ユリウス暦
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ユリウス暦(ユリウスれき)は、地球が太陽の周りをまわる周期を元にして作られた太陽暦の一種である暦法。ユリウス・カエサルによって制定され、紀元前45年1月1日より実施された。
1年を原則として365日とし、4年に1度の閏年に、2月に1日を加えて366日とする。正確な1太陽年とは、4年に約44分の誤差がある。
歴史的にはいろいろ改変され、4、5世紀頃、アレクサンドリアのキリスト教徒が用いたのはディオクレティアヌス紀元(皇帝ディオクレティアヌスの即位を紀元とする)であった。それを6世紀のローマの神学者ディオニュシウス・エクシグウスが525年ごろの著書『復活祭の書』(復活祭暦表)でローマ建国紀元754年をイエス・キリスト生誕を1年とする西暦紀元が計算された。これは、10世紀頃に一部の国で使われ始め、西欧で一般化したのは15世紀以降のことであるという。
1582年2月24日にグレゴリオ暦が発布され、同年10月4日(木曜日)の翌日を10月15日(金曜日)とされてからは、徐々に取って代わられた。
暦の切り替えはキリスト教圏でもばらつきがあり、ロシアは共産主義革命まではユリウス暦が採用されていた。 現在でも東方正教会ではユリウス暦を用いて祭礼を行なっている。ただしこれは、ユダヤ教の祭日が決まったあとでキリスト教の祭日を決定するという初期のキリスト教の祭日決定法に従うためで、東方正教会がグレゴリオ暦を導入していないわけではない(ユダヤ教は1年の長さがユリウス暦とほぼ同じユダヤ暦を基準にして祭日を決定するため、東方正教会では、完全にグレゴリオ暦に移行できないだけである)。
なお、1900年3月1日から2100年2月28日までのユリウス暦とグレゴリオ暦のずれは13日となる。
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[編集] 概要
紀元前8年以降に使われた方式は次の通り(紀元前9年以前については後述)。平年の1年の長さを365日とし、これを12の月に分割する。各月の長さは、1月から順に次のとおり。
| 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年間 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| (1)平年 | 31日 | 28日 | 31日 | 30日 | 31日 | 30日 | 31日 | 31日 | 30日 | 31日 | 30日 | 31日 | 365日 |
| (2)平年 | 31日 | 28日 | 31日 | 30日 | 31日 | 30日 | 31日 | 31日 | 30日 | 31日 | 30日 | 31日 | 365日 |
| (3)平年 | 31日 | 28日 | 31日 | 30日 | 31日 | 30日 | 31日 | 31日 | 30日 | 31日 | 30日 | 31日 | 365日 |
| (4)閏年 | 31日 | 29日 | 31日 | 30日 | 31日 | 30日 | 31日 | 31日 | 30日 | 31日 | 30日 | 31日 | 366日 |
西暦年が4で割り切れる年を閏年とし、その4年に一度の閏年には、2月の日数を増やして29日とする。閏年の日数は平年よりも1日多い366日となる。1月は、季節でいうと冬至を過ぎた頃になる。日本語では各月は1月~12月の数字で表すことが多いが、ローマではローマ神話などに基づく固有名があった。これらの月の名は、7月、8月を除いてローマ暦と同一である。また、基本的に同一月の季節もローマ暦とほぼ同じである。
[編集] 初期のユリウス暦の運用
紀元前44年から、7月は、ユリウス・カエサルの名にちなんで、Juliusと呼ばれるようになった。閏年は4年に一度と決められたが、カエサルの死後、誤って3年に一度ずつ閏日が挿入された。この誤りを修正するため、ローマ皇帝アウグストゥスは、紀元前8年から数年間、閏年を停止した。紀元8年からは毎4年ごとに閏日が挿入されている。同時に8月の名称を自分の名Augustusに変更した。
紀元前45年から紀元8年まで、どのような周期で閏年がおかれていたのかについては、詳しい記録が残っておらず、その後何度か論議になった。紀元前45年から3年おきという学者もいれば、紀元前44年から3年おきという学者もいた。1999年に、ローマ暦とエジプト暦の両方の日付が記載された紀元前24年当時の暦が発見され、それを基にした最新の説によると、紀元前45年から紀元12年までの閏年のおかれかたは次のとおりである。
紀元前44年、紀元前41年、紀元前38年、紀元前35年、紀元前32年、紀元前29年、紀元前26年、紀元前23年、紀元前20年、紀元前17年、紀元前14年、紀元前11年、紀元前8年、紀元8年、紀元12年(以後、4年ごと)。
ユリウス暦で人名が月の名となって残ったのは、結局、7月のJulius(Iulius)と8月のAugustusだけだった。多くのローマ皇帝が、月に自分の名をつけようとしたが、残りのすべての改名の企ては、その皇帝の死とともに元の月名に戻った。カリグラは9月をGermanicusと、クラウディウスは3月をClaudius(クラウディウス)と、ネロは4月をNeroneusと改名した。ドミティアヌスは10月をDomitianusと改名した。9月はアントニヌス・ピウスによってAntoninusと改名されたほか、タキトゥスによってもTacitusと改名された。11月はピウスの妻の名をとってFaustinaにされたり、Romanusにされたりした。コンモドゥスは、月に自分の名をつけるだけでなく、12の月全部の名を変更した。順に、Amazonius(1月)、Invictus(2月)、Felix(3月)、Pius(4月)、Lucius(5月)、Aelius(6月)、Aurelius(7月)、Commodus(8月)、Augustus(9月)、Herculeus(10月)、Romanus(11月)、Exsuperatorius(12月)。しかし、前述したとおり、どの改名も、その皇帝が死亡するとすぐに戻され、長続きしなかった。
