タツノコプロ

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タツノコプロ(正式社名:株式会社竜の子プロダクション、英語表記:Tatsunoko Production Co., Ltd.)は、アニメーションの企画・制作および版権管理を主な事業内容とする日本の企業である。

漫画等の原作を元にしないオリジナルアニメを得意とし、そのため作品にかかわる権利の9割以上を自社単独で保有している。1970年代を中心に、人気作品を多く輩出した。

コーポレート・キャラクターはタツノオトシゴである。

多くの作品の場合、タツノコプロ竜の子プロタツノコプロダクション等の名義でクレジットされる。

株式会社竜の子プロダクション
Tatsunoko Production Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 185-0021 
東京都国分寺市南町3丁目22番12号
設立 1962年10月19日
業種 情報・通信業
事業内容 アニメーションの企画・制作および版権管理
代表者 成嶋弘毅(代表取締役)
資本金 2070万円
従業員数 43名
主要株主 株式会社タカラトミー(88%)
関係する人物 吉田龍夫(吉田竜夫)(初代代表取締役)</br>吉田健二(二代目代表取締役・初代会長)</br>吉田豊治(九里一平)(三代目代表取締役)
外部リンク http://www.tatsunoko.co.jp/ (公式サイト)
特記事項:日本動画協会正会員

目次

[編集] 歴史

  • 1962年10月19日漫画家吉田竜夫が、自身のマネージャーを務めていた弟の吉田健二らと共に設立。竜夫の末弟で漫画家の九里一平(本名: 吉田豊治)も、竜夫と健二に勧められるまま参加。3兄弟が代表権を持つ取締役に就任し、竜夫が社長、健二が専務、九里が常務となった。
    所在地は創設当初から東京都国分寺市。当初は吉田竜夫の漫画の版権やアシスタントの管理をするための漫画専門のプロダクションだった。創設時には、辻なおき望月三起也中城健が参加した。
  • 1964年、タツノコプロへ東映動画からテレビアニメ制作の企画が持ち込まれるが、著作権の配分を巡って制作開始直前に中止。
    タツノコプロが原作と演出、東映動画が作画以降の作業を分担する形。東映動画は独自に『宇宙パトロールホッパ』を制作した。
    このとき、タツノコ側からはアシスタントの原征太郎と吉田兄弟の友人の漫画家笹川ひろしが東映動画で3ヶ月のアニメーター養成研修を受けた。
  • 1967年4月、カラー作品第1号『マッハGoGoGo』が放送開始。
    以後、吉田竜夫が原作を務めた作品と『いなかっぺ大将』などの他の原作者による作品を並行しながらアニメ制作を続ける。
    主に『科学忍者隊ガッチャマン』などのSFアクションヒーロー物を制作する一方、スラップスティックギャグや家庭向け作品を多く制作する。
  • 1977年
    • 3月7日、子会社のアニメフレンドを設立。
    • 9月5日、吉田竜夫社長が肝臓がんのため死去(享年45)。
    • 9月21日、吉田健二取締役が第2代社長に就任。
  • 1978年、アニメーター養成機関、タツノコアニメ技術研究所を設立。
吉田竜夫が亡くなる前後の1970年代後半から創立メンバーが相次いで独立。一時勢いの衰えを見せるものの、新しいスタッフを得て制作した『ドテラマン』(※日本初の文字放送アニメ)や『未来警察ウラシマン』『赤い光弾ジリオン』などが評価される。1970年代後半から80年代前半にかけて、タツノコ作品を支えた若手演出家4名(うえだひでひと押井守西久保利彦(瑞穂)真下耕一)には「タツノコ四天王」の異名が付けられた。
  • 1985年9月、『炎のアルペンローゼ』を最後に、タツノコ制作によるアニメがフジテレビ系列で放送されることはなくなった。
    ちなみにフジテレビの現在のロゴ(目玉印など)は翌年から使われている。従ってタツノコプロで本放送がフジテレビの作品のタイトルクレジットの「フジテレビ」の字体は全て旧ロゴ(目玉印なし。ロゴの字体は太い)である。
    一方、『ドテラマン』を皮切りに、1971年に制作・放送された『アニメンタリー 決断』以来15年ぶりに日本テレビでタツノコ制作のアニメが放映された。また、タイムボカンシリーズなど多くの作品が、再放送も含めてテレビ東京で放送され、「アニメのテレ東」確立の一端となる。
  • 1987年
    • 吉田健二社長が退任し、タツノコを退社。九里一平が第3代社長に就任。
      健二前社長は退任後、独自のプロダクション「遊エンターテインメント」を設立。同社でテレビアニメ『横山光輝 三国志』の制作に関わる。
    • 12月、竜の子制作分室が独立して有限会社アイジータツノコ(現: Production I.G)が設立される。設立にあたり、タツノコプロは資本金の20%を出資。1993年に資本関係は解消。
  • 1990年
    • 杉井興治率いるタツノコアニメ技術研究所が、アニメーション21結成に参加して独立。
    • 9月、アニメフレンドを解散。
    • ロビンフッドの大冒険』の放映がNHK衛星第2テレビで開始、タツノコアニメが初めてNHKで放映される。
1990年代以降は、社外に去っていた笹川ひろし、多田喜久子らかつてのスタッフを呼び戻し、旧作のリメイクを中心に作品発表を続けている。
  • 1995年、吉田健二前社長がタツノコに復帰、初代会長に就任。
  • 2005年
    • 3月31日、吉田竜夫初代社長が「東京国際アニメフェア2005 第1回特別功労賞『日本のアニメを作った20人』」を受賞。竜夫の長女・すずか(イラストレーター・デザイナーとしてタツノコプロで活動中)が代理で受け取る。
    • 5月、創立40周年記念作品『鴉 -KARAS-』制作。
    • 6月末、大手玩具メーカータカラ(現: タカラトミー)が吉田家一族から株式の88%を取得、タカラ傘下に。
    • 7月1日、吉田健二会長と九里一平社長が退任。吉田洋子、吉田富子ら一族の役員も全員退任し、吉田家がタツノコの経営から離れる。成嶋弘毅専務が第4代社長に就任。
    • 10月2日、九里一平前社長が「第10回アニメーション神戸」特別賞を受賞。
  • 2006年
    • 3月25日、『鴉 -KARAS-』が「東京国際アニメフェア2006 第5回東京国際アニメアワード」オリジナルビデオ部門優秀作品賞を受賞。
    • 4月、『アクビガール』の放映がtvkなどのUHF局で開始。『怪盗きらめきマン』以来6年ぶりに通常の地上波テレビ放送で放映されたタツノコアニメ(単発のスペシャル番組は除く)となる。

