スーダン

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この項目ではスーダン共和国について記述しています。歴史的広域地名としてのスーダンについては歴史的スーダンを、フランス領スーダンについてはマリ共和国をご覧ください。

スーダン共和国</dt>
جمهورية السودان</dt>

国旗(国章)

</dd>

国の標語 : Al-Nasr Lana
(アラビア語: 勝利は我々のもの)</dd>
国歌 : Nahnu Jund Allah Jund Al-watan</dd>
</dd>

公用語 アラビア語英語
首都 ハルツーム
最大の都市 オムドゥルマン
大統領 オマル・アル=バシール
首相 なし
面積
 - 総計
 - 水面積率
世界第10位
2,505,810km²
5.2%
人口
 - 総計(2005年
 - 人口密度
世界第30位
36,233,162
15人/km²
GDP(自国通貨表示)
 - 合計(2005年

6兆3,448億スーダン・ディナール
GDPMER
 - 合計(2005年
世界第73位
253億ドル
GDPPPP
 - 合計(2003年
 - 1人当り
世界第60位
707億5,000万ドル
1,900ドル
独立
 - 日付
エジプトイギリスより
1956年1月1日
通貨 スーダン・ディナール(SDD
時間帯 UTC +2(DST: なし)
ccTLD SD
国際電話番号 249

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スーダン共和国(スーダンきょうわこく)、通称スーダンは、北アフリカに位置するアフリカ大陸最大の面積をもつ首都ハルツーム

エジプトリビアチャド中央アフリカコンゴ民主共和国ウガンダケニアエチオピアエリトリアと国境を接し、東は紅海に面する。

目次

[編集] 国名

正式名称はアラビア語で、جمهورية السودانラテン文字転写 : al-Jumhūrīya al-Sūdān; ジュムフーリーヤ・アッ=スーダーン)。通称は、السودان(al-Sūdān; アッ=スーダーン)。

公式の英語表記は、Republic of the Sudan。通称、Sudan

日本語の表記は、スーダン共和国。通称、スーダン

スーダーンはアラビア語で「黒い人」を意味する言葉を原義とし、元来は北アフリカアラブ人たちからみて南に住む黒人の居住地域、すなわち西アフリカから東アフリカに至るまでのサハラ砂漠以南の広い地域を指す地域名称で、国名としてのスーダンと区別するために歴史的スーダンともいう。スーダンは、歴史的スーダンの東部を占め、歴史的には東スーダーンと呼ばれた地域にあたる。

[編集] 歴史

19世紀初めにエジプトムハンマド・アリー朝に征服されたが、1883年にムハンマド・アフマドを指導者とするイスラム原理主義抵抗運動「マフディーの乱」でエジプト軍を撃退し、マフディー国家が建設された。1898年に至り、エジプトとイギリスがマフディー国家を制圧し、1899年から両国による共同統治に置かれた。1954年自治政府が発足し、1956年1月1日に独立した。

1969年5月、陸軍クーデターモハメド・アン・ヌメイリを議長とする革命評議会が全権を掌握、国名をスーダン共和国からスーダン民主共和国に改め、1971年にヌメイリが大統領に就任した。ヌメイリ政権は1983年9月にイスラム法を導入したため、これに反発する南部スーダンの黒人有力民族ディンカ人(キリスト教徒)を主体とするスーダン人民解放軍 (SPLA)がゲリラ闘争を拡大、後述するスーダン内戦に突入した。

1984年からは旱魃エチオピアからの難民流入で経済困難に陥り、1985年5月にヌメイリ大統領はクーデターで失脚し、エジプトに亡命した。12月に国名はスーダン共和国に戻され、翌1986年4月、議会選で、ムハンマド・アフマドの曾孫にあたるサーディク・マフディーを首相とする文民政権が成立した。

1989年6月30日オマル・アル=バシール准将がイスラム主義組織「民族イスラム戦線」 (NIF)と連携して無血クーデターを成功させた。バシールは、「革命委員会」を設置して非常事態を宣言し、自ら元首、首相、革命委員会議長、国防相に就任し、NIFの主張に沿ったイスラーム化を推進した。最高機関だった革命委員会は1993年10月、民政移管に向け解散し、同委員会の権限は内閣に委譲されたが、バシールが首相を兼任したまま大統領に就任した。1996年3月の議会選では欧米諸国との関係改善を図るバシール大統領派が圧勝し、バシール政権が存続した。

1998年5月、政党結成の自由などを含む新憲法の可否を問う国民投票を実施し、96.7%が賛成により成立、1989年以来禁止されていた政党活動が解禁となった(政党登録開始は1999年1月)。しかし、バシール大統領は大統領の権限縮小を狙う国民議会のトラービー議長との確執から、1999年12月に非常事態を宣言し国民議会を解散、内閣も総辞職し、2000年1月に親トラービー派を排除した新内閣が発足、トラービーはバシール政権の与党「国民会議」(NC、NIFを母胎とするイスラム主義政党)の書記長を解任された。

トラービーは新党「人民国民会議」 (PNC)を結成し対抗したが、12月の議会選、大統領選では野党はボイコットし、バシール大統領とバシール派政党が勝利した。2001年2月、PNCとSPLAがスイスジュネーブで内戦終結や民主化に向け協力するとの覚書に調印したため、政府はトラービーらを逮捕して対抗した。

バシール大統領は2002年8月19日、小規模な内閣改造を実施し、イスラム主義系中道政党「ウンマ党」 (UP)の分派メンバーを閣僚に登用した。さらに11月30日には中道リベラル政党「民主統一党」 (DUP)の分派メンバーも入閣させるなど、野党勢力の取り込みを図ることで、SPLAとの和平交渉と併せて柔軟姿勢を示した。2005年1月9日には、バシールとSPLAとの間で包括和平、半年後の暫定政府発足について合意に達した。

