フィアット

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グランデプント
G91

フィアット (FIAT) は、イタリア最大のコングロマリットで、本社をトリノに置く。「フィアット、陸に、海に、空に」のスローガンの元、自動車の製造のみならず、鉄道車両船舶航空機の製造などの産業分野全般を掌握し、出版、金融等にも進出している。かつては「フランスルノーを持っているが、フィアットはイタリアを持っている」とまで評された。生産車はイタリア的な洗練されたデザインが魅力。ニューヨーク証券取引所(コード:FIA)とイタリア取引所(Borsa Italiana)に株式を上場している。


目次

[編集] 概要

[編集] イタリア最大の自動車会社

トッポリーノ

社名のフィアット(FIAT)とはFabbrica Italiana Automobili Torino の略で、「トリノのイタリア自動車製造所」の意味。ジョヴァンニ・アニェッリら数人の実業家の出資によって、1899年にトリノで創業された。かつてはフォーミュラーレースにも参戦してアルファ・ロメオ(Alfa Romeo)やブガッティ(Bugatti)などと覇を競い、1950年代には「8V」という現代のフェラーリにも匹敵する高性能な高級GTカーも製造、数々の先進的な設計を次々と実用化・量産化するなど、技術力の高いメーカーである。

第二次世界大戦後にジョヴァンニ・アニェッリの孫のジャンニ・アニェッリ(ジャンニは愛称、本名は祖父と同じジョヴァンニ)が経営を引き継いでからは、ランチア(Lancia)、フェラーリ(Ferrari)、アルファ・ロメオ(Alfa Romeo)、マセラティ(Maserati)、アウトビアンキ(Auto Bianchi)、アバルト(Abarth)など国内の自動車メーカーなどを次々と傘下に収め、イタリア最大の自動車メーカーとして君臨している。また、商用車部門としてイヴェコ(Iveco)、電装部品部門としてマニェッティ・マレッリ(Magneti Marelli)などを傘下に収めている。現在のフィアット本体は主に比較的小型の大衆向け乗用車を生産し、高級車などは傘下のメーカーが生産している。

[編集] 海外進出

戦前から海外進出に意欲的で、1934年にはフランスシムカを設立させたほか、ドイツではNSUの自動車部門を買収し、「NSUフィアット」とした。戦後になってもスペインセアト(現在はフォルクスワーゲングループ)を設立した。また、東欧圏進出は有名で、旧ソビエト連邦にプラントを輸出し、1970年にAvtoVAZが「ジグリ(輸出名『ラーダ』)」の生産を開始した他、ポーランドや旧ユーゴスラビアにも進出。さらにアルゼンチンの他にブラジルでも生産を始めるなど、広範に渡っている。

[編集] 経営不振

パンダ

この間、フィアットは石油ショックやその後の慢性的な労働争議により経営が不安定化し、1974年から1978年まで新型車を発表出来ずにいた。苦境を脱するため、リビアの元首カダフィ大佐からの融資を受け入れ、その後1980年代始めに発売された、斬新な設計の小型車「パンダ」と「ウーノ」の成功で窮地を脱した。しかし、1990年代は、「ブラーボ/ブラーバ」が成功したのを最後に、ヒット作に恵まれていなかった。

その後も苦戦が続き、2000年より自動車部門でゼネラルモータースと提携していたが、GM側が2005年に提携を解消、買収契約に関する違約金15.5億ユーロをゼネラルモータースから得た。

[編集] 経営建て直し

クロマ

その後は、傘下のフェラーリおよびマセラティの経営を立て直したルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロ会長、およびセルジオ・マルキオンネCEOのもと、経営の建て直しをはじめた。その様な中でもアニェッリ一族による経営が基本にあり、2005年にはジャンニ・アニェッリの孫のジョン・エルカーンがフィアットの取締役に、その弟のラポ・エルカーンブランドマーケティング担当部長に就任し、過去に使用していたロゴマークを復活させロゴを入れたアパレルなどを展開し世界的に大ヒットさせた。これらの功績を認められ両氏は将来的にトップに就任することが予想されている。