[編集] 主な作品

[編集] テレビシリーズ

[編集] 1960年代

  • 宇宙エース(1965年-1966年)
  • マッハGoGoGoシリーズ
    • マッハGoGoGo(第1作)(1967年-1968年)
    • マッハGoGoGo(リメイク版)(1997年)
  • おらぁグズラだどシリーズ
    • おらぁグズラだど(第1作)(1967年-1968年)
    • おらぁグズラだど(リメイク版)(1987年-1988年)
  • ドカチン(1968年-1969年)
  • 紅三四郎(1969年)
  • ハクション大魔王(1969年-1970年)※同作の放送が開始された1969年10月から、『未来警察ウラシマン』が土曜日に移転した1983年3月まで、フジテレビの日曜夕方18時枠は13年半にわたりタツノコアニメが独占していた。

[編集] 1970年代

[編集] 1980年代

[編集] 2000年代

[編集] OVA

[編集] 1980年代

  • 天空戦記シュラトシリーズ
    • 天空戦記シュラト 天空界メモリアルズ(1989年-1990年)
    • 天空戦記シュラト 創世への暗闘(1991年)

[編集] 1990年代

[編集] 2000年代

[編集] 劇場映画

[編集] 1970年代

  • 科学忍者隊ガッチャマン(映画版)(1978年)
  • 怪盗ルパン813の謎(1979年)

[編集] 1980年代

  • 地球物語 テレパス2500(1984年)

[編集] その他

[編集] 他社主導作品の共同制作

タツノコプロは『超時空要塞マクロス』、『無責任艦長タイラー』、『新世紀エヴァンゲリオン』などの制作にも携わった。しかし、これらの作品は外部企画による作品であり、あくまでも協力的立場での参加しただけで自社単独で権利を保有していないため、自社ウェブサイト上の作品リストには掲載されていない。

[編集] 特色

[編集] キャラクター造形

タツノコプロのアニメ企画作りはまずキャラクター作りから始まっており、2000年代現在もタツノコから産まれたキャラクターは根強い人気を誇る。『宇宙の騎士テッカマンブレード』のプラモデル(発売元: バンダイ)が通商産業省グッドデザインを受賞(1992年度)したり、タツノコプロの歴代ヒーローをモデル化したミクロマン2003(発売元: タカラ)が発売直後に売り切れるなど、キャラクターのプロポーションのよさは評価が高い。

元々吉田竜夫の作品は『忍者部隊月光』など、劇画タッチのアクション物として知られており、アニメーションにもその作風が発揮されていた。吉田竜夫、九里一平、天野嘉孝らの描いたアメリカンコミックを思わせるカラフルでスタイリッシュ・肉感的なキャラクターが魅力の一つに数えられ、これは作品の海外輸出を強く意識した結果だと言われている。1960年代の代表作である『マッハGoGoGo』はアメリカに輸出され "Speed Racer" の題で人気を博し、一部のアメリカ人がアメリカ製のアニメーションだと信じていたとの逸話も残すほどだった。アクションものともにタツノコプロの2本柱となった笹川ひろし監督によるギャグもの『ハクション大魔王』「タイムボカンシリーズ」も根強い人気でキャラクター商品に人気があるが、こちらもアクションものと同様にデザインはバタくさく、美術設定などは日本を感じさせない無国籍風の作りとなっている。

小動物や幼いきょうだいを主人公とする作品は見た目の可憐さとは裏腹にこれでもか、これでもか、というくらいに相次いで襲いかかる過酷な試練、迫害に打ちのめそうになりながら、何とかそれを乗り越えていき、最終話で大きな喜びを得る、という話が多い。