2005年7月9日、バシールを大統領、SPLAのガラン最高司令官を第一副大統領とする暫定政府が発足した。今後は、暫定政府が6年間の統治を行なったうえで南部で住民投票を実施し、北部のイスラム教徒系政権と南部のキリスト教徒系政権の連邦を形成するか、南部が独立するかを決めることになっている。

ところが7月30日、副大統領となったばかりのガランが、ウガンダ訪問からの帰途に事故死(ヘリコプターが悪天候のため墜落したとされる)し、これを聞いた南部住民数千人がアラブ系住民を襲撃するなどの事件が発生。また、SPLAを束ねてきたガランの死は、SPLA内部の権力争いにつながる可能性を帯びている。さらに、SPLAは南部側の政府代表といっても実体はディンカ族を主体とした集団である。同じ南部のヌール族が北部の支援を受け、SPLAへの攻撃を開始するとの憶測も流れており、事態は予断を許さない。

[編集] スーダン内戦

スーダン内戦は、1983年に勃発した。北部のアラブ人イスラム教徒と南部の非アラブ人キリスト教徒が戦った。

[編集] ダルフール紛争

西部のダルフール地方3州でも2003年以降アラブ人と非アラブ人の紛争が激化し、2004年アフリカ連合が監視要員の派遣を決定した。

[編集] 政治

  • 議会は、一院制の国民議会(360議席)
  • 政党
    • 国民会議 (NC)
    • 人民国民会議 (PNC)
    • ウンマ党 (UP)
    • 民主統一党 (DUP)
    • スーダン民族党 (SNP)

[編集] 地方行政区分

26の州がある。()内は主要都市。

  • 北(アルファシール)
  • 南(ニヤラ)
  • ダルフール州
  • 上ナイル州(マラカル)
  • ジョングレイ州
  • エクアトリア州
  • ユニティー州
  • ブハイラート州
  • バハル・アルジャバル州(ジュバ)
  • 紅海州(ポートスーダン)
  • カッサラ州(カッサラ)
  • ワラブ州
  • バハル・アルガザール州(ワーウ)
  • ガダーレフ州
  • 青ナイル州
  • センナール州
  • ジャジーラ州
  • 白ナイル州
  • 北部州
  • ナイル州
  • ハルツーム州
  • コルドファン州

主要都市は、首都のハルツームの他、オムドゥルマンアル・ハルツーム・バフリポートスーダン、ジュバがある。

[編集] 地理

国土の大部分は広大な平原で、ほぼ中央をナイル川とその支流が縦貫する。北部はヌビア砂漠、中部は砂丘地帯、南部は沼沢地帯となっている。北部は砂漠性の乾燥気候、南部は多湿な熱帯気候。北部の砂漠と紅海沿岸は一年中、日中の気温が38℃を超す炎熱の地。

[編集] 経済

詳細はスーダンの経済を参照。

1990年代までは、長引く内戦や経済制裁などで、経済は完全に破綻状態であり、2006年現在スーダンはThe Fund for Peaceが発表している世界失敗国家ランキング一位の国である。

一方、未開発の石油資源やレアメタルの埋蔵量は大きく世界の注目を浴びており、1990年代後半から石油メジャーの間隙を突く形で、中国政府のバックアップを受けた中国系企業が多数進出。数万人規模の労働者をスーダンに派遣され、石油プラント、パイプラインが建設されたほか、メロウェダムに象徴される大規模な水力発電所及びダム、老朽化した鉄道(ポートスーダンからハルツーム間)の建設も受注するなど、極めて濃厚な国際協力の下、徐々に経済が立ち直る兆しが見られる。

[編集] 軍事

イギリスソビエト連邦中国の軍事顧問団が政変の度に入れ替わりつつ指導し、育成が続けられてきた。スーダン内戦を通じての対ゲリラ戦の実績はあるが、他国との本格的な交戦実績はない。2000年代に入り、石油輸出で得られた外貨武器購入に充て、紛争地への介入を行っていることから国際的な非難を浴びている。

[編集] 空軍

保有機数や運用実態は不明であるが、固定翼機はMiG-21ロシア以外の国で生産された機体を含む)及びMiG-29を、回転翼機はMi-24の輸出用バージョンなどを保有していると考えられている。

[編集] 国民

[編集] 言語

アラビア語英語公用語。ヌビア語など非アラブ民族語も。

2005年の現行憲法は公用語について以下のように定めている。

第八条

全てのスーダン固有の言語は国語であり、敬意をもって扱われ、開発され、普及される。

  • 2. アラビア語はスーダンで広く話される国語である。
  • 3. アラビア語は国家レベルで主要な言語であり、英語は国家政府の公用作業言語にして、高等教育における教授言語である。
  • 4. 英語とアラビア語にくわえ、地方議会においては、それ以外の国語が追加の公的作業言語として受け入れられなければならない。
  • 5. 政府と教育のいかなる段階にあっても、英語とアラビア語の使用に差別があってはならない。

[編集] 民族

北部を中心にアラブ人が総人口の75%。南部を中心にディンカ人など非アラブ系諸民族。スーダンのアラブ人は人種的にはネグロイドであり、非アラブ系住民と形質的には大差ない。

[編集] 宗教

スンナ派を中心とするイスラム教が75%。南部非アラブ人を中心にアニミズムなどの伝統宗教 (15%) とキリスト教 (10%)。

[編集] 文化

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考

[編集] 関連項目

  • スーダン関係記事の一覧

[編集] 外部リンク

ウィキニュースに、スーダンに関連するニュースがあります。

[編集] 公式

[編集] その他

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