スタジオジブリ

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株式会社スタジオジブリは、アニメーションを主体とした映像作品の企画・制作を主な事業内容とする日本の企業である。長編アニメーション映画の制作を主力事業としているが、1990年代中期以降、短編作品の制作及び実写作品の企画を手がけている。また、『熱風』という小冊子の発行を行う出版事業、さらに音楽事業も行っている。

株式会社スタジオジブリ
STUDIO GHIBLI INC.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 184-0002
東京都小金井市梶野町一丁目4番25号
設立 1985年6月
業種 情報・通信業
事業内容 アニメーション映画、テレビCM、テレビ映画、実写映画等の企画・制作
代表者 鈴木敏夫(代表取締役社長)
資本金 10,000,000円(2005年4月現在)
決算期 3月
関係する人物 宮崎駿(取締役)
スティーブン・アルパート(取締役)
山本哲也(取締役)
徳間康快(元代表取締役社長)
原徹(元常務取締役)
外部リンク www.ghibli.jp(公式サイト)
特記事項:日本動画協会正会員

目次

[編集] 名称

「スタジオジブリ」の名称は、サハラ砂漠に吹く熱風(ghibli)に由来しており、また、第二次世界大戦中のイタリア飛行機の名前でもある。宮崎駿の思い込みから「ジブリ」となったが、「ギブリ」の方が原語に近い発音である(ちなみに、イタリアのマセラッティ社の乗用車ghibliは日本でも1970年代から「ギブリ」と呼ばれている)。スタジオジブリのマークは、スタジオジブリの作品『となりのトトロ』に登場するキャラクター、トトロがデザインされている。スタジオジブリの第2レーベルで実写作品部門の「スタジオカジノ」は、スタジオの所在地東京都小金井市梶野町から命名された。

[編集] 歴史

風の谷のナウシカ』を製作したトップクラフトを母体として、1985年6月15日徳間書店の出資により、株式会社として設立された。社長には徳間書店社長の徳間康快が就任したが、スタジオの実質的な責任者はトップクラフトの代表取締役だった常務の原徹であった。当初は作品ごとにスタッフを集め、完成と共に解散する方式を採っており、アニメーターの給料も歩合制だったが、後に人材育成のためにアニメーターの給料を固定給制にするなど、高品質で安定した作品作りの拠点とした。

劇場作品専門スタジオのイメージが強いが、Production I.G作品やガイナックス作品を筆頭に、テレビ作品の動画グロスも請け負っている。

  • 1985年、設立
  • 1991年、経営方針の対立から原が常務を辞任し、後任に鈴木敏夫が就任した。
  • 1992年8月6日東小金井駅近くの新社屋(小金井市梶野町)へ移転。
  • 1997年6月に経営悪化した親会社の徳間書店に吸収され、同年『もののけ姫』完成後、宮崎駿がジブリを退社する。
  • 1999年、徳間書店の1事業部門となり、同年に宮崎駿はジブリ所長として復帰した。
  • 2004年、徳間書店スタジオジブリ事業部を株式会社スタジオジブリに分割する。
  • 2005年4月に徳間書店傘下を離れて独立し、鈴木敏夫が代表取締役社長に、宮崎駿とスティーブン・アルパートがそれぞれ取締役に就任した。

[編集] レーベル

スタジオジブリ
天空の城ラピュタ』(宮崎駿原作脚本監督)、『となりのトトロ』(宮崎駿原作脚本監督)など。
スタジオカジノ
式日』(庵野秀明監督)、『サトラレ』(本広克行監督)など。
スタジオギブリ
ギブリーズ episode2』など。
スタジオギブリのマークは、スタジオギブリの作品『ギブリーズ episode2』に登場するキャラクター「野中くん」がデザインされている。

[編集] 主な作品

この節には、発売予定の新製品、提供開始前の新サービス、または放送開始前の番組や公開前の映像作品等に関する記述があります。

[編集] ジブリがいっぱいCOLLECTION作品一覧

風の谷のナウシカ』(1984年)はトップクラフトが制作したものである。しかし、版権がトップクラフトからスタジオジブリに移行したことによって、DVDなどでは「スタジオジブリ作品」としている。その他、高畑勲監督作品である『じゃりン子チエ』も、「スタジオジブリ作品」としてDVDが販売されている。

