プラトン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

古代ギリシアの哲学者プラトン

プラトンΠλάτων (Plato), 紀元前427年 - 紀元前347年)は古代ギリシア哲学者である。ソクラテスの弟子で、アリストテレスの師。またディオゲネス・ラエルティオスによると、プラトンの本名はアリストクレスである。アカデメイアという名で学校を開いたため、プラトンの後継者はアカデメイア派と呼ばれる。プラトンとアリストテレスの思想は西欧の哲学の大きな源流となった。また、その理想とした国家像は共産主義に深い影響を与えた。

ソクラテスの弁明』『国家』等の著作で知られる。現存する著作はすべて対話編という方式を取っており、一部の例外を除けば師のソクラテスを主要な語り手とする。初期は敬虔や勇気といった伝統的なとはなにか、それは教えられるものかどうかを探求したが、著書の中では直接答えは与えられない。中期には世界を、目に見える現実の世界「現実界」と、そのもとになる完全にして真実の世界「イデア界」に分けるイデア論を展開した。ピュタゴラス学派の思想、特に幾何学を重んじる思想を学び、中期以降その影響が見られる。またパルメニデスなどのエレア学派にも関心をよせ、後期対話編ではエレア派の人物をしばしば登場させている。

目次

[編集] 生涯

ラファエロ画 フレスコ画。なおこれはレオナルド・ダ・ヴィンチ自画像がモデルとされる

プラトンは紀元前427年アテナイ最後の王コドロスの血を引く貴族の息子として、アテナイに生まれた(プラトンの家系図については、クリティアス (プラトンの曾祖父)参照)。祖父の名前にちなみ「アリストクレス」と名付けられたが、体格が立派で肩幅が広かった(πλα̃τύς (platys))ため、レスリングの師匠であるアルゴスのアリストンに「プラトン」と呼ばれ、以降そのあだ名が定着した。若い頃は政治家を志していたが、やがて政治に幻滅を覚え、ソクラテスの門人として哲学と対話術を学んだ。紀元前399年、アテナイの民主派によってソクラテスは、「神々に対する不敬と、青年たちに害毒を与えた罪」を理由に裁判にかけられ、死刑を宣告され、毒杯を仰いで刑死する(この裁判の情景を描いたのが『ソクラテスの弁明』)。この後プラトンはアテナイを離れイタリアシチリア島(1回目のシチリア行き)、エジプトを遍歴した。このときイタリアで、ピュタゴラス派およびエレア派と交流を持ったと考えられている。

紀元前387年、アテナイ郊外に学園アカデメイアを設立した。アカデメイアでは天文学生物学数学政治学哲学などが教えられた。そこでは対話が重んじられ、教師と生徒の問答によって教育が行われた。弟子にあたるアリストテレスは17歳のときにアカデメイアに入門し、そこで20年間学生として、その後は教師として在籍した。

紀元前367年、友人ディオンらの懇願を受け生涯に2回目となるシチリア島シュラクサイへ旅行した。シュラクサイの若き僭主、ディオニュシオス2世を指導して哲人政治(大対話篇『国家』に示される)の実現をめざしたが、着いた時にはディオンは追放されており不首尾に終わる。紀元前361年、ディオニュシオス2世自身の強い希望を受け、3度目のシュラクサイ旅行を行うが、またしても政争に巻き込まれ今度はプラトン自身、軟禁されてしまう。この時プラトンは、友人であるピュタゴラス学派の政治家アルキュタスの助力を得てなんとかアテナイに帰ることが出来た。哲人政治の夢は、紀元前353年にディオンが政争により暗殺されることによって途絶える。

晩年のプラトンは著作とアカデメイアでの教育に力を注ぎ、紀元前347年紀元前348年ともいわれる)80歳で死亡した。

[編集] 哲学

ラファエロ画, 1509年 プラトンとアリストテレス

一般にプラトンの哲学はイデア論を中心にして展開されるといわれる。生成変化する物質界の背後には、永遠普遍のイデアという理想的な雛型があり、イデアこそが真の実在であるとした。不完全である人間の感覚ではイデアをとらえることができず、理性によってのみとらえることができるとした。また、イデアの認識は、いわば忘却されていたものの想起 anamnêsis であって、その想起からはかつて属していたイデアの世界を憧れ求めるところのエロス erôs が生じるとした。

このためプラトンは、経験主義のように人間感覚や経験を基盤に据えた思想を否定した。感覚は不完全であるため、正しい認識に至ることができないためである。また、プラトンは芸術についても否定的な態度をとった。視覚でとらえることができるは不完全なものであり、芸術はイデアの模倣に過ぎない現実の事物をさらに模倣するもの、さらには事物の模倣に過ぎないものに人の関心を向けさせるものとして、価値を見出さなかった。

ただし、プラトンの著作の中でイデア論が明確に展開されるのは、中期の一連の対話編に限られる。晩年のプラトンがイデア論をなお維持していたかについては、「エイドス」(形)などのイデアの類義語をただちにイデア論と結びつけることが可能かどうか、「ある」(存在)の把握の差異などをめぐり、研究者の間で見解が分かれる。

