オレたちひょうきん族

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オレたちひょうきん族
ジャンル バラエティ番組
放送時間 土曜日 午後8時~8時54分(54分)
放送期間 1981年10月10日1989年10月14日
放送国 日本
制作局 フジテレビジョン
出演者 ビートたけし
明石家さんま
島田紳助
片岡鶴太郎
山田邦子

オレたちひょうきん族(オレたちひょうきんぞく)は1981年10月10日1989年10月14日までフジテレビ系で放送されたバラエティ番組土曜日20:00から1時間番組として放送。通称「ひょうきん族」。原案はビートたけし

目次

[編集] 概要

1981年5月16日に『決定!土曜特集』という単発特番枠(正確にはナイター中継中止時の雨傘番組)として数回放送され、同年10月10日よりレギュラー放送となった。

当時は、フジテレビが視聴率ノルマを廃し、制作者が作りたいものを作る路線に転じ、“楽しくなければテレビじゃない”をキャッチフレーズとした頃で、作り手側の制作意欲の向上と、出演者である若手芸人の漫才ブームによる勢いとが相俟ったバラエティ番組である。開始当時の裏番組には、お笑い番組の頂点に君臨していた『8時だョ!全員集合』が放送されていたが、後に視聴率でオレたちひょうきん族が上回り、結果『全員集合』を放送終了に追い込むまでの勢いを誇り、1980年代バラエティのリーダー格番組にまでなった。

ギャグ毎に笑い声が被さる演出(外国のシチュエーション・コメディでよく見られる、いわゆる声のエキストラのようなもの)がなされ、後のバラエティー番組でもよく見られる手法となった。始めはお笑い番組らしく漫才コーナーもあったが、『笑っていいとも!』と同様、つまらないとみるやすぐ企画をやめ新企画を練っていた。

番組後期の裏番組である『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』の放送期間中にメインである加藤茶志村けんが裏番組で張り合っているにも関わらず『ひょうきん族』の収録現場に顔出したことがあるのはちょっとした裏話。なお、この土曜夜8時の時間帯は過去から現在にかけて番組戦争が続いている。詳しくは視聴率#土曜8時戦争の欄を参照。

土曜日に読売ジャイアンツが、横浜大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)、中日ドラゴンズ、ヤクルトスワローズ(現東京ヤクルトスワローズ)の本拠地での試合をする時は『ひょうきん族』の枠でナイター中継が組まれ、しばしば番組が返上された。『全員集合』の枠でのナイター中継は当時ほとんど組まれる事はなかった(現在は土曜日でも年に数回TBSの野球ナイター中継の放送がある)。

また、末期の1989年1月7日に放送予定だった『新春ひょうきんスペシャル'89』が昭和天皇崩御に伴う報道特別番組となり、悲しみに包まれる中、フジテレビに苦情が殺到し、スペシャルはその翌週に放送されたことがある。また、同年の3月にも、エンディングの途中で放送事故を起こしたことがあった(地方のネット局は環境映像などで対応。フジテレビのみ黒画面のまま)。

オープニングに流れる曲はロッシーニの『ウィリアム・テル 序曲』第4節の「スイス独立軍の行進のテーマ」。これは『スネークマンショー』のオープニングをパロディにしたことによるもので、放送当初は『スネークマンショー』と同じ伊武雅刀がナレーションを行っていた。OP映像は、初期は単純な合成映像が使われたが、1984年頃から使われたオープニングでは、当時としてはかなり珍しい最先端のCG映像を使用しており、特に1986年秋から使われた新しいバージョンのCGオープニングは、CG全盛の現代に見ても全く遜色ないほどの出来栄えである。

エンディングはEPOの『DOWN TOWN』(sugar babeのカヴァー曲)。EPOは番組初期のアイキャッチ(”チャンネル~はそのまま”など)も担当していた。それ以外のエンディングは後述参照。

番組のBGMには、うる星やつら超時空要塞マクロスなどアニメのサントラがよく用いられていた。

2003~2004年には計5巻のDVD-BOX(それぞれ3枚組)が発売された。『8時だョ!全員集合』『ダウンタウンのごっつええ感じ』など名作お笑い番組が相次いでDVD化されブームとなっていた時期である。

