ガンバ大阪
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| ガンバ大阪 | |
| 原語表記 | ガンバ大阪 |
|---|---|
| 愛称 | ガンバ |
| クラブカラー | ブルー&ブラック |
| 創設年 | 1980年 |
| 所属リーグ | Jリーグ |
| 所属ディビジョン | ディビジョン1 |
| ホームタウン | 大阪府吹田市 |
| ホームスタジアム | 万博記念競技場 |
| 収容人数 | 21,000 |
| 代表者 | 佐野泉 |
| 監督 | 西野朗 |
ガンバ大阪(がんば おおさか、Gamba Osaka)は、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
- 選手・監督についてはガンバ大阪の選手一覧の項を参照。
目次 |
[編集] 概要
1991年、Jリーグ加盟。ホームタウンは大阪府吹田市。ホームスタジアムは万博記念競技場。同スタジアムの隣接地にある万博記念公園スポーツ広場を練習場としている。クラブ名の「ガンバ(GAMBA)」はイタリア語でサッカーの原点である脚を意味する他、日本語の「頑張る」とも掛けている。当初は松下電器のAVブランド(現在はグローバルブランド)として使われる「パナソニック」の冠を被せ「パナソニックガンバ大阪」としていた。なお加盟時に松下がユニヴァーサル映画を買収した時期と重なり、強そうなのでスティーブン・スピルバーグの名作『ジョーズ』から大阪城にも引っ掛け「大阪ジョーズ」というチーム名が有力候補だった。しかし瀬戸内海にサメが出没する事件が勃発、この案は流れた。
マスコットは松下進デザインの「ガンバボーイ」という名の雷小僧であり、ガンバって勝利を勝ち取る元気なサッカーボーイ。雷の形の闘志あふれるエネルギーをその手につかんでいる。 Jリーグ開幕当時は、デザインイラストどおり、ギリシア風の衣装だったが、最近はユニフォームを着ている。たまにカジュアルな服装などで登場することがある。動物ではなく人をモチーフにした数少ないマスコットの一つ(J1では唯一の人をモチーフにしたマスコット)である。
Jリーグの中では自前の下部組織からの選手育成で成功しているクラブの一つで、万博のユース、ジュニアユース、ジュニアの他に、門真・堺の両市にスクール(両スクールともジュニアユースチーム、ジュニアチームがある)を設置している。下部組織を統括する部署の責任者は、育成普及部長である上野山信行。
クラブでは吹田市の周辺の北摂地方の市町村をホームタウン活動エリアと位置づけている。2005年の優勝報告会は、吹田・茨木・高槻の3市で行った。
紙面での略称表記は、Jリーグ発足当初は「大阪」であったが、セレッソ大阪の昇格以降は「ガ大阪」もしくは「G大阪」となっている。
1991年にJリーグ加盟当初から松下電器の100%株主である子会社だったが、1997年からは地域密着度を高めるために関西電力、大阪ガス、JR西日本が株主に参加し、現在に至る。
株主
- 括弧内は、持株比率を示す。
[編集] 歴史
1980年、前身の松下電器産業サッカー部として、奈良県社会人リーグ2部に加盟登録し、活動を開始。Jリーグ創設時からの加盟チームの一つであり、当初は関西で唯一のJリーグクラブだった。
[編集] リーグのお荷物と呼ばれた時代(1993年─1996年)
かつての名選手釜本邦茂を監督に据え、礒貝洋光・本並健治といった人気プレイヤーも抱えていたが、最下位争いの常連で成績は芳しくなかった。当時、ガンバは名古屋グランパスエイト・浦和レッドダイヤモンズとともにリーグのお荷物扱いであり、ハンス・オフトが日本代表監督を務めていた際には、Jリーグで唯一代表選手を輩出していなかった。1994年のナビスコカップでは準決勝で当時の天敵・ヴェルディ川崎に1-7の記録的大敗を喫し、川淵三郎Jリーグチェアマンに「ガンバは消えてなくなれ」とまで罵倒された<ref>"<先望鏡>ひとりガンバるG大阪──「ビッグクラブ」関西から" 日経ネット関西版. 2006-12-25. 2007年6月27日閲覧.</ref>。更に第2ステージで7連敗を喫すると、フロントは同年限りで釜本の解雇を決定。
1995年は釜本の後を継いだジークフリート・ヘルト監督の下、第1ステージ序盤には初の首位争いを展開したが、その後失速して負け続け、8連敗も喫した。終わってみれば前年以上に悲惨な成績であり、第2ステージの更なる低迷もあって結局ヘルトは1年で解任となった。
