ボニーとクライド
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ボニーとクライド(Bonnie and Clyde)は、1930年代前半にアメリカ中西部で、銀行強盗や殺人を繰り返した、ボニー・パーカー(Bonnie Parker 1910年10月1日 - 1934年5月23日)とクライド・バロウ(Clyde Barrow 1909年3月24日 - 1934年5月23日)の有名な犯罪者カップル。
ルイジアナ州アーケディアで警官隊によって射殺されるまで、沢山の殺人に関与し、数え切れないほど多くの強盗を犯した。当時のアメリカは禁酒法と世界恐慌の下にあり、その憂さを晴らすように犯罪を繰り返す彼らの事を凶悪な犯罪者であるにも関わらず、新聞も含めて英雄視する者も多かった。後にボニーとクライドの犯罪は映画化されるが、事実をそのまま伝えるというよりも、その波乱に満ちた人生とふたりの恋にスポットが当てられており、どちらかというと美化されたものが多い。
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[編集] ボニーとクライドが出会うまで
[編集] ボニー・パーカーの場合
ボニー・パーカーはテキサス州ローウェナ出身。両親と兄妹の5人家族だったが、1914年に父親が死去したため、祖母の家があるダラス近郊セメントシティーに引っ越す。セメントシティーは治安が悪く、子供をまともに育てるのに適した環境では無かった。
当時のボニーの学校の成績は良かったが、逆上すると手がつけられなくなるという二面性を持っていた。そして、高校の同級生だったレイ・ソーントンと16歳で結婚し、18歳の頃からカフェでウエイトレスとして働き始める。翌年に、レイが銀行強盗の容疑で刑務所に入れられたために離婚を考えるが、結局籍はそのままに、法的にはボニーとレイとの婚姻は生涯継続されている。
1930年に彼女はクライドに出会い、彼に「危険な香り」を感じてひとめぼれし、以後行動を共にすることになる。
[編集] クライド・バロウの場合
クライド・バロウはテキサス州ダラス近郊のテリコ出身。貧しい農家に、8人兄弟の6番目の子として生まれる。忙しかった両親に代わって、姉が面倒を見ていたが、親戚に預けられることもあった。
クライドは、子供の頃から動物虐待を行うなど粗暴なことで有名で、17歳の頃に兄も所属していたギャングに入っている。クライドの初めての犯罪は、クリスマス前に行った七面鳥泥棒だった。そして、1926年に自動車窃盗で逮捕されている。しかし、家族からは警察へ厄介になった事を非難されることも無く、むしろ擁護する態度をとられている。そのため、クライドは友人の家でボニーに出会うまでの4年間に、ダラス近辺で強盗を続けていた。
[編集] ふたりが出会ってから
ふたりが出会った直後にクライドは逮捕され、刑務所に収監されることになった。クライドは脱獄や保釈狙いの工作などをするが、結局2年の獄中生活の後に保釈されている。その後、クライドは更生することもなく、新しく仲間になったレイモンド・ハミルトンと共に再び犯罪に手を染めていく。繁盛していた商店へ強盗に入って主人のジョン・ブッチャーを殺害するなど、事件を起こしては逃走を繰り返し、ボニー(この頃ボニーは別の強盗事件で逮捕、証拠不十分で釈放になっていた)に会う為にダラスに舞い戻っている。
ボニーとクライドが再会してからも強盗と殺人は続けられ、いつしかクライドは、犯罪集団「バロウ・ギャング」のリーダーとなっていた。メンバーには、クライドの兄のバックとその妻のブランシェもおり、他にも同じ様な犯罪を繰り返して来た者も居た。バロウ・ギャングのメンバーは、何度か入れ替わっているが、ボニーとクライドは常に一緒だった。それからも犯行は続けられ、強盗に入った商店の主人や保安官、警察官が次々と犠牲になっていく。
ボニーとクライドたちの強盗の手口は、クライドが店に入って金を奪い、ボニーが逃走用の車で待機。逃走経路をあらかじめ計画しておき、州境を越えてしまうというものだった。当時、警察が犯罪者を追跡できる範囲は州内に限られており、州を越えられると手出しできなかったからである。
この時、2人の乗っていた車はフォード社の『フォードV8』と呼ばれる最新モデルで、当時の大衆車の中で最高の速度と加速力を備え、実際のところ、警察の車では追いつけなかった。フォード社長に対し、「貴社で製造していらっしゃるこのV8が本当に良く走るので、我々も非常に仕事がしやすく、感謝している」むねの手紙をボニーとクライドが送ったというエピソードが知られているが、実際の真偽は不明である。