[編集] 出演者

[編集] 初期から末期までの出演者

[編集] スタート以降の出演者

[編集] 番組前期

※この顔ぶれから見ても漫才ブームの影響が強く、ツービート、B&B、ザ・ぼんち、紳助・竜介、のりお・よしお等このブームで人気を得た若手芸人を中心とした合同コント番組という要素が強かった。

[編集] 番組絶頂期

[編集] 番組末期

など

[編集] フジテレビアナウンサー

レギュラー(「ひょうきんベストテン」を担当、”ひょうきんアナ”とも呼ばれた)
準レギュラー
  • 井上佳子(後に本間淳子・1983年~1984年ごろ『朗読の部屋』コーナー進行)
  • 牧原俊幸(1984年ごろから不定期出演)
  • 山中秀樹(1985年ごろから不定期出演。現・タイタン所属)
  • 露木茂(1986年4月ごろから『ひょうきん私の秘密』コーナー進行)
  • 逸見政孝(『ひょうきんスペシャル』に数回ゲスト出演、寺田のレコードデビューに一言物申した事もある)
  • 有賀さつき(1989年ごろから不定期出演)
  • 岩瀬恵子(1986年7月ごろから『青春グラフティ』コーナー進行)

[編集] オープニングナレーション

※2代目と3代目の間には、アニメ作品(『巨人の星』、『機動戦士ガンダム』、『アタックNo.1』など)のキャラクターが週代わりでナレーションをした時期があった。

[編集] 番組に出演したゲスト

※順不同で記述。

[編集] お笑い・バラエティタレント

[編集] アイドルアーティスト

[編集] 俳優・女優

[編集] 作家・スポーツ選手・文化人他

[編集] CSでの再放送時にNGとなるケース

2006年現在フジテレビ721で再放送がされているが、権利上や諸事情を理由にその出演者の出た回は再放送されず(とんねるず、内藤やす子など)、そのためにひょうきんベストテンの10位から4位の発表時に画面にボカシが入ったり、差し替えとなる。それ以外に再放送がカットされてしまうケースの現在のところ目視により確認できる点は以下の通り。

この番組に限らず他のフジの番組の再放送でもフジテレビ721・739ではほとんど放送されていない。
  • キヨちゃんマン(タケちゃんマンの脇役キャラ)の登場する回
  • 田代まさしが度々登場するシーンの回(CSでは当時、そのタレントが所属していた事務所が放送局に放送の許可を出す権利を持っているためであり、田代個人としての問題ではない。その証拠にラッツ&スターとして固まって登場する際は普通に放送したり、田代が出演した番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』などはファミリー劇場で放送されている)。
  • 1985年3月30日放送分の山村美智子が番組を卒業した回
  • ナンデスカマンロボの登場する回
  • ビートたけしが収録をサボタージュした回
※ひょうきんスペシャルの回はレギュラーと分けて放送。1982年12月25日のブラックデビル最終回もこの類に入る。2002年の秋までスペシャルを放送。2003年の元日にスペシャルのみを集中放送した。しかし、2006年から1985年12月放送以降のスペシャル版も通常の枠と一括され放送されるようになった。
ちなみに内藤やす子の出演した回はDVDには収録されている。

[編集] 主なコーナー

[編集] タケちゃんマン

ビートたけし扮するタケちゃんマンと明石家さんま(初回は高田純次)扮するブラックデビル等の敵キャラによるコーナードラマ。人気ドラマや映画のパロディが多かった。アミダババアの唄はサザンオールスターズ桑田佳祐プロデュースを行った。詳細はタケちゃんマンの項目を。

[編集] ひょうきんベストテン

TBSの『ザ・ベストテン』のパロディコーナー。

初期の司会は、明石家さんま黒柳徹子の声色を使う栗山順子(当時、福岡の銀行勤務。レギュラー化の際、本人は続投に乗り気だったが、横澤プロデューサーの「将来を捨ててまでやることではない」という一言で降板)。その後、島田紳助と当時フジテレビアナウンサーの山村美智子(現・山村美智)に交代。山村降板後は、寺田理恵子長野智子(いずれも当時フジテレビのアナウンサー)が司会を務めた。

当時のアナウンサーはニュースを読むのが普通でバラエティー番組に出ることはなかった。しかし、このコーナーにアナウンサーが出演したことで、その後の「女子アナブーム」のきっかけとなった。寺田理恵子はこれが縁でレコードデビューも果たしている。
また、紳助は後に『歌のトップテン』(日テレ系)で本物の歌謡ベストテン番組の司会者となっている。

