ドイツ帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ドイツ帝国</dt>
Deutsches Reich</dt>

1871年 - 1918年
ドイツ帝国の国旗国章

</dd>

国の標語 : Gott mit Uns</dd>
国歌 : Heil dir im Siegerkranz</dd>
</dd>

<tr> <th>通貨<td>ゲルトマルク( - 1914年)、パピエルマルク1914年 - ) </tr>
公用語 ドイツ語
首都 ベルリン
皇帝</dt>
1871年 - 1888年 ヴィルヘルム1世

<tr> <th>1888年 - 1888年<td>フリードリヒ3世 </tr><tr> <th>1888年 - 1918年<td>ヴィルヘルム2世 </tr>

</dd>

帝国宰相</dt>

1871年 - 1890年オットー・フォン・ビスマルク(初代)

<tr> <th>1918年11月8日 - 1918年11月9日<td>フリードリヒ・エーベルト(最後) </tr></table></dd>

面積</dt>

1910年540,857.54km²

</table></dd>

人口</dt>

1871年41,058,792人

<tr> <th>1890年<td>49,428,470人 </tr><tr> <th>1910年<td>64,925,993人 </tr></table></dd>

変遷</dt>

ドイツ統一 1871年1月18日

<tr> <th>ドイツ革命<td>1918年11月9日 </tr>

</dd>

</dd>

先代次代
北ドイツ連邦 ヴァイマル共和国
アルザス・ロレーヌ
自由都市ダンツィヒ
ポーランド共和国
リトアニア共和国
ザール
</dd></dl>

ドイツ帝国:Deutsches Kaiserreich, 英:German Empire )とは1871年1月18日から 1918年11月9日まで存続したホーエンツォレルン朝立憲君主国であり、現在のドイツ連邦共和国の他に、現在のフランスポーランドの一部、ナミビアなどを支配していた。皇帝が統治した国である。

この国は普仏戦争勝利の勢いのままに1871年パリ郊外のベルサイユ宮殿の「鏡の間」におけるプロイセンヴィルヘルム1世のドイツ皇帝戴冠式に始まり、第一次世界大戦の敗北とドイツ革命の勃発による1918年11月の第三代ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世のオランダ亡命に終わる。

正式な国名はドイツ国(Deutsches Reich)である。これは「ヴァイマル共和国1918年 - 1933年)」、1933年 - 1945年の「ナチス・ドイツ)」時代を通じて変わらなかった。

目次

[編集] 歴史

1871年1918年のドイツ
1914年当時のヨーロッパ
ドイツ帝国の海外植民地

[編集] 成立以前

1862年オットー・フォン・ビスマルクプロイセン王国の首相となった。そして、オーストリア帝国と同盟し、デンマークと戦争を行った(シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争)結果、シュレスヴィヒ・ホルシュタインを穫得した。

その後1866年普墺戦争ではオーストリアを破って北ドイツ連邦を結成。オーストリアをドイツ人国家の枠組みから追放した。1870年には普仏戦争ナポレオン3世率いるフランス帝国を破ってパリへ入城し、ヴェルサイユ宮殿でドイツ諸侯に推戴される形でプロイセン国王ヴィルヘルム1世がドイツ皇帝となり、ここに帝政ドイツが成立した。

また、この際に長年、フランスと領有権を争っていたエルザス・ロートリンゲン(アルザス・ロレーヌ)を獲得した。

ドイツの統一までの経緯は、「ドイツ統一」を参照。

[編集] 複雑な同盟関係の完成

ビスマルクは、普仏戦争に負けたフランスの対独復讐を封じるために、列強と複雑な同盟関係を築き上げてフランスを孤立化させる外交政策を取った。これをビスマルク体制と呼ぶ。

当時大英帝国とは特に対立も無く、充分に国力があった大英帝国は同盟には加わらなかった(栄光ある孤立)。一方フランスは孤立化してしまう。

海外植民地として南西アフリカ(現ナミビア)、東アフリカ(現タンザニアルワンダブルンジ)、カメルーントーゴ南洋諸島ニューギニア北東部および付近の島嶼(ビスマーク諸島)、サモア中国山東半島などを獲得した。

