モサド

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イスラエル総理府諜報特務局(いすらえるそうりふちょうほうとくむきょく)                  

(ヘブライ語המוסד למודיעין ולתפקידים מיוחדים/ハ‐モサッド・レ‐モディイン・ウ‐レ‐タフキディム・メユハディム)

「モサド」という呼び方が一般化しているイスラエルの国家機関で総理府管下に在る諜報特務局。文字通りイスラエル国外での諜報活動と特務工作に従事。

目次

[編集] 語義 

「モサド」という言葉はセム系言語ヘブライ語の一般名詞「モサッド(מוסד)」が日本語的に訛ったもの。施設や組織、または機関といった意味で広く使われる。総理府諜報特務局のヘブライ語正式名ハ‐モサッド・レ‐モディイン・ウ‐レ‐タフキディム・メユハディムの最初の部分「ハ‐モサッド(המוסד)」を、総理府諜報特務局を表すものとして固有名詞的に呼ぶ事はイスラエルでも一般的。

[編集] シオニスト諜報史 

伝統的にシオニストの間では対外諜報活動を覆い隠す隠語として「政治(的)」という言葉が使われる事が多いようである。

例えば、ユダヤ機関の外交部兼対外情報部であったのは「政治局」だし、入植地共同体の自主防衛組織ハ‐ハガナー情報部「シャイ」の教育機関は「政治学校」と呼ばれた。ハ‐モサッドの基礎になったイスラエルの外務省旧情報部は「外務省政治局」であったし、再建された外務省新情報部「ママッド」とは「外務省政治研究所」」[1]の意のヘブライ語の省略系である。

ハ‐アレッツ紙によるとママッドは近年急速に力を付けているが、ツィッピー・リヴニ現外相がかつて諜報特務局「ハ‐モサッド」要員であった事が少なからず影響している事は安易に推測出来る。当時のリヴ二の優秀さは、諜報特務局「ハ‐モサッド」内で現在でも語り草となっている。[2]

[編集] 2つの源流‐ユダヤ機関政治局とハ‐ハガナー情報部 

現在のハ‐モサッドの源流は主に2つある。1つは英国国連委任統治領パレスチナのユダヤ人入植地共同体「ハ‐イシューブ」の事実上の政府であったユダヤ機関[3][4]外交部であった「政治局」である。「ユダヤ機関政治局」の歴代局長にはハイム・アルロゾロフ[5][6](局長任期1931-33*)や後に外相、そして首相となるモシェ・シャレット(局長任期1933-48)などが務めた。ハ‐モサッド創設者のルーヴェン・シロアッハはユダヤ機関政治局局員であった。

もう1つは1940年(**1939年説も在る)にユダヤ機関服属の形で創設されたハ‐ハガナー情報部「シャイ(シェルート・ハ‐イェディオット=秘密情報部の意のヘブライ語頭文字シンとユッドの略」である。シャイはテルアビブに本部を置き各情報組織統合と調整及び人材交流に乗り出す。ハ‐ハガナ情報部「シャイ」は創設当初からハ‐イシューヴ(パレスチナ/エレッツ・イスラエルのユダヤ人入植地共同体)主流派の自主防衛組織ハ‐ハガナーと協力関係にあった。ハ‐ハガナー情報部「シャイ」は1942年にエルサレム支部開設して、同地に本部を置くユダヤ機関政治局と組織的境界が見えない程に緊密な関係構築。同年イスラエル・アミール[7]が部長に選ばれるとハ‐ハガナー情報部「シャイ」はハ‐ハガナーの直接指揮下に入り、ハ‐イシューブ情報活動の統括的組織と位置付けられた。 ハ‐ハガナー情報部「シャイ」幹部にはユダヤ機関政治局局員兼任のルーヴェン・シロアッハやイセル・ハルエルなどがいた。シャウル・アヴィグールは、ハ‐ハガナー不法移民支援部「ハ‐モサッド・レ‐アリア・ベイト」部長兼任。 (*ユダヤ機関政治局局長ハイム・アルロゾロフ(1931-33)はテル・アビブでシオニスト修正派らしき者に暗殺された。) (**ハ‐ハガナー情報部「シャイ」のハイファ支部に所属し、後にハ‐モサッド要員であったアサ・レェフェン氏によると、ハ‐ハガナー情報部「シャイ」は1939年末のハ‐ハガナー指導部更新時、ハ‐イシューブ内の裏切り者や内通者による秘密漏斗を妨げる使命を持ち創設された。)