スタート当初こそ、レギュラーの出した曲でランキングを形成し、スクールメイツの代わりに東京花柳社中を使うなどの忠実なパロディであったが、途中から本物の歌手のゲストの他にレギュラーによる歌真似が披露された(片岡鶴太郎による近藤真彦、山田邦子による松任谷由実、松尾伴内による五輪真弓など)。なお、ひょうきんベストテンのテーマ曲はザ・ベストテンとも全然違い、「WITH THE FORCE OF NATURE」(高橋達也と東京ユニオン)が使われた。

セットや鏡張りの回転扉、1位になった歌手に対する紙吹雪での祝福も再現されていた。が、スタジオ上から「紙雪崩」とでも言うべきほどの大量の紙吹雪を舞い散らせた。因みに本家のザ・ベストテンでは、スタジオに1位の歌手が出演した場合にはスタジオ上部から吊るされたくす玉を本人が割って祝福するものだった。

主にベスト3やスポットライト(基本的に女性アイドルなどのゲスト初期はレギュラーが出していた歌が中心)に選ばれた人が歌っていた。しかし、ランキングの基準はリクエストはがきのみだったが、歌う人数も少なかった。なおかつ、点数の表示が3桁しかなく(「○○票」という数え方をしていた)、ザ・ベストテンや歌のトップテンにもランクインしない曲(それも、大半がこのコーナーのみのオリジナル曲)が1位になったり、スポットライトに登場した歌手の曲が次週に必ずランクインするなど、番組スタッフ・出演者の好き勝手にやっていた。

また、初期の頃は夜のヒットスタジオでかつてあった「歌謡ドラマ」のパロディも行われていた。歌謡ドラマをやめた後は「西川のりおとフラワーダンシングチーム」(安全ヘルメットに革靴、海パン一丁)「ピヨコ隊」(アヒル型衣装を身につける)などが登場し、ゲストが歌っている最中に驚かせたり笑わせる、といったのが定番となっていた。笑っていいとも!等の収録後のスタジオアルタを日本武道館等として中継もしている。

この番組から生まれたオリジナル曲から一般の音楽界に名を知らしめた曲も少ないながら実は存在する。安岡力也がタケちゃんマンに一時期出演していた頃に演じていたキャラクター「ホタテマン」に扮して歌った、内田裕也のプロデュース曲「ホタテのロックン・ロール」がその代表例。あまりの好評ぶりからシングルが発売され、32万枚のセールスを記録した。

また、点数表示が3桁しかない事に目を付けた松戸競輪は「ベストテン等は無理だけどひょうきんベストテンなら800票あればランクインできます!」と組織票を呼びかけた。結果、松戸競輪のテーマ「走れ!自転車」は念願のランクインを果たした(1983年)。

[編集] ネタ一覧

ごく一部である。

[編集] ひょうきん歌謡大賞

FNS歌謡祭日本歌謡大賞を足して2で割ったようなパロディ。

[編集] 漫才コーナー

番組開始から半年後は、まだMANZAIブームの引きずりにより、何回か漫才を組ましている。放送されたものは、

  • 元アイドル漫才(伊丹幸雄・あいざき進也)
  • カップル漫才(横山たかし・春やすこ、横山ひろし・春けいこ)
  • ご本人と漫才(ものまねとそのご本人との漫才、太平サブローと浜村淳(本人)、明石家さんまと上田正樹等)
  • 同級生漫才(九十九一・里見まさと)
  • 夫婦漫才(ビートたけし・北野幹子

[編集] ひょうきん絵描き歌

山田邦子がピアノ伴奏とコーラス隊(男女混合)の合唱に合わせて絵を描くコーナー。序盤は普通の絵描き歌だが、最終的には下ネタになったり、他の「ひょうきん族」でおなじみのネタにちなんだ物まで出てくる。時にはホワイトボードを回転させることで絵が完成する、など視聴者を唸らせる作品もあった。視聴者からの投稿も受け付け、優秀なものは山田から花丸をもらえたが、くだらない作品には描き終わるなり山田から「バカヤロウ!」と叱り飛ばされることも度々だった。時には絵とはまったく関係なく「コーラス隊の皆さんの私服姿が見たい」という視聴者からのリクエストもあったが、見事に応えて披露している。

1982年10月〜1984年の秋頃まで続いた。因みに絵描き歌の元の曲は、ポーランド民謡「森へ行きましょう」のサビパートである。「ひっくり返せばモーモーちゃん」という作品は、山田が出演した牛乳のCMに使われた。