[編集] 世界政策

1888年 に即位したヴィルヘルム2世はビスマルクと対立、1890年にビスマルクを引退させる。親政を開始したヴィルヘルム2世は積極的に帝国主義政策を実行し、大英帝国との対立、ロシア帝国との対立、ロシア帝国のフランス接近、などの問題を生み、最終的にビスマルク体制が破綻して第一次世界大戦が勃発することになる。

[編集] 帝政の崩壊

1918年、第一次世界大戦の敗戦とともにドイツ革命が起きて帝政は倒れ、ヴィルヘルム2世はオランダへ亡命。後に「ヴァイマル共和国」と呼ばれる共和制へと移行した。

[編集] ドイツ皇帝一覧

ヴェルサイユ宮殿、鏡の間にて戴冠するヴィルヘルム1世。中央の白い服の人物はビスマルク

[編集] ホーエンツォレルン朝


[編集] 構成国

ドイツ帝国はプロイセン王国を中心とした連邦国家でもあった。以下は構成国(Bundesstaat)のリストである。このうち、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナッハ大公国は、1903年以降、公文書上「ザクセン大公国(Großherzogtum Sachsen)」と表記されるようになった。

表中の「議席」とは連邦参議院における各構成国の議席数(1918年現在)を指す。なお、フランスから割譲された帝国直轄州エルザス・ロートリンゲンは1911年まで議席が割り当てられなかった。

構成国 首都 面積(km²) 議席
王国(Königreich)
プロイセン
バイエルン
ヴュルテンベルク
ザクセン
ベルリン
ミュンヘン
シュトゥットガルト
ドレスデン
348.702
75.870
19.511
14.992
17
6
4
4
大公国(Großherzogtum)
バーデン
メクレンブルク=シュヴェリン
ヘッセン
オルデンブルク
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナッハ
メクレンブルク=シュトレリッツ
カールスルーエ
シュヴェリン
ダルムシュタット
オルデンブルク
ヴァイマル
ノイシュトレリッツ
15.067
13.126
7.688
6.428
3.611
2.929
3
2
3
1
1
1
公国(Herzogtum)
ブラウンシュヴァイク
ザクセン=マイニンゲン
アンハルト
ザクセン=コーブルク=ウント=ゴータ
ザクセン=アルテンブルク
ブラウンシュヴァイク
マイニンゲン
デッサウ
ゴータ
アルテンブルク
3.672
2.468
2.299
1.977
1.323
2
1
1
1
1
侯国(Fürstentum)
リッペ
ヴァルデック
シュワルツブルク=ルードルシュタット
シュワルツブルク=ゾンデルスハウゼン
ロイス(弟系)
シャウムブルク=リッペ
ロイス(兄系)
デトモルト
バート・アロルゼン
ルードルシュタット
ゾンデルスハウゼン
ゲーラ
ビュッケブルク
グライツ
1.215
1.121
940
862
826
340
316
1
1
1
1
1
1
1
直轄州(Reichsland)
エルザス・ロートリンゲン シュトラスブルク 14.517 3
自由都市(Freie Stadt)
ハンブルク
リューベック
ブレーメン
-----
-----
-----
413
297
256
1
1
1
合計 540.766 61


[編集] 関連項目

ドイツ国(Deutsches Reich)
1871年 - 1945年
帝政ドイツ
1871年 - 1918年
ヴァイマル共和政
1918年 - 1933年
ナチス・ドイツ
1933年 - 1945年

<span class="FA" id="de" style="display:none;" /> <span class="FA" id="he" style="display:none;" />

ことばこって?

「ことばこ」は、歴史の人物から最先端テクノロジーまで、なんでも調べられるオンライン百科事典です。ウィキペディア財団が運営を行なっているwikipedia.orgから引用をしています。

おススメサイト
トラブログ
アレどう?
アフィリエイトB