サーシャ・コーエン
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| 女子フィギュアスケート | ||
| 銀 | 2006 | シングル |
| 2004年世界選手権(ドイツ・ドルトムント) | |||
| 基本情報 | |||
|---|---|---|---|
| 国籍: | アメリカ合衆国 | ||
| 生年月日: | 1984年10月26日(24歳) | ||
| 出身地: | ロサンゼルス市, ウェストウッド | ||
| 身長: | 157 cm | ||
| 体重: | 42 kg | ||
| コーチ: | ジョン・ニックス | ||
| 所属: | オレンジカントリーFSC | ||
| ISU パーソナルベスト | |||
| SP+FS トータル: | 197.60 | 2003 スケートカナダ | |
| ショートプログラム: | 71.12 | 2003 スケートカナダ | |
| フリースケーティング: | 130.89 | 2003 スケートアメリカ | |
| 最近の結果: | |||
|---|---|---|---|
| 大会名 | ポイント | 順位 | 年 |
| 冬季オリンピック | 183.36 | 2位 | 2006 |
| 世界選手権 | 208.88 | 3位 | 2006 |
アレクサンドラ・ポーリーン・サーシャ・コーエン(Alexandra Pauline "Sasha" Cohen, 1984年10月26日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス市ウェストウッド出身のフィギュアスケート選手。身長157㎝。ユダヤ及びウクライナ系アメリカ人。アレクサンドラの愛称がサーシャ。
目次 |
[編集] 技術
- 高い柔軟性を活かしたスパイラルシークエンスと優美なレイバックスピンが得意。特にスパイラルは、サポート無しで足を前に高く上げての前向き滑走、真っすぐ伸ばした180度開脚など、他に追随を許さない高度な技巧で最高難度のレベル4、GOEでも平均2以上をだしている。
- 表現力も世界一といって過言ではない。トリノオリンピックのショートプログラムでは、技術点ではイリーナ・スルツカヤ、荒川静香に次ぐ3位であったが、演技構成点でこの2人を抑え、トータルポイントでは1位となった。演技構成点で8点台を出すことがあり、高く評価されている。
[編集] 人物
- 才能と実力は誰もが認めるトップレベルの選手でありながらも、大きな試合ではミスをして優勝を逃すことが多く勝負弱さが目立っている。そのことから、「(銀メダル)シルバーコレクター」「もう少しのサーシャ」などという、不名誉なニックネームをつけられている。
- 趣味はファッションデザイン、料理、旅行。
- 好きな食べ物はアイスクリーム。
- 家族(父:ロジャー、母:ガリーナ、妹:ナターシャ)全員が敬虔なユダヤ教徒であり、よくシナゴーグに通っている。母親はウクライナ出身である。
- ロシア語が多少できる。
- 将来は女優をやりたいと話している。
[編集] 経歴
[編集] 2001~2005年
- 2002年のソルトレークシティオリンピックは、ショートプログラムはほぼ完璧な内容で3位となったが、フリープログラムではコンビネーションで2つめのジャンプでの着氷失敗が響き、総合では4位入賞に終わった。
- 2003年12月にコーチをタチアナ・タラソワから、サラ・ヒューズのコーチだったロビン・ワグナーに変更している。
- 彼女のベストシーズンは、2003-2004シーズンで、3つのGrand Prix eventsで優勝、全米選手権と世界選手権で準優勝している。
- 2004年のGrand Prix eventsを背中の故障で欠場した。同年12月後半にコーチをロビン・ワグナーからジョン・ニックスに戻している。
- オレゴン州ポートランドで行われた2005年の全米選手権で復帰し準優勝。続くモスクワでの世界選手権でも準優勝した。
[編集] 2005-2006シーズン
