ドイツ海軍

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ドイツ海軍(ドイツかいぐん)とは、ドイツの海上防衛兵力(海軍)を指す。ここでは帝政ドイツ以降の海上兵力について述べる。

ドイツ海軍の名称の変遷は以下の通りである(1861年から1990年)。

ドイツ海軍の保有した艦艇は戦艦巡洋戦艦ポケット戦艦巡洋艦駆逐艦、潜水艦であるUボート、小型艦としてRボートSボートなどが挙げられる。


目次

[編集] 歴史

[編集] 第一次世界大戦前

ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は大英帝国に対抗して海軍長官アルフレート・フォン・ティルピッツの下に大規模な艦隊を建設していた(陸軍がプロイセン王国、ザクセン王国、バイエルン王国等諸邦の陸軍の寄合所帯だったのに対し、海軍が皇帝の直轄だったことも一因)。「大洋艦隊(Hochseeflotte, 大海艦隊とも訳される)」と呼ばれた艦隊の規模は日本アメリカを優に凌ぎ、世界第2位の海軍としてイギリス弩級戦艦巡洋戦艦(ドイツ名では大巡洋艦)を中心に、激しい建艦競争を繰り広げていた。

[編集] 第一次世界大戦

大戦においても、名高い軽巡洋艦エムデンや仮装巡洋艦、Uボートによる通商破壊戦、また、コロネル沖海戦フォークランド沖海戦ドッガー・バンク海戦ユトランド沖海戦でイギリス海軍相手に激戦を繰り広げた。しかし、開戦後、元来陸軍国であるドイツは新型艦の建造は大幅にペースダウンしており、戦争後半になると続々と増強されるイギリス海軍に比べ、明らかに劣勢となっていった。その為、Uボートによる無制限潜水艦作戦が主流となっていった。また、ドイツ海軍は飛行船も保有し、陸軍の飛行船ともどもイギリス本土への空爆もおこなっている。その後、キール軍港での水兵の反乱がドイツ革命、大戦終結の引き金になった。大戦終結後にドイツ艦隊の主力(74隻)は、イギリスのスカパフローに回航されるものの、賠償艦となり、引き渡すことを拒み、多くの艦が一斉に自沈を遂げた

[編集] ヴェルサイユ条約下

ヴェルサイユ体制下でのワイマール共和国におけるドイツ海軍は、軍全般同様、厳しい制限を受けた。大型艦としては旧式の前弩級戦艦が残されたに過ぎなかった。また、東にはポーランド、西にはフランスという2つの仮想敵国が存在し、加えて、東プロイセンがポーランドの存在によって飛び地となるなど、非常に厳しい戦略状況を迎えていた。この状況下で建造されたのが、28センチ砲搭載のドイッチュラント級「装甲艦」である。「戦艦より速く、巡洋艦より強い」(28cm6門、27ノット)と称した、この通称ポケット戦艦は、旧式艦の多いフランスと軽艦艇のみのポーランドの双方を相手にすることへの苦肉の策とはいえ、ワシントン軍縮条約での制限(主力艦以外は、排水量1万トン以下、備砲28センチ以下)とヴェルサイユ条約での制限(排水量1万トン以下、備砲20センチ以下)をうまく突いた艦であった(もっとも、速力も火力も時に言われるほど大きくないのは他国の艦と比べてもらえばわかると思うが)。装甲艦についてはその性能や、実際の戦果よりも、平時戦時を問わず敵国に与えた「圧迫感」こそ、その存在意義と言えよう。尤も第二次大戦後半には、各種哨戒網の構築により、ドイツ海軍最強力のティルピッツですら港に封じ込められていた事実からすれば、「圧迫感」も大分軽減されていたであろうが。

Deutsches Reich Flaggen

[編集] 再軍備宣言後

1935年、ヒトラーはヴェルサイユ条約を破棄、再軍備を宣言。英独海軍協定を締結し、海軍の拡張も開始される。同年、シャルンホルスト級2隻の建造が再開され、翌年にはビスマルク級2隻も起工される。この時期のドイツ海軍はZ計画に基づき、大規模な水上艦隊の建設をおこなう予定であった。1939年という早い時期に対英開戦となったため、これらの艦艇は軒並み没になったが、開戦が5年遅ければ、かなり違った様相を呈したと思われる(もっとも、実際に計画通りの数が揃うか、揃っても兵員の質と量が足りるかどうかは疑問である)。

