ルーマニア

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この項目では国としてのルーマニアについて記述しています。ルー大柴マニアについてはルー大柴をご覧ください。

ルーマニア</dt>
România</dt>

国旗(国章)

</dd>

国の標語 : なし</dd>
国歌 : 目覚めよ、ルーマニア人!</dd>
</dd>

公用語 ルーマニア語
首都 ブカレスト
最大の都市 ブカレスト
大統領 トライアン・バセスク
首相 カリン・タリチェアヌ
面積
 - 総計
 - 水面積率
世界第78位
237,500km²
3%
人口
 - 総計(2004年
 - 人口密度
世界第49位
22,355,551
94人/km²
GDP(自国通貨表示)
 - 合計(2005年

2,775兆9,192億レイ
GDPMER
 - 合計(2005年
世界第53位
798億ドル
GDPPPP
 - 合計(2003年
 - 1人当り
世界第45位
1,544億ドル
6,900ドル
独立 オスマン帝国から
1877年5月9日
通貨 レイRON
時間帯 UTC +2(DST: +3)
ccTLD RO
国際電話番号 40

</dd>

ルーマニアは、東ヨーロッパセルビアハンガリーウクライナモルドバブルガリアと国境を接し、黒海に面している。首都はブカレスト

国旗は公式の縦横比も含めてチャドの国旗と酷似しているが、ルーマニアの国旗のほうが、青色が若干薄い。1989年民主化までは国旗の中央に共産党政権時代の国章があしらわれており、両国の国旗は容易に区別できた。

目次

[編集] 国名

正式名称はルーマニア語で、România [romɨˈnia]。近似発音、ロムニア。マジャル語(ハンガリー語)の表記は、Románia(ロマーニア)。公式の英語表記は、Romania(ロウメイニア、ルメイニア)。日本語の表記は、ルーマニア。漢字では、「羅馬尼亜」と表す。国名の由来は、「ローマ人の国」の意味。

第二次世界大戦後、社会主義化してからの正式名称は以下のように変遷している。

[編集] 歴史

詳細はルーマニアの歴史を参照
歴史についてはモルダヴィアも参照

古代にはガタエ人(ラテン語ではダキイ人)と呼ばれる民族が居住していた。 ローマ帝国の領土となったことがあり、現在の国名もそのときの状態である「ローマ人の土地」を意味する。

紀元前513年、ドナウ川南でガタエ人の部族連合が、対スキュタイ人戦役中のペルシア王ダレイオス1世に敗れた(ヘロドトス『歴史』4巻93)。約600年後、ガタエ人(ダキイ人)は、101年から106年に渡り、2度の遠征を行ったローマ皇帝トラヤヌスに敗れた。その王国の4分の1はローマ領となり、ローマ帝国属州ダキアとなった。国歌の歌詞にトラヤヌスが登場するのは、こうした経緯からである。

238年から258年にかけて、ゴート人とカルピイ人がバルカン半島まで遠征した。ローマはドナウ川南まで後退し、以前の属領上モエシアの一部に新しく属領ダキアを再編した。

271年、かつてのダキアにゴート人の王国が建てられ、4世紀終わりまで続いた後、フン人の帝国に併呑された。中央アジア出身の遊牧民族が入れ替わりルーマニアを支配した。ゲピド人、アヴァール人トランシルヴァニア8世紀まで支配した。その後はブルガール人がルーマニアを領土に収め、その支配は1000年まで続いた。この頃の史料には、ペチェネグ人、クマ人、ウゼ人への言及も見られる。その後、13世紀から14世紀にはバサラブ1世によるワラキア公国、ドラゴシュによるモルダヴィア公国の成立が続いた。

中世にはワラキアモルダヴィアトランシルヴァニアの3公国があった。完全な独立ではなく、オスマン帝国ハプスブルク家の支配下にあった。ワラキアモルダヴィア15世紀から16世紀にかけてオスマン帝国の属国であった。モルダヴィアは1812年東部のベッサラビアロシア帝国に割譲した(パリ条約により1918年再合併)。北東部は1775年、オーストリア帝国領土となり、南東部のブジャクはオスマン帝国領であった。