[編集] 倫理学

プラトンの倫理学の特色は「徳は知である」(『エウテュフロン』14、『パイドン』170)という記述に集約されよう。ただしこれは徳が伝達可能な技術知であるという意味ではない(『メノン』99)。徳は想起 (anamunesisi) の知であり(同81)、イデアに思索的に至る形而上学的知である。すなわち、プラトンは形而上学とひとつになった倫理学を初めて確立した。

しかるに、かかる技術的に教え得ない知識を自分も深め、人に勧告するには「魂の気づかい epimeleia tes psyches」(『パイドン』107)が必要であるが、この意味は理念的な徳の内的理解にむけての精神の教育ということであり、その目的は、眼に見えぬ理念の理解をつうじて善のイデアという最高存在にまで精神の射程が及ぶことである。

その倫理学は国家学、政治学という社会的レベルをその帰結とする。ひとの霊魂が理性、意志および情欲にわかれるように国家構成階層も支配階層、防衛階層および職能階層にわかれ、それぞれに該当する徳は知恵、勇気および節制である(『国家』435)。これら三つの徳が調和すれば正義が実現される(同443)。国家の最重大事業は教育であり(同376)、すなわちプラトンの倫理学は、個人倫理、同時代に対する社会倫理としての政治学、未来に対する倫理学としての教育学、に三分されるのである。

[編集] 後世への影響

アリストテレスの思想の成立に師プラトンが大きく関与したことは議論を待たない。ただし、その継承関係には議論があり、アリストテレスはプラトンの思想を積極的に乗り越え本質的に対立しているとするものと、プラトンの思想の本質的な部分を継承したとするものとに大きく分かれる。

プラトンの影響としては、ネオプラトニズムといわれる古代ローマ末期の思想家達を挙げる事が出来る。「一者」からの万物の流出を説くネオプラトニズムの思想は、成立期のキリスト教ルネサンス期哲学、さらにロマン主義などに影響を与えた。(プラトン自身の思想とは様相が異なってしまっている)

プラトンは『ティマイオス』の中の物語で創造者「デミウルゴス」がイデア界に似せて現実界を創りあげたとした。この「デミウルゴス」の存在を「神」に置き換える事により、1世紀のユダヤ人の思想家アレクサンドリアのフィロンユダヤ教とプラトンを結びつけ、プラトンはギリシアのモーセであるといった。『ティマイオス』は西ヨーロッパ中世に唯一伝わったプラトンの著作であり、プラトンの思想はネオプラトニズムの思想を経緯して中世のキリスト教神学に受け継がれる。

なおアトランティスの伝説は『ティマイオス』および『クリティアス』に由来する。

[編集] 著書

プラトンの著書として伝わるものには、対話篇と書簡がある。ただしそのうちにはその真偽が疑わしいものや、多くの学者によって偽作とされているものもある。

プラトンの著書の真贋はすでに紀元前のアレクサンドリアの文献学者によって議論されてきた。現在伝わる最初の全集編纂は紀元前2世紀に行われた。古代ローマのトラシュロスは、当時伝わっていたプラトンの著作をその内容から執筆順に並べ、かつ主題に沿って4部作集に編纂した。現在のプラトン全集は慣行によりこのトラシュロスの全集に準拠しており、収録された作品をすべて含む。ただしトラシュロスはすでにこのとき幾つかの作品はプラトンのものであるかどうか疑わしいとしている。

プラトンの真筆であると一致している著作のうちもっとも晩年のものは『法律』である。ここでは『国家』と同じく政治とはなにかが語られ、理想的な教育についての論が再び展開されるが、哲人王の思想は登場しない。また特筆すべきことに、『法律』ではソクラテスではなく、無名の「アテナイから来た人」が語り手を務める。多くの研究者は、この「アテナイからの人」をプラトン自身とみなし、語り手の変化を、プラトンがソクラテスと自分の思想の違いを強く自覚するにいたったため、ソクラテスを登場させなかったとみなしている。

『法律』の続編として書かれたであろう『エピノミス』(『法律後編』)では哲人王の思想が再び登場するが、『ティマイオス』の宇宙観と『エピノミス』の宇宙観が異なること、文体の乱れなどから、ほとんどの学者は『エピノミス』を弟子あるいは後代の偽作としている。ただし少数の学者は『エピノミス』を最晩年のプラトンがその思想を圧縮して書き残したものと考えている。

プラトンはイソクラテスの影響を受け、中期より文体を変えていることが分かっている。文章に使われる語彙や母音の連続などを調べる文体統計学により、現代ではかなりの作品の執筆順序に学者間の意見は一致している。たとえばトラシュロスが『クリトン』の後においた『パイドン』(ソクラテスの死の直前、ピュタゴラス学派の二人とソクラテスが対話する)は、中期の作品に属することが分かっている。ただしその内容から、幾つかの作品については執筆年代についての論争がある。

[編集] 一覧

[編集] 関連語

ウィキクォートプラトンに関する引用句集があります。

[編集] 参考文献

  • ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(上)』岩波文庫(岩波書店) ISBN 400336631X

[編集] 外部リンク

ウィキクォートプラトンに関する引用句集があります。

<span class="FA" id="fi" style="display:none;" />

ことばこって?

「ことばこ」は、歴史の人物から最先端テクノロジーまで、なんでも調べられるオンライン百科事典です。ウィキペディア財団が運営を行なっているwikipedia.orgから引用をしています。

おススメサイト
トラブログ
アレどう?
アフィリエイトB