ヨジップ・クゼ監督の初年度となった1996年も、ヴェルディに4年目で初めて勝利したこと(この試合は前半にヴェルディに2点先制されたものの、後半に3点を返し、3-2で大逆転勝ちを納めたという試合だった)以外ファンを興奮させる出来事はなく、全体的に見ればチーム力は低いままであった。初の1ステージ制という状況の中、年間成績は初年度から参加の10チームの中で唯一、4年連続負け越していた(同じくお荷物として扱われていた名古屋グランパスエイトは21勝9敗。浦和レッズは19勝11敗で勝ち越しており、前年にはすでに躍進していた)。なお、同年8月のプレシーズンマッチにてニューカッスル・ユナイテッドを万博に迎え、3-1の快勝をしている。
[編集] 初の優勝争い、その後の低迷(1997年─1999年)
1997年、カメルーン代表のパトリック・エムボマを獲得。チームを一人で引っ張り同年得点王に輝いている。第2ステージにはチームとして当時最高の2位の成績も残し、初めて年間成績勝ち越しを達成したが、エムボマに頼りきった戦術は関係者やマスコミから多くの批判を受け、「エムボマがいないとガンバれない」と揶揄されることも多かった。事実エムボマがチームを離れるとあっという間に下位チームに逆戻りとなり、再び暗黒の時代を迎えた。
そんな状況の中、1990年代後半以降上野山信行育成・普及部長らが指導した、宮本恒靖、稲本潤一、大黒将志などユース出身の選手がトップチームに相次いで昇格していた。これらが2000年代のガンバの躍進にとって重要な戦力となる。
[編集] 再び上位チームへ、しかし…(2000年─2004年)
2000年、ガンバは第1ステージにおいて、優勝争いを繰り広げたセレッソ大阪とは対照的に13位と大きく低迷するが、第2ステージでは鹿島アントラーズと久々に優勝争いを繰り広げた。しかしアントラーズとの天王山で敗れて優勝の可能性を失うと、最終節ではジュビロ磐田に大敗。
2001年には第1ステージは上位に食い込んだが、今度は第2ステージで低迷。2002年シーズンは第1・第2ステージ共に優勝争いに絡むが、どちらもジュビロとの天王山でことごとく勝てず、優勝を逃している。特に第1ステージの対戦では、一時は2点差を付けながらロスタイムに追いつかれ、延長で敗北を喫するという結果だった。
延長を廃止した初年度の2003年には、後半ロスタイムに幾度となく失点する姿が目立ち、終盤の集中力が幾度となく批判された。この年は、一時は降格の危機に立たされる羽目に陥ることとなった。2004年には上位チームに返り咲き、優勝争いに加わるが、やはり終了間際での失点癖や肝心な試合での黒星が目立ち、優勝することは出来なかった。
このようにほぼ毎年上位争いに絡むようになったものの、「終了間際に失点する」「天王山で勝てない」「終盤に失速する」「調子に波がある」を繰り返し、成長が見られない様子でファン苛立たせていた。優勝争いに加わったシーズンでも、どちらかのステージでは躍進するが、もう片方では低迷することが多く、調子に波があることの証明とも言われた。
また、2002年のコンサドーレ札幌や2003年のベガルタ仙台に対してのように、連敗記録を作っていたチームに久々の白星を与えるパターンも目立った。
[編集] 13年目の悲願(2005年─)
2005年もリーグ戦、カップ戦とも快進撃を見せるが、宮本の負傷以後は調子がやや下降。11月5日に開催されたジェフユナイテッド市原・千葉とのナビスコカップ決勝では、PK戦に持ち込むがPK職人と言われていた遠藤保仁が外したのが痛く、4-5で敗れ準優勝に終わる。
リーグ戦でも10月22日の大分トリニータ戦に敗れると、この試合以降1勝5敗と急激に失速。下位に低迷していた柏レイソルや大宮アルディージャにも黒星を喫し、11月26日には、ナビスコ杯で敗れたばかりの千葉に再び1-2で敗れ、残り1試合の時点でセレッソ大阪に抜かれ2位に後退。例年通りの結果を思い起こさせる展開で、多くのファンを失望させた。しかし最終節の川崎フロンターレ戦に4-2で勝利、勝点1差の首位だったC大阪がFC東京と引き分けたため、再逆転で悲願の初優勝を勝ち取った。後半ロスタイム突入直前にC大阪がFC東京の今野のゴールによって同点に追いつかれ、その直後にガンバのアラウージョが駄目押しの4点目を追加、試合終了前の5分間で形勢が大きく逆転しての劇的な優勝だった(2005年J1最終節を参照)。
