ドミニカ共和国

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ドミニカ共和国</dt>
República Dominicana</dt>

国旗国章

</dd>

国の標語 : Dios, patria, libertad
(スペイン語: 神、祖国、自由)</dd>
国歌 : Quisqueyanos valientes (Valiant Sons of Quisqueye)</dd>
</dd>

公用語 スペイン語
首都 サントドミンゴ
最大の都市 サントドミンゴ
大統領 レオネル・フェルナンデス
首相 なし
面積
 - 総計
 - 水面積率
世界第127位
48,730km²
0.7%
人口
 - 総計(2004年
 - 人口密度
世界第85位
8,833,634
181人/km²
GDP(自国通貨表示)
 - 合計(2005年

8,590億ペソ
GDPMER
 - 合計(2005年
世界第78位
214億ドル
GDPPPP
 - 合計(2003年
 - 1人当り
世界第67位
521億6,000万ドル
6,000ドル
独立
 - 日付
ハイチより
1844年2月27日
通貨 ペソDOP
時間帯 UTC -4(DST: なし)
ccTLD DO
国際電話番号 1-809

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ドミニカ共和国(ドミニカきょうわこく)は、西インド諸島イスパニョーラ島の東部にある国。 首都はサントドミンゴ。西部にあるハイチと国境を接する。ドミニカ島にあるドミニカ国と区別するため、共和国をつけて呼ばれる。

目次

[編集] 国名

正式名称はスペイン語で、República Dominicana

公式な英語表記は、Dominican Republic

日本語の表記は、ドミニカ共和国

[編集] 歴史

先住民アラワク族が居住しているイスパニョーラ島に1492年クリストファー・コロンブスが来島した。1496年コロンブスの弟バルトロメ・コロンによってサント・ドミンゴが建設され、「新大陸」最初のスペイン植民地となった。先住民は金鉱山で酷使され、ほとんどと言っていいほど死んでしまった。サトウキビの栽培が開始されると、多数の黒人奴隷をアフリカから連れてきた。 1697年ライスワイク平和条約により、イスパニョーラ島の西側は現ハイチのフランスサン・ドマング、東側の3分の2がスペイン領サント・ドミンゴ、現在のドミニカ共和国となった。

その後、1795年バーゼルの和約の結果、全島はフランス領となるが、サン・ドマングはフランス革命の影響による内戦で1804年にハイチと改名し独立した。1814年、パリ条約で再び東側はスペイン領。1822年には再び隣国ハイチに占領される。1844年2月27日ドゥアルテに率いられた革命軍がハイチ人を一掃して、ハイチより独立して共和国となり、ペドロ・サンタアナが初代大統領に就任。しかし、1861年に再度スペイン領になり、1865年に独立を再び果たすも1916年から1926年まではアメリカに軍事占領される。

1930年から1961年に暗殺されるまでラファエル・トルヒーヨ将軍が大統領になり独裁政権が続いた。1962年の30年ぶりの大統領選挙が行われ、ドミニカ革命党のフアン・ボッシュ・ガビノが大統領に就任。しかし、1965年には政府軍と反政府軍との間で内戦が起こり、アメリカの介入にまで発展し、国連の調停でガルシア・ゴドイ統一暫定政権が成立し内戦は終結した。1966年から1978年までキリスト教社会改革党のホアキン・バラゲールが大統領になり、1978年から1982年まではドミニカ革命家のアントニオ・グスマンが大統領。1982年から1986年にバラゲールが大統領に再選するまではサルバドール・ホルヘ・ブランコが大統領だった。1992年にはコロンブスのアメリカ大陸到達500年記念祝賀への反対運動が起きた。1994年の大統領選挙も「不正」をめぐって紛糾した。社会情勢は不安定である。

[編集] 政治

ドミニカ共和国の政体は、行政、立法、司法が独立した一般的な民主主義体系をとっている。大統領は組閣を行い、立法府により制定された法を執行する。また、国防軍の最高指揮官でもある。大統領及び副大統領の任期は4年であり、直接選挙によって選出される。選出の際は、立候補した大統領候補と副大統領候補の組に対して投票を行う。

立法府は、二院制の議会によって構成されている。上院の定員は32名、下院は150名である。大統領選挙は4で割り切れる年に行われ、議会の選挙はそれ以外の年に行われている。

[編集] 地方行政区分

[編集] 地理

[編集] 経済

農業が主要産業であり、農産品の輸出と、観光外貨の獲得源となっている。砂糖の絞りかすから製造されるフルフラールは、北米地域で比較的高いシェアを占めている。

  • 特産品 - 砂糖、カカオ、フルフラール、琥珀

2004年の国際通貨基金の調査によると、一人当たりGDPは2,193米ドルとなっている。

[編集] 国民

住民は、ヨーロッパ系が16%、アフリカ系が11%、ムラートが73%である。

言語はスペイン語が公用語である。

宗教は、ローマ・カトリックが95%である。

[編集] 文化

  • 観光地 - カサデカンポ
  • 音楽 - メレンゲ・バチャータ
祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考

[編集] 日系移民

  • 1954年 ドミニカ共和国における日系移民の募集開始。
  • 1957年 渡航開始。しかし、入植した農地は募集要項に記載されたような好条件の場所ではなく、石礫地など農業に適さない土地であり、多数の入植者が苦しんだという。
  • 1961年 政変をきっかけに入植地からの撤退、帰国事業が国費で行われる。
  • 2000年 移住者が日本国を相手取り、ドミニカ移民訴訟が開始。
  • 2003年 超党派で「ドミニカ共和国への日本人移住者問題解決を進める国会議員懇談会」(尾辻秀久会長)が結成される。
  • 2006年 東京地方裁判所で移民訴訟判決。国の責任は認定されるが、移民事業の実施から20年以上が経過しており国家賠償法に基づく賠償請求権は消滅したとの判断により原告請求を全て棄却。その後政府が特別一時金を支払うことで、原告側も控訴を取り下げた。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 公式

[編集] その他


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