[編集] ひょうきんプロレス

初期は「アントニオ紳助&ストロング・うなづきVS.シャープ兄弟」等芸人がプロレスラーに扮しプロレスの忠実なパロディ(解説はビートたけし扮する「ジャマモトコタツ」)をしていたが、古舘伊知郎が覆面アナウンサー「ミヤタテルアビブ」として登場後、方向が大きく変わり、景山民夫がフルハム三浦(当時盛んに騒がれたロス疑惑の三浦和義氏がモデル)のリングネームで出場し、大根で殴られ骨折したり、オール阪神が股裂きにあい、股を切るなど出演者が本当に体をはって演じた。当初の実況は女子プロレス実況の志生野温夫がやっていた(志生野はウッチャンナンチャンのやるならやらねばの格闘王への道でも実況、現在でもめちゃめちゃイケてる!の1コーナー「めちゃ日本女子プロレス」の実況を担当している)。

[編集] ヒップアップのひょうきんな青春

初期のコーナー。当時一番若手だったヒップアップのネタ見せ。途中からは視聴者からお題の募集をした。

[編集] 今週のひょうきんハイライト

オープニングで今週の見所を紹介するコーナーだが、司会の牧原俊幸アナが一言も笑わず、きっちりと台本どおりプロの仕事をするのを、隣の山田邦子が業を煮やし、レギュラー陣を乱入、一発芸をさせたり、素人時代に笑ってる場合ですよ!に参加していた時の映像をドッキリで流したりしてどうにかして牧原アナにNGを出させるコーナーに変わっていった。

[編集] うなずきトリオ

うなずきトリオ(ビートきよし、松本竜介、島田洋八)がコントや架空のラジオ番組(オールナイトひょうきん)を展開する。後に彼らによる「うなずきマーチ」なる曲が発表され、#ひょうきんベストテンなどで歌われていた。また、富山県宇奈月温泉が一躍全国的に知られる原因となった。

[編集] ひょうきんCM

  • 初期

カメラのひょうきんひょうきんゴルフサウナひょうきん等のローカル風CMをやっていた。出演はひょうきんディレクターズ他スタッフによるもの。

  • 中期以降

1983年後半~1986年初頭は当時の人気CMのパロディとなった。こちらも担当ディレクターが多数出演しているものも多い。また、商品のかわりに、ひょうきん族の台本が出ていた。

[編集] モデル企業・商品・団体

他、順不同

このような番組タイトルを含んだCMパロディは、後に「とんねるずのみなさんのおかげです」、「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」、「広告大賞」等でも同じ手法で行っていた。

[編集] ひょうきんニュース

  • キャスターは本名で出演。
    • 初 代 - 長谷川公彦(島田紳助)、酒井スエ子(今くるよ)
    • 2代目 - 杉本高文(明石家さんま)、山田邦子
    • 3代目 - 小林進(ヒップアップ)、山田邦子
  • テーマ曲はグスターヴ・ホルスト「惑星」の第4曲「木星」。
  • このネタの担当をしたのは高田文夫であり、高田曰くひょうきん族で最初に作られたコーナーである。

[編集] ひょうきんお茶の間ショッピング

当時よく放送されていたテレビショッピング、「二光(当時は二光通販)お茶の間ショッピング」のパロディで進行は九十九一と春けいこ。番組収録で使われたセットの一部が商品として出された。商品によっては「20億円」とか、「凄すぎて価格が付けられません」といったモノまで登場した。もちろん発注先の電話番号はデタラメだったが、それでもフジテレビ宛に購入希望の電話がかかってくる事が多かった。その為、その後は「いずれもタダ」という触れ込みで番組の宛先を表示する視聴者プレゼントの形になった。この趣向は後の『とんねるずのみなさんのおかげです』でも同様のコーナーが生まれている。

[編集] のりおのまかせなさい!

