アメリカ合衆国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 このページは半保護の方針に基づき、一部のユーザーの編集が制限されています。
"アメリカ" は この項目 "アメリカ合衆国" へ転送されています。その他の用例についてはアメリカ (曖昧さ回避)をご覧ください。
"USA" は この項目 "アメリカ合衆国" へ転送されています。その他の用例についてはUSA (曖昧さ回避)をご覧ください。
中立的な観点:この記事は、中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、あるいは議論中です。そのため、偏った観点によって記事が構成されている可能性があります。詳しくは、この記事のノートを参照してください。

アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、:United States of America)、通称アメリカまたは米国(べいこく)は、北アメリカ大陸および北太平洋に位置する連邦共和国

アメリカ合衆国</dt>
United States of America</dt>

国旗(国章 (表))

</dd>

国の標語 : E Pluribus Unum (1776年 - 現在)
(ラテン語: 多数から1つへ)
In God We Trust (1956年 - 現在)
(英語: 我ら神を信ず)</dd>
国歌 : 星条旗</dd>
</dd>

公用語 英語(事実上。27州が英語のみを、3州が英語に加えて別の言語を公用語に定めている。)
首都 ワシントンD.C.
最大の都市 ニューヨーク
大統領 ジョージ・W・ブッシュ
首相 なし
面積
 - 総計
 - 水面積率
世界第3位
9,631,418km²
4.9%
人口
 - 総計(2006年
 - 人口密度
世界第3位
300,007,997
31人/km²
GDP(自国通貨表示)
 - 合計(2005年

12兆4,388億USドル ($)
GDPMER
 - 合計(2005年
世界第1位
12兆4,388億ドル
GDPPPP
 - 合計(2005年
 - 1人当り
世界第1位
12兆3,600億ドル
41,399ドル
独立
 - 宣言
 - 承認
イギリスより
1776年7月4日
1783年9月3日
通貨 USドル ($)(USD
時間帯 UTC -5 から -11(DST: -4 から -9 または 無し)
ccTLD US .EDU .GOV .MIL .UM
国際電話番号 1

</dd>

注: この表のデータは、50州とワシントンD.C.のみで、属領を含まない。 </dd>

目次

[編集] 概要

北アメリカ大陸中央部の大西洋太平洋に挟まれた本土以外に、大陸北部のアラスカ、太平洋のハワイ諸島アリューシャン列島を国土とする。さらに本国の他に、プエルトリコグアム島などを領有する。北はカナダ、南はメキシコと隣接、西は海を隔ててロシアと接する。50、1特別区(連邦政府直轄地)からなり、資本主義民主主義共和制大統領制二院制を採用している連邦国家の1つである。

少数のネイティブ・アメリカンと呼ばれる先住民以外の殆どの国民が、主にユーラシア大陸からの移民もしくはアフリカ大陸から連れて来られた奴隷の子孫である。また1776年に独立した世界史的に見て比較的新しい国の1つで、その母体になった国々や、その他多くの国家の特徴を経済的、政治的、軍事的、そして文化的にも合わせ持っている。

[編集] 国名

正式名称は、(The) United States of America英語: 発音 ザ・ユーナイティド・ステイツ・オヴ・アメリカ)。通称は、United States、略称は、U.S. または USA口語ではAmerica または The States と呼ぶ場合もある。

日本語による正式名称は、アメリカ合衆国。通称は、アメリカ

幕末明治初期にはメリケンと呼ばれた。"American"の発音がそのように聞こえたためと考えられる(小麦粉はメリケン粉とも呼ばれるが、これも同様に"American"に由来する)。このため、メリケンの漢字表記「米利堅」の最初の一文字を取って米国と略称され始める。ただし、日本語でのより一般的な漢字表記は亜米利加であり、これが由来だとする説もある。また、現在でもメリケンは一部で蔑称として用いられることがある。

国名の America は、アメリカ大陸の名、すなわち、イタリア人の探検家アメリゴ・ヴェスプッチラテン語名から付けられた。その詳細については、アメリカ州を参照のこと。日本語の「合衆国」という表記の由来や意味については、合衆国を参照のこと。「アメリカ合衆国」の代わりに、より正確な訳であるとして「アメリカ合州国」を使用する人たちもいる。

