五十瓊敷入彦命

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五十瓊敷入彦命(いにしきいりびこのみこと) 垂仁天皇の第2皇子。(第1皇子は垂仁天皇狭穂姫の子、誉津別命(ほむつわけのみこと))

    • 弟 景行天皇   12代天皇 日本武尊の父
    • 妹 大中姫命(おおなかつひめのみこと)
    • 妹 倭姫命(やまとひめのみこと) 伊勢神宮の起源説話
    • 弟 稚城瓊入彦命(わかきにいりひこのみこと)
    • 妃 淳熨斗媛命(ぬのしひめのみこと)
    • 臣 物部十千根 (もののべのとおちね)大連。垂仁天皇より物部の姓を賜る 石上神宮物部氏の縁起説話

日本書紀』の編年に拠る。

    • 垂仁天皇には狭穂姫という皇后がいた。皇后の兄である狭穂彦の反乱事件の際、兄とともに死を迎えたが、その後天皇は新たに日葉酢姫を皇后に迎え、第一子に五十瓊敷入彦命、第二子に大足彦命(景行天皇)をもうける。
    • 垂仁天皇30年、天皇が兄弟に対しそれぞれが欲するものを尋ね、兄の五十瓊敷入彦命は「弓矢」を欲し、弟の大足彦命は「皇位」を望み、大足彦命が垂仁天皇の後継者に決まったとされる。
    • 垂仁天皇35年、五十瓊敷入彦命は河内国に派遣され河内国の高石池や茅渟(ちぬ)池を始め多くの池溝を開く。同様に広く諸国をまわり農業を盛んにし人々の生活に安定をもたらし、民から厚く崇敬されたと伝える。
    • 垂仁天皇39年10月、「菟砥川上宮」(場所は具体的に特定されていないが、現在の大阪府阪南市自然田付近か?)にて剣千振を作り、石上神宮に納める。垂仁天皇は五十瓊敷命に命じて神宮の神宝を掌らせる。後に石上神宮の武器宝物の管理を任されるのが物部十千根である。

    • 終焉の地

岐阜県岐阜市にある「伊奈波神社」に伝わる縁起によると、五十瓊敷入彦命は朝廷の命を承けて奥州を平定したが、一緒に同行した陸奥守豊益が五十瓊敷入彦命の成功を妬み、命が帝位をねらっていると讒奏したため、朝敵として攻められてこの地で討たれた。

    • 夫の死を知った渟熨斗媛は、都を離れてこの地で御跡を慕い、朝夕ひたすら命の御霊を慰めつつ生涯を終えたと伝えられる。


出典 Wikipedia 伊奈波神社より



    • 宇度墓古墳(うどはかこふん)

南海本線淡輪駅」徒歩5分の場所にあり全長200mある大型の前方後円墳。5世紀後期の築造で五十瓊敷入彦命の墓とされているが確証はない。宮内庁の管轄する「陵墓参考地」である。

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