モヒカン族

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モヒカン族MohicanMahican)とはアメリカ先住民の部族。

ニューヨーク州ハドソン川上流、キャッツキル山地に住んでいて、狩猟や魚を捕まえたりして生活していた、アルゴンキン語族系に属するネイティブアメリカンである。18世紀に病気や戦いなどで大勢のモヒカン族が死んだが、ウィスコンシン州にストックブリッジ・モヒカン族として現在でも生き残って暮らしている。ほかにもニューヨーク州マサチューセッツ州でも少数ながらコミュニティを結成して暮らしているのもある。

モヒカン刈り又はモホーク族から因んでいるモホーク刈り(モホーク族もこの髪型をしていた)としてしられる髪型をしている事で有名である。頭部の左右を丸刈りあるいは剃髪して中間部分の髪だけを残す独特な髪型で知られるが、この髪型をする者は主に戦士だけである。しかし戦士が戦いに参加する時もこの髪型はあまり使わなかった。多くのモヒカン族は頭部にタトゥーをしていた。

モヒカンとは「オオカミ」を意味する「Mahiingan」だが、 同じアルゴンキン語族系で部族名が似たモヒガン族が彼ら部族の事をそう呼んでいたためである。反対にモヒカン族は彼らの事を「Muheconneok」(ハドソン川の彼らの名前)と呼んでいたが、両方とも名前はそれほど類似していなかった。言葉は多少類似していたが、モヒガン族の言葉はピクォート族の言葉に近かった。

ワンパノアグ族デラウェア族とは友好を結び取引をしていた。モホーク族やイロコイ連邦の部族とは敵にして戦っていた。特にマンシー族とはウィスコンシン州で盟友を結んでいたため、一緒に構成される集団を結成している。

1609年オランダ東インド会社に所属していたイギリスヘンリー・ハドソンはモヒカン族の土地・マヒカニタックに辿り着いた。 ハドソンは、ビーバーカワウソオランダ人が最も望んだ毛皮の種類)が豊富に生息している事に気が付き、1614年までにオランダはビーバーなどの毛皮が取れるハドソン川流域に植民を築いて、キャッスル島と呼ばれる島で確立された。その頃、この地に定住する、モヒカン族は敵対するモホーク族と間で緊張が続き戦いっていた。結局モヒカン族は領有していたマヒカニタックの西から追い出された。その後、イギリスがオランダに代わり入植地を領有すると、さらにモヒカン族の土地は奪われ追い出されてしまった。さらにヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘麻疹ジフテリア猩紅熱と言ったアメリカ先住民が知らない病気により多くのモヒカン族が死んだ。生き残った一部のモヒカン族はデラウェア族とイロコイ連邦の部族の付近の部族に避難を求めた。が、しかし多くの部族の者はストックブリッジ(現マサチューセッツ州)に移住して行った。そしてモヒカン族はストックブリッジ・インディアンと呼ばれるようにるが、ウィスコンシン州に再び追い出された。そこでモヒカン族はマンシー族と盟友を結び、ストックブリッジモヒカン族とマンシー族は現在に至るまで一緒に生き残っている。

[編集] 関連作品

  • 小説『モヒカン族の最後』
  • 映画『モヒカン族の最後』(1920年
  • 映画『ラスト・オブ・モヒカン』(1992年

[編集] 外部リンク

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