[編集] 第二次世界大戦

1939年、ポーランドに侵攻したドイツに対し、英仏は宣戦布告。ヒトラーにとっても、このタイミングでのイギリスとの開戦は青天の霹靂だったが、海軍にとっても、Z計画がほとんど進展していない状況での開戦となってしまった。ベルサイユ条約破棄後、ヒトラーは英仏の有力な海軍力に対抗するため、Z計画を始めとした大規模な建艦計画を承認した。しかし計画の完成年度を1944年としたため(ヒトラーは「対英戦争は1945年まではない」と海軍側に説明していた)第二次世界大戦の勃発とともに、Uボート建造を優先するため大型艦艇の建造は徐々に縮小されていった。

ポケット戦艦といわれたドイチュラント級は実質的には重巡洋艦でありイギリスの戦艦と正面切って戦う力はなく、シャルンホルスト級は高速ながら火力に乏しく、ビスマルク級も完成当時は世界最大の戦艦であったが、設計の古さが災いして同時期の各国の新鋭戦艦に比べれば問題のある艦であった(但し、その「設計の古さ」をドイツ海軍は認識していないと思われる)。また航空母艦もなく、重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦も十分ではなかった。ドイツ海軍を率いるレーダー提督はこの状況を「我々は死ぬ時を心得ている」と表現したという。比較的充実していたのは潜水艦で、Uボートは開戦と同時にイギリスの海上補給路を攻撃し始めた。ドイツ海軍は水上艦艇も通商破壊作戦に投入し、開戦前に遠洋航海に出ていた装甲艦アドミラル・グラフ・シュペーは数万トンに達する戦果を挙げた。Uボートはイギリスを崩壊寸前まで追い詰めた。後にチャーチルは「私が大戦中に恐れたのはUボートの脅威のみである」と語った。

1945年、トロンハイム(Trondheim)の潜水艦ブンカー前に停泊するVII型とIX型のUボート。

第二次世界大戦におけるドイツ海軍の基本は通商破壊である。戦の時点でドイツ海軍が保有する大型艦はわずかであり、まともにイギリス海軍に挑めるはずもなかった。大西洋を中心にノルウェー海や地中海、遠くはインド洋までUボートによる群狼作戦を行い、ポケット戦艦、仮装巡洋艦を派遣し、連合軍の輸送船を攻撃した。イギリス海峡では水雷艇による襲撃を行っている。方針の一例としては護衛がついている物は狙わず、輸送艦のみの物を狙うようにしていたが、護衛が付く割合が多くなると護衛艦ごと攻撃したりもした。しかし、一貫した方針は遂に確定されず、連合軍の出方によって方針は二転三転していた。Uボート側の損害も多く(特に戦争終盤)、最終的なキルレシオは意外なほどに低いものとなっている。英米もこれに対処するために輸送船に駆逐艦を付けたり、護衛空母を付けたりした。

[編集] ドイツ海軍の空母

デーニッツ提督は空母の必要性を痛感しており、そのため海軍航空隊の設立と空母の建造を要求していたが、空軍の権力が小さくなることを嫌った空軍総司令官ゲーリングがそれを認めさせなかった。空母はグラーフ・ツェッペリンとウェーザー(アドミラル・ヒッパー級4番艦、ザイドリッツを建造中に改装)の建造を行っていたが、ゲーリングの妨害や潜水艦の増産が優先されたため、85-90%の完成状態のままに置かれていた。日本海軍は1942年のミッドウェー海戦で空母4隻を失ったため、日本海軍が技術供与して建造されたグラーフ・ツェッペリンの買収をドイツに働きかけたが、話は進まなかった。グラーフ・ツェッペリンは1945年1月に自沈した。

ちなみに、ドイツ海軍の艦艇はバルト海と北海を結ぶキール運河や母港のヴィルヘルムスハーフェンの能力の不足のために設計・建造に制限をかけることがあった。戦艦ビスマルクなどの設計に際しても問題となっているが、これがグラーフ・ツェッペリンの竣工を妨げた可能性がある。同じような問題として、米海軍とパナマ運河の関係が有名であるが、イギリス海軍の空母も母港の能力不足で設計に制約を課されており、軍事インフラの能力は地味ながらも艦の性能を左右する存在だったのである。

