グリフィス・スタジアム
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| グリフィス・スタジアム
<tr><td colspan="2" style="text-align: center;">Griffith Stadium</td></tr> | |
|---|---|
| 施設統計 | |
| 所在地 | Washington, DC |
| 開場 | 1911年4月12日
<tr><td>閉場</td><td>1961年9月21日</td></tr><tr><td>取り壊し</td><td>1965年1月26日 ~ 8月14日</td></tr> |
| 所有者 | ワシントン・セネターズI |
| グラウンド | 天然芝 |
| 設計者 | オズボーン・エンジニアリング |
| 使用チーム、大会 | |
| ワシントン・セネターズI (開場 ~ 1960年) 、ワシントン・レッドスキンズ (1937年 ~ 1960年) 、 ワシントン・セネターズII (1961年) | |
| 収容能力 | |
| 32,000人(1921年) 、27,550人(1961年) | |
| 規模 | |
| 左翼 - 388 ft (約118.3 m) 左中間 - 380 ft (約115.8 m) 中堅 - 421 ft (約128.3 m) 右中間 - 373 ft (約113.7 m) 右翼 - 320 ft (約97.5 m) バックネット - 61 ft (約18.6 m) | |
| フェンスの高さ | |
| 左翼 - 6.5 ft (約2.0 m) 中堅 - 6 ft (約1.8 m) 右中間スコアボード - 41 ft (約12.5 m) スコアボード最上部 - 56 ft (約17.1 m) 右翼 - 31 ft (約9.4 m) | |
グリフィス・スタジアム(Griffith Stadium)は、アメリカのワシントンD.C.にかつてあったスタジアムである。
目次 |
[編集] スタジアムの歴史
グリフィス・スタジアムが建っていた土地には、元々1891年から野球場があった。バウンダリー・フィールドという球場で、1891年にはアメリカン・アソシエーションのワシントン・ステイツメンが、1892年から1899年にはナショナルリーグのワシントン・セネターズが本拠地として使用した。しかし1900年にリーグが縮小され、セネターズは消滅した。
1904年、アメリカンリーグのワシントン・セネターズ(現ミネソタ・ツインズ)がアメリカン・リーグ・パークからバウンダリー・フィールドがあった場所に移転してきた。セネターズは前本拠地からスタンドなど設備を移築し、新球場の名前を前本拠地と同じ「アメリカン・リーグ・パーク」にした。ワシントンD.C.という立地から、大統領も観戦に訪れたりしていたが、客足は芳しくなかった。そして1911年3月17日、配管工がもっていた溶接用の小型バーナーから出火し、アメリカン・リーグ・パークは全焼してしまった。
シーズン開幕が目前に迫っていたため、新球場の建設が急ピッチで進められた。しかし開幕までに間に合うわけもなく、仕方なく4月12日、ほとんどの部分が未完成のまま開場した。新球場が全面完成したのはシーズン半ばのことだった。新球場はナショナル・パーク(National Park)と名付けられた。
その後1920年に、セネターズのクラーク・グリフィス球団オーナーの名を取って球場名をグリフィス・スタジアムに改称した。グリフィス・スタジアムは1937年からはNFLワシントン・レッドスキンズの本拠地にもなり、野球とアメリカンフットボールの兼用球場となった。また、この頃にはニグロ・リーグの試合も開催されていた。グリフィス・スタジアムはワシントンD.C.のスポーツの中心地だった。
1950年代に入り、セネターズの観客動員が減少し始めた(1946年から1950年までの5年間で1試合平均約10750人を動員していたのが、1951年から1955年までの5年間で同約7600人まで減少している)。球団は移転を検討し始め、最終的にミネソタ州へ1960年シーズン終了後に移転することに決定した。またレッドスキンズも、グリフィス・スタジアムの老朽化が進んでいたので1961年からは新しく建設されたロバート・F・ケネディ・メモリアル・スタジアムへ移転することになった。
1961年にはメジャーリーグが球団拡張を実施し、新たなワシントン・セネターズ(現テキサス・レンジャーズ)が誕生した。しかし新セネターズがグリフィス・スタジアムを本拠地として使用したのは最初の1年のみで、その翌年にはロバート・F・ケネディ・メモリアル・スタジアムへ移転した。使い手がなくなったグリフィス・スタジアムは1965年に取り壊され、跡地にハワード大学病院が建設された。
[編集] フィールドの特徴
- 外野が広く、ホームランが出にくい。この球場が大リーグ球団の本拠地だった41年間のうち、34シーズンで「大リーグの全本拠地の中で一番ホームランが少ない球場」だった。
- 外野フェンスがジグザグになっているが、これは土地を売却するのを拒否した5軒の家屋を避けた形で球場が設計されたからである。
[編集] 外野の広さの変遷
| 年度 | 左 翼 | 左中間 | 中 堅 | 右中間 | 右 翼 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1911 | 407 | 391 | 421 | 不明 | 328 |
| 1921 | 424 | 391 | 421 | 不明 | 326 |
| 1926 | 358 | 391 | 421 | 不明 | 320 |
| 1931 | 407 | 391 | 421 | 不明 | 320 |
| 1936 | 402 | 391 | 421 | 不明 | 320 |
| 1942 | 405 | 391 | 421 | 不明 | 320 |
| 1948 | 402 | 391 | 421 | 不明 | 320 |
| 1950 | 386 | 380 | 421 | 不明 | 320 |
| 1951 | 408 | 380 | 421 | 不明 | 320 |
| 1952 | 405 | 380 | 421 | 不明 | 320 |
| 1954 | 388 | 380 | 421 | 378 | 320 |
| 1955 | 388 | 380 | 421 | 372 | 320 |
| 1956 | 386 | 380 | 421 | 373 | 320 |
| 1957 | 350 | 380 | 421 | 373 | 320 |
| 1961 | 388 | 380 | 421 | 373 | 320 |
※単位はフィート、1フィート≒30.48センチ
[編集] 主要な出来事
- 1911年4月12日、レッドソックス戦で開場(セネターズ 8 - 5 レッドソックス)。
- 1920年5月14日、ウォルター・ジョンソンが通算300勝を達成した。
- 1926年4月27日、ウォルター・ジョンソンが通算400勝を達成した。
- 1937年7月7日、オールスターゲーム開催(ア 8 - 3 ナ)。
- 1953年4月17日、ヤンキースのミッキー・マントルが推定飛距離565フィート(約172.2メートル)の大リーグ史上最長本塁打を放つ。
- 1956年7月10日、オールスターゲーム開催(ナ 7 - 3 ア)。
- ワールドシリーズ開催:1924年、1925年、1933年
- 1961年9月21日、ツインズ戦で閉場(ツインズ 6 - 3 セネターズ)。
| 前本拠地: アメリカン・リーグ・パーク 1901 - 1910 | ミネソタ・ツインズの本拠地 1911 - 1960 | 次本拠地: メトロポリタン・スタジアム 1961 - 1981 |
| 前本拠地: フェンウェイ・パーク 1933 - 1936 | ワシントン・レッドスキンズの本拠地 1937 - 1960 | 次本拠地: RFKスタジアム 1961 - 1996 |
| 前本拠地: n/a - | テキサス・レンジャーズの本拠地 1961 - (1シーズン限り) | 次本拠地: RFKスタジアム 1962 - 1971 |

