スロバキア
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- スロヴァキア共和国</dt>
- Slovenská Republika</dt>
-
(国旗) 国章 </dd>
- 国の標語 : なし</dd>
- 国歌 : Nad Tatrou sa blýska</dd>
- </dd>
公用語 スロバキア語 首都 ブラチスラヴァ 最大の都市 ブラチスラヴァ 大統領 イヴァン・ガシュパロヴィッチ 首相 ロベルト・フィツォ 面積
- 総計
- 水面積率世界第126位
48,845km²
0.1%人口
- 総計(2004年)
- 人口密度世界第106位
5,423,567人
111人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(2005年)
1兆4,332億スロバキア・コルナ (Sk)GDP(MER)
- 合計(2005年)世界第59位
503億ドルGDP(PPP)
- 合計(2003年)
- 1人当り世界第59位
722億9,000万ドル
13,300ドル独立
- 日付チェコスロバキア分割
1993年1月1日通貨 スロバキア・コルナ (Sk)(SKK) 時間帯 UTC +1(DST: +2) ccTLD SK 国際電話番号 421 1 </dd>
- 註1 : 1997年までは、チェコと共に42 </dd>
- 国の標語 : なし</dd>
古代にはサモ王国・モラヴィア王国として独立を保った期間もあったが、スロバキアの地とスロバキア人は1000年間少数民族としてハンガリー王国の支配下にあって、ハンガリーにとっても歴史的に重要な地域であり、多くのハンガリー人の出身地、ハンガリー貴族の発祥地でもある(元来スロバキア系で、ハンガリー文化に同化した者も多い)。
第一次世界大戦後オーストリア・ハンガリー帝国からチェコと合併するかたちで独立し、その後幾らかの変遷を経て、1993年1月1日にチェコスロバキアから分離独立し現在に至る。
目次 |
[編集] 国名
正式名称はスロバキア語で、Slovenská Republika。通称、Slovensko(スロヴェンスコ)。
日本語の表記はスロバキア共和国。通称、スロバキア。
スロバキアの語源はスラヴ(Slav)であり、これはスロベニアと同じである。そのため似たような国名になっている。
[編集] 歴史
[編集] 古代
ケルト人が先住民であるが、1世紀ごろゲルマン人が、この地を支配した。5~6世紀ごろにスラブ人が移住して来、9世紀には、大モラヴィア帝国を創り上げた。
[編集] 大モラヴィア王国
9世紀に現在のスロバキア、モラヴィア、ボヘミア、シレジア地方に大モラヴィア王国が成立。スロバキアでは大モラヴィア王国がスロバキア人による王国であると主張する者もいるが、歴史学的には証明できる事実ではない。又この地域のスラブ人が現在のように簡単にチェコ人、スロバキア人などと言うように分類できない面があった。
[編集] ハンガリー王国
10世紀になるとマジャル人の侵入を受け、ハンガリー王国が成立すると、この地域は北部ハンガリーと呼ばれ、ハンガリーの一地域として扱われるようになる。ただしハンガリーに比べてスラヴ人の多い地域であった。更にオスマン帝国がハンガリーに侵入するとプラチスラヴァ(ポジョニー)にハンガリー王国の首都が移され、ハンガリーにとっても北部ハンガリーは重要な地域と見なされるようになった。この首都移転は北部ハンガリーの人口バランスを狂わせるもので、増加したマジャル人に対して北部ハンガリーのスラヴ人の反感は高まった。19世紀の中ごろに周辺のスラヴ人が民族主義の流れからクロアチア人(クロアチアのスラヴ人から)、ボヘミア人(ボヘミアのスラヴ人から)と呼び名を変えて行く中で北部ハンガリーでは自らの地域・北部ハンガリー地域のスラブ語に転化したスロバキアと名づけ、自らをスロバキア人、自分達が話す言語をスロバキア語であると主張するようになった。又この頃勢力の大きいマジャル人に対してチェック人とスロバキア人の連合が主張され始めるようになった。
[編集] チェコスロバキア独立