[編集] 短編作品

[編集] TVCM

  • 日本テレビ開局40年記念スポットそらいろのたね(1992年。『ジブリがいっぱいSPECIAL ショートショート』に収録。)
  • アサヒ飲料「旨茶」(2001年)
  • りそなグループひびきが丘物語(2003年)
  • ハウス食品「おうちで食べよう。」シリーズ(2004年。『ジブリがいっぱいSPECIAL ショートショート』に収録。)
  • 読売新聞社企業CM

[編集] その他

[編集] 動画下請・制作協力等

テレビシリーズ
OVA
劇場映画

[編集] 日本国内 歴代ジブリ作品収入ランキング

日本映画製作者連盟によるデータ。

順位作品配給会社公開年度配給収入興行収入観客動員
1千と千尋の神隠し東宝2001年 304億円2350万人
2ハウルの動く城東宝2004年 196億円1500万人
3もののけ姫東宝1997年113億円193億円1420万人
4ゲド戦記東宝2006年 76.5億円588万人
5猫の恩返しギブリーズ episode2東宝2002年 64.6億円550万人
6紅の豚東宝1992年28億円 304万人
7平成狸合戦ぽんぽこ東映1994年26.5億円 325万人
8魔女の宅急便東映1989年21.5億円 264万人
9おもひでぽろぽろ東宝1991年18.7億円  
10耳をすませばOn Your Mark東宝1995年18.5億円 208万人
11ホーホケキョ となりの山田くん松竹1999年7.9億円  
12風の谷のナウシカ東映1984年7.6億円 91万人
13となりのトトロ火垂るの墓東宝1988年5.9億円 80万人
14天空の城ラピュタ東映1986年5.8億円 77万人

※ここでは、『風の谷のナウシカ』も便宜上リストに入れてある。

※日本では1999年まで配給収入が用いられてきたが、2000年から興行収入の発表に切り替わっている。

[編集] 評価

[編集] 国内での評価

1996年、新宿三越美術館を皮切りに全国の三越百貨店で『スタジオジブリ原画展』が開催された。また、徳間書店とウォルト・ディズニー・カンパニーとの業務提携及びジブリ作品の世界進出のニュースが大きな話題となった。

2003年東京都現代美術館で『ジブリがいっぱい スタジオジブリ立体造型物展』が開催され、22万人以上の動員があった。

日経BPコンサルティングが2001年から毎年実施している「ブランド・ジャパン」のコンシューマー市場調査結果によると、スタジオジブリは2002年から2006年まで「消費者から最も評価されているブランド」の上位5位以内に毎年ランクされていた。ちなみに、「共感するブランド」部門では、2002年から5年連続で第1位に選ばれている。

  • 2002年 第3位
  • 2003年 第4位
  • 2004年 第5位
  • 2005年 第2位
  • 2006年 第1位

  長年、日本最高峰のアニメスタジオであるとされてきた。

宮崎駿と親交があり、1985年頃にジブリで『アンカー(仮)』『突撃!アイアンポーク(仮)』を監督予定だった押井守は、その制作システムをクレムリン、道場、などと揶揄している<ref>『ロマンアルバム 攻殻機動隊 PERSONA 押井守の世界』徳間書店1997年。</ref>。この表現は後述する後継者の育成の項とも関連している。

[編集] 海外での作品公開と評価

ベルリン国際映画祭の金熊賞、アカデミー賞アニメーション部門(『千と千尋の神隠し』)やベネチア国際映画祭の金のオッゼラ賞(スタジオジブリの技術に対する評価)で受賞するなど、国際的にも高い評価を受けているジブリ映画であるが、そこに至る道のりは平坦では無かったし、現在もその評価は一様ではない。

日本国内でヒットして映画としても高い評価を受けた『風の谷のナウシカ』(1984)はアメリカへ輸出され、ごく短期間だけアメリカ公開されてビデオ化されたが、まったく評価されなかった。低予算C級映画で知られるロジャー・コーマン配下の会社が海外配給権を得たうえで『風の戦士たち(Warriors of the Wind)』と題して116分の本編を95分にカットし、ストーリーも大幅に改竄したからだとされている。この『風の戦士たち』は宮崎アニメファンたちの間でも今も悪評が高い(風の谷のナウシカの「海外版」を参照のこと)。