優勝決定後、得点王となったアラウージョが2005年限りでの退団を発表、またチームでアラウージョに次ぐ得点を挙げた大黒将志もフランス2部リーグのグルノーブルへの移籍が決定した。
リーグ戦連覇を目指した2006年は攻撃力の低下が懸念されていたが、FWでマグノ・アウベス(前大分トリニータ)、播戸竜二(前ヴィッセル神戸)を獲得。更にMFで元日本代表の明神智和(前柏レイソル)を、DFでは現日本代表の加地亮(前FC東京)といった各チームの有力選手の獲得に成功。マグノ・アウベス、播戸の2人で第33節の時点で合計41点を叩き出したこともあって首位・浦和に勝ち点3差の2位につけていたが、最終節の浦和との直接対決ではマグノ・アウベスの先制弾もむなしく2-3で敗れ、2連覇は達成できなかった。さらに勝ち点2差だった川崎フロンターレが勝ったために3位に転落し、2007年のACLの出場権も逃した。リーグ終盤戦において、チームの心臓と言ってもおかしくない遠藤が病気により欠場した事が響いたとされ、遠藤がいれば間違いなく連覇していただろうという意見は多々ある。遠藤が復帰した天皇杯ではJリーグ加入後初(前身の松下電器時代を含めると16年ぶり)の決勝進出を果たし、決勝で再び浦和と対戦も0-1で返り討ちに遭う。なお2007年春のゼロックス・スーパーカップでは、浦和と2年連続で対戦し、マグノ・アウベスのハットトリックを含む4-0で勝利し見事に去年の雪辱を果たした。
[編集] スタジアム
現在の本拠地は、吹田市の万博記念競技場。収容人数は21,000人。
将来的には高槻市が京都大学大学院農学研究科付属農場(京大農場)移転跡地に球技専用のスタジアムの建設を計画しているとの話等もあるが、2007年現在においては京大農場跡地の譲渡に関する交渉すら進んでおらず、新スタジアムへの具体的な構想等は全く何も決まってはいない。
[編集] ダービーマッチ
[編集] 大阪ダービー
- 大阪府をホームタウンとするガンバ大阪とセレッソ大阪のダービーである。前者が吹田市で後者が大阪市。大阪を二分する熱いダービーである。
- これまでJ1リーグ戦で24試合行われた大阪ダービー。現在(2006年シーズン終了時)、ガンバ大阪が16勝と勝ち越している。2003年の1stステージで敗れて以来、現在ガンバ大阪が7連勝中。ただし、天皇杯では2005年12月24日(長居)にセレッソが勝っている。2007年シーズンは、セレッソ大阪のJ2降格により、公式戦としては実現されない。
- 現在でこそガンバが圧倒的に勝ち星を挙げているが、セレッソの昇格直後、1995年シーズン開幕前に行われた初対戦(プレシーズンマッチ)では3-0と完敗。その後も暫くは「良いカモ」にされていた。初対戦の直後には、本並が思わず「練習試合でも情けない。大阪の町を歩けない」と発言する一幕もあった。
- 大阪ダービーでのハットトリックは過去3度(2006年終了時)。初めて記録したのはガンバの大黒将志(2004年10月2日のJ1 2nd第8節@万博)で、 フェルナンジーニョ(2006年3月12日のJ1 第2節@長居)、マグノ・アウベス(同)が続いた。セレッソからは誕生していない。
[編集] 戦績
| 年月日 | 時期 | 会場 | ホーム | 得点 | アウェイ | 観客動員 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1995年5月3日 | サントリーシリーズ | 長居第2 | C大阪 | 1 - 0 | G大阪 | 13,057 |
| 1995年7月19日 | サントリーシリーズ | 万博 | G大阪 | 1 - 0 | C大阪 | 17,565 |
| 1995年9月30日 | NICOSシリーズ | 長居第2 | C大阪 | 3 - 2 | G大阪 | 12,049 |
| 1995年11月22日 | NICOSシリーズ | 万博 | G大阪 | 4 - 0 | C大阪 | 9,016 |
| 1996年5月18日 | Jリーグ | 長居第2 | C大阪 | 0 - 2 | G大阪 | 9,325 |
| 1996年9月14日 | Jリーグ | 万博 | G大阪 | 2 - 0 | C大阪 | 7,210 |
| 1997年5月3日 | Jリーグ1st | 長居 | C大阪 | 0 - 2 | G大阪 | 27,734 |