オーストリア・ハンガリー二重帝国体制下においてはチェコ、スロバキアは共に連邦国家構想を支持していたが第一次世界大戦の終了と共にオーストリア・ハンガリー帝国は崩壊。1918年、独立運動の指導者マサリクは、チェコスロバキアは民族自決の対象となる単一のチェコスロバキア人国家として独立を宣言した。更にハンガリーに侵入して北部ハンガリーのほとんどの地域をハンガリーから収奪した。これが現在のスロバキア国家の基本的な領土となっている。
[編集] 独立スロバキア(1939年-1945年)
- 1939年3月14日、ナチス・ドイツによってチェコスロバキアが解体され、スロバキアは独立宣言。ドイツの保護国「スロバキア共和国(独立スロバキア国)」(en)となった。ほぼ同時に東部のカルパチア・ウクライナ地方(ルテニア)も独立を宣言するがほどなくハンガリーに占領される(第二次世界大戦後はソビエト連邦領になる。現在はウクライナ領)。
- 1944年8月29日、スロバキア民族蜂起。
[編集] 共産党体制下のチェコスロヴァキア(1945年-1989年)
[編集] 民主化から連邦解体へ(1989年-1992年)
[編集] スロバキア共和国(1993年-)
- 1993年、チェコと連邦解消し、独立(ビロード離婚)
- 2000年12月、経済協力開発機構(OECD)加盟
- 2004年3月29日、北大西洋条約機構(NATO)加盟
- 2004年4月17日、新大統領に元国会議長のイヴァン・ガシュパロヴィッチが当選
- 2004年5月1日、 欧州連合(EU)加盟
- 2006年6月、総選挙行われる。
- 2006年7月5日、イラク派遣部隊を撤退させる方針を確認。2003年に地雷処理部隊など約100人をイラクに派遣していた。3人が死亡。
[編集] 政治
[編集] 大統領
- ヴラジミール・メチアル(1993年1月-1993年3月)
- ミハル・コヴァーチ(1993年3月-1998年3月)
- ヴラジミール・メチアル&イヴァン・ガシュパロヴィッチ(1998年3月-1998年10月)
- ミクラーシュ・ズリンダ&ヨゼフ・ミガシュ(1998年10月-1999年6月)
- ルドルフ・シュステル(1999年6月-2004年6月)
- イヴァン・ガシュパロヴィッチ(2004年6月-)
1998年3月から1999年6月までは、首相と国会議長が大統領職を共同で代行。
[編集] 首相
- ヴラジミール・メチアル(1993年1月-1994年3月)
- ヨゼフ・モラフチーク(1994年3月-1994年12月)
- ヴラジミール・メチアル(1994年12月-1998年10月)
- ミクラーシュ・ズリンダ(1998年10月-2006年7月)
- ロベルト・フィツォ(2006年7月-)
[編集] 政党
- スロバキア民主キリスト教連合(SDKU)
- 新民主連盟(ANO)
- 民主党(DS)
- 民主左派党(SDL)
- 社会民主オルタナティヴ(SDA)
- スメル(道標、Smer)
- ハンガリー連立党(SMK)
- 市民理解党(SOP)
- 自由民主同盟(LDU)
- 緑の党(SZS)
- キリスト教民主運動(KDH)
- 民主スロバキア擁護運動(HZDS)
- 民主擁護運動(HZD)
- スロバキア国民党(SNS)
- 真のスロバキア国民党(PSNS)
- スロバキア共産党(KSS)
[編集] 地方行政区分
スロバキアには8つの州が設けられている。
- 東部 コシツェ、プレショフ
- 中部 バンスカー・ビストリツァ、ジリナ
- 西部 ブラチスラヴァ、トルナヴァ、ニトラ、トレンチーン
[編集] 地理
[編集] 気候
スロバキアの国土は東西400km、南北200kmという比較的小規模なものである。しかしながら、国土面積に比べて気候は変化に富んでいる。基調となっているのは大陸性気候だ。首都ブラチスラヴァの位置する西部はケッペンの気候区分でいう西岸海洋性気候 (Cfb)、中央部は温暖湿潤気候 (Cfa)、東部は湿潤大陸性気候 (Dfb) である。ブラチスラヴァの平均気温は-0.7度(1月)、19.1度(7月)。年平均降水量は649mmである。高度が上がるほど雨量が増し、中央北部のタトラ山地では2000mmに達する。
