モンゴロイド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
モンゴロイドとは、人種の一つ。黄色人種、モンゴル人種とも言う。黄色人種と一括りでいうものの、実際の肌の色は茶褐色から淡黄白色と地域差が大きい。
モンゴロイドは、東アジア、東南アジア、南北アメリカ大陸を中心に分布する。またモンゴル帝国に見られるような世界進出の結果、南アジア、中央アジア、東ヨーロッパなどにも分布域を広げてきた。
なお、オーストラリアに住むオーストラロイドは別の人種とされる。 また、南北アメリカ大陸のネイティブアメリカンをモンゴロイドから分岐した別人種とする考え方もある。
虹彩の色は、濃い茶色である。淡い茶色の場合もあるが、濃い茶色ほど多くはない。髪は黒く、太い直毛のことが多いが、波打った髪を持つ者もいる。また、モンゴル人などの北方のモンゴロイドでは、幼少のころは金髪に近い、明るい茶色の髪をもっていることも少なくない。
目次 |
[編集] 概要
[編集] モンゴロイドの出現
1.現在の通説
アフリカにおいて現生人類の直系の祖先(ホモ・サピエンス)が出現し(人類のアフリカ単独起源説)、一部がユーラシア大陸の中東地域に進出、その後中東地域からヨーロッパ(地中海周辺)及び南アジア(インド周辺)に進出する。このアフリカ大陸からユーラシア大陸に進出したグループの一部が、ヒマラヤを超え東南アジア・東アジア方面に進出、これが、今日のモンゴロイドの直系の祖先となった。
また、東北アジアのモンゴロイドの一部は、当時陸続きであったベーリング海峡を渡りアメリカ大陸に進出、現在のネイティブアメリカンの祖先となった。(ネイティブアメリカンがモンゴロイドの子孫であることには世界的にも異論が無い。しかし近年は、ネイティブアメリカンをモンゴロイドから分岐した新人種とする考え方も提唱されている。)
- この図は世界の18人類集団の遺伝的近縁関係を23種類の遺伝子の情報をもとに近隣結合法によって作成された「人種」の遺伝的近縁図である。
2.これまでの説
①ユーラシア大陸東部に居住したモンゴロイドは、既に絶滅したとされる北京原人やジャワ原人の子孫であるという説。 500万 - 400万年前にアフリカで生まれた人類の祖先は60万 - 50万年前に現在の中国の地域及び東南アジアへ拡散したが(北京原人やジャワ原人)、氷河期最盛期に絶滅したようである。
②一方ユーラシア大陸西部にて、現代人の直系の祖先であるクロマニヨン人と既に絶滅したネアンデルタール人とが共存した時代を有することから、現代の欧州人がネアンデルタール人の血を引いているとの説もあった。それと同様に、モンゴロイドも(北京原人やジャワ原人)と現生人類との混血であるとする説が唱えられた。
- ※上記の説は、DNA分析の結果等から、現在ではいずれも否定されている。
[編集] 有史以前のモンゴロイドの居住地拡大
寒冷適応とともに、極寒地域で必然的に高度の技術力を有するに至ったモンゴロイドは、当初は少数部族であったと推測される。 しかし、有史以前のある時期南下を始め(諸説あるが気候の変動やそれに伴うマンモス等大型動物の減少や絶滅も一因と考えられている)、ユーラシア大陸東部において急速に人口増加した。しかし、ユーラシア大陸中部の乾燥地帯、南部のヒマラヤ山脈が障害となり、現在の東アジア・東南アジア以外には居住地の拡大はできなかった。
一方東北部のモンゴロイドは、ベーリング海峡伝いに南北アメリカ大陸に進出し一挙に居住地域を拡大した。南北アメリカ大陸では、モンゴロイドの定着以前には人類は全く存在していなかったとの説が有力である。
またモンゴロイドの一部は、スンダランドを経て東南アジアから太平洋に漕ぎ出し、イースター島やニュージーランドにまで到達している(今日のポリネシア人、ミクロネシア人)。
さらに、インドネシアの一部のモンゴロイドは、古代に稲作文明を携えてアフリカのマダガスカル東部地域にも居住地域を拡大したとされる。(途中のインド洋島嶼部の多くは無人島で、且つアフリカ東部や中近東の陸地伝いには彼らによる移動の痕跡がみられないため、反対方向に向かったラピタ人やポリネシア人と同じく、相当高度な航海技術によって海上ルートを進んだと思われる。
