アッツ島
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アッツ島(Attu)はアリューシャン列島のニア諸島最西部に位置するアメリカ領の島。熱田島(あつたとう)とも呼ばれた。
第二次世界大戦(太平洋戦争、大東亜戦争)中に日本軍とアメリカ軍の激戦地となった。
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[編集] 気候
島の気候は、アリューシャン列島の典型的なものである。曇りや雨が多く、霧や強風も多い。晴れの日は年に8から10日ほどである。
[編集] アッツ島をめぐる戦い
詳細はアッツ島の戦いを参照
1942年、日本軍はミッドウェー作戦の陽動作戦として、アッツ島をキスカ島と共に攻略、占領して熱田島と改称した。1943年5月、アッツ島奪還のためアメリカ軍が上陸し、日本軍守備隊と戦闘になる。日本軍のアッツ島守備隊は、物資不足もあり、アメリカ軍上陸半月後に全滅。「玉砕」の公認第一号となる。日本軍の守備隊指揮官は山崎保代陸軍大佐。これに対して、キスカ島守備隊は木村昌福少将率いる救援艦隊によって脱出・撤退に成功した。
- 日本軍損害
- 戦死 2638名(戦死率99%)
- 捕虜 27名(生存率1%)
- 米軍損害
- 戦死 約600名
- 負傷 1200名
[編集] アッツ守備隊玉砕後のエピソード
1943年5月29日、アッツ守備隊が玉砕する。報告は、5月30日連合軍の圧倒的な強さに降伏を考えていた昭和天皇に伝えられた。昭和天皇は玉砕の報告をした杉山元参謀総長へ「最後まで良くやった。このことを伝えよ」と命令した。杉山はすかさず、玉砕して打電しても受け手が居ないと言った。これに対して、昭和天皇は「それでもよいから電波を出してやれ」と返答した。<ref>『図説・玉砕の戦場』・森山康平・河出書房新社・2004 ISBN 4-309-76045-7</ref>
しかし5月30日の陸軍少将眞田穣一郎(参謀本部第一部長、陸軍省軍務局長)の日記には「陛下からはご下問も何もなし」と記録されている。眞田第一部長はこの上奏を起案した瀬島龍三の直属長官であり、瀬島は杉山参謀総長とともに車で宮中に赴いている。(このエピソードの出典元は瀬島龍三の回顧録の場合が多い)。もし上記のような命令がされていたのであれば、かならず上司である眞田にも報告があったはずである。よって、上記の昭和天皇とのやり取りが創作ではないかという指摘も存在する。
[編集] 関連項目
[編集] 注釈
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