[編集] ハ‐ハガナー情報部「シャイ」の担当部局 

ハ‐ハガナー情報部「シャイ」は諜報活動対象別に次の部局に分かれていた。

  • 政治課
対外情報部局。ハ‐モサッドの直接の源流。ボリス・グリエルが課長。
  • 総合課
対英情報活動。委任統治政府や警察、イギリス軍が対象。
  • アラブ課
委任統治パレスチナアラブ人を監視。当時は小規模だった。
  • 対共産主義者課*
パレスチナ共産党[8][9]ユダヤ人及びアラブ人を監視。)
  • ユダヤ課
ハ‐イシューヴ非主流の修正派[10][11]地下組織エツェル(後のイスラエル首相メナヘム・ベギンが所属)やレヒ(後のイツハク・シャミル首相が所属)を監視。主流からの分離派「ポルシム」やハ‐イシューブの内部「プニム」を担当する事から「P課」と呼ばれた。

(*資料によって担当部局の違いがある。その場合は対共産主義者課がユダヤ課や総合課に含まれる。ハ‐ハガナー情報部「シャイ」やユダヤ機関政治局の情報活動に関してハイファ大学[12][13]イスラエル研究科[14]のヨアブ・ゲルベル[15][16]教授が詳しい本を2冊書いている。)

[編集] ユダヤ人を監視する 

この修正派ユダヤ人を監視するユダヤ課課長が、後にシャバックと発展改名するシン・ベイトの創設者イセル・ハルエル[17]である。伝説的ハ‐モサッド長官となるハルエルには国家安全保障任務遂行と私的政治活動を峻別しなかったという批判が付きまとう。ハルエルは自身のパトロンであるダヴィド・ベン=グリオン首相の政治的立場を強化する為にメナヘム・ベギンなど修正派やシオニスト最左派、非シオニストを追い回した。ここにマパイ党[18]の強権的体質がみえる。イスラエルのエスタブリッシュメントであるシオニスト左派はタカ派でシオニスト修正派は超タカ派という分類が適切である。

[編集] イスラエル国独立 

1947年11月29日、国際連合によりパレスチナ/エレッツ・イスラエルの分割が最終的に決定されると、アラブ系住民とシオニストとの間で『パレスチナ内戦』が始まる。第二次世界大戦時に連合軍に参加した兵員を加え圧倒的に有利なシオニスト軍は、1948年3月10日にダレット計画というアラブ系住民の大量追放計画を実行に移した。同年5月14日にはダヴィド・ベン=グリオンによる独立宣言を経て、同月26日にイスラエル国防軍が創設される。

[編集] コミュニティーの成立 

イスラエル国防軍創設直後の6月30月にハ‐ハガナー情報部「シャイ」は解体となる。そして3つの組織に再編されてイスラエルにおけるインテリジェンス・コミュニティーの成立を見る。

  • イスラエル国防軍作戦部情報課「ママン」 (ממ"ן)
マフラカット・ハ‐モディイン=情報部局の意のヘブライ語頭文字מ(メム)מ(メム)נ(ヌン)の略。現在のイスラエル国防軍情報部「アマン」。
  • イスラエル国防省保安局「シン・ベイト」 (ש"ב)
シェルート・ハ‐ビタホン=保安局の意のヘブライ語頭文字ש(シン)ב(ベイト)。創設当初しばらくは国防省傘下であった。1949年9月現在の名称イスラエル総理府総保安局「シャバック」となる。1950年以降は総理府管轄。
  • イスラエル外務省政治局
ルーヴェン・シロアッハ外務大臣特務問題顧問が最高責任者の外務省政治局(ハ‐マフラカ・ハ‐メディニィート)が現在のイスラエル総理府諜報特務局「ハ‐モサッド」の前身となる。外務省政治局局長にはボリス・グリエルが就任。シモン・ペレスの弟ギギー・ペレスも所属していた。

[編集] 外務省政治局 

独立直後のイスラエルにおいて外務省政治局が対外諜報活動を担当していたが、その派手な浪費振りは耐久生活が続く建国期の質実剛健の気風に合わず、他の情報機関から反感を買っていた。特にイセル・ハルエルは厳しい批判をした。さらに外務省政治局の情報の質が低かったので政策決定者、安全保障問題専門家共に危機感を持った。これらの必要性から、対外諜報を扱う強力な中央情報機関が望まれた。