| 1997年8月23日 | Jリーグ2nd | 万博 | G大阪 | 3 - 2 | C大阪 | 11,893 |
| 1998年3月21日 | Jリーグ1st | 万博 | G大阪 | 1 - 2 | C大阪 | 15,193 |
| 1998年9月15日 | Jリーグ2nd | 長居 | C大阪 | 2 - 1 | G大阪 | 12,230 |
| 1999年5月16日 | J1リーグ1st | 万博 | G大阪 | 1 - 2 | C大阪 | 8,253 |
| 1999年9月11日 | J1リーグ2nd | 長居 | C大阪 | 4 - 1 | G大阪 | 10,901 |
| 2000年5月4日 | J1リーグ1st | 万博 | G大阪 | 2 - 1 | C大阪 | 13,380 |
| 2000年9月15日 | J1リーグ2nd | 長居 | C大阪 | 0 - 1 | G大阪 | 19,258 |
| 2001年4月7日 | J1リーグ1st | 万博 | G大阪 | 2 - 1 | C大阪 | 16,003 |
| 2001年9月15日 | J1リーグ2nd | 長居 | C大阪 | 2v - 1 | G大阪 | 19,258 |
| 2003年7月13日 | J1リーグ1st | 万博 | G大阪 | 0 - 2 | C大阪 | 12,362 |
| 2003年10月19日 | J1リーグ2nd | 長居 | C大阪 | 0 - 2 | G大阪 | 20,200 |
| 2004年6月16日 | J1リーグ1st | 長居 | C大阪 | 0 - 1 | G大阪 | 17,108 |
| 2004年10月2日 | J1リーグ2nd | 万博 | G大阪 | 7 - 1 | C大阪 | 11,472 |
| 2005年5月14日 | J1リーグ | 長居 | C大阪 | 2 - 4 | G大阪 | 42,053 |
| 2005年7月23日 | J1リーグ | 万博 | G大阪 | 4 - 1 | C大阪 | 22,232 |
| 2006年3月12日 | J1リーグ | 長居 | C大阪 | 1 - 6 | G大阪 | 30,561 |
| 2006年9月9日 | J1リーグ | 万博 | G大阪 | 3 - 1 | C大阪 | 20,463 |
■ガンバ大阪:16勝8敗 ■セレッソ大阪:8勝16敗
- 最多観客動員試合
- J1リーグ
- 42,053人【2005年J1リーグ 第12節(5月14日)・@長居】
- 最少観客動員試合
- J1リーグ
- 7,210人【1996年Jリーグ 第19節(9月14日)・@万博】
- リーグ戦以外
- 5,120人【2003年第83回天皇杯 4回戦(12月20日)・@愛媛】
[編集] ナショナルダービー
- ガンバ大阪と浦和レッズの試合は、実力面でトップクラスであり日本代表選手も多いので現在のナショナルダービーだという意見もある。実際、2006年のJ1リーグでもレッズとガンバが首位争いを繰り広げ、リーグ最終戦ではこの2チームが対戦、どちらかが優勝決定という試合であった。同年の天皇杯の決勝、2006年・2007年のゼロックス・スーパーカップもこの2チームで行われた。
- 通算成績はレッズのほうが優勢であるが、2001年以降はガンバが勝ち越しており、リーグ戦では2006年までこの間2敗しか喫していないのだが、その敗戦を喫した2004年第2ステージではステージ優勝、2006年ではリーグ優勝をレッズに飾られている。
[編集] 成績
| 年度 | サントリーシリーズ | NICOSシリーズ | 年間順位 |
|---|---|---|---|
| 1993年(10チーム中) | 8位(8勝10敗) | 6位(8勝10敗) | 10位 |
| 1994年(12チーム中) | 10位(7勝15敗) | 10位(8勝14敗) | 10位 |
| 1995年(14チーム中) | 11位(10勝16敗) | 13位(8勝18敗) | 14位 |
| 年度 | 年間順位 | ||
| 1996年(16チーム中) | 12位(11勝19敗) | ||
| 年度 | 1st STAGE | 2nd STAGE | 年間順位 |
| 1997年(17チーム中) | 8位(8勝8敗) | 2位(12勝4敗) | 4位 |
| 1998年(18チーム中) | 14位(7勝10敗) | 16位(5勝12敗) | 15位 |
