</td>
</table></td>
<tr><td align="center" colspan="2">暫定自治政府の標語 : なし</td></tr>
<tr><td>公用語</td> <td>アラビア語</td></tr>
<tr><td>自治政府所在地</td> <td>エルサレム </td></tr>
<tr><td>自治政府大統領</td> <td>マフムード・アッバース</td></tr>
<tr><td>首相</td> <td>イスマイル・ハニーヤ</td></tr>
<tr><td>国歌</td> <td>?????</td></tr>
<tr><td>ccTLD</td> <td>.ps</td></tr>
</table>
パレスチナ自治区は、パレスチナ地域のうちヨルダンに接するヨルダン川西岸地区とエジプトに接するガザ地区からなるパレスチナ人の自治地区である。その行政は、パレスチナ解放機構が母体となって設立されたパレスチナ自治政府が行う。ただし、パレスチナの最終的な地位は将来イスラエルとパレスチナ解放機構との間で結ばれる包括的和平によって定められることになっており、目下の正式な地位は暫定自治区・暫定自治政府となっている。
パレスチナ自治区の人口は約330万人で、西岸地区が3分の2、ガザ地区が3分の1を占めるとされる。これは、900万人強いるとされるパレスチナ人の全人口の3分の1にあたる。
自治政府は1995年の暫定自治拡大合意に基づき、1996年に行われた立法評議会選挙によって正式に発足した。
[編集] 設立の経緯
1947年のパレスチナ分割決議にて定められた分割案
橙 : ユダヤ人地区
黄 : アラブ人地区
白 : エルサレム国連統括地
パレスチナ自治区は、イスラエル建国直前の1947年に行われた国連決議181号(パレスチナ分割決議)が定めた、パレスチナをユダヤ人、アラブ人、国連統括地の3つに分割する決定を基礎としている。この決議は、これに反対する周辺のヨルダンとエジプトが第一次中東戦争でヨルダン川西岸地区とガザ地区を占領したためにパレスチナのアラブ人には寸土の領域も残されず、ユダヤ人によるイスラエル国家しか建設されなかった。
その後、西岸地区とガザ地区はイスラエルによって占領されるが、1964年にエジプトのナーセル大統領の後押しによって西岸地区とガザ地区のアラブ系住民とパレスチナ難民の統合抵抗組織としてパレスチナ解放機構が設立され、事実上のパレスチナ亡命政府となった。
当初、パレスチナ解放機構はイスラエル国家を打倒し、全パレスチナにムスリム・キリスト教徒・ユダヤ教徒の全てが共存する非宗派的な民主国家を樹立することを目標としていた。しかし、1980年代後半に繰り広げられたイスラエルに対する大規模な抵抗運動(インティファーダ)の中で現実主義路線に転じ、ヨルダンに西岸地区の放棄を宣言させて、西岸地区とガザ地区を中心にパレスチナ人の独立国家を樹立してイスラエルと平和共存する道を模索するようになった。
こうしてイスラエルと解放機構の直接交渉の末、1993年のオスロ合意、パレスチナ暫定自治協定に基づいてパレスチナ暫定自治区が設立された。
[編集] 機構
パレスチナ承認国はアラブ諸国を始め、アフリカやアジアなどにも多い。一方、先進国や南米、中央アジアなどには少ない。
暫定自治政府は、憲法にあたる基本法に基づいて運営される。最高議決機関は民選によって選出されたパレスチナ立法評議会(PLC)で、立法府に相当する。立法評議会の当初の定数は88であった。2005年6月の法改正で定数は132に増やされた。
行政事項を執行するのはパレスチナ行政機関で、自治政府の長である自治政府大統領(ライース、マスコミでは議長、外務省はかつては長官といっていたが現在はこの訳をあてている)がその長を務める。また、行政機関の各庁長官(外務省はこの訳をあてているが、マスコミでは省、大臣、相ということが多い)が閣僚となり、内閣を構成する。2003年からは内閣の長として首相が置かれるようになったが、大統領であるヤーセル・アラファートPLO議長が安全保障関係の権限を内閣に委譲することを拒否し、翌年のアラファート死去まで大統領のワンマン支配が続いた。
アラファート死後、2005年1月9日、後任の自治政府大統領選が行われ、マフムード・アッバースが当選した。