[編集] 歴史

[編集] 新大陸

イタリアジェノヴァ)人のクリストファー・コロンブススペイン女王イサベル1世の承諾を受け、大西洋周りによるアジア諸国の発見を志したが、1492年に現在の西インド諸島にたどり着いた。

その後、イタリア人のジョン・カボットが北アメリカ大陸の東海岸を探検し、イギリスニューイングランド植民地の領有を宣言した。その後フランス人のジャック・カルティエセントローレンス川を遡り、その一帯をフランスが領有化(ヌーベルフランス植民地)するなど、ヨーロッパ人による南北アメリカ大陸の探検と開拓、そして先住民の放逐と虐殺がはじまった。彼らは先住民であるネイティブ・アメリカンを虐殺、追放して彼らの土地を奪っていった。[1]

独立戦争当時のワシントン

[編集] 独立

この様に北アメリカの多くがヨーロッパ各国の植民地となり、また、アフリカ大陸より多くのアフリカ人が奴隷労働力として強制的に連れて来られ、この様な状況は独立後も続いた。その後1775年に、イギリス植民地の13州による独立戦争(別名「独立革命」)が勃発する。

1776年独立宣言を行い、1778年連合規約を締結(批准・発効は1781年)、1783年に独立を達成した。1787年9月17日には、連合規約に代えて、さらに中央集権的なアメリカ合衆国憲法が激論の末に制定され、1789年3月4日発効した。

リンカーン大統領(左から3人目)

[編集] 南北戦争

その後は勢力圏を拡大していき、メキシコへの侵略やスペインなど諸外国との戦争、ルイジアナ買収アラスカロシアからの買収などにより多くの新しい州と海外領土を合衆国に加えていった。その間の1861年から1865年まで内戦(南北戦争)を経験する。

その最中の1862年にはエイブラハム・リンカーンにより奴隷解放宣言がなされたが、法の上でのアフリカ系アメリカ人や先住民などのその他の少数民族に対する人種差別はその後も100年以上に渡り続くことになる。なお、リンカーンは南北戦争終結後に暗殺される。

[編集] 領土の拡大

ドイツとの外交関係断絶を発表するウィルソン大統領

1898年にはハワイ王国を軍事的恫喝にて併合し、また同年米西戦争に勝利してグアムフィリピンプエルトリコを植民地とした。その後ヨーロッパで勃発した第一次世界大戦にはイギリスやフランス、大日本帝国などの列強諸国とともに連合国側として参戦し、戦後はウッドロウ・ウィルソン大統領の主導によって国際連盟設立に大きな役目を担ったが、モンロー主義を唱える上院の反対により加盟はしなかった。また、これにより他の戦勝国とともに5大国の一員として注目されることになる。

[編集] 世界恐慌

続く1920年代には都市部でバブル経済に基づく空前の繁栄「轟く20年代」(Roaring Twenties)が起こるが、1929年10月29日ウォール街のニューヨーク株式取引所で起った株の大暴落「ブラック・チューズデー」がきっかけとなり、1939年まで続く世界恐慌が始まった。この世界恐慌は後にドイツイタリア日本などにおける軍事政権や独裁政権の成立の大きなきっかけとなっただけでなく、アメリカ国内においても労働者や失業者による暴動が頻発するなど大きな社会的不安を招いた。

[編集] 第二次世界大戦

1939年9月にヨーロッパにおいて開戦した第二次世界大戦においては、1941年12月の大日本帝国(現在の日本)による真珠湾攻撃の後に、イギリスやソビエト連邦、中華民国オーストラリアなどが中心となって構成された連合国の一員として参戦した。しかし主な戦場から本土の距離が離れていたために、日本海軍機によるアメリカ本土空襲などの、数回に渡る日本海軍による西海岸への攻撃以外には本土に被害を受けることなく、事実上の連合諸国への軍事物資の供給工場として機能し、併せて日本やドイツなどの枢軸国との戦闘でも大きな役割を果たした。

