タイロン・ウッズ
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タイロン・ウッズ(Tyrone Woods, 1969年8月19日 - )は中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手。ポジションは内野手。右投げ右打ち。背番号は44。
本名「ウィリアム・タイロン・ウッズ」(William Tyrone Woods)。スコアボードには「T・ウッズ」と表記される。アメリカ合衆国フロリダ州出身。2007年の推定年俸は約6億円。
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[編集] 略歴
- モントリオール・エクスポズ(1988年-1994年)
- ボルティモア・オリオールズ(1995年)
- ボストン・レッドソックス(1996年)
- メキシコ・ミナチトラン(1997年)
- OBベアーズ(1998年)
- 斗山ベアーズ(1998年~2002年)
- 横浜ベイスターズ(2003年~2004年)
- 中日ドラゴンズ(2005年)~
[編集] 人物
- 1998年 韓国・OBベアーズ(1999年より斗山ベアーズ)に入団。同年本塁打王獲得。その時のシーズン42本は韓国記録だった(翌年李承燁が54本で更新、今の韓国記録は李承燁の56本)。
- 2001年 韓国プロ野球で打点王、韓国シリーズMVPなどのタイトルを獲得し、斗山ベアーズの韓国シリーズ優勝に貢献。
- 2002年 この年限りで斗山ベアーズを退団。
- 2003年 横浜ベイスターズに入団、来日初年度で40本塁打を放ち本塁打王を獲得する(ヤクルトのラミレスと分け合う)。
- 2004年 45本塁打で2年連続の本塁打王を獲得する(巨人のローズと分け合う)。しかし、オフの契約更改の席にて複数年契約を申し出るが、高齢やチャンスに弱いことなどから合意に至らず退団の運びとなる(これには横浜が佐々木主浩獲得のための資金を捻出する必要に迫られていたという事情も関係していた)。その後長距離打者を求める中日・阪神などからオファーがあり、2年契約で中日へ移籍することとなった。
- 2005年 中日の不動の4番として働き、チーム1位の本塁打を放ち、初の3割もマークした。
- 5月5日(ヤクルト6回戦/ナゴヤドーム)、5回裏の打席で顔付近への投球に怒り、藤井秀悟投手(ヤクルト)の右頬を殴って退場処分になり、10試合の出場停止と50万円の罰金処分を受けた。これに関しては、この年4月のヤクルト戦で死球によって小指を骨折したことがあり、それもあるかと思われる(更には同月1日の横浜戦でもほぼ同じコースで死球を受け、投手に詰め寄るという騒ぎを起こしていた。この時は2塁ベース上の立浪らグランドに居た選手が止めたので事なきを得た)。出場停止の影響で、その時点で首位を走っていた中日が直後に始まった交流戦で大きく負け越し、この年の優勝を逃す結果となった。ウッズの抜けた穴は大きく、交流戦で連敗している間スポーツ紙には「ウッズ・ショック」の見出しが躍った。
- 8月6日の対横浜戦(横浜スタジアム)で観客席から「Money Kaese!(金返せ)」のプラカードを出された事に奮起して来日初の1試合3本塁打を放つ。
- 2006年 「俺って黒いだろ?」を自身のスローガンとしてタイトル奪回を目指す。来日当初から指摘され続けていた勝負弱さをついに克服。2年ぶりのホームラン王と初の打点王のタイトルを獲得し、リーグ優勝に大きく貢献した。特に、古巣の横浜相手には打率.372、本塁打12本と、これでもかとばかりに打ちまくった(このため、横浜ファンの中にはウッズのことを良く思わない者も多い)。さらに中日がマジック1で迎えた10月10日の巨人戦では46号先制3ラン、47号満塁本塁打(2試合連続)を放ち7打点を挙げ、西沢道夫の持つ球団記録(46本)を更新しつつ優勝を決めた。打点も最終的には144打点とし、球団記録を塗り替えプロ野球史上歴代6位にランクインした。日本シリーズでも全試合4番を務め、打率は.267(15打数4安打)と悪くはなかったものの本塁打はなく、上位打線の出塁率が低かったこともあり打点は0で、日本一にはなれなかった。
[編集] 成績(2006年シーズン終了時)
[編集] 年度別打撃成績
2006年終了時
| 年度 | 所属チーム | 背番号 | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四死球 | 三振 | 打率 |
| 2003年 | 横浜 | 44 | 136 | 479 | 73 | 131 | 17 | 0 | 40 | 268 | 87 | 2 | 0 | 4 | 66 | 132 | .273 |
| 2004年 | 130 | 476 | 84 | 142 | 15 | 0 | 45 | 292 | 103 | 2 | 0 | 0 | 74 | 142 | .298 | ||
| 2005年 | 中日 | 135 | 506 | 92 | 155 | 20 | 0 | 38 | 289 | 103 | 3 | 0 | 4 | 67 | 139 | .306 | |
| 2006年 | 144 | 523 | 85 | 162 | 29 | 0 | 47 | 332 | 144 | 1 | 0 | 6 | 85 | 151 | .310 |
| 00 前田章宏 | 0 金剛弘樹 | 1 福留孝介 | 2 荒木雅博 | 3 立浪和義 | 5 渡邉博幸 | 6 井端弘和 | 7 李炳圭 | 8 平田良介 | 9 井上一樹 | 11 川上憲伸 | 12 岡本真也 | 13 岩瀬仁紀 | 14 朝倉健太 | 16 佐藤充 | 17 川井進 | 18 中里篤史 | 19 吉見一起 | 20 中田賢一 | 21 樋口龍美 | 22 藤井淳志 | 23 鈴木義広 | 24 堂上直倫 | 25 新井良太 | 26 小田幸平 | 27 谷繁元信 | 28 田中大輔 | 29 山井大介 | 30 石井裕也 | 31 森野将彦 | 32 中川裕貴 | 33 平井正史 | 34 山本昌 | 35 上田佳範 | 36 デニー | 37 小山良男 | 38 斉藤信介 | 39 清水将海 | 40 西川明 | 41 浅尾拓也 | 42 S・ラミレス | 43 小笠原孝 | 44 T・ウッズ | 45 森岡良介 | 46 岩崎達郎 | 47 菊地正法 | 48 沢井道久 | 49 F・グラセスキ | 50 佐藤亮太 | 51 中村一生 | 52 春田剛 | 53 柳田殖生 | 54 鎌田圭司 | 55 福田永将 | 56 中村公治 | 57 英智 | 58 石川賢 | 59 小川将俊 | 60 高江洲拓哉 | 61 久本祐一 | 62 普久原淳一 | 63 堂上剛裕 | 64 清水昭信 | 65 金本明博 | 67 高橋聡文 | 68 長峰昌司 | 69 小林正人 | 70 三澤興一 | 94 R・クルス |99 中村紀洋
201(育成選手) 加藤光教 | 202(育成選手) 竹下哲史 | 203(育成選手) チェン | 222(育成選手) E・ラミレス 66 監督 落合博満 | 81 高代延博 | 80 森繁和 | 89 高橋三千丈 | 88 高柳秀樹 | 78 小林聖始 | 77 宇野勝 | 87 仁村薫 | 72 田村藤夫 | 90 三木安司 | 85 二軍監督 辻発彦 | 84 早川和夫 | 75 石嶺和彦 | 83 音重鎮 | 86 古久保健二 | 71 川相昌弘 | 92 勝崎耕世 | 74 風岡尚幸 | 79 長谷部裕 | 82 奈良原浩 | 76 近藤真市 | 93 宮前岳巳 | 91 塚本洋 |