[編集] ボニーとクライドの最期
そんなボニーとクライドたちの犯行を警察は黙って見過ごすはずもなく、常に逃げ回る日々が続くようになっていた。ボニーは逃走中の自動車事故でやけどを負い、警察との銃撃戦でクライドと兄のバックは重傷を負った。バックの妻ブランシェは警察に捕まり、バックは傷が元で逃亡中に死亡。バロウ・ギャングのメンバーも逮捕者が相次いでいった。
仲間を次々失いながら逃げ続けていたボニーとクライドだったが、1934年5月23日、ルイジアナ州アーケディアで、行方の情報を掴んで待ち伏せしていた警官隊によって、150発を越える銃撃を受けた。そのうち、ボニーとクライドは車を貫通してきた84発の銃弾を浴びて射殺された。(銃弾の数については諸説ある)
[編集] 支持した者たち
残虐な行為を繰り返してきたボニーとクライドだったが、意外にも彼らを支持した者は多かった。犯罪者となった彼らを家族は咎めることはしなかったし、逃亡中にかくまった者も起訴されただけで23人に上ったという。そんな背景もあって、ボニーとクライドは事あるごとに家族の居るダラスに戻ってきていた。もちろん、すべてのアメリカ人が彼らを支持していたわけではない。当時のFBI長官だったジョン・エドガー・フーヴァーは、ボニーとクライドのことを「アメリカの狂犬たち」と表現している。
[編集] 関連映画
- 『暗黒街の弾痕』 You Only Live Once - 1937年
- 『拳銃魔』 Gun Crazy - 1949年
- 『鉛の弾丸をぶちかませ』 The Bonnie Parker Story - 1958年
- 『俺たちに明日はない』 Bonnie and Clyde - 1967年
[編集] 関連項目
- 映像
- ディズニーチャンネル放映の『リロ・アンド・スティッチ ザ・シリーズ』に、悪の試作品の名前として登場。特技はあらゆる物を盗むこと。
- ディズニーチャンネル放映の『スイートライフ』に、双子たちのペットとして飼われる2匹のネズミの名前で登場。
- ジャン・レノ主演の『レオン』で、マチルダ役のナタリー・ポートマンのセリフで登場。
- 音楽
- 宇多田ヒカルのシングル『Movin' on without you』、及びアルバム『First Love』には、この2人をモチーフにした「B&C」という曲が収録されている。
- Eminemのアルバム『The Marshall Mathers LP』には、['97 Bonnie & Clyde]という曲が収録されている。
- そのEminemが参加するユニット・D12の曲『How come』に、「So close, almost on some Bonnie and Clyde shit(ボニーとクライドみたいに大概は一緒だったんだ)」という一節がある。
- CHAGE and ASKAの曲『ボニーの白い息』に、「ボニーとクライド真似して二人は」という一節がある。
- KinKi Kidsの曲『Bonnie Butterfly』に、「BonnieとClydeのように逃げて墜ちていきたい」という一節がある。
- THE ALFEEの曲『別れの律動(リズム)』に、「明日はない ボニー&クライドのように」との一節がある。
- TM NETWORKの曲『Self Control』に、「走り抜けたボニー&クライド」との一節がある。
- BOØWYの曲『ROUGE OF GRAY』に、両者の名前がコーラスとして頻繁に出てくる。
- 川本真琴の曲『EDGE』に、「街も人も渋滞のライトもBonnieとClydeには綺麗だったの」という一節がある。
- 真島昌利の曲「こんなもんじゃない」に、ボニー、クライドというキャラクターが出てくる。
- CASCADEの1stシングルのタイトルは「なりきりボニー&クライド」である。
- Super Eurobeat Vol.153に『Criminals』という楽曲が収録されている。アーティスト名は「Bonnie & Clyde」。
- ボニーとクライドには関係ないが、SMAPが1995年に発表した「俺たちに明日はある」(木村拓哉主演のTBS系テレビドラマ「人生は上々だ」主題歌)は、曲名がこの映画のパロディーという。
- THE PREDATORSのミニアルバム『HUNTING!!!!』収録の『爆音ドロップ』という楽曲に「クライドを誘ってるボニー」という一節がある。
- 髭(HiGE)は「ボニー&クライド」というシングルをリリースしている。
- 漫画
- その他
- アンチヒーロー…『生き様等が一部の共感を得ている悪人』として、定義されている。