1945年8月には、イタリアやドイツなど枢軸国からの亡命科学者の協力を得て完成させた原子爆弾を世界で初めて実戦に使用し、日本の広島長崎に投下した。大戦中には日系アメリカ人に対する、いわゆる日系人の強制収容などの自国民に対する人種差別的な政策も行われた。この政策に対しては、後に政府が過ちを認め、大統領が日系アメリカ人に対し正式に謝罪することになる。

[編集] 冷戦

ソ連のレオニード・ブレジネフ書記長と会談するリチャード・ニクソン大統領

連合国の戦勝国の1国となった上に、主な戦場から本土が離れていたことから国土に殆ど被害を受けなかったこともあり、大戦終結後は1950年代後半にかけて未曾有の好景気を享受することとなった。しかし、戦後すぐに始まった冷戦による共産主義への脅威を受けて、一時ジョセフ・マッカーシー上院議員らに主導された赤狩り旋風(マッカーシズム)が巻き起きた他、1960年代にはジョン・F・ケネディ大統領や公民権運動指導者のマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師ロバート・ケネディ司法長官など要人の暗殺事件が度々起こるなど、政治的な混乱も続いた。

また、冷戦においては、ソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営に対抗する資本主義陣営の盟主として、「自由と民主主義の保護」の美名の下、ベトナム戦争グレナダ侵攻など世界各地の紛争に積極的に介入する。特にベトナム戦争への介入は西側、東側諸国を問わず世界的に大きな非難を呼び、あわせて国内世論の分裂を招いた。また、単に「反共産主義的」であるという理由だけで、アジア南アメリカ諸国をはじめとする世界各国の右派軍事独裁政府を支援し、その結果、それらの国の国民に対して政治的不安定と貧困を与える結果となった。

また、長引く冷戦時代を通して軍部と軍需産業を中心とした経済界が結びつき「軍産複合体」を形成し、アメリカの政治、経済、軍事政策に深く関わる構図も生まれた。アメリカの、戦争を止められない、こうした性質を揶揄して「戦争中毒」と呼ぶ論調も存在する。

アメリカの軍需産業・軍需経済・軍事政策の関連性と歴史と国の経済に対する比率や影響力についてはアメリカの軍需経済と軍事政策を参照。

[編集] 人種差別

有色人種専用の水飲み場(1950年頃)
ベトナム戦争で前線に降下するアメリカ軍のヘリコプター

また、「自由と民主主義の橋頭堡」を自称するものの、1862年の奴隷解放宣言以降、第二次世界大戦後に至っても法の上での白人種による人種差別が認められており、1960年代にはこの様な状態に抗議するアフリカ系アメリカ人を中心に、法の上での差別撤廃を訴える公民権運動が行なわれた。これらの運動の結果、1964年7月にリンドン・ジョンソン大統領の下で公民権法(人種・宗教・性・出身国による差別禁止)が制定された。

しかし、その後も現在に至るまで先住民ユダヤ系移民、非白人系移民とその子孫(アフリカ系アメリカ人、ヒスパニック、日系アメリカ人など)などの少数民族に対する人種差別問題は解決されておらず、大きな社会問題として残っている。

[編集] 貿易赤字

また、1965年から1975年の10年に渡り行われたベトナム戦争における事実上の敗退前後には、深刻な麻薬汚染とそれがもたらした治安の悪化に悩ませられるようになった。また、石油ショック以降の原油の値上がりによって基幹産業の1つである自動車産業などが大きな影響を受け、1970年代以降は日本などの先進工業国との貿易赤字に悩ませられることとなる。特に1980年代に入ると、日本との貿易摩擦が表面化し日本製品をホワイトハウス前で議員がハンマーで叩き壊すという現象(ジャパンバッシング)も生まれた。近年は、中華人民共和国に対する貿易赤字が膨張している。

[編集] 「世界の警察」

アフガニスタンにおける作戦遂行のためインド洋に展開する部隊(2002年)

1990年代以降、冷戦構造が終結すると名実共に唯一の『超大国』、『覇権国家』となり、「世界の警察」を自認した。その後も日本や韓国サウジアラビアやドイツなど国外の戦略的に重要な地域に多くの基地を維持し続け、パナマ侵攻や湾岸戦争など各国の紛争や戦争に積極的に派兵した。特に中東地域においては、ユダヤ系アメリカ人やイスラエル系ロビイストの影響力により露骨にイスラエル寄りの姿勢を保つため、中東のアラブ系、イスラム系国家の国民から多くの反発を買うことになった。