| 1999年(16チーム中) | 10位(6勝9敗) | 13位(5勝1分9敗) | 11位 |
| 2000年(16チーム中) | 13位(5勝2分8敗) | 4位(10勝5敗) | 6位 |
| 2001年(16チーム中) | 5位(9勝6敗) | 11位(5勝2分8敗) | 7位 |
| 2002年(16チーム中) | 4位(9勝1分5敗) | 2位(10勝5敗) | 3位 |
| 2003年(16チーム中) | 12位(4勝4分7敗) | 7位(6勝5分4敗) | 10位 |
| 2004年(16チーム中) | 4位(7勝3分5敗) | 3位(8勝3分4敗) | 3位 |
| 年度 | 年間順位 | ||
| 2005年(18チーム中) | 優勝(18勝6分10敗) | ||
| 2006年(18チーム中) | 3位(20勝6分8敗) | ||
[編集] Jリーグ対戦通算成績(2007年 第15節終了時)
[編集] J1対戦通算成績
| 対戦チーム | 勝ち | 引分 | 負け |
| 鹿島アントラーズ | 11 | 4 | 20 |
| 浦和レッズ | 12 | 6 | 15 |
| 大宮アルディージャ | 3 | 0 | 2 |
| ジェフユナイテッド市原・千葉(←ジェフ市原) | 16 | 3 | 16 |
| 柏レイソル | 10 | 1 | 14 |
| FC東京 | 7 | 0 | 7 |
| 川崎フロンターレ | 4 | 2 | 1 |
| 横浜F・マリノス(←横浜マリノス) | 12 | 2 | 20 |
| 横浜FC | 1 | 0 | 0 |
| ヴァンフォーレ甲府 | 2 | 0 | 1 |
| アルビレックス新潟 | 3 | 1 | 3 |
| 清水エスパルス | 16 | 3 | 16 |
| ジュビロ磐田 | 11 | 2 | 18 |
| 名古屋グランパスエイト | 20 | 2 | 13 |
| ヴィッセル神戸 | 10 | 4 | 5 |
| サンフレッチェ広島 | 15 | 2 | 16 |
| 大分トリニータ | 5 | 0 | 4 |
| コンサドーレ札幌 | 2 | 1 | 3 |
| ベガルタ仙台 | 3 | 0 | 1 |
| 東京ヴェルディ1969 | 11 | 2 | 19 |
| 湘南ベルマーレ | 10 | 0 | 6 |
| 京都サンガF.C. | 9 | 0 | 7 |
| セレッソ大阪 | 16 | 0 | 8 |
| アビスパ福岡 | 7 | 2 | 5 |
| 横浜フリューゲルス | 8 | 0 | 10 |
| 合計 | 223 | 37 | 230 |
[編集] チームとの相性
- 前述の通りセレッソ大阪にはリーグ戦7連勝(継続中)と相性抜群。
- 京都サンガF.C.、サンフレッチェ広島にはここ最近負けがない。京都サンガF.C.に関しては対戦成績をひっくり返した。サンフレッチェ広島、清水エスパルスにも対戦成績をひっくり返す勢いである。
- アルビレックス新潟はアウェーで苦手としている。
- 大宮アルディージャにはJ1初対戦から2連敗したが、その後は3連勝中。その最初からの連敗はそれぞれ2005年開幕戦、優勝争いの最中と共に大事な時期である。
- ベガルタ仙台の1敗は前述の2003年に連敗記録を作っていた同チームに対して久々の白星を与えた試合だった。だが、勝った時は大勝だった。
[編集] 獲得タイトル
[編集] 国内タイトル
[編集] 国際タイトル
[編集] 個人タイトル
[編集] チーム記録
- 最多得点試合記録
J1
- 7-1 【2004年2nd第8節(10月2日)・vsセレッソ大阪 @万博】
- 7-1 【2005年第13節(7月2日)・vs東京ヴェルディ1969 @万博】
(参考:リーグ戦以外の記録) ナビスコカップ
- 5-0 【1993年予選リーグ第7節(10月16日)・vsサンフレッチェ広島 @西京極】
- 5-2 【1998年予選リーグ第2節( 5月23日)・vsコンサドーレ札幌 @万博】
- 5-3 【2005年予選リーグ第3節( 5月21日)・vs東京ヴェルディ1969 @万博】
ACL
- 15-0 【ACL2006 グループリーグ第2節(3月22日)・対ダ・ナン(ベトナム) @万博】(※ACLの最多得点タイ記録)
- 最多失点試合記録
J1
- 1-7 【1996年第12節(5月4日)・vs柏レイソル @万博】
(参考:リーグ戦以外の記録) ナビスコカップ
