ルルド
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| ルルド | |
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| 国 | フランス |
| 地域圏 (Région) | ミディ=ピレネー地域圏 |
| 県 (département) | オート=ピレネー県 |
| 郡 (arrondissement) | アルジェレ=ガゾスト郡 |
| 小郡 (canton) | 2小郡庁所在地 |
| INSEEコード | 65286 |
| 郵便番号 | 65100 |
| 市長 任期 | ジャン=ピエール・アルティガナーヴ 2001-2008 |
| 面積 | 37 km² |
| 人口 | 15203 人 (1999) |
| 人口密度 | 411 人/km² |
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ルルド(Lourdes) は、フランスとスペインの国境になっているピレネー山脈のふもと、フランスの南西部のオート=ピレネー県の人口15000人ほどの小さな町。「ルルドの泉」の話が有名で、カトリック教会の巡礼地としても世界的に有名。
[編集] ルルドの泉
1858年2月、村の14歳の少女ベルナデッタ・スビルー(ベルナデットとも)が郊外のマッサビエルの洞窟のそばで薪拾いをしているとき、初めて聖母マリアが出現したといわれている。聖母を見たというベルナデッタは、教会関係者はじめ多くの人々から疑いの目を持って見られた。
しかしベルナデッタが、聖母マリアが自分を「無原罪の御宿り」であると、ルルドの方言で告げた。それは「ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・カウンセプシウ」(QUE SOY ERA IMMACULADA COUNCEPCIOU=私は無原罪のやどりである(当時のフランス語でJe suis La Immaculee Conception))という言葉であった。 これをベルナデッタは神父に告げた。これによって神父も周囲の人々も聖母の出現を信じるようになった。なぜなら「無原罪の御宿り」は「無学なベルナデッタが知るはずのない」教会用語だったからである。
ただし「無原罪の御宿り」が教義として公認されたのは1854年であって、その教義の通りにわずか4年後にルルドに聖母マリアが出現したのである。
以後、聖母がこの少女の前に18回にもわたって姿を現したといわれ評判になった。1864年には聖母があらわれたという場所に聖母像が建てられた。この話はすぐにヨーロッパ中に広まったため、はじめに建てられていた小さな聖堂はやがて巡礼者でにぎわう大聖堂になった。
以後、ベルナデッタ自身は聖母の出現について積極的に語ることを好まず、1866年にヌヴェール愛徳修道会の修道院に入って外界から遮断された静かな一生を送った。彼女自身は自分の見たものが聖母マリアであったと言ったことは一度もない。後に尋ねられた時には「(ルルドに聖母が現れ、奇跡の泉があるという)あの話に本当のことは何もありません」と否定したとも伝えられる。彼女自身、気管支喘息の持病があったが一度もルルドの泉に行くことはなく、より遠方の湯治場へ通っていた。1879年、肺結核により35歳で病没し、1933年に列聖されている。
彼女の遺体は今もって腐敗せず、修道女の服装のまま眠るようにヌヴェールに安置されている(遺体が腐敗しないことは列聖のための有力な材料となる)。
遺体は1909年、1919年、1925年の3回にわたって公式に調査され、特別な防腐処理がなされていないにもかかわらず腐敗が見られない事が確認されている。1925年の調査では、ローマとルルドの修道院に送るため聖遺物(右側肋骨2本、両膝の皮膚組織、肝臓の一部)が摘出された。また、過去の調査の影響による皮膚の黒ずみと黴・異物の沈着、ミイラ化したために鼻梁と眼窩が落ち窪むなど容姿が若干変異していたため、顔と両手の精巧な蝋製マスクが作られ、かぶせられた。
現在では、ルルドの聖母の大聖堂が建っており、気候のよい春から秋にかけてヨーロッパのみならず世界中から多くの巡礼者がおとずれる。マッサビエルの洞窟から聖母マリアの言葉どおり湧き出したといわれる泉には治癒効果があると信じられている。「奇跡的治癒」の報告は多いが、中にはカトリック教会の調査によっても公式に認められた「科学的・医学的に説明できない治癒」の記録さえ数例ある(カトリック教会が「奇跡的治癒」を認めることはまれであり、認定までに厳密な調査と医学者たちの科学的証明を求めている。但しいずれも当時の医学水準に基づくものである)。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
カトリック中央協議会:シスター・ベルナデッタの遺骸

