ストーンサークル
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ストーンサークルとは、石を環状に配置した古代の遺跡である。
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[編集] 海外のストーンサークル
イギリスには巨石を使ったストーンサークルが多数あり、ストーンヘンジもストーンサークルである。
[編集] 日本のストーンサークル
日本においては、現在までに主に東北・北海道地方を中心に発見されている。東北地方から北海道にかけてのストーンサークルは縄文時代中期後半から後期にかけて作られている。大きさは直径30m以上のものと直径10m以下のものがあり、大きいものは祭祀の場として作られ、小さいものは竪穴住居の周囲に石を置いたものが多い。直径が30m以上のものは、まず縄文時代中期の終わりごろに静岡県、山梨県、群馬県付近で作られる。続いて縄文時代の後期前半に秋田県北部や青森県、北海道西南部で作られる。同じころ、岩手では石を直線状や弧状に並べるものが作られている。
[編集] 東北地方
秋田県鹿角市の大湯環状列石が有名である。大湯環状列石は大きな2つのストーンサークルでできているが、近くには構造が似ている一本木後ロ遺跡があり、これは墓であることが調査によって明らかになっている。このため、大湯環状列石も墓群とそれに付随する祭祀の場であると推測されている。大湯環状列石には日時計状組石があり、環状列石中心部からこの日時計中心部を見た方向が夏至の日に太陽が沈む方向になっている。同時に野中堂環状列石から万座環状列石を見た方向もその方向になっている。大湯環状列石の万座環状列石は日本最大のストーンサークルである。大湯環状列石の周囲には建物跡がある。
青森県青森市の小牧野遺跡のストーンサークルは細長い石を縦横に並べる独特な石の組み方をしており、これは「小牧野式」と言われている。小牧野遺跡では人が死ぬと最初に土葬をして、次に肉が腐ると骨だけを甕棺土器に入れて再葬した跡が残っている。土葬用の穴が50基に対し再葬用の穴が3基しかないことから、再葬は有力者だけが行ったと思われている。
秋田県北秋田市の伊勢堂岱遺跡には3つのストーンサークルがある。ここにもストーンサークルと少し離れた場所に日時計状組石があって、ここから一つのストーンサークル中心部を向いた方向が、夏至の日に太陽が沈む方向になっているのが興味深い。伊勢堂岱遺跡も墓群を中心とした祭祀の場である。ここには小牧野式石組もあり、大湯式の日時計状組石と共存することで注目された遺跡である。
そのほか、東北地方には大森勝山環状列石(青森県弘前市)、太師森環状列石(青森県平賀町)、湯舟沢環状列石(岩手県滝沢村)などがある。これらはいずれも縄文時代前期~中期には円筒土器文化圏に属した地域に所在する。
[編集] 北海道
道内では、渡島半島・日本海側からオホーツク海側にかけてストーンサークルが発見されている。
たとえば後志の忍路環状列石、地鎮山環状列石(小樽市)、西崎山環状列石(余市町)など、また石狩川上~中流域の音江環状列石(深川市)、神居古潭ストーンサークル(旭川市)などが挙げられる。
このうち忍路環状列石は日本の考古学史上において初めて学会にて報告されたストーンサークルであり、2番目に発見報告された音江環状列石と共に、国指定史跡である。
2005年に札幌市南区に所在する真駒内滝野霊園内にストーンサークルを模したモニュメントが設置された。周辺のモアイ群像や石仏と共に一種の観光地化され、札幌市中心部から離れているものの自家用車等で訪れる観光客が多い。
[編集] そのほかの地方
東京都町田市の田端遺跡にも縄文中期のストーンサークルがある。この遺跡の石柱を結んだ線は冬至に太陽が沈む方向を向いている。また、野村遺跡(群馬県安中市)では冬至には妙義山に太陽が落ちる。このほか千居遺跡(静岡県富士宮市)、牛石遺跡(山梨県都留市)などは、縄文時代中期から作られている。
[編集] 関連項目
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