ユーグ・カペー
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ユーグ・カペー(Hugues Capet, 938年から940年頃 - 996年10月24日)はカペー朝初代のフランス王。
9世紀以来北フランスに勢力を伸ばしたロベール家の出身。父はフランク公兼パリ伯ユーグ大公(Hugues le Grand)、母ザクセンのヘトヴィヒはドイツ王ハインリヒ1世の娘でオットー1世の妹。
956年、父の死に伴いフランク公兼パリ伯となる。987年カロリング朝のルイ5世の死とともに、聖俗諸侯により国王に推挙された。カロリング家との王位継承闘争に勝利し、生存中に子のロベールを王位継承者に選ばせ、事実上カペー家世襲の端を開いた。在位中はノルマンディー、ブルゴーニュ、アクイタニア、フランドルなどの封建諸侯に苦しめられた。
なお、カペーとは俗人修道院長が羽織った丈の短い外套(ケープ)のことで、元はユーグに付けられたあだ名であったが、後に家名となった。
[編集] 子孫
ユーグ・カペーはヨーロッパに数多くの子孫を残した。1848年までフランスを支配した、カペー朝、ヴァロア朝、ブルボン朝、オルレアン朝の各王朝は皆彼の子孫である。 他にも、1204年のコンスタンティノープル征服後に建国されたラテン帝国家、1910年まで続いたポルトガル王家、14世紀にナポリ・ハンガリー・ポーランドを支配したアンジュー家もカペー朝の系統に属す。 又、現在スペイン・ルクセンブルクの各王室もユーグ・カペーの子孫である(厳密に言えば、カペー朝の分家であるブルボン朝出身)。
尚、ユーグ・カペーの末裔達は白百合を共通の紋章として用いている。
[編集] 外部リンク
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