いろは坂

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この項目では栃木県日光市にあるいろは坂について記述しています。東京都多摩市にあるいろは坂についてはいろは坂 (多摩市)をご覧ください。

いろは坂(いろはざか、日光道路)は、国道120号栃木県日光市馬返~中禅寺湖間にある、九十九折りの坂道。上り(第二いろは坂・中禅寺湖方面)20、下り(第一いろは坂・日光市街方面)28の合計48カーブからなる。標高差約500m。

目次

[編集] 沿革

  • 1952年昭和27年):日光市街と奥日光を結ぶ幹線道路とするべく着工。
  • 1954年(昭和29年)10月1日:「日光いろは坂県営有料道路」として供用開始。(現・第一いろは坂・対面通行。1957年4月1日日本道路公団に移管。)6.5kmの道路に莫大な費用が掛けられたため、日本で二番目の有料道路として開通。
  • 1966年(昭和41年):同坂の開通で観光客が増大、観光シーズンの交通渋滞を緩和するため、上り専用の「第二いろは坂」が完成(日本道路公団が建設)し、それまでのいろは坂を下り専用の「第一いろは坂」とした。
  • 1984年(昭和59年)10月1日:無料開放。

[編集] 歴史・名称の由来

古くは男体山中禅寺への登拝者が通っていた道であった。明治初期まで奥日光は女人牛馬禁制で、女性や牛馬は坂を上れなかった。そのため上り口は「馬返(うまがえし)」と呼ばれ、女性が男体山を拝んで引き返した場所には「女人堂(にょにんどう)」が残っている。また、ほぼ中間点には休憩所「中ノ茶屋(なかのちゃや)」跡があり、磁力があるといわれる巨石「磁石石(じしゃくいし)」も残っている。

「いろは坂」と呼ばれるようになったのは昭和中期で、カーブが48か所あることから、ロープウェイのガイドアナウンスで呼ばれ始めた。1954年の道路改修でほぼ現在の形の「第一いろは坂」が完成し、カーブは30か所に。1966年、上り専用「第二いろは坂」の完成でカーブは50か所に増えるが、その後「第一」のカーブを2か所減らし、きれいに「いろは……」が当てはまる状態にした。各々のカーブには上り「い」~「ね」、下り「な」~「ん」の文字板が建てられている(「い1」「ろ2」「は3」のように文字数字が対応する形の表記になっている)。

[編集] その他

1986年日本の道100選に指定されている。急な勾配とカーブが続き、秋には木々の紅葉が美しいことで有名。日光市街と奥日光を結ぶ唯一の道路のため、行楽シーズンには大渋滞となる。

沿道に出没する野生のサルに餌付けをする観光客が後を絶たなくなってきており、付近一帯はサルによって土産物等が奪われたりするなどの被害が続出している。日光市では観光客及び商店への被害防止のため、サルへの餌付けを禁止する条例を制定した。


[編集] 関連項目

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