[編集] 各月の長さ
13世紀のサクロボスコによれば、最初期のユリウス暦での月の長さは規則的に、1ヶ月おきに大の月と小の月が来るようになっていた。サクロボスコによれば、最末期、紀元前46年まで使われていたローマ暦の各月の日数は1月から順に次の通り。
- 30, 29, 30, 29, 30, 29, 30, 29, 30, 29, 30, 29。合計354日。
この暦の日数は、ユリウス暦の1年の日数に比べ、11日少ない。サクロボスコは、改暦の際2月を除く各月の日数が1日ずつ増やされ、閏日は2月末に付け足されると考えた。サクロボスコによれば、最初期、カエサルが制定した各月の日数は次のとおり(かっこ内は閏年での日数)。
- 31, 29(30), 31, 30, 31, 30, 31, 30, 31, 30, 31, 30
そして、皇帝アウグストゥスが、8月を自分の名に変更するのと同時に、8月の日数を増やし、各月の日数を次のように変更したと考えた(かっこ内は閏年での日数)。
- 31, 28(29), 31, 30, 31, 30, 31, 31, 30, 31, 30, 31
8月の日数を増やしたのは、自分の名をつけた8月が、ユリウス・カエサルの名にちなんだ7月よりも日数が少なくなることを嫌ったからだとされる。この結果、大の月と小の月が交互にやってくるという、ローマ暦の原則が破壊された、と、サクロボスコは考えた。
しかし、サクロボスコのこの考えは明らかに間違っている。いくつかの証拠から、ローマ暦末期の各月が、大の月、小の月の順に交互にやってきていなかったことがわかっている。(詳細な証拠については、Wikipedia英語版のの項目を参照のこと)。ある証拠によれば、ローマ暦末期、カエサルが改暦をする前から、3月、5月、7月、10月はもともと大の月で固定されていた。ローマ暦とユリウス暦では、大の月の第15日目はイードゥースという特別な名で呼ばれていたため、月の日数への言及がなくても、ある年のある月のイードゥースに関する言及があれば、その月の日数を推測することができるのである。なお、小の月ではイードゥースは第13日目になる。イードゥースのほかにも、ノーナエという特別な名で呼ばれた日付があり、これを使っても月の日数を推定できる。これらについては、ローマ暦の項目を参照のこと。
ローマ暦末期のそれぞれの月の日数は、当時の、壁に描かれた暦から、おそらく次の通りである。
- 29, 28, 31, 29, 31, 29, 31, 29, 29, 31, 29, 29
サクロボスコの理論は、3世紀と5世紀の学者、CensorinusとMacrobiusとも食い違い、また、ユリウス暦初期のVarroによって記録された紀元前37年の暦とも食い違う。また、前述した、1999年にエジプトで発見された紀元前24年の暦では、既に8月の日付が31日まであり、これとも食い違う。ウィキペディア英語版によれば、紀元前12年より前、祭事の日付による逆算で、既に2月の日数が28日であった証拠があるという。
[編集] 新年
ローマ暦は1月1日が新年初日で、これはユリウス改暦後も新年であった。しかし、各地ではユリウス暦の導入後も、これとは異なる日付を新年初日とした。エジプトのアレクサンドリア暦では8月29日(アレクサンドリア暦の閏年の後では8月30日)に新年が始まる。いくつかの暦では、アウグストゥスの誕生日9月23日に新年を合わせた。ビザンチン暦はインディクティオに由来して9月1日に始まる(これは今でも東方正教会の典礼暦における新年である)。
中世のカレンダーは、ローマ人がしていたように1月から12月をそれぞれ28から31日までの日を含む12の縦の列として表示し続けたため、すべての西ヨーロッパ諸国(すなわちローマ・カトリック教会を信奉する諸国)は、1月1日を「元日」(または同等の名称)と呼び続けた。しかし、これらの国のうちのほとんどは、12月25日(クリスマス)、3月25日(受胎告知)、あるいはフランスのように復活祭に新しい年を開始した(詳細については典礼暦の記事を見よ)。
2、3のイタリア都市国家を除く、ほとんどの西ヨーロッパ諸国は、グレゴリオ暦を採用する「前」、それらがまだユリウス暦を使っている間、多くの場合は16世紀の間に、新しい年の最初の日を1月1日に移した。以下の表は、各国が新年として1月1日を採用した年を示す。
| 国 | 1月1日を採用した年<ref>Mike Spathaky Old Style and New Style Dates and the change to the Gregorian Calendar: A summary for genealogists</ref> |
|---|---|
| ヴェネツィア共和国 | 1522年 |
| 神聖ローマ帝国<ref>The source has Germany, whose current area during the sixteenth century was a major part of the Holy Roman Empire, a religiously divided confederation. The source is unclear as to whether all or only parts of the country made the change. In general, Roman Catholic countries made the change a few decades before Protestant countries did.</ref> | 1544年 |
| スペイン, ポルトガル, カトリックのネーデルラント | 1556年 |
| プロイセン, デンマーク, ノルウェー | 1559年 |
| スウェーデン | 1559年 |
| フランス | 1564年 |
| ロレーヌ | 1579年 |
| プロテスタントのネーデルラント | 1583年 |
| スコットランド | 1600年 |
| ロシア | 1700年 |
| トスカーナ | 1721年 |
| イングランド | 1752年 |
[編集] 関連項目