小学生を主人公とする作品では上記に加えて、小学生にもかかわらず結婚(それも重婚)したり、アルバイトで生計を立てる、という、現実には法律上ありえない設定になる場合がある。

タツノコプロの1990年代の苦境を凌げたのは、吉田竜夫らの遺した財産とも言えるキャラクターたちだった。1970年代の人気作品を続々とリメイクする企画によって作品をリリースすることが出来たのである。タツノコオリジナルキャラクターには業界内でもファンが多く、1973年に製作された『新造人間キャシャーン』が、30年を時を経て2004年に『CASSHERN』の題で実写映画化。さらにアメリカでも、2005年に映画会社ワーナーブラザーズによって『マッハGoGoGo』が実写映画化される動きが伝えられた。

[編集] 映像

タツノコ作品の映像は質の高さ・ユニークさで定評があり、代表作とも言える『科学忍者隊ガッチャマン』では、特にハイクオリティな映像にこだわり、CGが無い時代に、セル画は1万枚を超えたこともあった。当時アニメの撮影では35ミリフィルムが一般的だったのに対して、16ミリフィルムで製作されたが、その映像の質の高さは、1972年放送とは思えないほど鮮明とも評される。これには難しい吉田のキャラクターを描ける、タツノコアクションの人気には、宮本貞雄、須田正己二宮常雄湖川友謙といったアニメーターの力もあった。

映像の表現については、セルアニメーションにこだわらない貪欲さを見せ、実写映像を撮影あるいは、フィルムを購入して、アニメに挿入するなどした。東洋現像所(現: IMAGICA)に導入されたばかりの映像効果スキャニメイトをいち早くアニメに導入したのはタツノコプロである。これは初期のCGとも評されるもので、アナログ処理による画像を変形させる効果が、『タイムボカン』シリーズのタイムトラベルシーン、1975年製作の『宇宙の騎士テッカマン』のオープニング演出など、いくつかのタツノコ作品で使われた。特撮では日本現代企画が『スーパーロボット マッハバロン』『少年探偵団 (BD7)』で同じ技術を使っており、アニメ・特撮ファンにはこの2社による採用が最も有名である。

[編集] シンジケーション

テレビアニメ進出当初からフジテレビとは関係が深く、土曜日の18時30分から19時の時間帯と日曜日の18時から18時30分の時間帯は一時期タツノコアニメが独占していた。広告代理店の読売広告社(読広)の初のテレビ作品がタツノコプロの『宇宙エース』であり、以後も読広と組むことが多かった。初期には読広がタツノコプロの音響製作をし、読広の社員が予告のナレーション台本も担当。多くのタイトルが読広の電波担当役員の松山貴之によって名付けられ、松山は読広退社後の1995年12月から1996年11月までタツノコプロの会長に迎えられる間柄でもあった。

[編集] 社内体制

タツノコプロには企画から撮影まで社内のみで完結する一貫した制作体制が整っていた。かつては東映動画虫プロダクション(旧社)も同様の体制を保持していたが、これらが合理化や倒産により消滅したあともタツノコのみは長くこの体制を維持した。押井守は演出家の修業の上でそれが役立ったことを語っている。

外注プロダクションでは作画のタマプロが大いに貢献している。後に韓国ルートを開拓し、子会社のアニメフレンドを設立した。

近年は制作本数の減少に伴い、他社と同様に、正社員を減らして作品ごとに契約スタッフを採用する形にし、スタジオ経営のスリム化を図っている。

  • キャラクター室
吉田竜夫社長が直轄していた独立性の高い部署。天野嘉孝、高田明美、下元明子が在籍。
  • 企画文芸部
日活出身の脚本家、鳥海尽三が虫プロを経て移籍してきたのを契機に設立。鳥海尽三を部長に、小山高男、柳川茂らが所属した。
  • 美術部
中村光毅が部長。美術デザイン、世界設定のみならず、メカニックデザインも行なった。大河原邦男、多田喜久子らが所属。
  • 演出部
部長は笹川ひろし。原征太郎、鳥海永行、布川ゆうじ、押井守、真下耕一、うえだひでひと、西久保利彦らが活躍。タツノコでは演出が動画チェックも行なった。
  • 出版部・版権部
版権管理の他、タツノコアニメのコミカライズや絵本、版権イラストを担当。天馬正人や内山まもるが在籍。
  • CM部
コマーシャルやPR映画などを制作。後に葦プロダクションを設立する佐藤俊彦、加藤博らが在籍した。

[編集] 出身者

[編集] タツノコプロOBが独立して設立した会社

[編集] 関連文献

  • 笹川ひろし 『ぶたもおだてりゃ木にのぼる 私のマンガ道とアニメ道』 ワニブックス、2000年、ISBN 4-8470-1358-1
  • 原口正宏・赤星政尚・長尾けんじ 『タツノコプロ・インサイダーズ』 講談社、2002年、ISBN 4-06-330179-6
  • 岩切徹 「漫画家九里一平 アニメ界のモックは何処へ」 『AERA』2005年10月17日号、朝日新聞社

[編集] 関連項目

ことばこって?

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