治安維持を担当するのはパレスチナ警察隊で、パレスチナ解放機構の軍事部門であるパレスチナ解放軍を基礎として設立された。しかし、アラファート議長が独占する自治政府の治安維持部門について、イスラエル政府やアメリカは対イスラエルテロの抑制に十分働いていないと認識し、不信の目を向けている。イスラエルは、しばしばテロへの報復であるとしてパレスチナ警察を攻撃した。イスラエル側はテロリストを支援、黙認していると見なしているため、パレスチナ側のテロ事件があるたびに、パレスチナ警察を報復の対象とした。アラファートPLO議長は、2001年12月より、死の直前までイスラエル軍に軟禁された。
[編集] ハマース政権から挙国一致政権へ
2006年の総選挙で、初めて選挙に参加したハマースが過半数を獲得する勝利を収めた。
ハマースをテロ組織と認識するイスラエルは直ちに「イスラエル破壊を訴える武装テロ組織が参画する自治政府とは交渉しない」との声明を発表。さらに、軍高官の発言としてハマースの議員の西側とガザ地区の自由な移動を認めないと報じられ、政治活動の妨害を宣言した。実際に、パレスチナ人の通行はその後完全封鎖された。そのため、選挙後2月18日より開会された立法評議会は、ガザとラマッラーでの分裂開会を余儀なくされ、ビデオカメラで両会議場を中継して行われた。
米国・欧州連合も同様の認識から、パレスチナへの経済支援打ち切りを示唆した。米国は直接の援助ではなく、非政府組織や国際開発局(USAID)を通しての援助だが、米国のブッシュ大統領はハマースがイスラエルの「生存権」を認めなければ支援をすべきではないと主張した。さらに、米国防省は2005年にガザ復興費として援助した5000万ドルの返還を要求した。イスラエルは、自らが代理徴収している関税などを差し押さえ、ハマース政権への兵糧攻めに出た。NHK「きょうの世界」4月20日放送によると、2005年の自治政府経費は月平均1億6500万ドル。自力の税収は3000万ドルのみで、イスラエルが代理徴収しているのが6000万ドル、国際社会からの支援3000万ドル、その他借金が4500万ドルを占めるという。自治政府は収入の過半数を断たれ、職員の給与を支払えない事態となった(翌年5月21日一部を支払い)。
2006年3月29日、正式にハマース政権が発足したが、職員給与すら払えない極度の財政難に苦しんだ。4月10日、欧州連合もパレスチナへの援助を停止。6月4日、ようやく給与の一部を支払った。しかし、その後もイスラエルによる差し押さえのため、給与を支払えない状態が続いている。アラブ諸国などからパレスチナへの献金運動も行われたが、米欧とイスラエル政府が送金はテロ支援であると金融機関に圧力を掛けているため、パレスチナには届いていない。
米国、欧州連合は、制裁解除の条件として、(1)イスラエルの承認(2)武装解除(3)過去の自治政府とイスラエルの合意事項の尊重などを要求している。また、イスラエルのアリザ・オルメルト首相は5月23日に米国ブッシュ大統領と会談し、ハマース政権を相手にせず、アッバス自治政府議長ら穏健派と和平交渉を進めることで合意。また、オルメルトは、パレスチナとの合意が無くても、3~4年で入植地を自国領に取り込む形で国境を決めたいと表明した。
6月には、ハマース系の犯行と見られるイスラエル軍兵士1名の拉致事件を理由に、イスラエルはガザ侵攻を強めた。さらに、評議員を含むハマース系の政治家・活動家約80人を拉致し、評議会を機能停止に追い込んだ。なお拉致事件という見解はイスラエル側の主張であり、交戦中の兵士に拉致という認識はおかしいとする意見も存在する。
これに先立つ6月27日、アッバース大統領とハマースのハニーヤ首相が1967年の国連停戦決議に基づく国境線の合意(事実上のイスラエル承認)で合意した。しかしイスラエルは、完全に無視した形である。
米国、欧州連合、日本などは、より穏健なファタハ(パレスチナ解放機構主流派)のアッバース議長を交渉相手と見ており、ハニーヤ首相などハマースは事実上相手にしていない。米国はパレスチナへの経済制裁を続ける一方で、ファタハに対しては独自の支援を行っている(『読売新聞』1月15日号「米国務長官、アッバス議長への軍事支援を明言」など)。