- 1-7 【1994年準決勝(8月3日)・vsヴェルディ川崎 @瑞穂】
- 連勝記録
J1
- 9連勝 【1997年2nd第4節(8月9日)・vs清水エスパルス @日本平 ~ 同第12節(9月13日)・vs横浜フリューゲルス @万博】
- 連敗記録
J1
- 8連敗 【1995年サントリー第15節(5月10日)・vs浦和レッズ @大宮 ~ 同第22節(7月8日)・vsヴェルディ川崎 @万博】
- 最多観客動員試合(ホームゲーム)
- 22,884人【2005年J1第25節(9月24日)・vs鹿島アントラーズ】
その他スタジアム
- 41,054人【1993年NICOS第10節(11月6日)・vsヴェルディ川崎 @神戸ユニバー】
- 最少観客動員試合(ホームゲーム)
万博記念競技場
- 2,720人【1999年1st第9節(4月28日)・vs京都パープルサンガ】
- 年度別観客動員記録
- J1
| 年度 | 合計 動員数 | 最多 動員数 | 最少 動員数 | 平均 動員数 | ホーム 試合数 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1993年 | 388,286 | 21,571 | 18 | ||
| 1994年 | 492,084 | 22,367 | 22 | ||
| 1995年 | 346,054 | 13,310 | 26 | ||
| 1996年 | 120,058 | 8,004 | 15 | ||
| 1997年 | 135,088 | 8,443 | 16 | ||
| 1998年 | 148,290 | 8,723 | 17 | ||
| 1999年 | 119,934 | 7,996 | 15 | ||
| 2000年 | 146,917 | 9,794 | 15 | ||
| 2001年 | 175,849 | 11,723 | 15 | ||
| 2002年 | 191,429 | 12,762 | 15 | ||
| 2003年 | 153,324 | 16,146 | 4,828 | 10,222 | 15 |
| 2004年 | 187,752 | 17,874 | 4,429 | 12,517 | 15 |
| 2005年 | 271,416 | 22,884 | 6,646 | 15,966 | 17 |
| 2006年 | 276,395 | 20,916 | 8,388 | 16,259 | 17 |
| 計 | 3340,628 | 12,832 | 238 |
- (*1)太字はガンバ大阪歴代最高年間観客動員数
[編集] 個人記録
- 最年少試合出場
- 最年少得点
- シーズン最多得点
- 通算最多出場
- 通算最多得点
- 通算最多出場(外国籍選手)
- 通算最多得点(外国籍選手)
- 連続試合得点
J1
- 6試合
- ハットトリック
J1
- 4得点
- 3得点
- 永島昭浩( 日本)【1993年サントリー第7節(6月5日)・vs名古屋グランパス】(※Jリーグ日本人初ハットトリック)
- 松波正信( 日本)【1993年NICOS第14節(11月20日)・vsジェフユナイテッド市原】
- 山口敏弘( 日本)【1994年サントリー第7節(4月6日)・vsベルマーレ平塚】
- プロタソフ( ウクライナ)【1995年サントリー第20節(6月28日)・vs清水エスパルス】
- エムボマ( カメルーン)【1998年1st第7節(4月18日)・vs柏レイソル】
- ドロブニャク( セルビア)【1998年1st第17節(8月8日)・vs横浜フリューゲルス】
- 小島宏美( 日本)【2000年1st第8節(4月22日)・vsアビスパ福岡】
- 大黒将志( 日本)【2004年2nd第8節(10月2日)・vsセレッソ大阪】【2004年2nd第12節(11月6日)・vsアルビレックス新潟】【2005年第7節(4月23日)・vsFC東京】
- アラウージョ( ブラジル)【2005年第13節(7月2日)・vs東京ヴェルディ1969】【2005年第23節(9月10日)・vsサンフレッチェ広島】
- フェルナンジーニョ( ブラジル)【2006年第2節(3月12日)・vsセレッソ大阪】
- マグノ・アウベス( ブラジル)【2006年第2節(3月12日)・vsセレッソ大阪】【2006年第33節(11月26日)・vs京都パープルサンガ】
(参考:リーグ戦以外の記録)
ゼロックススーパーカップ
