ボスポラス海峡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ボスポラス海峡Bosporus)は、トルコヨーロッパ部分(オチデント:Occident)とアジア部分(オリエント:Orient)を隔てる海峡トルコ語では「海峡の内」を意味するボアズィチ(Boğaziçi)という名で呼ばれる。

ボスポラス海峡ルメリ・ヒサル(手前)、第二ボスポラス大橋。
ボスポラス海峡の衛星写真 画面上が黒海、下がマルマラ海。イスタンブルは左側の陸の右下にある河口部分

南北に細長く、北は黒海、南はマルマラ海で、マルマラ海とエーゲ海を繋ぐダーダネルス海峡とあわせて黒海と地中海を結ぶ海上交通の要衝をなす。南北約30kmで、幅は最も狭い地点で700mしかない。両岸の全域はイスタンブル市の行政区内で、南側のマルマラ海への出口の西岸がビュザンティオンコンスタンティノポリスの故地であるイスタンブル旧市街である。

イスタンブル市民の足として、両岸の各所に定期船の船着場がある他、1973年建設の第一ボスポラス大橋(別名ボアズィチ大橋(Boğaziçi Köprüsü)、全長1074m)と1988年建設の第二ボスポラス大橋(別名ファーティフ・スルタン・メフメト大橋(Fatih Sultan Mehmet Köprüsü)、全長1090m)が架けられている。また、2004年5月24日着工、2009年開通予定で、日本の大成建設グループにより全長13.7kmの海底トンネルが現在建設されている。

ロシアウクライナなど黒海に港を持つ国にとっては、地中海を通じて大西洋に船を出すためには必ず通行しなくてはならない海峡にあたるため、海峡の航行権を確保したいロシアとそれを阻止しようとするオスマン帝国や諸列強の間で長く駆け引きが続けられてきた。現在は1936年に締結されたモントルー条約により、商船の自由航行と軍艦の航行の制限が定められる。

ボスポラス海峡沿いには、オスマン帝国がコンスタンティノポリス征服の足がかりとして築いたアナドル・ヒサル、ルメリ・ヒサルの両要塞や、ドルマバフチェ宮殿などのオスマン帝国の離宮、エジプト太守ムハンマド・アリー家を初めとするオスマン帝国の高官の別荘などの歴史的建造物が建ち並び、イスタンブルの旧市街から黒海の出口までクルージングする定期観光船は外国人観光客に人気が高い。

ことばこって?

「ことばこ」は、歴史の人物から最先端テクノロジーまで、なんでも調べられるオンライン百科事典です。ウィキペディア財団が運営を行なっているwikipedia.orgから引用をしています。

おススメサイト
トラブログ
アレどう?
アフィリエイトB