ギニアビサウ
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- ギニアビサウ共和国</dt>
- República da Guiné-Bissau</dt>
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(国旗) (国章) </dd>
- 国の標語 : Unidade, Luta, Progresso
(ポルトガル語: 統一、闘争、進歩)</dd>- 国歌 : Esta é a Nossa Pátrai Bem Amada</dd>
- </dd>
公用語 ポルトガル語 首都 ビサウ 最大の都市 ビサウ 大統領 ジョアン・ヴィエイラ 首相 アリスティデス・ゴメス 面積
- 総計
- 水面積率世界第133位
36,120km²
22.5%人口
- 総計(2004年)
- 人口密度世界第147位
1,388,363人
38人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(2005年)
1,545億CFAフランGDP(MER)
- 合計(2005年)世界第174位
3億ドルGDP(PPP)
- 合計(2003年)
- 1人当り世界第169位
11億6,400万ドル
900ドル独立
- 宣言
- 承認ポルトガルより
1973年9月24日
1974年9月10日通貨 CFAフラン(XOF) 時間帯 UTC 0(DST: なし) ccTLD GW 国際電話番号 245 </dd>
- 国の標語 : Unidade, Luta, Progresso
15世紀半ばにポルトガル人が上陸。奴隷貿易の中継地となり、1879年にポルトガル領ギニアが単独でポルトガルの植民地となった。1973年9月24日に独立宣言、1974年9月10日に承認。現在の公用語もポルトガル語である。
目次 |
[編集] 国名
正式名称は、República da Guiné-Bissau /rɨˈpublikɐ dɐ ɡiˈnɛ biˈsaw/. 通称、Guiné-Bissau。
公式の英語表記は、Republic of Guinea-Bissau。通称、Guinea-Bissau。
日本語の表記は、ギニアビサウ共和国。通称、ギニアビサウ。ギニアビサオと表記されることもある。
[編集] 歴史
[編集] 独立まで
(ポルトガル領ギニア参照)
- 1446年、ポルトガルがこの地域一帯の領有を宣言する。
- 1630年、ポルトガルが総督府を設置する。
- 1765年、ビサウに奴隷貿易の拠点が設置される。
- 1879年、カーボベルデ諸島植民地から分離して単独の植民地となる。民族主義的集団が形成され、武装蜂起が度々起こる。
- 1951年、ポルトガルの憲法改正により、植民地から海外州・県(海外の領地)となる。
- 1956年、アミルカル・カブラルが指導するクレオールのギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)による独立・民族解放運動が始まる。
- 1973年PAIGCは領土の大部分を開放し、同年9月24日に、東部の町マディナ・ド・ボエにおいてギニアビサウ独立共和国の独立を宣言する。初代大統領には暗殺されたアミルカルの弟のルイス・カブラルが就任する。(1973年1月、アミルカル・カブラルがギニア、コナクリにて暗殺される。)
- 1974年、4月25日、ポルトガルでカーネーション革命が発生し、左派政権が誕生する。
- 以後、ポルトガル新政権とPAIGCとの間で独立交渉が開始される。
- 1974年、9月10日、ポルトガル政府により正式に独立が承認される。
- PAIGCはカーボベルデとの統一を目指していたが、ギニアビサウ国内にてカーボベルデ系への反感が高まり、カーボベルデ系のルイス・カブラルが軍事クーデターにより失脚する形で統一が達成されることはなくなった。
[編集] 独立後
- 1980年、ジョアン・ヴィエイラによるクーデターが発生し、革命評議会が全権を掌握する。
- 1984年、革命評議会に代わり国家評議会が設置され、ヴィエイラが議長に就任する。
- 建国当初の親東側路線はビエイラ政権により親米路線に変更されたが、国内での治安は悪く、クーデター計画が頻発した。
- 1990年、ヴィエイラ、複数政党制民主主義への移行を表明。
- 1993年、クーデター未遂事件が発生。
- 1994年、建国後初の複数政党制選挙が行われ、ヴィエイラが大統領に当選する。
- 1998年、クーデターをきっかけに内戦が発生し、避難民30万人がビサウに流入する。
- 1999年、クーデターでヴィエイラ大統領が亡命する。
- 2000年、クンバ・ヤラが大統領に就任する。
- 2003年、ヴェリッシモ・コレイア・セアブラ将軍の無血クーデターでヤラ大統領が辞任・逮捕される。エンリケ・ホザが臨時大統領に就任。
- 2004年、セアブラ将軍が死亡。議会選挙によりPAIGCが勝利。カルロス・ゴメス・ジュニオル首相による連立政権樹立。
- 2005年、ヴィエイラが大統領に就任する。カルロス・ゴメス・ジュニオル首相が更迭され、アリスティデス・ゴメスが首相になる。
[編集] 政治
2007年4月10日、ビエイラ大統領は、野党のギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)のマルティノ・ヌダファ・カビを首相に任命した。
[編集] 地方行政区分
ギニアビサウの地方行政区分は8州(regiõe)と1自治区(sector autónomo)からなる。
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[編集] 地理
熱帯にある小国であり、いくつかの河川が流れる大陸部と島嶼部(ビジャゴ諸島)からなる。高い山は無く、国内の最高所の標高は310mである。内陸部はサバンナであり、沿岸部は沼沢地のところが多い。雨季とサハラ砂漠からのハルマッタンによる暑く乾燥した乾季がある。
[編集] 経済
- 詳細はギニアビサウの経済を参照
工業、鉱業がほぼ存在せず、労働力の8割が従事する主要産業の農業も米などの自給農業が中心で、しかも国内需要すら満たせないほど生産性が低い。企業家層がおらず、識字率も低いため、経済発展の基礎的な条件が存在していない。産業と呼べるものがほとんど無いため、世界最貧国のひとつとなっている。 カシューナッツや落花生が主な輸出品である。
通貨は1997年以前はギニアビサウ・ペソが法定通貨であったが、1997年より西アフリカCFAフランが導入された。
[編集] 国民
住民は、バランテ族が多く、他にフラニ族、マンディンカ族など。後は、主にカーボベルデから来たクレオールやヨーロッパ人(主にポルトガル人)なども少数だがいる。クレオールは政治などを支配し優位だった事から現地住民(特にバランテ族)はクレオール優勢に不満を抱き、それが1980年のクーデターに発生した。
言語は公用語はポルトガル語だが、ポルトガル語を話す人の割合はあまり高くなく、ポルトガル語をベースにしたクレオール語が共通語としての役割を果たしている。ほかにバラント語、フラ二語、マリンケ語などの現地語などがある。
宗教は、現地宗教が50%、イスラム教が45%、キリスト教が5%となっている。
[編集] 文化
| 日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
|---|---|---|---|
[編集] 関連項目
- ギニアビサウの都市の一覧
- ギニアビサウ関係記事の一覧
- ポルトガル語諸国共同体
[編集] 外部リンク
[編集] 公式
- 政府公式サイト
[編集] その他
- 世界の国々 > アフリカ</dt>
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