ゴールデン・ハーベスト

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ゴールデン・ハーベスト(嘉禾、嘉禾電影有限公司、Golden Harvest)は香港にある映画会社

目次

[編集] 歴史

[編集] 設立

映画会社ショウ・ブラザーズの製作本部長を務めていたレイモンド・チョウ(鄒文懐/Raymond Chow)が、1970年にレナード・ホー(何冠昌/Leonald K.C.Ho)と共に設立した。九龍のハンマーヒルロードにあった、キャセイ映画スタジオを買い上げ、ここをゴールデン・ハーベスト・スタジオ(スタジオの正式社名はゴールデン・スタジオ・リミテッド)とした。第一作は時代劇の『鬼怒川(The Angry River)』。しかし、当時はショウ・ブラザーズ全盛期。ジミー・ウォングなどの看板スターを抱え、カンフー映画を次々とヒットさせる中、ゴールデン・ハーベストは看板となるスターが不在で無名俳優で作品を製作するしかなく、業績は赤字の一途であった。

[編集] 看板スターの誕生

そんな中、レイモンド・チョウは一人の武道家との契約に成功する。ブルース・リーである。そして、ブルース・リーを主役にした映画『ドラゴン危機一発』を製作。これが当時の香港映画興行収益記録を塗り替える大ヒットとなった。ここからゴールデン・ハーベストは徐々にショウ・ブラザーズを超えていくことになる。

[編集] 新たなスター

しかし、1973年7月20日にブルース・リーが急死してしまったことでゴールデン・ハーベストは窮地に追い込まれ、新たなスターの発掘が急務となった。そこで新たに発掘されたのが現在はハリウッドにも進出し大成功を収めたジャッキー・チェンである。

ジャッキー・チェンの主演作は香港や日本をはじめとするアジア各国で大ヒットとなり、ゴールデン・ハーベストは再び往時の繁栄を取り戻すことになった。

現在は香港内に5軒の映画館を持つほか、海運や不動産業にも進出するなど、多角経営化を行っている。しかし、香港の主権がイギリスから中華人民共和国に委譲される前後の香港映画の停滞に呼応するように、ハンマーヒルロードのゴールデン・スタジオは1998年に閉鎖。映画製作の一線からは退いた形となっている。

[編集] 契約・所属した俳優陣

[編集] 関連作品

[編集] その他

副社長兼プロデューサーの蔡瀾(チャイ・ラン)は食通として有名で、フジテレビの番組料理の鉄人にも特別審査員として出演していたほか、日本エアシステムの国際線の機内食の監修も行っていた。香港ではエッセイストとしても有名。日本大学芸術学部への留学経験があり、日本語も堪能。90年代、香港で「三級片(※)」と呼ばれるセクシャルな映画を商業的に成功させ普及させた功労者でもある。

※三級片=香港で上映される映画は、内外の作品を問わずその内容により3つに分類される。このうち「カテゴリー3」に分類されるのが「三級片」で、成人指定作品となる。いわゆるポルノ映画だけではなく、一定以上の性描写や残酷シーンを含む一般映画も三級片にあたる。なお、「カテゴリー2」は「子どもに適さない」作品、「カテゴリー1」の映画は「全年齢OK」の作品。ただし、実際にはアニメや一部の家族向け映画などを除きほとんどの作品が「カテゴリー2」に指定され、この分類が半ば形骸化してしまったため、後にカテゴリー2はさらに「2A」と「2B」に細分化された。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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