このような気候を受け、国土の1/3が森林であるほか、ステップ性の草原も残っている。
[編集] 主な都市、地方、世界遺産、観光地
- ガランタ(ガラーンタ);コダーイ・ゾルターンの「ガラーンタ舞曲」で有名。
- クレムニツァ(ケルメツバーニャ、クレムニッツ)
- ケジュマロク(ケジュマーロク、ケースマルクト)
- コシツェ(カッシャ、カッシャウ)
- コマールノ(コマーロム、コーモルン)
- ズヴォレン(ゾーヨム、アルトゾール)
- トルナヴァ(ナジソンバト、テュルナウ)
- ニトラ(ノイトラ)
- ノヴェー・ザームキ(エールシェクウーイヴァール、ノイホイゼル)
- バルヂェヨフ(バールトファ、バルトフェルト)
- バンスカー・シュチャヴニツァ(シェルメツバーニャ、シェムニッツ)
- バンスカー・ビストリツァ(ベステルツェバーニャ、ノイゾール)
- ブラチスラヴァ(ポジョニ、プレスブルク)
- プレショフ(エペッリェシュ、プレシャウ)
- ポプラト(ポプラド、ポプラード、ドイチェンドルフ)
- マルチン(トゥローツセントマールトン、オーヴァール、トゥルツ・ザンクト・マルティン)
- ロジュニャヴァ(ロジュニョー、ローゼナウ)
- List of towns in Slovakiaも参照
参考外部リンク;
- Geographische Namen -slowakische und deutsche Begriffe-
- Roman na Internete - FOTOGALÉRIA BRATISLAVY
- SLOVAKIA historical demographical data of the urban centers
- Encyclopaedia of the Jewish Communities in Slovakia
- Deutsch-slowakische geographische Benennungen
[編集] 経済
工業国のチェコに比べ、スロバキアは昔から農業国だったが、最近ではフランスのPSA・プジョーシトロエンや韓国の起亜自動車が工場を設立している。
[編集] 鉱業
スロバキアはマグネシウムを中心とした無機鉱物資源に恵まれている。マグネシウムの産出量は2002年時点で世界第7位、シェア4.5%の50万トン。鉄鉱、金鉱も採掘されている。有機鉱物資源は342万トンの亜炭・褐炭が中心である。ただし、原油の産出量は4.6万トンに留まる。
[編集] 国民
言語はスロバキア語が公用語である。また、一部でハンガリー語も使われている。
[編集] 住民
2001年の国勢調査による民族構成は、スロバキア人が85.8%、マジャル人が9.7%、ロマが1.7%、チェック人が0.8%である。この他に、チェック人ではなくモラヴィア人、シレジア人としてのメンタリティを持っているもの、ルテニア人・ウクライナ人、ドイツ人、ポーランド人、クロアチア人がいるがその総数は凡そ2%である。
現代のスロバキアは比較的スロバキア人均一性が高い国民国家としての性格を有している。ただし現在のような民族構成がほぼ固まったのは第二次世界大戦以降である。スロバキアは歴史的経緯から、マジャール人、ドイツ人(ドイツ植民)、ルテニア人(ハンガリー王国に流れ込んだウクライナ人)、ロマ(ジプシー)も多く、入り組んで住んでいた。さらにはユダヤ人のコミュニティーも多かった。スロバキアのすべての町村にスロバキア語以外にハンガリー語の名があり、また多くの町がドイツ語の名前を持っているのはこのためである。
マジャル人が多いのは、かつてスロバキアが北部ハンガリーとしてハンガリー王国の領域に完全にコミットメントされていたためである。スロバキア人は元来山岳民族であり、特にハンガリー平原に連続する南部平地部の住民はほとんど全てハンガリー系住民であった。又ドイツ人については、その移住の時期・理由(植民、鉱山労働、宗教的迫害など)は様々である。1919年のサン=ジェルマン条約でオーストリア・ハンガリー帝国が、1920年のトリアノン条約でハンガリー王国の解体が行われ(この解体に反対するものも多かった:→ドナウ連邦構想)、汎スラヴ主義に荷担したスロバキア人はかつての「ハンガリー王国による圧政」への報復として、ハンガリー人・ドイツ人の居住地を大きく抉り取り、チェコと合併した形で独立を果たした。この過程でマジャル人とドイツ人の一部がスロバキアから追い出されている。以降マジャル人に関してはその後も一定数の数を占め、現在でもスロバキアにおいて最も多いマイノリティでとなっている。ドイツ人については最終的に第二次大戦後にそのほとんどが強制的に追放された。ユダヤ人については他の中東欧諸国と同じように、第二次大戦を境にしてコミュニティのほぼ全てが消滅した。