- ※オーストラリアやニューギニア、インド洋アンダマン・ニコバル諸島などに居住するオーストラロイドをモンゴロイドの祖先とする考え方があるが、DNA分析により現在では否定されている。
[編集] 有史以降のモンゴロイドの居住地拡大
中央アジアに居住したモンゴロイドの集団は遊牧生活の中で身につけた騎馬技術に長けたため、古代から中世においては軍事的に優位な存在であり続けた。 中央アジアのモンゴロイドはこの軍事的優位を武器に、コーカソイドの居住地域である東ヨーロッパ及び中東・南アジア(インド亜大陸)に進出した。特に中世におけるモンゴル帝国はユーラシア大陸の東西に及ぶ巨大な勢力圏を築くに至った。遊牧民であるモンゴル人は、軍事遠征の際は家族・家畜を帯同し部族全員で移住しながら行動を続けた。このためモンゴル人の侵入を許した地域では、モンゴル人と原住民の混血がおこった。
- ※ロシア史におけるタタールの軛(くびき)や、延いては黄禍論に代表されるように、現在でも欧州人には中世のモンゴル帝国によるモンゴル人の襲来はトラウマとなっている。フランスでは今日でも泣く子供をいさめるべく、「泣く子のところにはモンゴル人が来る」と伝承されている
(注1)ハンガリー、フィンランドなどの東方から移民してきた集団を祖先に持つ人々が黄色人種起源というのはこんにちでは俗説という考えが有力である。かつて、そういう認識があったのは、彼らがウラル・アルタイ語族とされていたのが原因である。現在ではこの二つの語族、ウラル語族、アルタイ諸語は全く別のものと考えられている。 参考サイト(ブログ) 参考サイトその2(ブログ)
参考までに、北方モンゴロイド特有の酒が飲めない「下戸遺伝子」の比率は、日本人が44%、ハンガリー人が2%、フィン人が0%となっている。(出典:『科学朝日』 モンゴロイドの道 朝日選書 (523) )
- 解説
- 1.下戸遺伝子とは、アセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH)の487番目のアミノ酸を決める塩基配列がグアニンからアデニンに変化したもので、モンゴロイド特有の遺伝子である。
- 学術的な参考サイト
[編集] 日本
いわゆる日本人は、縄文時代からの住民縄文人を基層とし、稲作文明を携えて、いずれも大陸から渡来した渡来人及び、縄文人との混血による民族といわれている。古代の採取狩猟社会では、いわば縄張り争いのライバルとも言える異集団同士が出くわすと、男性同士では殺し合いとなり、片方が女性である場合は強姦・混血化となっていたものと推測される。しかし、日本においては古代のイギリスにみられるような比較的大きなトラブルも無く、渡来人が先住系の人々と早くから混血化していったものと推測される。その理由として有力なものは、稲作文明には共同作業が重要であり、渡来人にとっての縄文人は決して採取狩猟社会上のライバルではなく、必要な労働力とする考えがあったことと、日本列島へ到着するためには高度の航海技術を要するため、一口に渡来人といっても、現実には波状的に様々なルートから少しずつの単位で渡来してきたため、たとえ高度な文明を携えていたとはいえ、多数派の先住民族である縄文人を武力制圧することは不利であり、言語含めて縄文文化への積極的な融合が図られたものと考えられる。更に、日本列島全域に分布する縄文遺跡から、埋葬様式等の発掘調査において縄文人が人情が厚く心優しい人種であったことが伺える。もっとも地域的に混血化の度合いは大きく異なり、近畿地方を中心として、列島周囲に行く程縄文人の血が濃くなり、北海道と沖縄地域でもっとも縄文人の血が濃くなる。日本語の構造は漢字の読み方で音読みと訓読みとが並存するように、世界的には珍しい二重構造となっている。音読みは今日の中国や朝鮮半島との近縁関係が明らかであるため、渡来人によりもたらされ、現存する言語と言われている。一方、音読みとはほとんど類似性の無い訓読みは、現在のアイヌ語に類似関係が残されているため、縄文文化の痕跡と考えられている。
