ローマの信徒への手紙

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新約聖書

ローマの信徒への手紙は『新約聖書』中の一書で、使徒パウロの手によるとされる書簡。「ローマ人への手紙」や「ローマ書」(「ロマ書」)などとも呼ばれる。本書はパウロ本人によって書かれたものであるとみなされている七つの手紙の一つである。19世紀ドイツのチュービンゲン学派を代表する学者でパウロ書簡の多くを本人のものでないと考えていたフェルディナンド・バウアーさえパウロのものと認めていた。

目次

[編集] 解説

[編集] 歴史

本書はコリントスあるいは本書の筆記者テルティオがいるケンクレアイ(エーゲ海に面したコリントス至近の港)において書かれたと思われる。ケンクレイアイのフェベがローマに送り、コリントスのガイオが執筆中に傍らにいたという(16:23、『コリントの信徒への手紙一』(『一コリ』)1:14)。さらにコリントの街の会計係をエラストがつとめていたという。(『二テモテ』4:20)

書簡中には執筆時期をうかがわせる記述はないが、おそらくパウロがエルサレム教会のための募金を行い、「聖なるものたちに仕えるために」エルサレムを訪問しようとしていたころであると考えられる。すなわち第二回ギリシア訪問のころで、58年初頭のローマ訪問(『ローマ書』15:25、『使徒言行録』(使徒書)19:21、『一コリ』16:1-4)の直前の冬であろう。

ローマのキリスト者共同体は聖霊降臨(『使徒書』2:10)に居合わせた人々のいずれかによって作られたのであろう。当時、ローマには多数のユダヤ人が在住していた。シナゴーグにはローマ市民も出入りしていたため、まず彼らがユダヤ人をとおしてイエス・キリストについて知るようになったと考えられる。こうしてユダヤ人と異邦人からなるローマのキリスト者共同体が生まれた。パウロがローマにやってくると信徒たちの歓迎をうけたが、信徒の数は多数いたと考えられ、集会の場所も複数あったことがうかがえる。(『ローマ』16:14,15)

『ローマ書』が扱うことがらの多くは、『ガラテヤの信徒への手紙』(『ガラテヤ書』)などそれ以前に書かれた書簡でも扱われる。

[編集] 執筆の目的

パウロが本書簡を執筆した目的は15章の後半に書かれている。それによれば

  • 小アジアで集めた募金を渡すためのエルサレム訪問にあたってローマの信徒たちの祈りを頼むこと
  • エルサレム訪問後はローマ滞在を経てイスパニアに向かうという計画を伝えること
  • パウロはローマを訪れたことがないので、偽教師によって信徒たちが混乱しないように教えをまとめて書き送ること
  • パウロがローマの共同体でユダヤ人と異邦人がうまくいっていないことに気づいていること

などが執筆の目的であることがわかる。

もともとローマの共同体はユダヤ人キリスト教徒によって設立されたのだが、49年クラウディウス帝によるユダヤ人のローマ追放によって異邦人キリスト教徒が主導権を握るようになっていた。54年にクラウディウス帝が死去してユダヤ人がローマに戻ってくると、ユダヤ教の習慣の遵守をめぐって争いが起きるようになった。

[編集] 内容

本書の中心テーマはイエス・キリストの福音とは何かということ(1:16-17)である。パウロは人間性が罪によっておとしめられ、イエスの十字架の死によって初めて救いが人間にもたらされたと考える。神のみが義であり、義とする権威をもっている。神からの恵みにみちた救いへの招きに、人間は信仰によってのみ応えうる。これが「義化」である。パウロはアブラハムを引き合いに出して、行いでなく信仰によって人が神の前で義とされることを強調する。

[編集] 救いの保障

5章から8章にかけて、パウロは信じるものは救いの約束を受け、罪と律法のくびきから解放されると論じている。パウロは信仰によって義とされ(3:28、4:3)、信じるものはイエスとともにあり(5:1)、罪から解放されるという(6:1-26、6:18)。さらに信じるものは希望をもって喜んでいなければならない(12:12)。また、この約束はすべてのものに開かれているので、全ての人が罪によって神から離れたように(3:23)、イエスの償いによっては全ての人の罪がゆるされる(3:24)という。

9章から11章にかけてはパウロは神が選んだイスラエルに対して忠実であられたことに触れ、同じように神は信じるものに忠実であられることを思い起こさせる。パウロは自身もイスラエルの一員であり(11:1)、かつてキリスト者を迫害していたため、イスラエルの民がみなこの真実に気づくことを望んでいる(9:1-5)。パウロは神がかつてイスラエルの民を選んだように、キリストに従うものを新しい民として選ぶという。(11:19-22)

[編集] 信じるものを変える福音

12章から15章前半では、パウロは福音がいかに人を変えるか、そして変えられた人はどのようにふるまうべきかを述べている。さらにユダヤ教の習慣を固守すると、そうでない人々の間の緊張関係についても述べている。書簡の終わりにパウロは今後の旅行計画とあいさつを述べている。名前が出ている21人のうち三分の一は女性であるが、これはローマの共同体で女性が大きな役割を担っていたことを示すものである。

[編集] スタイル

パウロは当時「ディアトリベ」と呼ばれた論駁スタイルを用いている。パウロはある問題をめぐって、問題提起者に語気するどく反論する。この手紙でもパウロは、時にユダヤ人に対し、時に異邦人に対し、またあるいは全信徒に対して意見を述べるというスタイルをとっている。

[編集] プロテスタントにおける扱い

『ローマ書』ではパウロ神学ともいうべきものが明白に打ち出されており、初期キリスト教思想の根底をつくるものとなった。マルティン・ルターは『ローマ書』を「新約聖書中もっとも重要な書簡であり、すべてのキリスト者によって精読されるべきもの」と激賞している。「ローマ書のあゆみ」という言葉があるが、それは『ローマ書』にあらわれる語句を追っていくことで人間個人の救いの道が現れるというものである。たとえば

  • 3:23 「すべてのものが罪を負い、神の栄光を失った」
  • 6:23a 「罪の結果は死である」
  • 5;8 「しかし神はイエスをとおして永遠の命を与える」
  • 10:9 「口でイエスを主であるといい、心で神がイエスを死から復活させたと信じるならあなたは救われる。」
  • 10:13 「主の名を呼ぶものは誰でも救われる」

『ローマ書』はプロテスタンティズムの歴史の中で大きな意味をもった書となってきた。マルティン・ルターは1515年から1516年にかけてローマ書講義を行ったが、そこからくみ上げた思想が1517年の「95か条の論題」ににじみ出ることになり、宗教改革の口火を切ることにつながった。1738年には『ローマ書』につけられたルターによる前文を読んでいたジョン・ウェスレーが「不思議と心が温かくなる」改心体験をし、メソディスト運動につながった。1919年カール・バルトの『ローマ書注釈』の発刊は「新正統主義」と呼ばれる神学思想の始まりであるといわれる。

[編集] カトリックにおける扱い

ルターは救いに必要なものは信仰のみであるとして、救いにおける人間の行いも重視したカトリック教会を批判したが、カトリック教会では『ローマ書』2:5-11にははっきりと人間の行いの重要性も書かれているということを指摘してきた。

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