また、経済のグローバル化に伴い冷戦時代に軍事用として開発されたインターネット・ITが民間に開放され爆発的に流行した。1992年からの民主党政権下ではITバブルと呼ばれる程の空前の好景気を謳歌した。

[編集] 現在

航空機が激突し炎上するワールドトレードセンタービル
中間選挙の敗北によるドナルド・ラムズフェルド国防長官の辞任を発表するブッシュ大統領

2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件後、ブッシュ政権は「テロ支援国家」としてイランイラク北朝鮮を名指しで非難し「テロとの戦い」を宣言してアフガニスタン侵攻イラク戦争へとつながったが、イラク戦争には「石油を狙った侵略行為」であると批判する声も存在する。

アメリカ同時多発テロ事件を境として、アメリカを取り巻く環境ないしはアメリカの世界への対応は劇的に変化し、国際情勢や各国間の関係にも大きな変化がおこっている。現在も“アメリカの死活的利益擁護のためには武力行使を含むあらゆる手段を選択”と宣言している。同時多発テロ後のアメリカは全体主義の傾向が強まりつつあると言われており2005年以降、テロ対策を目的に連邦情報機関が大統領令に基づき具体的な法令的根拠・令状なしに、国内で盗聴検閲等の監視活動を行っていることについては批判の声もあがっている。

国連の意向を無視するなど、アメリカ同時多発テロ事件以降のブッシュ政権のイラク戦争に至るまでの強引な姿勢は、世界中で反米感情を引き起こした。だが2006年秋の中間選挙で民主党が大勝したことや、イラク問題が泥沼化した中でブッシュ政権はこれまでのような強引な姿勢を継続するのはきわめて難しくなった。今後アメリカはより国際協調を重視する路線に移行する可能性がある。

[編集] 地理

ホノルル
サンフランシスコ

北アメリカ大陸の中央部と北西にあり、カナダを挟んだ飛び地となっているアラスカおよび、太平洋上の諸島であるハワイ諸島などで構成される。

国土面積は、長らく936.4万平方キロメートルとされ、日本(37.8万キロメートル)の約25倍とロシア、カナダ、中華人民共和国に次ぐ、世界第4位の面積とされてきた。しかし、2002年アメリカ合衆国統計局が面積を963.1万平方キロメートルと発表し、中華人民共和国の959.7万平方キロメートルを抜いて、世界第3位になった。突然、値が増加したのは、これまでの統計に水面積(特に五大湖ミシシッピ川)が含まれていなかったのをアメリカ合衆国統計局が追加したからである。

アメリカ本土は東側の大西洋、南側のメキシコ湾メキシコ合衆国、西側の太平洋、北側のカナダで囲まれる。大陸の東側に南北にアパラチア山脈、大陸の西寄りには南北にロッキー山脈があり、山岳地帯となっている。アパラチア山脈とロッキー山脈の間は大平原になっており、農業や牧畜業が盛んである。大陸の南東端にはフロリダ半島がある。また北西部のカナダとの国境地域には五大湖と呼ばれる湖がある。

最北部が北極圏に属するアラスカは1年中を通じて冷涼な気候である。一方、太平洋上の諸島であるハワイは温暖な気候で、ビーチリゾートとして人気がある。

アパラチア山脈の東側はニューヨークワシントンD.C.ボストンなどの都市があり人口集中地帯になっている。また、ロッキー山脈の西側の太平洋沿岸にもロサンゼルスサンフランシスコシアトルなどの大都市がある。五大湖沿岸にはシカゴデトロイトなどの大都市があるが、大陸の中西部には大都市が比較的少ない。ハワイ諸島では最大の都市であるホノルルが太平洋における交通の要所として栄えている。また、その多くが北極圏となっており、離島も多く存在するアラスカには、陸路での往来が不可能な小都市も存在する。

[編集] 地方行政区分

詳細はアメリカ合衆国の地方行政区画を参照

アメリカ合衆国は、50の州 (state)、1の地区 (district)で構成されるが、その他に、プエルトリコなどの海外領土(事実上の植民地)を有する。

[編集]