- 2005-2006のオリンピックシーズンを好発進で迎えたが、臀部の故障により、スケート・アメリカを欠場した。
- その後、復帰初戦のエリック・ボンパール杯で準優勝。
- 2006年の全米選手権では、インフルエンザによる体調不良を克服し、初優勝。2006年トリノ・オリンピックのアメリカ代表となった。
- トリノオリンピックではショート・プログラムの演技をノーミスで終え、イリーナ・スルツカヤと荒川静香を抑えてトップに立った。フリーの序盤では、ジャンプで転倒や両手を着くなどの大きなミスを犯したが、中盤から終盤にかけてはほぼノーミスの演技でまとめ、荒川静香に次いで、銀メダルを獲得した。
- トリノオリンピックから1ヵ月後にカナダのカルガリーで開催された世界選手権でも、ショートプログラムではコンビネーションジャンプで両足着氷したものの、精彩のある演技を披露し、トップに立ったが、フリーでは中盤から終盤にかけてミスを連発、1位のキミー・マイズナー、2位の村主章枝におよばず3位(銅メダル)に終わり、又も金メダル獲得はならなかった。
[編集] 2006-2007シーズン
- 2006-2007年シーズンは全ての試合を欠場し、休養する事を表明した。2009年のロサンゼルスでの世界選手権と2010年のバンクーバーオリンピックを目指すことを公言している。
- 2001-2002年
- スケート・アメリカ 5位
- エリック・ボンパール杯 3位
- 全米選手権 2位
- ソルトレークシティオリンピック 4位
- 世界選手権 4位
- 2002-2003年
- スケート・カナダ 優勝
- エリック・ボンパール杯 優勝
- ロシア杯 2位
- グランプリファイナル 優勝
- 全米選手権 3位
- 世界選手権 4位
- 2003-2004年
- スケート・アメリカ 優勝
- スケート・カナダ 優勝
- エリック・ボンパール杯 優勝
- グランプリファイナル 2位
- 全米選手権 2位
- 世界選手権 2位
- 2004-2005年
- 全米選手権 2位
- 世界選手権 2位
- 2005-2006年
- エリック・ボンパール杯 2位
- トリノオリンピック 2位
- 全米選手権 優勝
- 世界選手権 3位
[編集] エピソード
- 2002年のソルトレイク五輪の開会式では、アメリカ選手団の中にいたジョージ・W・ブッシュ大統領が、母親と通話中のサーシャ・コーエンの携帯電話を取り上げ、「貴女の娘さんはお行儀良くやっているよ。競技での活躍をお祈りしています。」と話した。
- ソルトレイク五輪でタイツを忘れてしまい、その際に日本の村主章枝からタイツを借りたことがある。海外フィギュア界では敵に塩を送るようなことはしない風潮であった為、一種の美談となり、当時は新聞でも報道された。結果的にコーエンは村主より上位となった。村主は2006年に出演したNHK「英語でしゃべらナイト」でその時の逸話に言及し、「早く返してください(笑)」と冗談めかして語っていた。
- 浅田真央が年齢制限で代表資格を得られず、トリノ五輪不出場になったことについて、「残念なことだと思う。(真央のトリノ不出場は)参加選手にとっては楽だが、絶頂期にも関わらず五輪を逃す真央は辛いでしょうね。」とコメントした。
- 彼女はアメリカでフィギュア・ファン以外にも絶大な人気を誇り、その美貌からハリウッド女優への道もあると言う。ソルトレイク五輪でも、いちばん期待されていたのは彼女であった。スノーボード・ハーフパイプのトリノ五輪金メダリスト、ショーン・ホワイトも「これでサーシャ、俺と付き合ってくれないかなぁ」と話していた。過去の冬季オリンピックでこれに似たエピソードがカタリナ・ヴィットとアルベルト・トンバの間であった。
翻訳中:この項目「サーシャ・コーエン」は翻訳中です。翻訳作業などに協力して下さる方を求めています。詳細はこの項目のノートや履歴、翻訳FAQなどを参照してください。
[編集] 外部リンク
- SashaCohen.com - 公式サイト
- ISU Crystal Report - Sasha Cohen
- アメリカフィギュアスケート協会によるプロフィール
- SashaFans.com - ファンサイトと掲示板
- DearSasha