西川のりおのギャグ「まかせなさい!」から生まれたコーナーでのりおと帯同ディレクターがいろんな所へ行って便利屋仕事をするという(風呂掃除や老人の話相手など)もの。あまりに地味でほんの数回しかなかった(そのうち一回はボツと本人は愚痴っていた)。

[編集] かまへんライダー

番組末期の代表的なコーナー。『仮面ライダーシリーズ』と『秘密戦隊ゴレンジャー』のパロディ。明石家さんまが村上ショージらを連れた計5人で街中ロケ。各人スーパー戦隊シリーズのように色分けされていた。レッドは明石家さんま、ブルーはラサール石井、イエローは村上ショージ、グリーンは前田政二、ピンクはMr.オクレ。5人乗りのタンデム自転車に乗って現れるが、きついカーブを曲がれないので、一度降りて自転車を持ち上げなければならないところが滑稽だった。素人相手に仕事の手伝いなどをし、礼を言われると「カマヘン、カマヘン」と返していた。 同じ頃の『とんねるずのみなさんのおかげです』の一コーナー、「仮面ノリダー」を意識しているところもあったが、現場勝負でストーリー性がないこともあり、人気でいうと圧倒的に負けていた。しかし、「草津よいとこ、一度はおいで、ジョイナ、ジョイナー」と街へ出動する時に歌っていた事もあり、草津温泉から感謝状を贈られて草津温泉に招待された。また、同様の移動法でソーラン節の「ヤレン、ソーランソーランソーランソーランソーランソーラン、ハイハイ」の「ハイハイ」の部分で這って歩くバージョンがある。 また、このコーナーで、さんまが大江千里の歌い方(曲目 リアル)についてコメントしたことがきっかけとなり、大江千里がこのコーナーにゲスト出演したことがある。

仮面ノリダーと違い、本家『仮面ライダーシリーズ』と『ゴレンジャー』である原作者石ノ森章太郎と放送局(毎日放送テレビ朝日)・東映にパロディ化の許可をもらっていたためか、番組がDVDソフト化された際に収録された。

[編集] ひょうきんスター誕生

お笑いスター誕生!!』のパロディで、司会が神谷明園まりと、本家の声優・三人娘の組み合わせを踏襲している。 ひょうきんスター誕生の項目を参照。

[編集] 在庫一掃コーナー

1984年ごろに設けられたコーナー。司会の島田紳助とウイリー沖山・トニー黒岩などビートたけし扮するコメンテーター(ただし姿は全く変わらない)が漫才ブーム~番組初期の頃にかつて活躍していたお笑い芸人が出していたレコードを紹介し、時にはそれに加えポスターも送付して視聴者プレゼントにしていた。

[編集] よく見りゃ有名人?!

週代わりの司会者二人が自分の知り合い、友達(一般応募は無し)で有名人に似ている人を連れてきて(限りなく微妙な所)審査員がどっちが似ているかを審査をする。最後に「よく見りゃ賞」という一番似ていた人を決め、年末特番のグランドチャンピオン大会に出場した。初代グランプリは現在構成作家として活動を続けている藤沢めぐみが柳家金語楼に似ている人として選ばれた。第2弾として「よく見りゃ動物?!」を開催したが、わずか1週で打ち切られた。

[編集] ひょうきん史上最大のクイズ

「~は何と言ったでしょうか?」という形式の問題を出し、視聴者に答えを考えてもらうという現在で言うところの大喜利形式の先駆け。司会のさんまと紳助が、後ろで秒数を数えているタイムキーパーの女性に体を触る、嫌がってるにも拘らず前を向かせようとするなど、現在だったら二人は間違いなくセクハラで干されそうな行動をしており、当時を偲ばせる。

[編集] 今週の思いつき小細工

用意されたセットでレギュラー達の笑いのセンスを競う一発勝負。趣向を凝らす者もいれば、やっつけ仕事で叫ぶだけ(おさむ)、人間打楽器(渡辺。下半身丸出しで股間のものを左右に振って音に出す)、セットを破壊(ビートたけし)と様々。

[編集] 源さんの日記~ある老人の一言より~

  • 片岡鶴太郎扮する「源さん」(本名:片岡源右衛門)と言う名の老人が街中に飛び出し、源さんが不快に思うことを「思わずこう言いそうになった」のナレーションの後にテロップが表示され、最後に源さんがリアクションを取り、直後に「でも、言わなくて良かった。なぜなら、それが源さんなのだから・・・」というナレーションで締めくくるミニコントドラマ。基本的に他のレギュラー陣の参加は無し。
  • ナレーションは矢島正明が担当。
  • サブタイトル(ある老人の一言より以外に)も何度か変貌があった。