独立当時、13の植民地にそれぞれ州が置かれた。1959年ハワイ州が州に昇格されるまでの間、各地方の割譲、侵略、買収、併合を経て、現在は50州を持つ。なお、星条旗の帯は独立当時の13州を、星は現在の50州を示している。

[編集] 連邦政府直轄地

[編集] 海外領土

アメリカ合衆国の海外領土も参照。 アメリカ合衆国の海外領土には、準州(テリトリー)、直轄領と自治領の他に、自由連合州(コモンウェルス)という形態がある。

ハワイ諸島周辺(オセアニア)
ミッドウェー諸島(直轄領) - ハワイ諸島の北西
ウェーク島(直轄領 / 無人島) - ハワイ諸島の西
ジョンストン島(直轄領 / 無人島) - ハワイ諸島の南西
ミクロネシア(オセアニア)
北マリアナ諸島(自由連合州)
グアム(準州)
ポリネシア(オセアニア)
アメリカ領サモア(準州) - サモア諸島東部
ハウランド島(直轄領 / 無人島) - サモア諸島の北西
ベーカー島(直轄領 / 無人島) - サモア諸島の北西
パルミラ環礁(直轄領 / 無人島) - サモア諸島の北東
ジャーヴィス島(直轄領 / 無人島) - サモア諸島の北東
キングマン・リーフ(直轄領 / 無人島) - サモア諸島の北東
カリブ海
プエルトリコ(自由連合州)
アメリカ領ヴァージン諸島(属領)
ナヴァッサ島(直轄領 / 無人島) - ハイチとジャマイカの間

[編集] 代表的な都市

アメリカの都市圏人口の順位アメリカの主な都市人口の順位も参照。

[編集] 地方区分

[編集] 政治

詳細はアメリカ合衆国の政治を参照


50の州とコロンビア特別区で構成される連邦制。それぞれの州は高度な自治権を持っているが、連邦政府の有する権限は非常に強大である。連邦政府は、立法、行政、司法の三権分立制をとるが、その分立の程度が徹底しているのが大きな特徴。元首であり、行政府のトップである大統領は、間接選挙選出される。任期は4年。行政府は、大統領と各省長官が率いる。

議会は、上院下院から構成される両院制(二院制)である。上院は、各州から2議席ずつの計100議席、任期は6年で2年ごとに3分の1ずつ改選。下院は、各州の人口を考慮した定数の合計435議席(その他に投票権のない海外領土の代表など5人)からなり、任期は2年。上院、下院ともに、一般的に、上院は上流層の意見を反映し、下院は中流下流層の意見を反映している。大統領は上下両院のバランスをとる役割を期待されている。

議席は歴史背景から共和党民主党の二党寡占になっており、二大政党制が確立している。なお、基本的に東西両海岸沿いに民主党支持者が多く、中部に共和党支持者が多いと言う地域的特色があると言う調査結果が出ている。他にも少数政党はいくつか存在するが二大政党を覆す程には至らず、時折選挙戦で旋風を起こす程度である。

アメリカにおいて、経済・産業・社会保障・福祉・保険・医療・学校教育・科学・技術、外交、軍事などの国や社会を構成する様々な要素に関する考え方・政策と、政治的主張と運動をする集団としての政党は、建国以後の歴史の中で様々な変遷をして、アメリカの選挙の歴史として表面的に現象してきた。アメリカが政治・軍事・産業・経済・科学・技術の分野で世界で最大の規模と力を持ち世界に多大な影響を与えるので、アメリカの政治と政策と、政治的主張と運動をする集団としての政党を長期的な時系列で認識し、その歴史的変遷を知ることは、アメリカと世界各国の政府・議会・国民が共存共栄してゆくために、どのような協力と働きかけが最適解または有効であるかを考えるための必要条件であると言う意見もある。