トランシルヴァニア11世紀ハンガリー王国の一部となり、王位継承により1310年以降アンジュー家、ついでハプスブルク家、したがって神聖ローマ帝国領となった。後に1526年、オスマン帝国の属国となった。18世紀にはふたたびハプスブルク家(オーストリア=ハンガリー)の領地となり、第一次世界大戦の終わる1918年までその状態が続いた。

ワラキアモルダヴィアは合同し、1877年に独立宣言を行った。1878年ベルリン会議で国際的に承認され、ルーマニア王国が成立。第一次世界大戦でトランシルヴァニアを併合した。同じ1918年ベッサラビアを回復したが、これは1940年再びソ連に占領され、最終的に割譲することとなる(現在はモルドバ共和国)。

1940年第二次世界大戦が始まると、ソビエト連邦はベッサラビアなど、ルーマニアの一部を占領した。国民は列強の領土割譲に対して無為無策であった国王カロル2世を批判しついに退位せしめた。ルーマニアはドイツにつき枢軸国側として参戦した。この参戦により、ソ連が占領した地域を回復した。しかし、1944年8月の政変で独裁体制を敷いていたイオン・アントネスク元帥ら親ドイツ派を逮捕して連合国側につき、王国内のドイツ軍を壊滅した後にチェコスロバキアまで戦線を拡大し、対ドイツ戦を続けた。

戦後もソ連の影響で共産化した。しかし、ソ連とは一線を画す一国共産主義をとり西側との結びつきも強かったが、1989年ニコラエ・チャウシェスクの独裁政権がルーマニア革命によって打倒され、民主化された。

2007年1月1日欧州連合(EU)に加盟した。加盟に際しては、改革が不十分であるとして、欧州理事会によって再審査されたが、加盟後も改革を続行するとして承認された。

[編集] 政治

政体は共和制である。議会は二院制で両院とも任期は4年。大統領は任期が5年である(2004年までは任期4年)。

2004年にはNATOに参加。2007年1月にEUに加盟した。

2006年6月30日、ルーマニア最高国防評議会議長を兼任するバセスク大統領は、タリチェアヌ首相が29日イラク駐留部隊の年内撤退計画を発表したが、同評議会が同計画を拒否したことを明らかにした。同大統領は、熱烈な親米政治家として知られ、外交政策がある日突然変わってはならない、とタリチェアヌ首相を批判した。

2007年2月、選挙制度改革を進めようとする大統領と野党が対立。4月19日権力乱用を理由に大統領の職務停止案の投票が議会で行われ、賛成多数で可決された。4月20日ルーマニア憲法裁判所はバセスク大統領の職務停止を決定。バカロイウ上院議長が大統領代行に就任した。

[編集] 地方行政区分

詳細はルーマニアの県を参照

ルーマニアの地方行政は、41の県と首都ブカレストとに区分されて行われている。

トランシルヴァニア地方

  • サトゥ・マーレ県
  • マラムレシュ県
  • サラージュ県
  • クルージュ県
  • ビストリツァ=ナサウド県
  • ハルギタ県
  • ムレシュ県
  • アルバ県
  • ビホル県
  • シビウ県
  • ブラショフ県
  • アラド県
  • フネドアラ県
  • カラシュ=セヴェリン県
  • ティミシュ県
  • コヴァスナ県

ワラキア地方

  • メヘディンチ県
  • ゴルジュ県
  • ドルジュ県
  • ヴルチャ県
  • オルト県
  • アルジェシュ県
  • テレオルマン県
  • ドゥンボヴィツァ県
  • ジュルジュ県
  • イルフォヴ県
  • プラホヴァ県
  • ブザウ県
  • ブライラ県
  • ヤロミツァ県
  • カララシ県