一方で、古代日本人が全くトラブルも無く平和に融合した訳では無く、征夷大将軍に対する東北地方でのアテルイの反乱にみられるように、一部には武力衝突や強制的征服があった史実を完全には否定はできない。蝦夷や隼人による大和朝廷への反逆は、現在の日本社会では幸いにも禍根を遺さないが、史実としては存在する。また、桃太郎による鬼が島への鬼退治の物語は、縄文人への武力制圧という説もある。
- アイヌは、近年では縄文人の直系の子孫とされている。ところが明治時代の研究では、単純に風貌からコーカソイド説が唱えられ、欧米ではかなりの反響もあった。同様に、その風貌からオーストラロイド系と同種とする学説までも唱えられた。だが、今日では言語学的研究及び、遺伝学的な証拠も伴って学術的に否定されている。最新の研究によれば、上述したように日本列島及び琉球列島全域に居住していた縄文人の居住地域に、弥生時代に渡来人との混血化が進み、今日のいわゆる日本人が出来上がったものの、稲作不能な北海道地域へは渡来人による稲作文明の影響、つまり年貢を基盤とする大和朝廷による支配が及ばないまま数世紀を経たため、単純に、北海道地域に元々居住していた縄文人が文化的には発展を遂げたものの人種的には変わらないままの人々が、独自のアイヌ民族として、社会的に認知されるに至っただけとされる。
[編集] その他
1.特徴比較 寒冷地域に適合した体質として、凹凸の少ない顔立ち、蒙古ひだ、体毛、特に男性のひげの少なさ、耳垢が湿ったあめ状ではなく乾燥した粉状となり、わきがの原因となるアポクリン汗腺が少ないこと等がある。例えば、凹凸の少ない顔面では、体温熱を放散する面積も少ないので寒冷適応の痕跡であり、蒙古ひだは極寒の環境から瞳を守る。ひげは、呼吸により凍傷の原因となるため、却って有害である。今日のモンゴロイドにおいても、出生児のほとんどに蒙古斑や、蒙古ひだが出るなどの特徴を持つ。ヨーロッパ最北部北極圏のコーカソイドであるラップランドの原住民族も、極寒での寒冷適応の結果、顔立ち等の風貌上はモンゴロイドと酷似している者が多い。一方、永くユーラシア大陸西部の乾燥地域で過ごしたコーカソイドは、乾燥した空気を呼吸の際に湿らす必要性から鼻腔が広くなり、その結果鼻が高くなった点で、乾燥適応したものといえる。
- なお、酒に弱い下戸といわれる体質は、コーカソイドやネグロイドでは皆無で、旧モンゴロイドでもあまりみられない、新モンゴロイドの特徴的な体質である。2万年程前に、まだ一部の少数民族に過ぎなかった新モンゴロイドで、アルコールを消化するための酵素(注1)を体質的に有さない突然変異を生じた者がおり、かかる者が膨大量の子孫を残した結果、日本を含め東アジア地域に下戸が多いと考えられている。なお、下戸は特に新モンゴロイドの遺伝的割合が高い近畿地域ほどその割合が高く(注2)、また中国人でも毛沢東やブルース・リー(李小龍)は一口も飲めないほどの下戸であった逸話は有名である。
2.旧モンゴロイドと新モンゴロイド ユーラシア大陸東部のモンゴロイドは、寒冷適応の程度の軽重によって、更に旧モンゴロイド、新モンゴロイドに大きく区分されるが、厳密な区分けは混血化が進んだ今日では不可能であり、モンゴル地域、中国東北部、朝鮮半島には新モンゴロイドが比重として圧倒的に多いのに対し、大陸南部や島嶼部へ行く程旧モンゴロイドの比重が高まっている。
(注1)新モンゴロイドや旧モンゴロイドという呼び方はあくまで極寒地域の環境に適応した形質的な表現方法であって、決して旧モンゴロイドが新モンゴロイドに進化したわけではない。形質というのはここ数万年で環境に適応した結果だからだ。(皮膚の色は二千年もあれば変わり、骨格は一万年もあれば変わる。明治期の日本人の顔写真からも明らかなように、平均的日本人の顔立ち自体が100年強で大幅に変化している)しかし、遺伝子は環境によって変化されない。そういった理由から現在の人類学では形質研究より遺伝子研究が信頼性が高く重視されている。遺伝子的に南方系モンゴロイドと北方系モンゴロイドは区分されるが、新モンゴロイドや旧モンゴロイドといった区分は存在しない。
[編集] 分布
[編集] アジアのモンゴロイド
[編集] 太平洋のモンゴロイド
[編集] アメリカ大陸のモンゴロイド(アメリンド)
[編集] 関連項目