もっとも、史実における戦艦ティルピッツなどを見ると、1隻の空母が(しかも、ドイツにとって初めての空母で)戦力になったか疑わしく、逆に空母が一隻でもあればビスマルクは助かった、など様々な意見がある(実際デーニッツには、空母をビスマルクに同伴させる考えがあった)。

[編集] 戦後~現代

[編集] 東ドイツ

[編集] 艦艇

現在就役中の艦船は以下の通り。過去に就役した艦艇についてはドイツ海軍艦艇一覧を参照のこと。

[編集] 主な海戦

第一次世界大戦

第二次世界大戦

[編集] 著名な海軍軍人

第一次世界大戦

戦間期

  • アドルフ・フォン・トロータ
  • パウル・ベーンケ - ヴァイマル共和国海軍総司令官。
  • ハンス・ツェンカー - ヴァイマル共和国海軍総司令官。

第二次世界大戦

  • エーリヒ・レーダー - ドイツ海軍総司令官。
  • カール・デーニッツ - ドイツ潜水艦隊司令官。海軍総司令官。ドイツ大統領。
  • ハンス・ゲオルク・フォン・フリーデブルク - ドイツ潜水艦隊司令官。海軍総司令官(両職ともデーニッツの後任)。
  • ワルター・ヴァルツェハ - 海軍総司令官(フリーデブルク自決後の暫定司令官)。
  • ギュンター・グーゼ - 海軍軍令部長。
  • オットー・シュニーヴィント - 海軍軍令部長(グーゼの後任)。
  • クルト・フリッケ - 海軍軍令部長(シュニーヴィントの後任)。
  • ヴィルヘルム・マイゼル - 海軍軍令部長(フリッケの後任)。
  • エーベルハルト・ゴット
  • アルフレート・ザールヴェヒター
  • ヴィルヘルム・マルシャル
  • オットー・バッケンケーラー
  • ロルフ・カールス
  • ヘルマン・ベーム
  • ヘルマン・デンシュ
  • ギュンター・リュッチェンス
  • テオドール・クランケ
  • アウグスト・ティーレ
  • ハンス・ラングスドルフ
  • ベルンハルト・ロッゲ
  • エルンスト・リンデマン
  • カール・トップ
  • オスカー・クメッツ
  • ヘルムート・ブリンクマン
  • オットー・チリアックス
  • エーリヒ・バイ
  • フリードリヒ・ボンテ
  • カール・ヴィッツェル
  • ヴェルナー・フックス
  • ヘルムート・ハイエ
  • フリートリヒ・ルーゲ
  • カール・ハンス・ツェンカー
  • ヴィルヘルム・カナリス
  • ヴィルヘルム・メーンゼン=ボールケン

Uボートエース

[編集] 文献

  • ダン・ファンデルバット (Dan van der Vat)(著)、The Grand Scuttle; The Sinking of the German Fleet at Scapa Flow in 1919, Hodder and Stoughton Limited, London, 1982, ISBN 1-874744-82-3
  • ダン・ファンデルバット(著)、佐藤佐三郎(訳)、第一次世界大戦敗戦後のスパカ・フローでの残存ドイツ艦隊の自沈、『ドイツ艦隊大自沈』、原書房、1984年、ISBN 4-562-01438-5
  • Adolf Schlicht / John R.Angolia(著)、ドイツ海軍の軍服・装備の紹介、 Die deutsche Wehrmacht, Uniformierung und Ausrüstung 1933-1945, Band 2 Die Kriegsmarine, Motorbuch Verlag, 1995, ISBN 3-613-01656-7
  • 相澤淳(著)、『海軍の選択:再考 真珠湾への道』、中央公論社、2002年、ISBN 4-12-003304-X
  • カーユス・ベッカー(著)、松谷健二(訳)、ドイツ海軍戦闘記録、『呪われた海』(解題『呪われた海』青木栄一(著)及び『年表』阿部安雄(著) を含む)、中央公論新社、2001年、ISBN 4-12-003135-7

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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