天皇杯
ヤマザキナビスコカップ
- 記録者なし
ACL
- 4得点
- 3得点
- 記念ゴール
- Jリーグ通算100ゴール - 松波正信( 日本)【1993年サントリー第11節(6月9日)vsサンフレッチェ広島@万博】
- Jリーグ通算10,000ゴール - 前田雅文( 日本)【2005年第11節(5月8日)vs名古屋グランパス@万博】
- その他
- 1試合2名のハットトリック
[編集] 国際試合
| 開催年月日 | 大会名 | 対戦相手 | 開催スタジアム | スコア | 勝敗 |
|---|---|---|---|---|---|
| 06年3月8日 | ACL2006予選リーグ | 全北現代モータース | 全州ワールドカップ競技場 | 2-3 | 敗戦 |
| 06年3月22日 | ACL2006予選リーグ | ダ・ナン | 万博記念競技場 | 15-0 | 勝利 |
| 06年4月12日 | ACL2006予選リーグ | 大連実徳 | 万博記念競技場 | 3-0 | 勝利 |
| 06年4月26日 | ACL2006予選リーグ | 大連実徳 | 大連市金州人民体育場 | 0-2 | 敗戦 |
| 06年5月3日 | ACL2006予選リーグ | 全北現代モータース | 万博記念競技場 | 1-1 | 引分 |
| 06年5月17日 | ACL2006予選リーグ | ダ・ナン | Chi Lang Stadium | 5-1 | 勝利 |
| 06年8月2日 | A3 チャンピオンズカップ | 大連実徳 | 国立競技場 | 3-2 | 勝利 |
| 06年8月5日 | A3 チャンピオンズカップ | 蔚山現代ホランイ | 国立競技場 | 0-6 | 敗戦 |
| 06年8月8日 | A3 チャンピオンズカップ | ジェフ千葉 | 国立競技場 | 2-0 | 勝利 |
[編集] ユニフォーム
[編集] チームカラー
- チームカラーは青色、黒色
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[編集] ユニフォームスポンサー
- 胸 パナソニック(Panasonic)
- 袖 本格炭火焼肉 でん
- 背中 ロート製薬
- パンツ ミドリ電化
[編集] 過去のユニフォームスポンサー
- 背中 他(→後述) ナショナル(National)
- パンツ シャディ
- なお1992年のナビスコカップ~1996年のシーズン終了までは背番号の下に「Matsushita Electric Industrial Co., Ltd.」ないしは「Panasonic/National」のクレジット、1997~2003年第1ステージまで背番号上部にナショナル(National)のロゴマークを入れていたが、同社の世界ブランドネームをパナソニックに統一することに伴いそのロゴを外すことになり、代って2003年第2ステージからロート製薬が背番号スポンサーとなった。また2004年夏季にロート製薬のロゴが変更されたがそのシーズンは旧ロゴのままで試合を行い、2005年度から新ロゴを着用している。また2005年のJ1リーグ年間チャンピオンチームであるため、2006年シーズンは日本サッカー協会のシンボルであるヤタガラスの付いたチャンピオンマークが右袖についていた。
- AFCチャンピオンズリーグ2006に出場した際には親会社以外のスポンサーマークが認められないため、パナソニック以外のスポンサーマークを取り外したユニフォームが登場。本来ロート製薬のスポンサーマークがついている背中部分には選手名が記されていた。
- 2006年までJリーグでは唯一フィールドプレーヤーの3rdユニフォームを採用しているチームであったが2007年シーズンからは廃止となった。(現在は京都サンガF.C.が採用している。)
[編集] ユニフォームサプライの遍歴
[編集] サポーターの著名人
- 大木こだま(芸人【大木こだま・ひびき】/吉本興業公式サイトで公言)
- 市川喜康(シンガーソングライター/自身の公式サイトで公言)
- 実川元子(翻訳家・ライター/自身の公式サイトで公言)
[編集] 出典
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
| ガンバ大阪 - 2007 |
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