この一件で懲りた宮崎駿とスタジオジブリは自社作品の輸出に当たってはノーカット公開を要求するようになり、『もののけ姫』(1997)に至るまでスタジオジブリの映画は海外で正式に公開されないという事態が続いた。

しかし海外の日本アニメファンたちは不法な形ではあるが、ジブリ作品や宮崎アニメをアメリカやヨーロッパで早い時期から流通させていた。たとえば、国際的な漫画家であるフランス人メビウスによれば、1980年代のロサンジェルスのフランス人コミュニティには日本アニメ愛好家の少年たちが大勢いて、不法コピーのビデオテープが流通していたという。メビウスはその不法コピーのビデオで『風の谷のナウシカ』に出会い自分の娘にナウシカと命名するほどのファンとなったと述懐している。 また、ピクサージョン・ラセター監督も早い時期からの宮崎アニメの熱心なファンとして有名であり「アイデアに詰まると皆で宮崎アニメを見た。そして宮崎アニメにはヒントが必ず有った」などと発言している。彼に限らず80年代から90年代にかけてのアメリカのアニメーターや、欧米の日本アニメファンたちにとって宮崎アニメとスタジオジブリは半ば神格化された存在であり、実写映画の業界でも知る人ぞ知る存在となっていた。

この時期の海外ファンは違法コピーのビデオを見るか、日本から輸入された日本語版のVHSテープかレーザー・ディスクを買ってきて、ファンサイトに載っている英語翻訳スクリプトと突き合わしながら観るなど大変な手間を強いられている。そうまでする熱狂的ファンが居るにも関わらず、海外でジブリ映画が公開されないことについてはフラストレーションが高じて「日本アニメの進出を阻止しようとするディズニーの陰謀」という陰謀説まで出てくる程だった。

『もののけ姫』にディズニーが出資して世界配給権を得たことでこうした問題は一応の解決を見るが、ジブリ側がこだわったノーカット公開については最後まで緊迫したやりとりが行われたと関係者は証言している。市場主義が徹底しているアメリカでは、映画の時間は一日に何回上映できるかを決定するので大変な問題になる(『もののけ姫』は135分)。さらに2時間以上の(そして、ディズニーアニメのような歌も踊りもない)アニメーション映画というのは平均的アメリカ人の常識から外れている。「アート・シネマとして評価されても、それだけでは興行成績は望めない。普通のアメリカ人に足を運んでもらうにはある程度の改変は必要である」というアメリカ側の要請を、ジブリは頑として受け付けなかった。

その結果、ジブリ映画はニューヨーク近代美術館(MoMA)などで回顧展が開かれたり、『千と千尋の神隠し』が映画批評を集計するサイト(<ref>http://www.rottentomatoes.com/</ref>)でほぼパーフェクトに近い点を記録したり、アカデミー賞(アニメーション部門)を受賞するなど、高い評価を受けているにも関わらず、ジブリ映画のアメリカ興行成績は『ポケモン』にまったく及ばないレベルに留まった。アートシネマ専門館で上映されても、家族連れがやってくるショッピングモールのシネマ・コンプレックスでは上映されないからである。

フランスでも、日本アニメ排斥時代が続き宮崎アニメの正式な紹介は遅れた。しかしアメリカ同様に日本アニメファンによる評価は高く、1993年のアヌシー国際アニメーション映画祭では『紅の豚』が長編部門の作品賞を受けるが、1995年の劇場公開では、興行的に惨敗する。流れが変わるのは1999年末から2000年であり、長年に渡って保留されていた『となりのトトロ』とディズニー系列配給の『もののけ姫』が劇場公開されるとフランスのメディアはこぞって激賞し、高い興行成績も収めることができた。『千と千尋の神隠し』や『ハウルの動く城』では100万人を越える観客動員を果たしている。アメリカと異なりジブリの旧作も次々と劇場公開されており、それぞれに高い人気を集めた。

フランスはおそらく、日本以外で宮崎アニメとジブリ映画を一般大衆のレベルでもっとも受容した国だろうと思われる。 (海外におけるジブリ映画の受容過程については<ref>くろねこ亭 http://www.starleaf.net/~airami/</ref>などのウェブサイトを参照されたい。)