[編集] 宗教
2004年の調査によるとカトリックが最も多く60.3%を占める。次いで宗教的メンタリティを持たないものが9.7%、プロテスタントが8.4%、ギリシャ・カトリックが4.1%、東方正教会が4.1%等である。
[編集] 文化
- 民族音楽
- 芸術音楽
[編集] 有名な出身者
- ヨゼフ・ガスパル - サッカー選手、2004年にJ2・ベガルタ仙台に在籍
- エヂタ・グルベロヴァー(エディタ・グルベローヴァ) - 現在最高のコロラトゥーラ・ソプラノ歌手
- コッシュト・ラヨシュ(ラヨシュ・コッシュート) - ハンガリーの政治家。もともとスロバキア系の家系
- ペテル・ドヴォルスキー - 歌手
- ヨゼフ・ドブロフスキー - スラヴ語学者
- ダニエラ・ハンチュコワ - テニス選手
- マルチナ・ヒンギス - テニス選手。ハンガリー系
- ヤン・ブロコフ(ブロックホフ) Jan Brokoff (Brockhoff) - プラハで活動した彫刻家。セペシュ地方のドイツ人。
- ミハル・ブロコフ Michael Brokoff
- フェルジナント・ブロコフ Ferdinand Brokoff
- ヨハン・ネポムク・フンメル - 作曲家。
- モーリス・ベニョフスキー(ベニョフスキ・モーリツ) - 貴族の軍人・冒険家。スロバキア系の家系。ハンベンゴロ。
- ルチア・ポップ - 歌手
- マレク・ミンタル - サッカー選手。2004-05シーズンブンデスリーガ得点王。
- モイゼシュ
- ミロスラフ・メチージュ - サッカー選手
- リュボミール・モラフチーク - サッカー選手
- ユライ・ヤーノシーク - 義賊
- ハンガリー人の一覧も参照
[編集] スロバキア系
- アンディ・ウォーホル(ヴァルホラ) - 芸術家。父親がルテニア人の移民
- カールトン・ガイデュシェック(ガイドゥシェク)
- ミラン・ラスティスラフ・シュテファーニク
- ヨゼフ・ティソ
- アレクサンデル・ドゥプチェク
- グスターフ・フサーク
[編集] 関連項目
- スロバキア関係記事の一覧
- ハンガリー
- 鉱山
- フッガー家
- ドイツ植民
- ハイフン戦争
[編集] 外部リンク
[編集] 公式
- 政府公式サイト
- 在日スロバキア大使館公式サイト
[編集] その他
- 世界の国々 > ヨーロッパ</dt>
-
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- * は国際連合非加盟。</dd>
- 国連安全保障理事会理事国</dt>
- 常任理事国</dt>
- アメリカ合衆国 | イギリス | 中華人民共和国(かつては中華民国) | フランス | ロシア(かつてはソ連)</dd>
- 非常任理事国</dt>
- 2007年まで: ガーナ | カタール | コンゴ共和国 | スロバキア | ペルー</dd>
- 2008年まで: イタリア | インドネシア | パナマ | ベルギー | 南アフリカ共和国</dd>
</dl> </div>
- 欧州連合加盟国</dt>
アイルランド | イギリス | イタリア | エストニア | オーストリア | オランダ | キプロス | ギリシャ | スウェーデン | スペイン | スロバキア | スロベニア | チェコ | デンマーク | ドイツ | ハンガリー | フィンランド | フランス | ブルガリア | ベルギー | ポーランド | ポルトガル | マルタ | ラトビア | リトアニア | ルクセンブルク | ルーマニア </dd>
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