2007年3月17日、ハマースとファタハの連立交渉が合意に達し、挙国一致内閣が発足した。閣僚25人の内訳は、ハマースから首相を含む12人、ファタハから6人、その他の党派からは7人。首相はハニーヤが続投。ハニーヤ首相はイスラエル承認を含めた過去の合意を「尊重する」と表明した。ただし、イスラエル承認を公にはしなかった。一方、イスラエルのオルメルト首相は3月18日、「テロを正当化するような内閣とは接触しない」と演説。ハニーヤ連立内閣の不承認を表明すると共に、他国にも引き続きハニーヤ政権を相手にしないよう主張した。イスラエルがヨルダン川西岸とガザ地区の間の閣僚の通行を認めていないため、閣議はテレビ電話を介して行われた。
[編集] 挙国一致政権崩壊とパレスチナ分裂
ハマースとファタハの内部抗争は、連立政権の発足後も続いた。また、イスラエルによって立法評議会(国会)議員が多数拉致されており、立法評議会は事実上機能停止に追い込まれている。両者の内部抗争では、イスラエル・アメリカは一貫してファタハを援助しており、両者が内戦を煽っているとする批判もある(早尾貴紀「ハマスとファタハの抗争と連立内閣崩壊を言う前に――意図的な連立潰し」)。イギリスの『ガーディアン』紙によると、中東和平の実務者会議の中で、米国の特使は二度も「この武装衝突はいいね」と放言したという(Karma NABULSI「The people of Palestine must finally be allowed to determine their own fate」、「Alvaro de Soto's end of mission report」)。
2007年6月11日からの抗争は、本格的な内戦に突入。ハマースはガザ地区を武力で占拠し、ファタハはこれを「クーデター」と批判。内閣からの閣僚引き上げを宣言した。6月14日、ファタハのアッバース大統領は非常事態宣言を出し、内閣の解散を宣言。6月15日、親米派のサラム・ファイヤドをハニーヤの後任の首相に指名したが、ハニーヤは解散を無効として無視した。ハマースは立法評議会の多数を握っているため、基本法(憲法)上後任の首相もハマースから任命しなければならず、アッバースの行為は違憲とする批判がある(「Whose Coup, Exactly? Virginia Tilley, The Electronic Intifada, 18 June 2007」)。ファイヤドは6月17日に「非常事態内閣」として30日間の限定で組閣したが、ハニーヤは組閣は「非合法」と反発。逆にアッバース大統領は、ハマースの軍事部門を非合法化する議長令を発表し、「メンバーは処罰する」方針を示した。こうしてパレスチナの政権は、完全に分裂した。イスラエルや米国は、ハマースを排除したファイヤド政権を正式な交渉相手と認めた。また、イスラエルは、差し押さえを続けていた代理徴収した税のファイヤド政権への返還を表明した。6月20日、アッバース大統領は「人殺しのテロリストたちとは対話はしない」と、ハマースを相手にしないことを表明した。また、1ヶ月前、ハマースによる暗殺未遂事件があったと主張した。
現在、ガザ地区をハマースが実効支配し、ヨルダン川西岸のみファイヤド政権の支配下にある。もちろん、イスラエルの入植者に占拠されている地域は、いずれの支配も及んでいない。
従来、欧米諸国は、経済制裁解除の条件として、早期の総選挙を要求して来た(「Various Arab and European countries urge P.A to go for early elections」、英語)。経済制裁よる財政難は引き続き続いており、総選挙になれば自国に都合の悪い存在であるハマースの勝利はあり得ない(裏返せば、ハマースを敗北させなければ制裁を止めないと、パレスチナの有権者を脅したと言える)との読みといわれている。結果として、総選挙を経ることなくハマースの排除が実現した形となった。しかし、経済制裁を武器に、選挙により成立した政権を否定する行為に対し、民主主義の否定とする強い批判がある。
また、日本は2007年6月12日に、いったんはODA再開の意向を麻生太郎外務大臣がパレスチナ側に伝えたが、挙国一致内閣の崩壊で、再び棚上げになった。
[編集] レバノン難民キャンプの武力衝突
2007年5月20日より、レバノンのナハル・アルバリド・パレスチナ難民キャンプでイスラム教スンニ派武装組織武装組織「ファタハ・イスラム」とレバノン政府軍の武力衝突が起きた。ファタハ・イスラムはファタハとは無関係で、パレスチナ人の組織でもないが、パレスチナ人支援を名目に、合法的にレバノン入国を果たしたといわれる。レバノン政府側は、ファタハ・イスラムが軍組織を攻撃しようとしたことを攻撃の理由に挙げている。ファタハ・イスラム側は「いわれのない攻撃」と反論している。レバノンの国会は、全会一致で難民キャンプへの攻撃を承認した。