[編集] 外交

左からブッシュ大統領、アフガニスタンハミド・カルザイ大統領、ブッシュ夫人、コンドリーザ・ライス国務長官

第二次世界大戦前は、モンロー主義に代表されるような孤立主義政策をとることも多かったものの、大戦終結後は、戦勝国となった上に国土に殆ど被害を受けなかったこともあり、大戦後に起きた冷戦において、ソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営に対抗する、日本やイギリスなどの資本主義陣営の事実上の盟主的存在として、「自由と民主主義の保護」の名の下、朝鮮戦争やベトナム戦争など世界各地の紛争に積極的に介入する。また、冷戦中は単に「反共産主義的」であるという理由だけで、南アメリカのキューバチリ、アジアの南ベトナムフィリピンをはじめとする世界各国の軍事独裁政府を支援し、その結果、それらの国の国民に対して政治的不安定と貧困を与える結果となった。

ソ連崩壊に伴う冷戦終結後は、唯一の『超大国』となり、強大な軍事力を背景にパナマ侵攻ソマリア内戦イラク戦争など、各国の紛争や戦争に積極的に派兵し、またその当事国となった。また、1970年代以降は、ユダヤ系企業やこれらの企業に雇われたロビイストなどの影響から、特に中東地域において露骨にイスラエル寄りの姿勢を保つ上、冷戦終結後はイラクやイランシリアなどの中東のイスラム系国家を対立視することが多いことから、イスラム系国家の国民から多くの反発を買うことになった。その上、近年ではその覇権国家的な振る舞がフランススペインなどの友好国からさえも反発を買い、多くの批判を浴びる結果となっている。

アメリカの戦争と外交政策の関連性と影響力と歴史についてはアメリカの戦争と外交政策を参照。

[編集] 日本との関係

日本に来航したペリー
真珠湾攻撃
在日アメリカ空軍の横田基地
小泉純一郎前首相とブッシュ大統領

日米関係史および 駐日大使も参照のこと

日本との外交関係は、アメリカの建国が比較的近年であったこともあり、その歴史こそ浅いが太平洋を隔てた隣国と言うこともあり非常に緊密である。

19世紀に日本で明治維新を起こすきっかけの一つとなった、1854年2月のアメリカ海軍のマシュー・ペリー提督率いる「黒船」の来航を経て、同年3月に日米和親条約を締結し正式な国交を樹立した。その後1859年6月に日米修好通商条約を結んだことにより、両国間の本格的な通商関係も開始された。

その後20世紀に入り、日露戦争の後の1905年9月に行われたポーツマス条約締結時の仲介などを経て、両国間においての貿易、投資や人事的交流が急増するなどその関係を深める。しかし1920年代に、アメリカで日本人移民を狙い撃ちにした人種差別法案である排日移民法が施行された他、1930年代に行われた日本の中国大陸進出政策に対する親中国派のフランクリン・D・ルーズヴェルト政権による過剰な反発や、第2次世界大戦勃発後の1940年6月にフランスのヴィシー政権ドイツと休戦したことに伴い、日本軍が仏領インドシナ進出したことに対して不快感を示し、同政権が対日禁輸政策を取るなどその関係は急速に冷え込んだ。

その後両国間の関係が冷え込んだことを背景に、1941年12月7日日本海軍により行われたハワイののオアフ島にあるアメリカ軍基地に対する攻撃、いわゆる「真珠湾攻撃」以降、両国は枢軸国連合国に別かれ敵対関係になり、主に太平洋戦線において戦火を交えることになった。

1945年8月の日本の連合国に対する敗戦に伴い連合国の主要な占領国として参加し、1951年9月に交わされたサンフランシスコ講和条約の発効までの間、イギリスやフランスなどの連合国とともに日本の占領統治を行った。以降2国間で同盟関係(日米安全保障条約日米同盟)を構築してソ連や中華人民共和国などの軍事的脅威に対して共同歩調をとり続けるなど、極めて友好的な関係を築いている。なお、日本にとって、アメリカは軍事的同盟を正式に結んでいる唯一の国でもある(アジアには集団安全保障体制が存在せず、中国・北朝鮮を除く各国が個別に、アメリカと軍事同盟関係を締結している)。

