ヴァーサ王朝

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ヴァーサ朝 から転送)

ヴァーサ王朝House of Vasa)は16世紀から17世紀にかけてスウェーデンを支配した王朝。この王朝の下でスウェーデンは北方の大国となり、ヴァーサ家はポーランド王にも迎えられた。スウェーデンでは、獅子王グスタフ2世アドルフの即位から、次のプファルツ王朝時代までを「バルト帝国」と呼んでいる。


目次

[編集] 概要

グスタフ・ヴァーサは、14世紀末のカルマル同盟以来120年続いたデンマーク王権の支配に叛旗を翻し、スウェーデンを独立に導いてヴァーサ王朝を興した。その後もデンマークとの戦争が続いたが、デンマークがスウェーデンを奪回することはできなかった。

第3代ヨハン3世の息子シギスムンド王はポーランド・リトアニア連合王国の王に推戴され、ヴァーサ王朝はポーランド王国にまで広がった。ヨハン3世の死後、シギスムンドはスウェーデンに帰国し、ポーランド王を兼ねたままスウェーデン王位に即位した。当時スウェーデンでは新教ルター派が広まっていたが、ポーランドはカトリック国であり、シギスムンドはスウェーデンをカトリックに戻すことを図った。このため弟カールらスウェーデン側はシギスムンドに対する反感を強め、シギスムンドがポーランドに戻ると反乱を起こした。シギスムンドはポーランド軍を率いて反乱討伐に再来したが敗退し、カール(カール9世)がスウェーデン王に即位した。この争いのため、スウェーデンとポーランドのヴァーサ家の間で反目が続き、17世紀にはスウェーデン軍がポーランド領であったリヴォニア方面に侵攻し、リガの町を落とした(スウェーデン・ポーランド戦争)。

さらにヨーロッパ諸国から「北欧の獅子」と恐れられたグスタフ2世アドルフ三十年戦争に介入し、ドイツでカトリックの盟主ハプスブルク家(神聖ローマ皇帝)と戦った。グスタフ2世アドルフ自身はリュッツェンの戦いで戦死したが、スウェーデン軍はその後もドイツで戦いを続け、ヴェストファーレン条約で北ドイツに広大な領土を獲得、一躍北方の大国となった(スウェーデン・バルト帝国)。

しかし、クリスティーナは個人的な理由から退位を望み、クリスティーナの従兄でドイツのプファルツ選帝侯であったカール・グスタフ(カール10世)が即位したため、スウェーデンのヴァーサ王朝は断絶し、プファルツ王朝に代わった。ポーランドのヴァーサ王朝も、未曾有の内戦、「大洪水時代」に第3代のヤン2世カジミェシュが廃位され、ポーランド人の王が選出されるようになり終焉を迎えた。ヤン2世はフランスに渡り、修道士となった。

[編集] 主要年表

[編集] スウェーデン・ヴァーサ王朝歴代国王

  • グスタフ1世(生没年1496年~1560年、在位1523年~1560年)
  • エリク14世(生没年1533年~1577年、在位1560年~1568年) グスタフ1世の長男
  • ヨハン3世(生没年1537年~1592年、在位1568年~1592年) エリク14世の弟
  • シギスムンド(生没年1566年~1632年、在位1592年~1599年) ヨハン3世の息子
  • カール9世(生没年1550年~1611年、在位1599年~1611年) グスタフ1世の末子
  • グスタフ2世アドルフ(生没年1594年~1632年、在位1611年~1632年) カール9世の息子
  • クリスティーナ(生没年1626年~1689年、在位1632年~1654年) グスタフ2世アドルフの娘

[編集] ポーランド・ヴァーサ王朝歴代国王

  • ズィグムント3世(生没年1566年~1632年、在位1587年~1632年) スウェーデン王シギスムンドと同一人物
  • ヴワディスワフ4世(生没年1595年~1648年、在位1632年~1648年) ジクモント3世の息子
  • ヤン2世カジミェシュ(生没年1609年~1702年、在位1648年~1668年) ヴワディスワフ4世の異母弟

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