アルジャジーラによると、5月23日現在で武装メンバー20人、政府軍兵士32人、民間人27人が殺されたとしている。また、『毎日新聞』によると、5月27日現在で、キャンプにいた難民約4万のうち3分の2は避難したが、銃撃戦の巻き添えや、レバノン人によるパレスチナ人狩りの噂などが立ち、避難に踏み切れない者もいるという。
[編集] 立法評議会選挙
選挙は中選挙区比例代表並立制。選挙区、比例区共に66議席ずつ。重複立候補制度はない。日本の参議院に近いが、選挙区は完全連記制。また、選挙区は少数派のキリスト教徒枠として6議席があらかじめ割り当てられている。18歳以上の普通選挙。
1996年1月20日に初めて行われ、ファタハが第一党となった。しかし、多くの党派は選挙をボイコットした。
2006年1月15日、二度目の総選挙が行われた。アメリカはハマース躍進を恐れ、ファタハに肩入れする選挙干渉を行ったとも言われた。
ファタハは45議席と惨敗し、ハマースは74議席と過半数を獲得する地滑り的勝利を収めた。ファタハの腐敗や、イスラエルによる白色テロを阻止できないことへの不満があり、一方でハマースが社会福祉に力を入れたことなどが勝因と言われる。とはいえ、比例区では28議席ずつと互角で、ファタハは選挙区での候補者乱立による共倒れが多かったとも指摘されている。
[編集] 人口
[編集] 主な都市
- 東エルサレム(イスラエルの法律が適用) - 多くの宗教の聖地があるエルサレム旧市街を含む。
- ヨルダン川西岸地区
- カルキリーヤ - 買い物に来るイスラエル人が多い。
- トゥルカールム
- サバスティーヤ(サマリア)
- ナーブルス(ナブルス) - ゲリジム山など。
- ミツパ(遺跡) [1]
- ラマッラー(ラマラ)
- ミクマス
- ベッジャーラー (ギロ)
- ベツレヘム - 生誕教会、ラヘルの墓など。
- アリーハー(エリコ) - 親イスラエルの町として知られる。カジノ・シナゴーグ遺跡など。
- アル・ハリール(ヘブロン) - マクペラの洞窟など。
- ザーヒリーヤ
[編集] 交通
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 『パレスチナ新版』(広河隆一 著 / 岩波書店 岩波新書 / ISBN 4004307848 / 2002年5月20日)
- 岡倉徹志『パレスチナ・アラブ その歴史と現在』三省堂
- エリアス・サンバー『パレスチナ 動乱の100年』創元社
- 奈良本英佑『パレスチナの歴史』明石書店
- 横田勇人『パレスチナ紛争史』集英社
- 山崎雅弘『中東戦争全史』学習研究社
- 立山良司『図説 中東戦争全史』学習研究社
- 森戸幸次『中東百年紛争 パレスチナと宗教ナショナリズム』平凡社
- PLO研究センター『パレスチナ問題』亜紀書房
- 阿部俊哉『パレスチナ』ミネルヴァ書房
- エドワード・サイード『パレスチナとは何か』岩波書店
- エドワード・サイード『パレスチナ問題』みすず書房
- エドワード・サイード『戦争とプロパガンダ』みすず書房
- エドワード・サイード『戦争とプロパガンダ2』みすず書房
- エドワード・サイード『戦争とプロパガンダ3』みすず書房
- エドワード・サイード『戦争とプロパガンダ4』みすず書房
- エドワード・サイード『イスラム報道』みすず書房
- イアン・ミニス『世界の紛争を考える アラブ・イスラエル紛争』文溪堂
- 市川裕『ユダヤ教の精神構造』東京大学出版会
- 立山良司『揺れるユダヤ人国家 ポスト・シオニズム』文芸春秋
- 池田明史『イスラエル国家の諸問題』アジア経済研究所
- ウリ・ラーナン『イスラエル現代史』明石書店
- 高橋和夫『アラブとイスラエル パレスチナ問題の構図』講談社
- 立山良司『イスラエルとパレスチナ 和平への接点をさぐる』中央公論社
- 土井敏邦『和平合意とパレスチナ イスラエルとの共存は可能か』朝日新聞社
- M・ブーバー『ひとつの土地にふたつの民 ユダヤ、アラブ問題によせて』みすず書房
- ミシェル・ワルシャウスキー『イスラエル・パレスチナ民族共生国家への挑戦』柘植書房新社
[編集] 外部リンク
(イスラエル側の外部リンクは、イスラエル#外部リンクも参照)
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