一方で、この同盟関係の下で日本が自主的な外交、軍備を怠ってきたことや、冷戦時代にアメリカが起こしたベトナム戦争において、嘉手納基地横田基地などの日本国内のアメリカ軍基地が出撃基地として利用されてきたこと、日本国内のアメリカ軍基地周辺において在日アメリカ軍兵士による日本人女性に対するレイプ強盗、殺人事件が多発していることなどから、同盟関係に対する批判も少なからず存在する。しかし、同盟関係の下で、日本が冷戦下においても周辺諸国からの直接的な軍事侵攻を受けることがなかったことや、同盟関係が代表するようなアメリカとの密接な関係の下、日本製品の主な輸出先や日本企業の主な投資先として日本が恩恵を得てきたのもまた事実である。

冷戦が終結した現在もなお日米関係は国際政治や経済活動において不動の地位を築きつつあり、両国間の貿易や投資活動はその規模の大きさから両国経済だけでなく世界経済に大きな影響力を持つほか、2006年10月に発生した北朝鮮による核実験における対応や、同国による日本人拉致事件でも共同歩調をとっている。

[編集] 加盟している主な国際機構

[編集] その他

[編集] 法律

[編集] 州法

各州が独自の立法機関を設置し独自の憲法と州法を有する。連邦法は全州にわたって効力を有するものとして上位に位置するものではあるが、各州の自治が歴史的に尊重されていたこともあり、日本における地方自治体の条例に比べると、各州法の地位はかなり高く、「United States」の名のとおり、国家にも比する強力な自治権を認められている。

合衆国憲法により、連邦法を制定することができる分野は、国家としての対外的な規律に関わる問題や、州を跨ぐ通商に関連する事項等に限定されていることから、会社法刑法などの一般的法律も州法において規定されている。これらの影響により現在も禁酒法がところにより残っている。

[編集] 「法のもとの平等」

公民権法に署名するリンドン・B・ジョンソン大統領、ジョンソンの真後ろが公民権運動指導者のマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師

独立宣言には『すべての人民は法のもとに平等である』とうたわれていたが、女性、黒人奴隷および先住民が真の法のもとの平等を勝ち取ったのは建国から200年近くも後のことである。アメリカ合衆国で女性参政権が認められたのは1920年であり、アフリカ系アメリカ人と先住民族が法のもとに他の人種と同等の権利を保証されるようになるまでには20世紀半ばの公民権運動の勃興を待たねばならなかった。

19世紀後半以降にアメリカ合衆国への移民が増加するに従い、アングロ・サクソン系以外の移民を制限するための法律が連邦議会で次々に可決された。1882年に中国人(当時の国名は)の移民を禁止する中国人排斥法(Chinese Exclusion Act)が制定され、1924年には日本で「排日移民法」として知られているジョンソン・リード移民法が制定されて、新たに移民できる外国人の数を合衆国内にすでに居住している同じ人種の人口によって決めることで実質的にアジアと東欧および南欧からの移民を制限した。連邦レベルで移民の人種的制限が完全に撤廃されたのは1965年のハート・セラー移民帰化法においてである。

第二次世界大戦が勃発すると、西海岸沿岸州に居住する日系アメリカ人は敵性外国人として市民権を剥奪され、強制収容所に送られた(詳しくは日系人の強制収容を参照)。また同じ理由から、アメリカの影響下にあったラテンアメリカ13カ国の日系人もアメリカに強制連行された。この一連の強制収容により多くの日系人が財産や生活の基盤を失い、戦後7年が過ぎた1952年のマッカラン・ウォルター移民帰化法の施行まで市民権は回復されなかった。

[編集] その他

また「自由の国」を自称しているとはいえ、上記のように法の上での人種差別が近年まで残っていた他、ピューリタニズム・宗教保守派の考えの影響から性に関する問題には厳しいところもあり、州によっては婚前交渉同棲が認められておらず、刑罰の対象となる場合もある。また妊娠中絶を合法化すべきかどうか、死刑制度を認めるかどうかなどの点で宗教的価値観などの多様性を背景とした国家レベルでの議論が繰り返されている。

アメリカの人権問題と人権状況と人権政策と歴史についてはアメリカの人権と人権政策を参照。

[編集] 経済

詳細はアメリカ合衆国の経済を参照

ニューヨーク証券取引所
月に着陸したアポロ15号

経済規模は 国内総生産(GDP)で世界第1位である。しかし、1人当たりのGDPに換算すると、世界第4位である。大き