また、経営建て直しの一環として、モンテゼーモロ会長の指揮のもと、2005年に相次いで3つの新型車を発表している。まず、導入が待たれていた新Dセグメントモデルをかつて使用していた車名「クロマ」の名で発表。ワゴン風の5ドアボディとなっている。続いて7月28日、フィアット社はプントの第3世代「グランデプント」を発表した。実際に全長が4mを超える、「グランデ」(大きい)サイズだが、それ以上に大きな命運がこの車種に懸かっている。さらに12月11日にはスズキとの共同開発による小型クロスオーバーSUV「セディチ」を発表。これらはいずれもジョルジェット・ジウジアーロとの協力でデザインされたものである。

[編集] 復活

ニューパンダ

その様な中、1979年のデビュー以来根強い人気に支えられてきたパンダの後継であるニューパンダが2004年度のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。

その後、積極的な新車攻勢とブランドイメージの復活を受けて販売台数が増加し、2005年11月には単月黒字を計上したほか、その後も単月黒字を連続して達成。その他にもクロマの予想を上回る販売台数を得た他、グランデプントが2006年1月のヨーロッパ市場における販売台数1位になる。2006年第三四半期の販売台数もルノーやプジョーなどのライバルが前年比割れになる中、前年比増になるなど、長年の低迷からの復活したとの評価を受けている。

また、2007年にはアバルト(Abarth)ブランドの復活、グランデプントベースのセダン「リネア」、大失敗に終わったスティーロの後継車種「ブラーボ」(これまたかつての車名が復活)、さらに満を持して往年の大ヒット車種である「500」の新型をデビューさせる予定である。

[編集] 主な車種

[編集] 現行生産

プント
バルケッタ

[編集] 生産終了

2代目 500</br>(NUOVA 500)
124・スパイダー

[編集] ラリー

世界ラリー選手権(WRC)には早期から参戦しており、1970年代はグループ4マシンの「124アバルトラリー」、「131アバルトラリー」で上位に食い込む活躍を見せていた。1980年代からはグループ会社のランチアのグループB及びグループA車両で参戦して好成績を残し、特にデルタで6連覇を果たした1987年1993年にかけては常勝ともいえる活躍をしていた。近年は経営悪化もあって活動を潜めていたが、プントでJWRCに継続的に参戦。2006年から本格的にシリーズ化されたS2000クラスにグランデ・プントで参戦しヨーロッパ選手権、イタリア選手権を制覇し、アバルトブランドを復活させた。

[編集] 豆知識

  • 伊マイアーニ社からフィアットという名のチョコレートが販売されている。1911年、新車「タイプ4」の宣伝に使うためマイアーニ社に制作を依頼したのが誕生のきっかけ。参考リンク
  • トリノ市の有力紙「ラ・スタンパ(La Stampa)」などの各種マスコミや各種製造業の多くもフィアットグループに属する。
  • イタリアサッカー1部リーグセリエAの強豪ユヴェントスは、フィアットのオーナー一族であるアニエッリ家が設立し、現在もオーナーとしてその資金・運営においてバックアップしている。そのため、ユーヴェの選手たちはフィアットグループの車に乗って(乗らされて)いる。
  • 2007年よりロードレース世界選手権MotoGPクラスにおいてヤマハチームのスポンサーとなっている。自動車会社が資本関係のない自動車会社のスポンサーとなるケースはトラック業界など以外では少ないが、チームにはフィアットと資本関係のあるフェラーリへの去就が噂されているバレンティーノ・ロッシ選手がいる。

[編集] 関連項目

[編集] 企業

フィアットオートジャパン株式会社が運営するアルファロメオ新宿パーク・外観

[編集] その他

[編集] 外部リンク

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