[編集] ひょうきん私の秘密

  • NHKテレビ私の秘密』のパロディーコーナー。
  • 1986年4月から始まったコーナー。露木茂アナウンサー(当時)進行による番組レギュラー陣の自慢・秘密話を持ち込んでクイズにする内容。
  • 解答者にはレギュラー陣が「ひょうきんベストテン」「ひょうきんスター誕生」等で扮していたものまねキャラが携わっていた。

[編集] 8つの顔を持つ男

番組最末期の「タケちゃんマン」終了後に後を継いだドラマ仕立てのコントコーナー。ビートたけし扮する怪盗・8つの顔を持つ男が現在・過去・未来の行き来しその名の通り「牛田モー(美容研究家メイ牛山のもじり)」など様々な名前や顔を持ち盗みを働く。コーナーの流れはタケちゃんマンと同じだが前者が一応正義のヒーローだったのに対し、こちらは悪人という設定。一方、明石家さんまは「トン・ティン・タン教祖(トン・ティン・タンカッパ)」の固定キャラを持っていた。ここで使われた効果音には『ゲゲゲの鬼太郎』(第3シリーズ)と同じ物が使用された。番組末期の中では人気が高かったコーナーだったがわずか4ヶ月弱で終了(変装の種類が8つしかなく、8つ全て出し尽くしたからおしまいという結末と思われる)、このコーナー終了後から番組自体の終了までは「ひょうきんビデオ」と言う名前のパロディ。オープニングはどう見ても店舗に見えないところ(交番など)で、レンタルビデオ店を経営する店長のたけしがバナナ滑りに拘るコントをする。

[編集] メロドラマ

東海テレビの昼の30分ドラマをパロディにしたドラマコーナー。さんまがメインで、ギャグはほとんど言っていいほど入ってはいなかった。重厚なストーリーを重視しての作風で8話2週完結の体裁で冒頭と番組の前半と番組の後半とエンディングで放送された。テロップも「2分後につづく」(オープニング・提供・CMの後)「番組の後半につづく」「CMの後につづく」「次週につづく」最終回では「」と表記をしていた。この手法は、後に「とんねるずのみなさんのおかげです」の「仮面ノリダー」で1話2週完結・CMを挟んだストーリーに多大な影響を与えたと思われる。 ただし、東海テレビと各作品の著作権を持つ制作会社(泉放送制作・アオイスタジオ・東宝などに)に許可無く無断でパロディ化したためか、番組がDVDソフト化された際にはこのコーナーは入っていない。

[編集] ひょうきんスペシャル

春・秋の番組改編時と年末年始に行われる拡大版。タイトルには「春の~」「秋の~」「年忘れ~」「新春~」と付けられる。こちらも『8時だョ!全員集合』を意識した作りで、通常7時台はスペシャル企画(主にさんまとたけしのトーク、公開懺悔)で8時に通常プログラムをパワーアップさせた内容でベストテンを名曲プログラムやひょうきん歌謡大賞、タケちゃんマンにミュージカル要素を加えたプログラムになっており、基本プログラムをあまり崩さなかった。『全員集合』の終了後は公開懺悔に加え、これまで放送したタケちゃんマンの名シーンを電リクで視聴者から形だけ受け付ける形(実際、受付電話番号が出ないので直接フジテレビに掛けてもつながらない)を取っていた。なお通常の「ひょうきん族」とは別番組扱いとなっている。

[編集] ひょうきん懺悔室

  • ブッチー武者が神様役、番組プロデューサーの横澤彪(2代目は三宅恵介)が神父役を務めた番組の最後の名物コーナー。

ひょうきん懺悔室の項目を参照。

[編集] ラブ・ユー・貧乏

  • 後期を代表するコーナー。さんまの司会でと何人トリオが己の貧乏自慢をしてもらう。三人の話が終わるとロス・プリモスの「ラブ・ユー・東京」の「東京」の部分を「貧乏」に変えた替え歌を歌う。(他パターンあり)そして、最後にわざわざ来てくれているロス・プリモスに物乞いの一言で締めくくられる。元々は「難民トリオ」名でWe Are The Worldを流しながら、さんまと行ってた舞台ネタが元である

[編集] その他テレビ番組のパロディ

[編集] 登場キャラクター

※(括弧)内は演じたタレント名である。

  • タケちゃんマン、タケちゃんマンロボ、タケちゃん7(ビートたけし)
  • ブラックデビル、ブラックデビルジュニア(明石家さんま、ブラックデビルの初回のみ高田純次)