モルダヴィア地方

  • バカウ県
  • ボトシャニ県
  • ガラツィ県
  • ヤシ県
  • ネアムツ県
  • スチャヴァ県
  • ヴァスルイ県
  • ヴランチャ県

ドブロジャ地方(黒海沿岸)

  • トゥルチャ県
  • コンスタンツァ県

[編集] 地理

西のセルビア、南のブルガリアとの間におけるルーマニアの国境は、基本的にドナウ川を境界としている。モルドバとの国境線であるプルト川もドナウ川と合流し、東に位置する黒海に注ぐ。ドナウ川の河口は三角州ドナウ・デルタ)となっており、生物保護区となっている。

これらの自然国境はそれぞれの川の流路変更によって変化する。また、ドナウ・デルタは、年に2~5 km²ずつ面積を増やすため、ルーマニアの領土面積はここ数十年、増加の傾向にある。1969年に237,500 km²だった総面積は2005年には238,319 km²となっている。

ルーマニアの地形は34%が山地、33%が丘陵地、33%が平地である。国の中央をカルパチア山脈が占め、トランシルヴァニア平原を取り囲んでいる。カルパチア山脈のうち14の山は2000m級であり、最高峰モルドヴェヤヌ峰は 2,544 mである。カルパチア山脈は南の丘陵地帯に続き、さらにバラガン平野に至る。

主要都市には、首都ブカレストのほか、ヤシティミショアラクルージュ=ナポカコンスタンツァ、クライヨヴァ、ブラショフ、ガラツィなどがある。

[編集] 経済

詳細はルーマニアの経済を参照

[編集] 国民

住民は、ルーマニア人が89%、ハンガリー人が6%、ロマ人が2%などである。ルーマニア人は古代のダキア人と植民したローマ人の混血だとされているが、異論もあるようである。

言語は、東欧唯一のラテン系言語のルーマニア語が公用語である。その他、ハンガリー語ドイツ語も使われる。

宗教は、東方正教会の一派ルーマニア正教会が87%、プロテスタントが6%、カトリックが5%などである。

チャウシェスク政権時代の人口大増進政策によってルーマニアの人口はバルカン半島一となっている。しかしそのために子供を育てきれなくなった親が子供を捨てるといった事例が続出し、大量の孤児を出してしまい、孤児院は常時満員状態となった。

[編集] 文化

ルーマニアの代表的な料理については、ルーマニア料理を参照。

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 Anul nou
3月から5月、年により移動 復活祭Paştele東方正教会の暦に従う。3日間。
5月1日 労働の日Ziua muncii 国際労働日
12月1日 国民の祝日(統一記念日) Ziua Unirii 1918年12月1日のトランシルヴァニアとルーマニアの統一を祝う。
12月25日12月26日 クリスマスCrăciunul2日間。

この他、伝統的祭日として3月1日の三月祭 (Mărţişorul) がある。これはバレンタインデーに似た祭日である。花のほかに、ペンダント・ヘッドやブローチなどを、男性から女性に贈る。紅白の細い糸を縒って作った小さなリボンを、プレゼントに結び付けるのが慣わしとなっている。

また有名な吸血鬼ドラキュラは、15世紀のワラキア公であったヴラド・ツェペシュがモデルになったとされている。

[編集] 出来事

現在ルーマニアは深刻な野犬の問題に直面している。全国で推定200万匹が野放しになっている。2005年において同国内で2万人以上が犬に襲われる被害を受けている。当局は駆除に乗り出そうとしているが、動物保護団体の激しい反対に合い対策は進んでいない。

2006年1月7日、動物愛護活動家で知られているフランスの女優ブリジット・バルドーは声明を出して駆除計画に抗議、ルーマニア当局を非難した。

[編集] 世界遺産

ルーマニア国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が6件、自然遺産が1件ある。詳細は、ルーマニアの世界遺産を参照。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 公式

[編集] その他

欧州連合加盟国</dt>

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