[編集] 声優の配役の特徴

スタジオジブリの作品は基本的に(TVアニメと比較して)制作費の大きい劇場版アニメ映画なので、声優も大物の実力派を多く起用する。また1990年代以降の作品では、主演や主演級の声は普段声優を本業としていないテレビドラマ等で有名な俳優を多く起用する事が顕著となった。以前はこの理由を「声優の演技はこなれていて嫌だ」と言う宮崎の持論の為では無いかと一部で囁かれていたが、実際には宮崎が関わらない他のジブリ作品も俳優起用は同様であり、近年は宣伝効果や観客動員寄与を優先する社長の鈴木敏夫の意向とされている。しかし、声優を本業としていない俳優は声だけの演技に不慣れであるが故に不自然な演技になることが少なくなく、実際に声の出演の訓練を受けキャリアを積んだ声優が軽視されていると批判する意見が多く、ジブリ作品は日本映画トップクラスの観客動員数を誇るだけに、声優起用が毎回批判の的になる。これに関して社長の鈴木敏夫は、海外メディアとのインタビューの中で「我々が欲しいのはコケティッシュな声ではない」という旨を述べている。

なお余談になるが、TEAM-NACS鈴井貴之などCREATIVE OFFICE CUEのタレントが近年の作品に何らかの形で出演しているのはジブリのスタッフのレクリエーションで自分の好きなテレビ番組を持ってくるというイベントを開催し、スタッフの一人が『水曜どうでしょう』のDVDを持ち込み、ジブリ内で『水曜どうでしょう』のファンが多いためである。特に大泉洋はこの一件がきっかけでジブリアニメ以外にも何本か出演するようになった。またテレビCMやソフトの販促ビデオなどのナレーションは矢島正明がほぼ一貫して起用されている。

[編集] 後継者の育成

宮崎駿と高畑勲の後継者と目されていた近藤喜文亡き後のジブリには、長編監督を担う意欲を持つ人材が不足しており、ジブリの監督・演出方面における人的資源の枯渇が予測されている。今までに外部から何人かの人材が招かれ、制作作業を行なったものの、スタジオの社風に合わず、降板したケースも少なくないという。これまでに『魔女の宅急便』における片渕須直や、『ハウルの動く城』における細田守の降板劇が伝えられた<ref>細田守の降板に関して鈴木社長は「東映動画とジブリの製作手法の違いが主原因。ジブリのベテランスタッフを若い監督が取りまとめる事が難しかった」と発言している。[要出典]</ref>。なお庵野秀明はこの状況を「宮さんにおんぶにだっこのジブリの環境では後継者は育ちませんよ」と発言<ref>『Quick Japan』太田出版1996年Vol.9。大泉実成編集『庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン』太田出版、1997年に再録。</ref>。鈴木敏夫もジブリは宮崎と高畑の2人の為のスタジオであり、人材が育つわけがないとしている。そして2005年にジブリが徳間書店から独立した際、資本金を1000万円としたのは、宮崎、高畑、鈴木の3人が出せる範囲だったからであり、宮崎と高畑の2人が引退したらジブリも終わるのが基本と述べている<ref>「ザ・要注意人物 鈴木敏夫」『サイゾー』インフォバーン、2006年6月号。</ref>。

[編集] スタジオジブリ在籍者(制作スタッフ)

文中の所属先などの内容は永続的に保証されるものではありません。過去の所属者およびフリー契約、作品単位の契約など正社員以外での雇用形態が含まれる場合があります。免責事項もご参照下さい。

[編集] 在籍者

[編集] 元在籍者(フリー契約含む)

[編集] 関連施設

  • 三鷹の森ジブリ美術館東京都三鷹市):2001年10月1日オープン。スタジオジブリの世界を展示している。毎年内容が変わる企画展も好評で、2006年の『アードマン展』に続き、2007年現在『3びきのこぐま展』を開催している。
  • サツキとメイの家愛知万博会場跡地):2005年3月竣工。『となりのトトロ』の草壁家を忠実に再現している。
  • 仕立屋スタジオジブリ:プライムゲート社がスタジオジブリとGHIBLIブランドの洋服および服飾小物の企画・製造・販売のライセンス契約を締結し、2004年秋冬から販売開始したメンズ・ブランド。イメージモデルは、『紅の豚』の主人公、ポルコ・ロッソ。本物志向の40歳以上の中年男性がターゲットである。

[編集] 出典

<references/>

[編集] 外部リンク

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