[編集] 調整機関「モサッド」創設 

モシェ・シャレット外務大臣の特務問題顧問ルーヴェン・シロアッハの勧めにより、ハ‐モサッドは上記3組織の諜報活動の調整機関として1949年12月13日*に総理府と外務省両属という形で諜報保安集中調整局「モサッド・レ‐リクーズ・ウ‐レ‐テウーム・シェルテイ・ハ‐モディイン・ヴェ‐ハ‐ビタホン」として創設された。

[編集] 初代長官ルーヴェン・シロアッハ 

初代長官にはルーヴェン・シロアッハ自らが就任。この移行期に対外諜報機関として外務省政治局と諜報保安集中調整局は並存し段階的に外務省政治局の権限と「資産」を吸収。 (*ハ‐モサッド公式ホームページには、1949年12月13日はハ‐モサッドの正式な創設日と認識されている。[19]。)

[編集] 外務省スパイ達の反乱 

諜報保安集中調整局による外務省政治局支配に諜報員は猛反発した。外務省スパイ達の反乱である。その際に外務省政治局諜報員達は秘密情報報告書を燃やしたりして抵抗。ついに、集団辞職へと発展した。1951年3月に外務省政治局は廃止された。

[編集] 諜報特務局「ハ‐モサッド」 

諜報保安集中調整局は諜報特務局「ハ‐モサッド・レ‐モディイン・ウ‐レ‐タフキディム・メユハディム」と名を改めると同時に最終的に外務省影響下を脱して総理府管轄へ移る。ここにイスラエル諜報活動においても、1930年代後半までシオニストのパトロンであった英国型を脱し、イスラエルが新しいパトロンと見なした米国の影響を受ける事になった。

[編集] 初期の長官 

イセル・ハルエルは2代目長官として1952年から1963年まで任務に就いたが、1952年にはイスラエル総理府総保安局「シャバック」長官兼任し『安全保障問題担当者』という特別ポジションについた。

[編集] イスラエル・インテリジェンス・コミュニティー

現在のイスラエル・インテリジェンス・コミュニティーは5つの情報組織で構成されている。諜報特務局「ハ‐モサッド」歴代長官が議長を務める。

[編集] 要員数の推定

情報機関員推定数はその秘密性から正確な数字は分からない。だが、日本の首相官邸ホームページには西側有力情報機関員推定数が載っており[20]、それによれば諜報特務局「ハ‐モサッド」推定要員数は1500~2000人位となっている。これはイギリス情報局秘密情報部推定要員数2000人に匹敵。だが、人口比で換算するとイスラエルイギリス総人口は約10倍の開きがあり、イスラエルは人口当たり10倍の英国の対外諜報部員を抱えている事になる。

[編集] 概要

情報収集、秘密工作(準軍事的な活動および暗殺を含む)および対テロリズム活動、逃亡している元ナチス戦犯の捜索などを行い、その焦点は主にアラブ国家などの敵対国に向けられ、組織の拠点は世界の至る所に存在する。ハ‐モサッドは「民間のサービス」という名目で、スタッフはすべて、イスラエルの徴兵システムの一部としてイスラエル国防軍に採用されるが、軍隊の階級を使用しない。また、それらのうちの多数は士官である。ハ‐モサッドの実力はアメリカの諜報機関CIAと肩を並べるかそれ以上と言われている。 過去の歴史的経緯によりユダヤ人は世界に散り、長い年月を経て再びイスラエルに戻ってきた。このため各民族との混血が進み外見だけではユダヤ人と判別できない人々や各国語に堪能である人々などが多く、イスラエルでは情報収集や潜入工作の適材集めに事欠かない。また、世界各国にユダヤ人ならではの人脈もあり、諜報活動においては他国の追随を許さない。

[編集] ハ‐モサッド歴代長官

  • ルーヴェン・シロアッハ(1949-1952)
  • イセル・ハルエル(イッサー・ハーレル)(1952-1963) איסר הראל
  • メイール・アミート(1963-1968) מאיר עמית
  • ツヴィ・ザミール(1968-1974) צבי זמיר
  • イツハク・ホフィ(1974-1982) יצחק חופי
  • ナフーム・アドゥモニ(1982-1989) נחום אדמוני
  • シャブタイ・シャヴィット(1989-1996) שבתי שביט
  • ダニー・ヤトゥーム(1996-1998) דני יתום
  • エフライム・ハレヴィ(1998-2002) אפרים הלוי
  • メイール・ダガン(2002-) 

[編集] 関連項目

[編集] 参考資料

  • 憂国のスパイ イスラエル諜報機関モサド (ゴードン・トーマス)


[編集] 外部リンク

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