トルキスタン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

トルキスタン(Turkistan)は、狭義の中央アジアの別呼称である。 ペルシア語で、「テュルク人(Türk)の土地(-istan)」を意味する。

目次

[編集] トルキスタンの国

パミール高原を境として西トルキスタンと、東トルキスタンに分かれる。

西トルキスタンには、トルクメニスタン(Turkmenistan)・ウズベキスタン(O'zbekistan)・タジキスタン(Tajikistan)・キルギスタン(Qırgızstan, クルグズスタン)・カザフスタン(Qazaqstan)が含まれ、 東トルキスタンには中華人民共和国の植民地支配下に置かれた新疆ウイグル自治区(Shinjang Uyghur Aptonom Rayoni)が含まれる。

[編集] トルキスタンの民族

「トルキスタン」は、この地域が10世紀16世紀にテュルク化してより呼称されるようになった。

地域内のテュルク系諸民族の人口は多く、主な民族では、イラン系のタジク人を除く、ウイグル人トルクメン人ウズベク人キルギス人カザフ人の5民族がテュルク系である。

[編集] 西トルキスタン

(旧ソ連から独立した民族国家)

[編集] テュルク系民族国家

国名 人口民族割合 面積 GNP 所得/人
カザフスタン 1683万人 (カ46%,露35%) 272万km2 222億ドル 1350ドル
キルギスタン 464万人 (キ60%,露10%) 20万km2 25億ドル 550ドル
トルクメニスタン 424万人 (ト77%,ウ 9%) 43万km2 43億ドル 940ドル
ウズベキスタン 2344万人 (ウ76%,露 6%) 44万km2 235億ドル 1010ドル

[編集] イラン系民族国家

タジキスタン 605万人 (タ64%,ウ24%) 14万km2 20億ドル 340ドル
※(カ)ザフ人,(キ)ルギス人,(ト)ルクメン人,(ウ)ズベク人,(タ)ジク人,露=ロシア人
上表のように面積はカザフスタンが桁違いに広い。
人口はウズベキスタン、ついでカザフスタンが多い。
一人あたりの所得はタジキスタンが目立って低い。

[編集] 東トルキスタン

(中国領内の民族自治区)

新疆ウイグル自治区 (回47%,漢38%) 165万km2
GNP,所得は不明。自治区の面積は中国全土の1/6。
回=ウイグル人、漢=漢民族

[編集] 歴史

「トルキスタン」とは、その名が示す通り「テュルク人」(Turk-)に「〜が存在する(ところ)」(-istān)を意味する接尾辞が付属したペルシア語での他称に由来するものであり、「テュルク」と呼ばれる一定の人間集団が集まり住む地域を指す言葉であって固有の地名に根ざした名称ではない。そのため、前近代においてはその地域的な範囲は明確ではなく、イスラーム時代以降はマーワラーアンナフルと呼ばれた中央アジア南部のオアシス都市の地域の北方に広がるテュルク系遊牧勢力がいた領域を指す漠然としたものであった。一方、スィル川の中流にはヤサヴィ−教団の始祖アフマド・ヤサヴィーの廟墓があることで有名なトルキスタン市(古名ヤス)がある。

13-14世紀のモンゴル帝国時代、いわゆる東トルキスタン天山ウイグル王国のウイグル駙馬王家があったため、この地域はおおよそウイグリスタンと呼ばれ、15世紀からはチャガタイ家のアブル=ハイル・ハンなどモグ−リスタ−ン・ハン家の領域を本来モンゴル高原を指していた「モンゴル人の住むところ」を意味する言葉であるモグーリスターンなどど呼んでいる。西トルキスタンは変わらずマーワラーアンナフルと呼ばれていた。これはティムール朝末期のバーブルの時代でも同じであった。これらの地域を「トルキスタン」と一括する慣習はロシアなど19世紀以降のことである。

13世紀以降はモンゴル帝国,次いで後継の汗国に支配される。

[編集] 近代以降

[編集] その他

  • 「トルキスタン」は、ロシア帝国時代には、西トルキスタンの南部であるウズベキスタン・タジキスタン・トルクメニスタン一帯と、さらに狭い地域の名称として用いられたこともあった。
  • ウズベク人タジク人は,アフガニスタンにも多く居住する。


[編集] 関連項目

[編集] 地図

ユーラシア大陸全域におけるトルキスタンの位置
東西トルキスタンを合わせた面積はインド亜大陸よりも広い。

[編集] 外部リンク

ことばこって?

「ことばこ」は、歴史の人物から最先端テクノロジーまで、なんでも調べられるオンライン百科事典です。ウィキペディア財団が運営を行なっているwikipedia.orgから引用をしています。

おススメサイト
トラブログ
アレどう?
アフィリエイトB