カロリング朝

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カロリング朝(カロリングちょう、Carolingian)は、フランク族のカロリング家による王朝。カロリング家は、フランク王国の前王朝であるメロヴィング朝に仕える宮宰(宰相)であったが、次第に実権を握り、フランク王国2番目の王朝を開いた。なお、「カロリング」は姓ではなく「カールの」という意味である。当時のフランク人には姓はなかった。

751年から987年までフランク王国やそれが分裂した東フランク王国西フランク王国中フランク王国の王を輩出した。987年、西フランク王国の王家断絶をもって消滅した。

カロリング朝の始祖。メロヴィング朝フランク王国の分国(アウストラシア)で宰相として仕えた。
大ピピンの外孫。687年のテルトリーの戦いでフランク王国の実権を握る。
中ピピンの庶子。宰相としてフランク王国を統一する。732年トゥール・ポワティエ間の戦いウマイヤ朝イスラーム帝国を撃退する。
カール・マルテルの子。メロヴィング朝の王を廃してフランク王に即位し、ローマ教皇ステファヌス3世ラヴェンナなどを寄進(ピピンの寄進)。
800年に教皇により戴冠、西ローマ帝国の復興。カロリング朝ルネサンスといわれる時代を築く。
817年に3人の息子たちに王国を分割相続させる法律を作り、死後、フランク王国は分裂する。

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