ドラクマ

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紀元前490年頃アテネで用いられていた4ドラクマ硬貨

ドラクマギリシア語:単数形 δραχμή 複数形 δραχμές または δραχμαί)は古代ギリシアおよびヘレニズム世界で広く用いられた通貨の単位であり、同時に近代に入って復活し、ユーロが導入される前のギリシアで用いられていた通貨単位でもある。


目次

[編集] 古代のドラクマ

ドラクマという名前は「つかむ」という意味の動詞「ドゥラットー(δράττω)」に由来している。これはもともとドラクマが手のひらいっぱいの量の金属魂にあたる6オボロイに相当したからである。オボロイは紀元前11世紀以降使われていた通貨単位である。

紀元前5世紀以降アテネでつくられた四ドラクマ硬貨はアレキサンダー大王以前のギリシア世界でもっとも広く用いられた硬貨であった。このコインでは表にかぶとをかぶったアテナ女神の胸像が彫られており、裏にはアテナの使いフクロウの像が彫られていた。通常この硬貨はフクロウを意味するグラウカイ(γλαῦκαι)と呼ばれていた。この裏面はギリシアの1ユーロ硬貨の意匠にも用いられている。

アレキサンダー大王の東征の後、ドラクマ硬貨は大王の征服した中東諸国で広く流通するようになった。ディアドコイたちの諸国でもこれは引き継がれ、プトレマイオス朝エジプトでも用いられていた。イスラム教以前の中東諸国で用いられていた通貨単位であったディルハム(درهم)もドラクマの名に由来するものであることがわかっている。ディルハムはモロッコアラブ首長国連邦ではいまだに用いられている。アルメニアのドラムという通貨単位もまたドラクマに由来するものである。

ドラクマは紀元前3世紀以降ローマ領の地域でも流通した。ドラクマは長期にわたって広大な地域に流通したため、現代の貨幣価値への換算は難しいが、紀元前5世紀の1ドラクマは1990年の25ドルに相当するという研究がある。研究者たちはローマ帝国の初期には1ドラクマは労働者の一日の賃金であったという。

ドラクマ銀貨がローマ帝国の領域内で広く用いられたことは新約聖書にドラクマの名が現れることからもわかる。たとえば『ルカによる福音書』14:8がドラクマ銀貨に言及している。また『マタイによる福音書』17:27でイエスの一行が神殿税として魚から取り出すのもドラクマ銀貨であると考えられる。


[編集] ドラクマの価値

  • 6オボルス=1ドラクマ
  • 100ドラクマ=1ミナ(ムナ)
  • 60ミナ=1アテネ・タレント
  • ミナとタレントは実際に作られた貨幣でなく、計算上の通貨単位である。金や銀の量によって代えられた。

[編集] 近代以降のドラクマ

ドラクマは近代ギリシアの成立とともに1832年にフェニックスに変わる通貨単位として復活した。1868年にギリシアはラテン通貨連盟に加盟し、ドラクマはフランスの1フランと等価であると定められた。1941年から1944年にかけてのナチス・ドイツの占領時代には異常なインフレが発生し、ドラクマはほとんど無価値になった。1944年には占領下で新ドラクマへの切り上げが行われたが、1新ドラクマは500,0000,0000旧ドラクマにあたるというひどいものだった。1953年、疲弊した経済を立て直すべくギリシアは西側諸国の一員としてブレトン・ウッズ体制に加わり、それに伴って1954年にあらためて旧ドラクマから新ドラクマへの切り上げが行われた。その時の換算は新1対旧1000であった。この新ドラクマ30に対して1米ドルという換算が行われることになった。

1ドラクマ硬貨(1986年)

1973年にブレトン・ウッズ体制が廃止されるとドラクマの価値は下がり続け、2000年には1米ドルが400ドラクマという値になっていた。

2001年1月1日、ギリシアはEU(欧州連合)の経済連盟に加入し、移行期間を経てドラクマからユーロへの切り替えが行われた。このときの換算は1ユーロが340.75ドラクマというものであった。2004年3月1日まではドラクマ硬貨のユーロへの交換が認められていた。紙幣なら2012年3月1日までドラクマの使用が認められている。

ドラクマは略語ではGRDで表記され、通貨記号は₯ (ユニコードでは#x20AF であり、しばしばΔρ)と表記される

[編集] ユーロ切り替え前に使用されていた紙幣

[編集] 関連項目

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