紀』の編年に拠る。
- 垂仁天皇30年、天皇が兄弟に対しそれぞれが欲するものを尋ね、兄の五十瓊敷入彦命は「弓矢」を欲し、弟の大足彦命は「皇位」を望み、大足彦命が垂仁天皇の後継者に決まったとされる。
- 垂仁天皇35年、五十瓊敷入彦命は河内国に派遣され河内国の高石池や茅渟(ちぬ)池を始め多くの池溝を開く。同様に広く諸国をまわり農業を盛んにし人々の生活に安定をもたらし、民から厚く崇敬されたと伝える。
- 終焉の地
岐阜県岐阜市にある「伊奈波神社」に伝わる縁起によると、五十瓊敷入彦命は朝廷の命を承けて奥州を平定したが、一緒に同行した陸奥守豊益が五十瓊敷入彦命の成功を妬み、命が帝位をねらっていると讒奏したため、朝敵として攻められてこの地で討たれた。
- 夫の死を知った渟熨斗媛は、都を離れてこの地で御跡を慕い、朝夕ひたすら命の御霊を慰めつつ生涯を終えたと伝えられる。
出典 Wikipedia 伊奈波神社より
- 宇度墓古墳(うどはかこふん)
南海本線「淡輪駅」徒歩5分の場所にあり全長200mある大型の前方後円墳。5世紀後期の築造で五十瓊敷入彦命の墓とされているが確証はない。宮内庁の管轄する「陵墓参考地」である。

